「また会おう、えりな」
「……っ」
恋との睨み合いの末、店を去る薊。
えりなは委縮して言葉に詰まるものの、不愉快さを隠そうとしない薊が何とも言えない圧力を放っていたからだろう。
他の客が視線を送る中、悠々と店を出ていく薊。
だが、店を出て行った薊を出迎えたのは、外で待機していた遠月の運営委員会及び総帥である薙切仙左衛門だった。
騒ぎを聞いてあとから店の外へ出てきた恋やえりな達も、その光景に驚愕の目を浮かべる。だが恋はふとその集まった人々の後方に叡山の姿を見つけ、なるほどと納得した。
この状況は薊の侵入をいち早く察知した叡山が仕掛けたものなのだろう。
薙切仙左衛門やその他の学園運営に関わる委員会全体に呼びかけるなど、遠月の生徒の中では叡山くらいでなければ出来ないことだ。
対峙する仙左衛門と薊。
「ああ、出迎えて貰わずともこちらから伺うつもりでしたのに」
「薊……! 貴様は遠月より追放された身。去れ! 貴様にこの場所へ立ち入る権利はない。二度と薙切を名乗ることは許さん」
「えりなが持って生まれた神の舌を、磨き上げたのは僕なのですよ? 僕を追放しようとも、血と教育は消え去りはしない」
「儂の最大の失敗だ。あの頃のえりなを貴様に任せたことはな」
「失敗はお互い様ですな、僕がいれば遠月を今のようにはさせなかった。下等な学生を持て余すことは愚の骨頂ですよ」
「それを決めるのは我々ではない。遠月の未来を決定するのは、才と力持つ若き料理人たち! 貴様一人が喚いたところで何も変わらぬ!!」」
恋は二人の会話から、薙切薊が言う薙切えりなへ施した教育、という言葉が気になった。えりなの薊に対する恐怖心や委縮した態度は、どう考えても異常だ。
この学園で再会してからも、えりなは美食を極める、といった方向で料理を作る様になっていた。今日共に料理をした時には、かつてのえりながそうだったように、ただ誰かを想って料理を作る料理人になっていたのに。
勿論、それは成長したことによって心の変化があったのだろうと思っていたが、その原因もまた薙切薊によるものなのだとしたら―――彼は薙切えりなという料理人の芯を歪ませる何かを施したということだ。
隣で青い顔をするえりなを見て、恋は静かに彼女の背をポンと叩いた。
「っ!? ……恋君」
「大丈夫だよ、俺が付いてる」
「!……ええ、ありがとう」
ハッとなったえりなだが、恋がこの場に似つかわしくない微笑みを向けてそう言うと、何処か守られているような安心感と共に、少しだけ固まった息を吐き出すことが出来た。
「遠月十傑評議会……彼らには学園総帥と同等以上の力が与えられている……例えば十傑メンバーの過半数が望むことは、そのまま学園の総意となる」
「何を言っている……?」
「彼らは変革を良しとしていますよ」
だが、そう言って薊が取り出したのは一つの重要書類。
手渡されたその書類に目を通した仙左衛門は、そこに書かれている驚愕の事実に若干目を見開いて眉を潜めた。
そこには、学園総帥薙切仙左衛門を失脚させること、そして新たな総帥に薙切薊を据えることに、十傑評議会の過半数が賛同をしめしているという事実が書かれている。
つまり、かつて恋を退学に追い込んだのと同じ手法を使って、今度は自分自身を遠月学園の最高権力者へと押し上げたのだ。
こうなってしまえば、薙切仙左衛門は反論の余地はない。かつての恋がそうだったように、正当な意思決定によって仙左衛門は総帥の座を追われ―――新たな総帥に薙切薊がなる。
「……そうか」
「おや、あまり驚かれませんね。いささか受け入れるのがお早いようですが」
「ふん、お前の要求を受け入れたわけではない。あくまで儂は、未来ある若き料理人の意志を汲んだだけに過ぎん――――薊よ、あまりこの遠月の学生を甘く見ないことだ」
「ご忠告痛み入ります。ですが、これからは私が遠月総帥……崩壊し切っている遠月学園をあるべき姿へと導いて見せますよ」
しかし薊の要求、十傑の裏切りを目前にしたところで、仙左衛門の驚きは小さかった。その上すんなりその決定を受け入れる様な態度すら取っている。まるでこうなることは分かっていたかのような態度に、薊は訝し気な表情を浮かべるが、決定は決定――薙切薊は遠月学園新総帥の座を手に入れたのである。
すると、仙左衛門の背後から一人の学生が出てきた。
恋も見つけていた、叡山枝津也だ。
「……叡山枝津也、どうして今此処に? 十傑を追われた君が」
「相変らず憎たらしい言動ですね、薙切薊新総帥―――お情けの立場に就けてそんなに嬉しいですか?」
「……何?」
敵意というにはあまりにも積もりに積もった復讐心を露わにした叡山に、薊はどういう意味だと眉を潜める。
お情けで与えられた立場という言葉に、えりなも首を傾げた。この状況を作り上げた薊の謀略には呆気に取られていたというのに、それを上回る何かがあったというのだろうか。
すると、隣にいた恋が薊の横を通り抜けて叡山の横へと立った。
「黒瀬恋……まさか、君達は……」
「十傑過半数の賛同を以て、新総帥となる計画は……十傑を追われた叡山先輩から聞いて、ずっと前から分かっていました。それを事前に防ぐことも出来たけれど、俺達はそれをしなかった」
「どういうことかな?」
黒瀬恋と叡山枝津也……薙切薊の謀略によって、様々な被害を受けた二人の料理人。だがだからこそ、薙切薊が排除したいと思っていたからこそ、この二人が最も彼への対抗手段としての力を持っていた。
対峙する両者。
事前に全てわかっていたという恋に、薊は何処かうすら寒い物を感じながら、それでも余裕を崩さずに問いかける。
すると、今度は薊が驚愕する番とばかりに―――恋は言った。
「今回貴方に賛同した十傑の中には、あえて貴方に賛同するように俺がお願いした人がいます」
それは、恋と叡山が選んだ選択肢だった。
新総帥になられることは、きっと学生たちにとっては未来の芽を摘まれるような事態である。それでもそれを見逃したのには、れっきとした理由があった。
その理由とは、薙切薊の策を何度潰した所で、本人が表に出てきていない以上は意味がないと判断したから。
恋が何度戻ってこようと、しつこく次の手を打ってくるのだ。であれば、本人をどうにかしない限りはこういうことは今後もずっと続いていく。
だからこそ。
「貴方に表に出てきてもらって、しっかり根本から叩き潰させていただく。それが、俺と叡山先輩が取った策です」
「!!」
「お飾りの総帥の座なんてくれてやるよ、その代わり俺達は抵抗する。勿論料理人らしく、料理でなァ」
「……仙左衛門殿も、これを知って?」
「然り―――叡山枝津也から事前に話を聞いて、ならばこの学園の未来は若き料理人達の闘志に賭けることにしたのだ」
「そんな博打に乗るなんて、お飾りだろうが総帥は総帥―――その権限で出来ることは貴方も理解している筈ですが」
「貴様に賛同する十傑の中に、裏切っていない者がいるとしてもか? 儂に起こったことが、次は貴様に起こらぬとは思うまい?」
「っ……つまり、この策に踏み切った時点で……」
「そう、貴様は戦いの場に引きずり出されたのだ―――黒瀬恋と叡山枝津也の手によってな」
仙左衛門の言葉に、薊は歯噛みした。
屈辱―――そう、屈辱を感じている。一度は十傑から落とした叡山枝津也が此処までの脅威になるとは思っていなかったし、なにより黒瀬恋だ。
薙切薊が最も忌み嫌っていた存在に、ここまでしてやられるなど、屈辱以外のなにものでもない。
金色の瞳が闘志を以て己を睨みつけている。
料理人としての格だというのか、それが。
薊は不愉快さを隠すことなく、余裕を見せる余裕もなく、黒瀬恋を強く睨み付けた。
「……いいだろう、黒瀬恋―――こうなっては、君を排除することに権力という力は意味を為さない。やはり君を消すためには、正々堂々……正面から料理で打ち負かすしかないらしい」
「初めからそうすれば、今の屈辱もなかったと思いますけどね」
「黙れ! ……僕がこの学園に改革を施す為には、どうやら君達が最後の障害になるようだ。であれば、戦おう……いずれは君達をこの学園から消してみせよう。追って、戦いの場を設ける―――戦争だ。君達も君達の軍隊を用意するといい」
「上等です……ああ、今貴方に賛同している十傑メンバーはそちら側として扱って貰って構いませんよ。元々、そちらの理念に賛同する面があったのは変わりありませんから」
「それはどうも。予定外のことはあったが、それでも今日、革命は成った……私が総帥である以上、遠月は変わる」
薊と恋の睨み合い。
おそらくこの構図こそが、遠月学園新体制と現体制を象徴する二人になるだろう。とはいえあくまでお互いがお互いにとって害を為す存在であるというだけで、この両者に関してはこれといって、遠月の進退は関与しないのだが。
それでも、薙切仙左衛門が総帥を退いてまで託された遠月の未来は今、黒瀬恋の双肩に懸かっていると言っても過言ではないだろう。
「僕は必ず君を否定する」
「なら、それを覆すまでです」
こうして、薙切薊の遠月学園新体制が始まった。
◇ ◇ ◇
その後、一度薙切薊は立ち去っていき、月饗祭は恙無く閉幕となった。
十傑の過半数の裏切りという衝撃のスクープはすぐさま学園中へと広まっていき、遠月学園新総帥に薙切薊が就くという事実は学内外へと一気に広まる事態となった。
現在は月饗祭の片付けをしている最中だ。
各店舗、売上の整理や店の解体など、色々とやらなければならないことは多い。目抜き通りエリアのテントはすぐに片付くが、中央や山の手エリアの立派な外観の店はそうもいかない。それなりの人員を割いて、片付けを行うことになっていた。
薙切えりなの店でも、それは同様である。
「……恋君は、お父様がこうすることを知っていたの?」
「俺も叡山先輩に聞いただけで、今日こうなると思ってたわけじゃないけどね。学園のことはどうこう言えないけど、自分の身を守るための予防線は張ってたんだ」
「そう……私は、どうすればいいのかしら」
「どうしたいんだ?」
「私は……恋君がいなくなるのは、イヤよ」
「そう……でも、何もしなければそうなる。だから、本当に大切なものを守るためには、戦うしかないんだ」
「でもお父様に逆らうなんて……いえ、違う……私は、怖いのね……」
緋沙子が店の解体指揮を執る中、恋とえりなは一緒にいた。流石に自体の当事者たる二人なので、緋沙子が気を使って気持ちを落ち着かせる時間を設けたのだ。特にえりなに関しては、トラウマが再発したように、薊がいなくなった今も委縮したままである。
恋が傍にいるから少しはマシなのか、自分の気持ちを冷静に客観視することは出来ているようだが、それでも纏まらない思考に困惑しているようだった。
肩を落とすえりなに恋はくしゃ、と頭を撫でる。
大きく温かい手のひらの感触がとても頼もしくて、えりなはじわりと泣きそうになった。
「大丈夫だ、何があったって―――俺が君を守るよ。例え十傑全員が相手でも、俺一人だけだったとしても、全部蹴散らしてみせるさ」
「でも! 貴方には大きすぎるハンデがある……そこを突いた不利な戦いを仕掛けられたら!」
「その時は、皆が付いてる」
「!」
「俺一人じゃダメなら、皆を頼るよ。香りで勝てないなら葉山を頼る。科学力で勝てないならアリスを頼る。発想力で勝てないなら幸平を頼る。俺にはこの学園で出会った凄い奴らがいっぱいいる……この一年足らずの間、競い合ってきた時間が無価値かどうか、思い知るのは向こうの方だ」
「皆……」
「それに、勝算がないわけじゃない」
「え?」
トラウマの再発でネガティブになっているえりなに対し、恋はあくまで笑みを浮かべながら大丈夫だと断言する。戦う意思も、実力も、十分すぎるほどに頼もしい仲間がいると。新たな遠月がどんな料理人を生み出すのかは知らないが、だからと言って今までの遠月で研鑽してきた料理人達が無価値と断ずるのは早計である。
そして、最後に恋が語る勝算という言葉に、えりなは顔をあげて目を丸くした。
恋はそんな彼女に不敵な笑みを浮かべながら、こう言った。
「―――その為の、月饗祭だったんだからな」
恋が月饗祭で得たもの、それは今後の戦いを大きく左右する。
戦いは、既に始まっていたのだ。
恋君が月饗祭で得たものとは?
ただサポートしまくっていただけですが……つまり?
感想お待ちしています✨
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