ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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六十話

 時間は戻って、ももと恋が一緒に調理室へと入っていった時。

 二人の後を付けてきた薙切えりなは、こっそり調理室の外から二人の様子を伺っていた。紅葉狩りの時の距離感ほどではないが、此処に来るまでの間も仲が良さそうに話が弾んでいた様子で、少なくともももの方は完全に恋に対して心を開いている様子。

 流石は高慢だったえりなをして絆されてしまった恋のコミュニケーション能力というべきだろうか。自分至上主義の司瑛士や粘着ストーカーの美作昴、破天荒な幸平創真にストイックな葉山アキラ、自由奔放な薙切アリスなどなど、個性豊かな人物達を相手にして尚、関わった人物には例外なく慕われる恋は、生粋の人誑しという奴なのだろう。

 

 もっと言えば彼に誑し込もうという気はないのだから、本当にその人となりに惹かれる者が多いということ。

 料理人としてではなく、人間としての器があまりにも大きかった。

 

 とはいええりなとしては気が気ではない。

 いや、告白されているのだから返事を返せばすぐにでも恋人関係になれるのだろうが、えりなはその告白の際に退学を帳消しに出来たら返事をくれと言われていた。にも拘らず退学が取り消されて既に一ヵ月以上が経過している。

 タイミングを逃したと言われればそれまでだが、単にえりながヘタレただけの話。

 これだけずるずると返事をしないでいて、恋が色々な人と仲良くしている姿をみれば、もう自分への恋慕の情はないのかもしれないと思っても、仕方ないことだった。

 

「むむむ……」

 

 こんな滑稽な真似をしているのを見られたくはないので緋沙子は置いてきたえりな。

 室内でイチャイチャと一緒に料理をしている(えりなにはそう見える)のを見て、恋のサポートとして高い技術力と茜ヶ久保もものお菓子作りにおける天賦の才が合致して、とても良いコンビだと思えてしまうのが悔しい。

 恋のサポート能力の高さ故に、調理中のももの表情がどんどん生き生きしていくのが分かる。その手がまるで料理という概念を超えて、何かを生み出そうとしていると思ってしまうほどに、二人の調理は時間を増せば増すほど洗練されていた。

 

「(……恋君の技術が選抜時とは比べ物にならないくらい洗練されてる。技術力、というより、その安定感と発揮される実力のアベレージが上がっているといった所かしら……以前にも増して簡単に出来そうに見えてしまうのは、それだけ彼のやっていることに無駄がないからだわ……今もサポートをしながら茜ヶ久保先輩の技術を学習している、人並み外れた学習意欲と習得速度―――これが恋君の高い技術力を会得出来た理由ね)」

 

 じっと見ていれば、その高い次元での調理光景にえりなも料理人としての思考が働く。恋の実力の向上、そしてそのレベルの向上を理解し、彼の高い技術力の理由を察した。

 無駄のないサポートが、完璧な調理へと料理人を誘う。

 恋にもしも正常な味覚があったとしたら、あのサポート能力と同じ技術力が一品に注がれることになる。えりなは思う、そうなればこの遠月の頂点は決まっていたかもしれないと。味覚障害だからこそ、彼はメイン料理人として未完成なのだ。

 

 ならば、彼の技術力に神の舌があったなら―――

 

「(私と恋君なら……きっと、この世に存在しない究極の美食を作れる)」

 

 恋とえりなが揃えば、出来ないことなど何もない。

 えりなは大人になった自分と恋が、同じ店で一緒に料理をする光景を思い浮かべ、それが手に入ったらどれほど幸福だろうかと思った。胸がきゅうっと締め付けられるほどに、その光景に焦がれてしまう。

 

 やはりえりなは、恋のことが好きだった。

 

「(……恋君)」

 

 だが、えりなが恋にその気持ちを告げようとすると、どうしても心の中でブレーキが入ってしまう。退学騒動の時は、恋人になってしまったら別れが辛くなってしまうと思い、勇気が出なかった―――そう思っていたが、騒動が収束した今は違う。最初こそ勇気が出ないだけと思ったいたものの、心のどこかで、頭のどこかで、恋に告白することに対する謎の不安や恐怖があることに気付いたのだ。

 

 それは振られることの恐怖ではない。そもそも告白されているのだから、振られるわけではない。そうではなく、もっと根本的に心に根付いたような恐怖心がえりなの告白を躊躇わせている。

 

 

 "えりな―――美―――ゴミ―――"

 

 

 ゾクッと背筋が凍るような声を幻聴し、咄嗟に身体を抱きしめた。

 血の気が引く様な感覚に心臓がドクンと脈打つ音を聞く。

 

「……薙切、顔色が悪いが大丈夫か?」

「! ……司先輩」

 

 するとそこに声を掛けてきた人物がいた。

 第一席の司瑛士だ。

 顔色が悪い自分を心配してか、少々おっかなびっくりといった様子で声を掛けてくれたらしい。ふぅーっと息を吐き出して、少しずつ落ち着いていくのを感じながら大丈夫だと返す。すると司も、無理はするなよと言いながら調理室の中を伺いだした。

 

 どうやら司も恋とももの様子を見に来たらしい。

 

「……やっぱり流石だな黒瀬、スタジエールで成長したのか更に磨きが掛かってる」

「……司先輩はどうして此処に?」

「黒瀬は俺が懐刀にしたい料理人だからな……腕の立つ料理人なら、あのサポートを受ける前と後じゃ見える世界が異なる。黒瀬のサポートを受けてする料理は、ある意味麻薬だ……自身のポテンシャルが十二分に発揮される快感は、一度経験すれば忘れることは出来ない……これで茜ヶ久保が黒瀬を欲しがらない筈がないだろう? 黒瀬は俺のパートナーにするんだ、ライバルは少ない方がいい」

「そこまで……」

 

 えりなは未だ今の恋のサポートを受けたことはない。

 緋沙子はそのサポートを受けていたが、合宿課題中のことだったし、緋沙子自身えりなの後ろを付いていくことを絶対としていた時期。また恋はえりなの大切な人だとわきまえていたが故に、緋沙子はそれほど恋に執着しなかったのだろう。

 だから司ほどの人物がそう言い切る恋の腕には、正直興味を引かれてしまう。自分も恋と自分が組めば、という想像をしてしまった手前、否定も出来なかった。

 

「勿論、黒瀬無しでその実力を発揮出来ればそれが一番良いんだが……黒瀬の真似をするのは今から十年以上は掛けないと無理だろうな……アレはおそらく小さい頃からひたすらの反復練習で身に付けた習性のようなものだ。自分の料理スタイルが確立してきた今、ソレを壊して黒瀬と同じことをやろうとすれば、どんな天才でも彼がそれに掛けた時間の倍は掛かる」

「だから、恋君のサポートを受ける方が手っ取り早いと」

「ああ、だがライバルは多いだろうな……俺達三年は今年で卒業だ。そうなれば黒瀬にアプローチを掛けられる時間は少ない……茜ヶ久保の可愛いものへの執念は知っているだろう? あれほどの執着心を持つ彼女が黒瀬を手に入れようとすれば、どんな手段に出るか分からない。正直、こわい」

「最後にヘタレないでください」

 

 とはいえ司の言うことも一理ある。

 十傑として何度か話したこともあったが、茜ヶ久保ももという人物は、可愛いものへの執着心がとんでもなく強い。己こそが可愛いと思っているし、己の作るお菓子が一番可愛いと本気で信じている。なまじ第四席の座を得ているのだから、当然だ。

 故に彼女が〇〇にゃん、○○みゃんと可愛がる意味も込めてあだ名をつけて呼ぶ時、彼女はその相手のことを見下している。己よりも格下だからこそ、彼女は上位者として格下を対等に扱わないのだ。

 その証拠に、司や竜胆に対してはあだ名をつけて呼んでいない。

 

 それほどまでに自分至上主義かつ可愛いものに対する執着心を持つ彼女が、黒瀬恋のサポートを受けて過去最高の可愛いスイーツを作り上げてしまったなら……その可愛さに届かないこれからを受け入れられるはずがない。

 司の言う通り、どんな手を使ってでも恋を手に入れようとしてもおかしくはないだろう。

 

「! 料理が完成したみたいだ……」

「!」

 

 司の言葉に中の様子を伺うと、フラフラのももを支える恋の姿があった。

 

「……まぁ、消耗した先輩を支えただけ……」

 

 それをお姫様抱っこで運ぶ恋の姿があった。

 

「殺っ……!!」

「待て待て待て待て薙切! それは物騒過ぎる! 中には包丁とかあるから!」

「丁度いいじゃないですか」

「お前黒瀬のことになると見境なくない!?」

「これが薙切の血統です」

「食の眷属ってそういう意味だったっけ!?」

 

 思わず嫉妬心から物騒な発想に飛んでしまったえりなだが、幸い司の必死な説得で思い留まる。お姫様抱っこなど自分ですらやってもらったことがないのに、と思いながらも、爪を噛んだ。

 まずは会話を聞いてみようという司の提案で、二人して聞き耳を立てる。

 すると、中から息を切らしたももの声と心配そうな恋の声が聞こえてきた。どうやら恋のサポートを受けて消耗したももを介抱しているらしい。司ですら恋のサポートを受けた後は座り込んでしまったくらいだ、その小さな身体に対する消耗はかなりのものだろう。

 

『……ねぇ、恋くん』

『?』

 

 恋にゃんと呼んでいたももが、恋のことを名前で呼んでいる。

 司とえりなは思わず顔を見合わせた。

 

「不味いな、茜ヶ久保が黒瀬のことを対等に見ている……! アレは確実に堕ちたぞ」

「……名前呼びするのちょっと早くないですか?」

「そろそろ正常に戻ってくれないか薙切!?」

「私は十年くらい掛かったのに……」

 

 ぶつぶつと呟くえりなに司は困った顔をするが、事態はどんどん進んでいく。嫉妬に拗ねるえりなは放置して、司は事の成り行きを見ていた。

 

『……こんなに可愛いお菓子、私作ったことなかった』

『……はい、もも先輩は凄いと思いますよ』

『でも今の私じゃ、もう二度と作れない……恋くんがいなきゃ、これは作れなかった』

『光栄です……』

 

 ももの目が怪しく光るのを見て、司は本気で不味いと思った。

 

『こんなの作っちゃったら、もうどんなお菓子を作っても満足できない……だから』

『もも先輩?』

 

 これ以上は不味いと思い、司は扉に手を掛ける。

 

『―――これからの人生、ずっと、私と一緒にお菓子を作って?』

『え』

『約束ね?』

 

 ガチャっと勢いよく扉を開け、中へと突入する司。

 えりなはその行動を見て、ハッと我に返り、遅れないように中へと突撃した。此処で出遅れたらますます入りにくくなってしまうと判断したのだ。

 

 入ってきた司とえりなに、ももと恋の視線が向かう。恋は驚きを、ももは不愉快さを隠すことなく表情に浮かべた。

 

「それは困るな茜ヶ久保、黒瀬は俺の先約がある」

「……何? ここはももの専用調理室、勝手に入らないで欲しいんだけど」

「お前に黒瀬は渡さない」

「は? どうせ司の独り相撲だよね? 恋くんはこれから私とずっと一緒にお菓子を作るんだよ。邪魔しないでくれるかな」

「それを言うならお前のソレも勝手な押し付けだろう? 黒瀬の了承を得たわけじゃない」

「……ムカつくなぁ、こんなにムカついたのは初めて。腕は認めてたけど、司ってこんなにウザかったんだね」

「それは普通に傷つく」

「弱っ……司先輩弱っ……!?」

 

 飛び込んできた司の言い分に、ももは殺すぞとばかりに睨みつけながら反論する。喧嘩勃発もかくやとばかりの言い合いだったが、シンプルな悪口に司の心が傷ついた。どちらも自分至上主義の一面を持つ二人だが、どちらかと言えば強気に出るのはももの方だったらしい。

 ツッコミを入れたえりなに目を向けたももは、更に不愉快とばかりに眉間に皺を寄せる。

 

「で、えりにゃんはなんで此処にいるの?」

「……私も同じです。恋君を茜ヶ久保先輩には渡せません」

「それは料理人として? それとも薙切えりなとして?」

「それは……」

「即答出来ないなら黙っててくれない?」

「……っ」

 

 ももにはえりなの気持ちはバレているのだろう。紅葉狩りの時に気付かれたような素振りもあった。

 司の時も、恋の前でハッキリと自分の気持ちを言葉に出来なかった故に言い負かされてしまったが、今回も同じだった。ももに司よりもキツイ言葉で言われてしまい、えりなは押し黙ってしまう。

 

 告白された以上、此処にいる誰よりも優位に立っている筈なのに、此処にいる誰よりも弱かった。

 

「いくら司でも、恋くんは譲れないかな」

「お前のものじゃない、黒瀬に先に誘いを掛けたのは俺だ」

「先だとか後だとか、そんなのに拘るなんて器が小さいなぁ」

「お前心抉るの上手過ぎないか?」

 

 口喧嘩になると司が的確に傷つくので、ますます不機嫌になったももがこんな提案を出してくる。

 

「……じゃあ食戟で決める? お題は自由……お互いに恋くんのサポートを受けて必殺料理(スペシャリテ)を作って、どちらが実力があるのか勝負すればいい……全てのポテンシャルが発揮出来る以上、まぐれ勝ちはない。実力の優劣は明確に測れるでしょ?」

「良いだろう、望むところだ……審判はどうする?」

「丁度良く神の舌がいるんだから、使えばいいじゃん」

「確かに……これ以上ない適任だな」

 

 とんとん拍子に進んでいく茜ヶ久保ももと司瑛士の食戟。

 お互いに黒瀬恋のサポートを受けた全戦力で必殺料理を作り、それを神の舌で優劣を判断してもらう。これ以上なく実力差が明確に出来る勝負に、ももも司も燃えていた。

 

 負けた方が黒瀬恋を諦める――そういう条件だ。

 

「それでいいか? 黒瀬」

「いいよね? 恋くん」

 

 黙って見ていた恋の方へと話は決まったとばかりに視線を向けた二人。三年二人の視線を受けて、恋は淡々と言った。

 

 

「ダメに決まってるでしょ、解散」

 

 

 食戟不成立。

 その後、二人は一時間恋に叱られて泣いた。

 

 

 




修羅場を収める能力も高い恋君でした。
もも先輩の強気な喧嘩は書いてて気持ちよかったです。

次回は本格的に月饗祭へと入っていきたいと思います。
感想お待ちしております✨





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