最近幸平が色々派手にやらかしているらしい。
どうも、俺が薙切えりなの食戟を見に行っている最中に、極星の先輩である一色慧先輩が遠月十傑評議会第七席だと判明した様で、早々にその座を賭けて勝負を挑んだのだそうだ。
まぁ食戟を行う条件とか、賭ける対象の価値がつり合わないとかで断られたらしいけど、その意気は個人的に買いだと思う。
更に現在の話になるが、三日後に食戟を行うことになったらしい。
相手は一年の中でも有名な女生徒で、中学時代から頭角を現していたようだ。
名前は水戸郁魅――肉を扱わせれば右に出る者はいないとまで言わせるほど、肉という食材に対する高い調理技術を持った少女だ。裏では『ミートマスター』なんていわれる程の腕前とのこと。
事の発端は丼物研究会という同好会の見学に来ていた幸平が、その丼研に待ち受ける廃部の危機を知ったことにある。
幸平からすればその丼研にあったレシピは新しいアイデアに溢れていたのだろう。だからそれを廃部にするのは勿体ないと思ったのだそうだ。だから代わりに食戟を受けた。
まぁ負けん気が強いのは良いことだけれど、相手はA5級の肉を用意出来る相手。食材の時点で大きなハンデがあるというのに、どう覆すのだろうか。少し楽しみでもある。
幸平のことだ――大方格安の肉を使っても、類稀な発想力と向上心で突破してみせるだろう。個人的にも、彼が此処で落ちる様な器には見えなかったしね。
さて、閑話休題。
一方同じ編入生である俺はというと、それ程目立った行動をしていたつもりはないのだけれど、何故かとある人物に絡まれていた。
と言っても、有名な人物ではない。何か功を成したという話も聞かなければ、顔も名前も知らない男子生徒である。良く分からないが彼の表情から鑑みるに、俺に対して相当な怒りを抱いているらしい。
何かした覚えはないのだけれど、彼はどうして俺に怒りを視線を向けているのだろうか。
個人的にはとっとと逃げたいところだが、此処は校舎裏――所謂行き止まりという奴だ。逃げ場になるのは彼が道を塞いでいる一本道のみ。どうやら話を聞かずに逃げることは出来ないらしい。
「それで……君は何の用かな?」
「何の用、だって……? クヒヒ……ソレは貴様が一番分かっているだろう?」
「いや、悪いが皆目見当もつかない」
目が血走って、気味の悪い笑い方をしている。青筋を立てて今にも襲い掛かってきそうだ。なんというか、精神的にぶっ飛んでしまっている気がする手合いだな。
俺の言葉に今度は拳を振るえる程握りしめている。これは対応を間違えたかもしれない。
もしかしたら彼にも何かどうにも出来ない理由があるのかもしれないな。
「しらばっくれるなら教えてやるぁ!! 貴様は卑しくも僕のえりなたんに近づき、あまつさえ軟派紛いに言い寄っている!! 正直に言ってやる、迷惑なんだよ!! 僕のえりなたんに近づくなッッ!!!」
前言撤回――ただのストーカーだった。しかもかなり悪質なタイプだ。
確かに彼女は美人でスタイルも良いし、料理の才能もズバ抜けていれば、異性だけでなく同性からも好かれるカリスマを持っている。一般男子からも好意を寄せられるのは不思議なことではない。
ただ此処までの手合いは俺も初めて会った。というかこんなストーカーがいて、彼女は気付かなかったのだろうか。
結構抜けているところがあるというか、恋愛感情に鈍いところがあるとは思っていたけれど、此処まで来るともう天然の域だ。少なくとも秘書である新戸は気が付いているべきだと思うが、この分じゃ彼女も気付いていなさそうだな。
「で、君のえりなたんに俺が言い寄っている、だったか」
「そうだ! 編入してきたときからずっと彼女の周りを付き纏っていただろう!! 挨拶の時も! その翌日の朝も! この前の食戟の時だって!!」
その言葉が自分に突き刺さっていることは気付けないのだろうか。
なんというか、こういうのを棚上げというのだろう。にしても全部見られていたわけか。どうやら会話の内容まで知っているようだし、少しばかり気分の良いものではないな。
それに彼女のストーカーで此処まで気性が荒いというのは、中々心配になるものだ。いつか彼女に対して暴挙に出る可能性だってある。
此処で少し、出る杭は打っておいた方が良いだろう。
「それならどうする? 君は俺をどうしたいんだ?」
「フヒッ……この学園にいるんだ……食戟に決まってるだろう? 互いの退学を賭けて勝負だ!!」
彼が出してきたのは、食戟を用いた決着。お互いの退学を賭けた勝負をし、俺に勝つことでこの学園から追い出してしまおうと考えたのだろう。
奪い合いの料理対決。こういう時はストーカー君に便利なルールだと思う。まぁそんな相手に勝てないようじゃ、この学園にいる資格もないってことなんだろうけど。
「……成程、食戟ね。君、名前は?」
「クヒッ……僕の名前は二年の
周藤怪、ね。先輩だったのか、とりあえず覚えた。敬語はまぁ、使わなくてもいいか。
さて、俺の名前は何処で知ったか分からないけど知っているらしい。貴様貴様と呼んでくるから知らないのかと思っていたけど、存外リサーチは怠らないということなのだろうか。
まぁ良いとしよう。それより勝手に盛り上がる彼の方が優先だ。
とりあえず返答をしておこう。
俺は彼に近づいていき、ぽんと肩に手を乗せながら言った。
「嫌だ。俺は君と食戟する程暇じゃないし、その条件じゃ俺にメリットがない……それに、君を退学にするのに食戟は必要ないからな」
「なっ……!?」
そう、俺に食戟をするつもりは毛頭ない。
彼はそもそもストーカー行為をしていて、それが今の日本では犯罪と認められている。このまま新戸の所へ行って彼のことを告げ口すれば、すぐにでもストーカー行為の証拠がボロボロ出てくるだろう。
そうなれば彼は自然、退学になる。
実力がないからではなく、人間としての常識を外れてしまったからという理由でだ。料理人としては、中々屈辱的だろう。
だが俺は彼に構っている暇はない。
負ける気はないし、彼を脅威に思っている訳でもない。それでも、彼には俺が戦う価値が見出せない。実力も相応にあるのだろう。才能も俺以上に持ち合わせているのだろう。
それでも、俺は幸平ではないし、だれからの挑戦も受けるわけじゃない。
なにより――
「――私怨の籠った料理を作る人間を、俺は料理人と認めない」
これにはストーカーとかは関係ない。ただ、そういう人間を料理人と俺は認めない。誰が何と言おうが、彼はただのストーカーで、料理を私怨を晴らす道具にする愚者だ。俺はそうとしか認めない。
「君も料理人なら、少し頭を冷やせ。今はなにもしないでおくが、今後も同じ愚行を続けるなら……相応の対処をする」
「ッ……でも……でも……そんな……!」
「それと、薙切えりなと俺は恋愛関係にはないよ」
それじゃ、とだけ告げて、その場を去る。
無駄な時間を過ごしたとは思わない。人間とはそういう生き物だと俺も理解しているから、誰かが誰かを想う気持ちは、狂気にもなり得るのだ。
でも、それを料理に込めてはいけない。
俺はそれで、一度―――地獄を見たのだから
◇ ◇ ◇
翌朝、またあのストーカー先輩が俺の所へやって来た。
しつこいなと思いながらも、顔付きが昨日と違って平静を保っていたので話は聞こうと思う。先輩なので、今回は敬語を使おうと思う。
「何の用ですか? 周藤先輩」
「ふ、今更敬語なんて要らないさ。昨日は悪かったね、愚かな姿を見せた」
おっと、昨日のことを謝罪に来たらしい。随分殊勝な姿勢を見せてくるものだ。
一年に二年が頭を下げるなど、プライドを捨てている。こんな姿勢を見せられると、こちらとしてもこれ以上話を掘り下げるつもりはない。
「いえ別に。こちらは特に被害は被っていないので」
「その上で改めて、君に食戟を申し込みたい」
「は?」
しかし次の先輩の台詞には驚きを隠せなかった。
改めて食戟を申し込んでくるとは予想外。だが今回は私怨という訳ではなさそうだ。だとしたら何故――そう思っているのが向こうにも伝わったのだろう。
周藤先輩は少し自嘲気味に笑いながら告げてくる。
「言いたいことは分かる……だが、昨日一晩考えてみて思ったんだ。幾ら昔馴染みといっても、あのえりなた……薙切えりなが男と親しげに話す筈がないと。彼女は料理に対して他の追随を許さない程の真剣さを持っているんだ……だから、君がこの学校に居る以上彼女は君を料理人として見る。ということは、彼女に料理人として認められていないと君が彼女と親しげに話すなんておかしいだろう?」
「成程……それで?」
「ならば、と……僕は君の実力に興味を抱いた。あの薙切えりなが一目置く料理人……しかも一年だ。新人潰しではないけれど――どれ程のものなのか確かめたくなった」
頭の回転が速いんだか速くないんだか分からない人だな。そこまで深読み出来るのなら何故ストーカーと化したのかさっぱり意味が分からない。
まぁそれは置いておいて、食戟か。しかも一つ上、二年の先輩だ。
ソレが意味することは、一年という短くも怒涛の試練を生き延びたということ。
つまり、これから俺達一年生の中で数百人と落ちていく者がいるこの先の試練を受けながら、百人少しの可能性の中に残った"実力"があるということ。
これはどうするべきかな。
「無論負けても退学は無しだ」
「なら何を賭けるんですか?」
「そうだな、勝負自体が目的でもあるわけだから……うん、僕が勝ったら薙切えりなに僕を紹介してくれ」
急に現金な感じになったな。
「代わりに」
でも、そのあとに周藤先輩が告げた条件は、俺にとってかなりのメリットがある言葉だった。
彼が勝ったら薙切えりなに紹介する。それはつまり、遠月十傑評議会第十席である生徒にパイプを繋げることが出来るチャンスを与えるということ。それと等価値である賭け物とは、やはりそれ相応のモノでなければならない。
昨日のこともあったから簡単に考えてしまったが、先輩はそれをしっかりと分かっていた。
故に、先輩の出した対価。それは――
「君が勝ったら、僕は現在十傑評議会第八席……久我照紀に君を紹介しよう」
十傑評議会第八席、久我照紀。
現在二年生で、主に中華料理を得意とする傑物だ。まだ会ったことはないけれど、此処に編入する際に色々調べたから知っている。第八席、現在第十席である薙切えりなよりも二つ上の位に立つ存在か。
でも、本当に薙切えりなより優れた料理人なのか疑問だな。
ちょっとだけ、確かめてみたくなった。会いに行くのも良いけれど、此処は安全策を取る方が無難か。
「良いな、その食戟受けよう」
「!」
此処から先、食戟が終わるまで――俺と周藤先輩は対等な料理人。同じ舞台で包丁を握る二人の料理人だ。そこに先輩後輩は関係ない。
実力の高い方が勝ち、敗者は地べたを這いずり項垂れる。
「期間を空ける必要はない。"今から"やろうか、周藤怪。なに、審査員はならその辺の講師に声を掛けるさ」
◇
食戟を受けると言った瞬間、目の前の一年――黒瀬恋の雰囲気が変わった。
「今からやろうか、周藤怪」
その口調からは、既に僕のことを先輩だという認識で見ていないことが分かった。恐ろしいまでの切り替えの早さ、そして深さだ。此処まで瞬時に人を見る目を変えられるのか、この男は。
一瞬、厨房を挟んで向かい合っている様なイメージすら見えた。ご丁寧にイメージの中では服までお互い調理をする時の服で、包丁を突き付けられている様な迫力に圧倒される。
まるでスイッチを入れるように此処まで深い集中力を発揮することが、果たして普通の人間に出来るものなのか。
「なに、審査員ならその辺の講師に声を掛けるさ」
まるで誰が審査員でも関係ないと言わんばかりの言葉。自信なのか、それとも別の何かなのか、はたまた――それでも負けるなどありえないという意志の強さなのか。
ついさっきまでは何の覇気も感じない男だった筈だ。下手すれば、その辺を歩いている凡百な捨石と見間違う程、存在感が希薄で何も感じ取れないような奴だった筈だ。
なのに、料理人としての顔は全くの真反対。対峙しているだけで食い破られそうな迫力と威圧感を感じる。
これで本当に一年なのか――!?
金色の瞳が鋭く光り、僕を射抜く。
この時僕は思った。一年を勝ち抜いた僕でも、一瞬で思わされてしまった。眠れる獅子を起こすどころか、龍の逆鱗に触れてしまったと。まぁ怒りを買ったわけではないが、そういう比喩だ。
気を抜けば一瞬で呑まれる。
彼には料理人として完成された何かがあった。
「さ、リクエストを聞こうか」
彼はそう言って、べ、と綺麗な赤い舌を出した。