唐突にも開始された食戟。
相対するは、編入したばかりの一年と、既に一年間の篩を超えてきた二年という異色の組み合わせ。この時期にしてみれば、早過ぎる衝突と言えるだろう。
黒瀬恋と周藤怪――十傑をも巻き込んだこの戦いは、話の起こりから即刻行われたにも拘わらず、大勢の観客を呼び寄せる。
審査員は黒瀬恋が走って連れてきた講師陣。それぞれ専門分野は違うものの、確たる実力と実績を持った料理人達だ。審査員において、不足はない。
調理台を挟んで向かい合う二人の料理人は、既に調理衣服に着替えている。
黒瀬は黒い長袖のコックコートに、同質の黒いズボン。その上から、腰に巻くタイプのソムリエエプロンを付けていた。
黒い髪に金色の瞳は、その姿も相まってぎらついた迫力と覇気を感じさせる。
対する周藤の方は、普通の白いコックコート。
表情は少しばかり浮かないが、それでも己が望んだ食戟が出来るということに得体のしれない高揚感もあるようだ。浮かない表情に反して、好戦的な笑みも浮かんでいた。
「多少唐突で驚きもしたが、これはこれで好都合だ」
「俺としても、早い内に食戟が成立して良かった。こんなところで躓いてもいられない……悪いが勝たせてもらうぞ、周藤怪」
「良いだろう……僕の目的は君の実力を知ること……だから題は君の得意ジャンルで良い。何が良い?」
勝負の前の話し合い。
内容は、勝負のルールとテーマを決めるというもの。元来こういう話は公平を期すための決め事だが、互いの目的を考えて黒瀬に有利な話になっている。
周藤の言葉に対して、黒瀬は顎に手を当てて短く思考する。
彼は得意料理と言われても、これといった得意料理はない。何故なら、味覚が正しい情報を与えてくれない以上、これが得意だと思うことがないからだ。
しかし、それでも自己評価ではなく――他者からの評価で凄まじいと評されるジャンルならばある。彼の料理で凄まじいのは、基礎のプロセス全てを洗練した調理技術の高さ。
数ミリの誤差も許さぬ、精密さと正確さ。そして味見をせず、味覚以外の徹底して鍛え上げられた感覚が織り成す味。その芸術的なまでの繊細さにある。
故に、此処で彼が出した題材は――
「ルールは、互いに同じ料理を作ること。そしてその料理は、和食の定番……肉じゃがだ。この国では、おふくろの味という言葉の代名詞にもなるくらいだ。持って来いだろう」
「……良いだろう。それにしても、中々難しい題だな」
「安心しなよ、俺もそう思う」
和食だった。
肉じゃがは日本で全国的に親しまれている家庭料理である上に、おふくろの味と言われる様な代表料理だ。
もっと大きな括りで言えば、和食とは見た目や色使いといった観点で、繊細さや芸術要素が重要さを持つ料理だ。一つ一つの料理の量は大分物足りないのだが、腹を満たすというより、芸術的な見た目や繊細な香りといった鑑賞的な楽しみ方をする料理といえよう。
まさしく、黒瀬恋にぴったりのジャンルだ。
「じゃ、始めようか」
細かな規定が定まった所で、調理が始められる――
◇ ◇ ◇
黒瀬と周藤の食戟。その注目度は、観客の数に反して然したるものではない。
言ってしまえば、十傑やそれに準ずる実力者達にとってはそれ程興味を惹かれる勝負ではないということだ。故に、見に来る観客の殆どは、黒瀬という編入生の実力如何を見に来た者ばかりだ。
しかし、それでもこの食戟を見に来た十傑メンバーがいた。
一人は分かりやすい。薙切えりなだ。
十傑第十席にして、遠月開闢以来の魔物と評された、神の舌を持つ少女。黒瀬が食戟をするということで、自分の応援にも来てくれたお返しも兼ねているのだろう。
まぁ、黒瀬が気になったというのが最たる理由だろうが。
続いて二人目、ある意味当然といえる一色慧だ。
十傑第七席にして、黒瀬の住まう極星寮の先輩。まぁ彼にしてみれば後輩の晴れ舞台だ。後輩を大切にしている彼としては、見に来ない理由はなかったのだろう。
そして最も以外だったのは、最後の十傑メンバー。
三人目、遠月十傑評議会第八席――久我照紀だ。
「アハハ☆ 周藤ちんが俺の名前を借りたいっつーからどんな相手かと思ったけど……一年の雑魚じゃん。期待外れだなぁ」
「……」
「で、も、まさか俺以外に見に来る十傑が二人もいるってことは……そうでもないのかな?」
調理が開始されてから、VIPルームともいえる観戦室で件の久我はそんなことを口にした。えりなも一色も、その言葉に対して無反応を貫いている。
十傑の中でも久我はかなり軽い性格で、かなり口数が多い。
更に言えば、十傑としてのプライドなのか自信なのか、格下を見下す傾向がある。雑魚などの言葉が出て来るのも、その性格ゆえだろう。
まぁ十傑同士仲が良いという訳でもない。口数が多くとも、会話が弾むという訳ではないのだろう。
「そういえば、久我君。君と周藤君はどんな関係なのかな?」
「ん? ああ……周藤ちんは俺の
「成程……ということは、彼の得意料理は君と一緒で中華料理なのかい?」
「んー、まぁそれもあるけど……どっちかというと、周藤ちんは料理人というより研究者の面が強いんだ」
久我はガラス越しに周藤を見下ろし、不敵に笑う。
「彼は料理人として腕を磨いていたのなら、この遠月でも上位に食い込む実力の持ち主さ☆ 何せ――」
視線の先では、周藤が丁寧に下拵えと調理を進めている。
その様子は、食戟開始前とは別人の様に集中しており、その調理風景は一目でその腕の高さを伺わせた。
久我曰く、料理人ではなく、研究者――それが意味する所は、彼には己の料理に対する理解が深いということである。
そして久我は言う。周藤怪、その男の実力は、
「一年の時、秋の選抜に選ばれた上に……俺が居なきゃ決勝トーナメントに出れていた程だからね☆」
決して並の二年生ではないのだと。
「……それでも、黒瀬君だって並じゃないわ」
「お、えりなちんはあの一年生クンの肩を持つのかい? こりゃ噂もあながち間違ってはいないのかな?」
「噂……?」
他の二人が周藤を推していくのが気に障ったのか、沈黙を破った薙切えりな。しかし、それが久我の目にどう映ったのかは定かではないものの、久我は妙ににやにやしながら含み笑いを漏らす。
どうやらえりなと黒瀬の二人には、遠月の中で何やら噂が流れているらしい。それを知らないえりなは首を傾げるが、久我は面白そうにそれを教えてくる。
「くふふふ~♪ えりなちんと、あの一年生クンが……良い仲だってウワサだよん☆」
「なっ……そんなことある訳ないでしょう!? ……ただの幼馴染よ」
それは、二人が付き合っているという噂。
まぁ、この学園に彼が編入してから、えりなと黒瀬が楽しげに話している光景はそう珍しくない頻度で見られている。えりなの性格と立場からすれば、そういう噂が流れるのもおかしくはないだろう。
頬を一刷け朱に染めながらえりなはそれを否定したものの、しかしその態度はそれ程嫌ではなさそうだ。
久我はそんな姿が見て、面白いものを見たとばかりににんまりと笑みを浮かべる。
「……はぁ……確かに周藤先輩は嘗て秋の選抜に選ばれているわ。資料によれば、授業でもイベントでも、安定して高い成績を残していた」
「うんうん☆」
「それでも、この食戟……勝つのは黒瀬君よ」
「ほほう、その心は? 幼馴染だから彼の料理スタイルを知っているんだろうけど……君にそう言わせるほど、彼は和食が得意なのかい? それとも、純粋に彼の実力が高いのかな?」
久我の言葉に対し、えりなはフ、と笑みを浮かべた。
まるで何を分かり切ったことを、とばかりに視線を黒瀬の方へと向けたえりな。これと言った根拠はない。確かに彼女は、黒瀬の実力が高いことも知っているし、抱えている問題や並々ならぬ努力も理解している。
それでも、そんなものは関係ない。関係なくとも、彼女は黒瀬が勝つと信じている。
「決まってるわ、だって……」
多くの人は大抵それを、
「彼は――私を笑顔にしてくれる料理人だもの。こんな所で負ける筈ないじゃない」
穏やかな微笑み。黒瀬恋という幼馴染に絶対の信頼を寄せていることが分かる程、揺るぎない声音だった。
久我も一色も、そんなえりなの表情と言葉に目を丸くして呆然とする。
ごく最近のことながら、十傑評議会に彼女が入って来た時は、それはもう凄まじい
なのに今目の前にいる少女は、年相応の恋する女の子そのもの。想像していなかった彼女の柔らかな一面。
おそらく彼女は全く意識していないのだろうが、それはお喋りな久我を持ってしても、
「はぁ……ごちそーさま」
到底からかえるような空気ではなかったようだ。
『勝者――黒瀬恋』
そして食戟の結果、勝利したのはえりなの言う通り黒瀬恋だった。
その勝利宣告に満足気な笑みを浮かべたえりなは、踵を返して観戦室を出ていく。もうこの場に居る意味はないとでも言わんばかりの去り方。
久我としては、周藤が負けたことに対して多少納得のいかない所があったものの――えりなの有無を言わさない言葉を聞いた後だと、なんだか当然の結果の様に思えてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
勝利したのは、黒瀬恋だった。
まぁ最初から考えてみれば、研究者として腕を磨いてきた周藤と、常に高みを目指して料理人として腕を磨いてきた黒瀬。純粋な調理技術を見れば、黒瀬が勝つのはある意味当然ともいえた。
彼らが作った肉じゃが。
その評価だが、決定的な差が出たのはやはり調理技術の高さにあった。煮物といえば、煮込む際の熱の通し方や、食材の下拵え、調味料の量や入れるタイミング、煮込む時間等、和食ならではの繊細な調理が求められる。
急な食戟、急な調理故に、彼等が肉じゃがにした特別な工夫などはない。純粋に基礎レシピに沿って同じ調理方法で同じ肉じゃがが作られたのだ。
それはつまり、純粋な調理技術の高さや食材に対する向き合い方が上手い方が勝つということ。
すると、講師すら認める高い調理技術を持つ黒瀬恋だ。この戦いで彼が勝つのは最早必然と言えた。
「なるほど……見ていれば分かる。君の調理技術は非常に高い……食材を殺さず、一切ミスのない調理、しかもあらゆる調理プロセスが最適かつ最も良いタイミングで行われている。手際が良いどころではないな……君の調理は理想的だ」
「ありがとうございます……でも、俺の料理はまだまだです。俺の理想には遠く及ばない」
「ふ、完敗だ。その飽くなき向上心は、感服するよ」
周藤は敗北を認め、黒瀬恋を認めた。これほどならば、確かに薙切えりなが認めるのも分かる気がしたのだ。
おそらく黒瀬はまだ本気を出してはいない。純粋に調理技術のみを振るう今回のテーマにおいて、確かに調理で手は抜いていないだろうが―――それでも彼の料理はまだ先があるような気がした。
まだその領域に至っていないのか、はたまた出し惜しみしているのか、それは定かではないが――周藤は彼の実力が一年生という枠を軽く逸脱していることを理解した。
「では、約束通り今度久我を紹介する場を設けさせてもらう。セッティングが完了したら連絡しよう」
「はい。それでは、俺はこれで」
食戟が終わったから、黒瀬の言葉は敬語に戻っている。
約束が守られることを確認した黒瀬は、ふとVIPルームの方を見て、ふと笑う。既に薙切えりなの姿はなかったが、それでも彼女が見に来ていたことは分かっていた。
「……少しは格好良いところを見せられたかな?」
そんなことを呟きながら、黒瀬はその場を後にした。