ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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七十四話

 恋が仙左衛門から話を聞き終えてから、先行きの不安定さを示すように雨が降ってきた。ノイズの様に耳を打つ雨音が遠月学園を包み込み、薄暗くなった夜に鬱蒼とした重たい空気が流れる。

 

 そんな中で、新総帥となった薙切薊は遠月学園の一室で司瑛士と向かい合っていた。互いに向かい合って椅子に座り、飲み物がテーブルに置いてある程度の状態。薊の表情はあくまで余裕を持っており、司もまた何を考えているか分からない表情でお茶を飲んでいた。

 本来であれば革命を起こした直後の今、えりなの住まう屋敷へ出向き、かつて中断せざるを得なかった神の舌の教育など、やるべきことを進めたいところではあったが、恋との対立もあってそれが出来なかったのである。

 

 現状、恋と叡山による薊への対立をどうにかしない限りは、己の改革を進めることは出来ない。これは契約を交わしたわけではないが、要はプライドの問題でもあった。恋と叡山を障害として認めたのに、改革を進める―――その行動は己の言動に対する説得力を失わせかねない。

 また、そうなった場合黒瀬恋の仕掛けた十傑内にいるであろう裏切り者が、何をしでかすかも不安要素だった。司を呼び出したのは、その不安を拭うためだ。

 

「司瑛士、十傑第一席の君から見て……僕達側の十傑の中に黒瀬恋に与する者がいるとするなら、誰だと思うかな?」

「……さぁ、斎藤や石動は分かりませんが、それを除いても僕達は黒瀬と親しいですからね。俺を含め、誰が黒瀬の味方をしてもおかしくはないです」

「……なるほど、では君はどうかな? 調べた限りでは、君は十傑内でもとりわけ黒瀬恋に執着しているようだけど」

「いや、黒瀬に対する執着心で言えば茜ヶ久保の方が凄い気がしますけど……」

「そうなのかい? そうなると、彼女が大分怪しいか」

「(多分想像しているより数倍くらい度合いが違うと思うけどな……)」

 

 司の言葉を受けて、顎に手を添えながら真剣に考える薊に、司はそっと目を逸らして愛想笑いを作った。

 正直な話、恋が反逆した十傑の中で裏切るように要求した人物が誰かを、司は知っている。なんなら茜ヶ久保ももも、小林竜胆も、紀ノ国寧々も知っている。斎藤と石動の二人に関しては分からないが、少なくとも司が把握しているだけでもその四人は知っているのだ。

 

 なにせ――――その四人全員が、恋によって裏切りを頼まれた十傑であるから。

 

 司も竜胆も、ももや寧々も、実は全員月饗祭の最中で恋と接触している。

 その際、恋は直接薊による接触があったのかと訊き、そこであったと答えた十傑に裏切るよう要求した。だから質問だけなら、久我もその質問を受けている。

 恋がより多くの十傑の店にサポートに入れるよう動いたのは、その為の布石でもあった。叡山から今回の革命に関する話を聞いてからずっと、十傑を裏切らせるための算段を立てていたのだろう。

 そして今回、それは上手く薊の裏を掻き、こうして彼の行動を阻害するに至っている。

 

「まぁいい、黒瀬恋の談を信じるのなら……君達は全員僕の思想に相応の理解があってこちら側にいる。なら、戦いの最中で裏切るなんて真似はしないだろう? 黒瀬恋の目的が僕の敗北なら、正々堂々に反するような真似はしない筈だ」

「……随分と黒瀬のことを信用しているみたいですが、なら何故そんなにも黒瀬を敵視するんですか?」

「……」

 

 だが恋のことを考えた結果、わざと裏切らせたからと言って、正々堂々の勝負をするのであれば、自分側の十傑が裏切ることはないだろうという結論に至り、一旦思考を切った。

 すると司は、薊が随分と黒瀬恋のことを信用していると感じ、今回のことへの矛盾について指摘する。黒瀬恋のことを敵視している割には、黒瀬恋の人間性は信用している―――そんな矛盾を。

 薊は司の指摘に少し押し黙る。

 

「そもそも、これから貴方がやろうとしている改革が進めば、遠月学園の中で彼ほど貴方の思想を体現出来る人物はいない。貴方がやろうとしているのは、僕達十傑やそれに類する料理人によって美食を追及し、才能に恵まれない料理人にもその成果を平等に与えること……その結果、遠月学園の全生徒が十傑レベルの知識、アイデア、技術を手に入れ、その平均水準は爆発的に上昇する」

「その通りだ」

「ですが黒瀬の調理技術は僕達十傑をも上回っている……僕達十傑のアイデアやレシピを、彼は僕ら以上のクオリティで作り上げることが出来るでしょう。それは結局、貴方が非才の料理人に禁じる美食の追求にも等しい……貴方は何故、黒瀬を敵視しているんですか?」

 

 黒瀬恋の調理技術は遠月でもトップクラスだ。

 ずば抜けた正確さ、無駄のなさ、芸術にも至る繊細さすら感じられる珠玉の調理技術。

 それを遠月から排除する意味は一体どこにあるのか。

 

 薊は少しの間を置いてから、静かに口にする。

 

「……確かに、彼の調理技術は僕も認めているよ。彼ほどの技術力の持ち主は、そうはいない……彼が一般的な味覚さえ持っていれば、おそらく第一席の君や神の舌を持つえりなにも匹敵する怪物になっていただろうね。加えて人格者であり、基本的には温厚、気遣いや気配りも完璧で、コミュニケーション能力も人一倍高い……さらには先の月饗祭で名を轟かせるに至ったサポート能力は驚愕を禁じ得ない……味覚障害を抱えて尚、余りある価値が彼にはある」

「ならどうして」

「だからこそ、僕は彼を認められない。いや、僕だからこそ彼を認めるわけにはいかない……この遠月に、そして神の舌の周りに、彼の存在は邪魔でしかない」

「美食の追求において薙切――神の舌は国宝級の価値を持つ……黒瀬の存在が、それを失わせると?」

「これ以上を君が知ることに、意味はないよ」

 

 そう言って、これ以上話す気はないとばかりに立ち上がった薊は、早々に部屋を立ち去っていく。司はその背中を見送ると、一人取り残された状態でぽつりと呟いた。

 

「私情、か……どうやらかなり厄介な藪を突いたみたいだな、黒瀬は」

 

 薙切薊が黒瀬恋を敵視する理由。

 黒瀬恋の人間性も、実力も認めている――けれど料理人としての彼を認めるわけにはいかないと言った薊。料理人としての能力や味覚障害が問題ではないとするのなら、その理由は当然私的な感情の問題になってくる。

 薊が恋に抱く敵意の理由。その核心にはきっと、神の舌が関わってくるのだろう。

 

 黒瀬恋と薙切えりな―――二人を取り巻く現状に、彼は一体どんな感情を抱いているというのだろうか。

 

「まぁ……この状況は寧ろ都合がいいかもな」

 

 それはそれとして、司瑛士はふと笑みを浮かべる。

 

「このままいけば……黒瀬と食戟で戦う日も近いかもしれない」

 

 柄にもなく―――彼は料理人として黒瀬恋と戦ってみたいと思っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「えりなちゃん?」

「あ……恋君」

 

 雨が降ったことで仙左衛門と分かれ、極星寮へと帰ってきた恋が見たのは、食堂に緋沙子とえりながいる光景だった。

 屋敷に帰ったと思っていたのに、何故極星寮へとやってきたのか分からず、首を傾げる恋。すると、そんな恋に気付いたえりなと緋沙子が近付いてくる。

 雨に濡れた様子もないので、おそらく恋と入れ違いにやってきたのだろう。一色達が彼女達を出迎えていたみたいだが、どうやら恋を待っていたらしい。

 

 すると、未だに薊の登場によるショックから抜け出せていないのか、少し暗い表情のえりなに変わって、緋沙子が恋に事情を説明するために口を開いた。

 

「恋のおかげか屋敷に薊新総帥は現れていないが、いずれはえりな様に接触してくるだろうと思ってな……今のえりな様は動揺しているんだ……会わせるわけには……」

「それで咄嗟に極星寮に来たわけか」

「此処なら恋もいるし……せめて気持ちを落ち着かせる時間を稼ぐことは出来ると思って」

「そうか……良い判断だと思うよ。流石だ、緋沙子」

「私には出来ることは、精々これくらいだ」

「十分過ぎる」

 

 恋はしゅんとなる緋沙子の肩をぽんと叩き、少し居心地悪そうに佇むえりなの傍に歩み寄った。 

 するとえりなはようやく気心しれた人物の登場に少しホッとしたのか、また薊の登場によって不安が大きくなっているのか、恋の袖をきゅっと握ってその背に隠れるように近づく。まさしく借りてきた猫のようになっている彼女を見て、恋は苦笑した。

 

「黒瀬君、事情は大体新戸さんに聞いたよ。大変だったろう、ふみ緒さんも許可してくれているし、しばらく薙切さんには極星寮に泊まって貰ったらどうかな」

「助かります、一色先輩」

「気にすることはないよ、薙切さんは今までも時折寮に遊びに来てくれていたし、黒瀬君にとっても大切な人なんだろう? なら、極星寮の仲間として歓迎しないわけにはいかないじゃないか!」

「そうだよ黒瀬! えりなっちも大変だったねぇ! いくらでもいてくれていいからねぇ~~!!」

「え、えりなっち!?」

 

 するとえりな達を迎えてくれていた一色達も温かく声を掛けてくれる。

 特に薊とのいきさつを聞いたのだろう、寮の全員が同情を露わにしてえりなを取り巻く環境を嘆いていた。吉野や榊、恵は目尻に涙すら浮かべており、創真達男子も憤りを隠せない様子。

 

 だが、それはそうとして極星寮には空き部屋がない。

 

 恋と創真、二人の編入によって空いていた部屋が埋まってしまったのだ。

 そうなると女性陣の部屋に泊まらせて貰うのが一番良いと思う恋だったが、何故かその進言は受け入れられなかった。

 

「いや黒瀬の部屋に泊めるのが一番いいに決まってるでしょ」

「なんでだよ」

「黒瀬君なら変なこともしないだろうし……薙切さんなら変なことしても良さそうだし……」

「今なんて言った?」

「薙切さんも、信頼している黒瀬君が一緒なら、一番安心できるんじゃないかな」

「一色先輩、おかしいのはその裸エプロンだけにしてください」

「いいじゃねーか黒瀬、選抜の時は薙切の屋敷に泊まってたんだろ?」

「同じ部屋で寝泊まりしたわけじゃないぞ幸平」

「私も、恋の部屋に泊まらせて貰うべきだと思う」

「緋沙子、お前以前俺がえりなちゃんに相応しいかどうかだの言ってなかったっけ?」

「恋君……私は、貴方と一緒なら……」

「絶対俺が来る前から決めてただろ、この流れ」

 

 首を傾げた恋に、畳みかける様な恋の部屋コールが止まらなかった。

 どうやら恋が帰ってくる前に恋の部屋に泊めることは全員の総意で決まっていたらしい。これが恋でなかったのなら、きっと強い信頼関係があったとしても女性陣が自分達の部屋に泊めただろうが……薊の教育を受けていた少女時代に恋との思い出だけが心の支えだったことや、遠月学園での恋とえりなのやりとりを思えば、それが一番最適だと誰もが思った。

 恋であれば、きっと不安に押しつぶされそうなえりなを安心させられると、全員が信頼しているのだろう。また男女ということで間違いが起こる可能性もないわけではないが、恋ならこんな状態のえりなを押し倒すような真似はしないという信頼もあったし、なんなら間違いが起こったとてこの二人なら別に良いだろうという気持ちもあった。

 

 結局、えりな本人が恋の部屋が良いと言う以上、あとは恋が納得するかどうかである。

 恋の部屋にえりなを泊めて、恋が別の部屋に泊まるということも提案したものの、不安そうに袖を掴む力が強くなったことで、恋は折れた。

 

「はぁ……分かったよ。後で布団を運ぼう……ベッドは好きに使ってくれ」

「ひひ、一緒に寝ればいいじゃん」

「吉野、それ以上ふざけるなら流石の俺も手を下さずにはいられないぞ」

「あ、あれ? 黒瀬? 黒瀬っち? いつも優しい君が怖い顔になってるぞ? や、やだなぁ、冗談だって! 待って! やめて! 怖い怖い怖い! なにするつもり!? ぎゃーーだだだだだだ!!!」

「凄い、無駄のないアイアンクローだ。締め上げる工程に無駄がない」

「流石黒瀬、技術力なら天下一だな」

「それは料理の技術の話じゃあああだだだだだだだ! ごめんなさい! 調子に乗りました! 私が悪かったです反省しました黒瀬さん、いや様ぁ!」

「次は命を貰う」

「うぅぅぅ……温厚な人ほど怒らせたら怖いとは言うけど……」

「今のは怒るというより叱られただけだと思う……」

 

 吉野が宙に浮くんじゃないかと思うほどの力でアイアンクローを行った恋だったが、必死の謝罪で吉野を離す。

 調子に乗りすぎたことを反省する吉野は、榊の指摘でぐうの音も出なかった。

 

 結局、えりなは恋の部屋に泊まることが決まり、そこからは暗い空気を吹き飛ばすように、極星寮で歓迎会という名の試食大会が始まる。

 翌日から始まる、薙切薊との対立に向けて、英気を養うように。

 

 

 




ようやく月饗祭最終日が終わりました汗
感想お待ちしています✨





自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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