ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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六話

 何処の学校でも編入生というのは――いやまぁ編入生に拘らず、学校という枠組みの中で過ごしてきた多くの生徒達の中に、転校生や編入生、飛び級生、種類はあれど、そういった特別な存在が入ってくれば、それは往々にして噂になるものである。

 それはこの遠月学園でも同様だったらしく、盛大な宣戦布告挨拶をかました黒瀬恋は勿論のこと、幸平創真の名前も広く知れ渡ることになった。

 

 というのも、今では幸平創真の名前の方が悪名として大きな反響を呼んでいる。

 何故ならあの入学式の翌日から始まった遠月の授業。その授業の中で彼は、編入試験同様奇抜な発想と優れた調理技術で次々と高評価を叩き出したのだ。

 厳しいと有名な遠月の授業と、超一流の講師達による高難度な課題。それを潜り抜けるのは当然容易なことではない。

 それを楽々突破し自信満々に笑う幸平創真は、普段のヘラヘラした態度もあってかなりの反感を買ってしまうのである。

 

 対して黒瀬恋の方はパッとしない。

 あれだけの大言壮語をかましたというのに、授業ではそれ程目立った様子はないのだ。

 評価が低い訳ではない。寧ろ評価は優秀だ。それこそ、幸平創真と負けず劣らずの高評価を貰っている。しかし評価を貰う時もただ高評価を淡々と告げられるだけで、幸平創真の時の様な驚きと意外性、特別な技術や食材を用いるといったものはない。

 とどのつまり、幸平創真の意外性と奇抜な発想の陰に隠れてしまった形になるのだろう。

 

 だが、そんな黒瀬恋に対する講師達の評価は非常に高い。寧ろ、此方は幸平創真よりも黒瀬恋に注目を集めている程だ。

 何故なら、彼の料理は非常に技術の質が高いのである。

 奇抜な発想はないが、基礎と基本に忠実、かつ調理行程の全てにおいて恐ろしく精密かつ最適な技術を振るっているのだ。まるで機械の様に精密で、精巧で、繊細で、丁寧で、最適な調理技術。

 

 それは驚くような奇抜さはなくとも、溜息を吐いてしまうような芸術性がある。

 

 しかしその味は技術そのまま機械的ではなく、確かに誰かの為を想って作られた情熱が感じられた。超一流の講師だからこそ分かるのだ――それが誰か一人の為に作られた料理であることが。そしてそれが自分ではないことも。

 

「黒瀬恋……一体誰の為に料理をしているのだろうな」

 

 講師の一人、フランス料理専門のローラン・シャペル講師は一人呟く。

 授業で彼の料理を食べた時、正直素晴らしいと思った。調理技術の高さだけなら、まさしく自分すらも上回るモノを持っていることを理解し、賞賛に値すると思った程だ。

 しかしそれでも手放しに賞賛し切れないのは、その料理が誰か一人の為に作られたものだったからだ。作り手の想いと、その想いが向けられた先に自分ではない誰かがいる。

 

 料理人は、万人に向けて己の腕を振るう者。

 

 ただ一人にしか届かない料理。ただ一人しか受け入れさせない料理。

 それは如何に調理技術が高かろうと、プロとしては失格だった。

 

「だがこれがもしも――万人に振るわれる料理になったとしたら……フッ……」

 

 シャペル講師は笑う。笑わない料理人と呼ばれた講師は、黒瀬恋という一際輝く原石の成長を思い、笑うのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 授業が始まってからやってきたある日、黒瀬恋は極星寮の一室にて調味料を小皿に幾つも並べていた。塩や砂糖、胡椒、酢、醤油、味噌、多種多様である。それを軽くスプーンで掬っては舐め、その味を確かめる。

 これは彼の日課であり、料理人で居続けるためにはやらなければならないこと。

 味が微かにしか感じられない彼は、己の舌の感覚と常人の感じている感覚のズレを修正するために、今感じられる味を毎日毎日確認している。その感覚一つ一つを記憶し、一つの料理として収束させているのだ。自分が感じている"この味"が常人の"美味しい"になるのだという、認識の修正を行うことによって。

 

 だが言うは易し、行うは難し――感覚一つ一つを束ねるには技術が必要だ。

 それも繊細で何のミスもない、それこそ数㎜のズレもない食材の切り方、数秒のズレもない焼き煮込み蒸し等の過熱時間、効率の良い調理手順、一度だって手を止めない流れる様な身体の動き、その全てを体得していなければならない。

 だから彼はそれを体得した。体内時間を精確に調整し、手先の感覚を鍛え、調理器具を身体の一部の様に使いこなせるようにし、食材の良し悪しを見抜く目と知識を養い、ソレを効率的に動員させるための身体作りを怠らなかった。

 

 相当な努力の末の料理スタイルである。

 

「ん、微修正……かな」

 

 しかも彼の味覚は、少しづつ正常に近づいている。舌の活動が常人に近づいているのだから、味覚だって常人と同じ程度に回復するのも道理だ。

 だがこの調子ならばおそらく完治までにはまだまだ時間が掛かるだろう。医者も何時治るかは分からないと言っており、明日急激に治ることもあれば、数ヶ月、最悪数年経つ可能性もあるのだ。気長にやっていくしかない。

 

 恋は味覚のズレの修正を完了し、一先ずテーブルの上を片付ける。

 

「今日は日曜日で休みだしなぁ……何をしようか」

 

 普段料理ばかりしてきて、まともに休んだことがない恋。

 しかし此処にきてえりなと再会したおかげか、それ程夢に生き急がなくなったらしい。少しだけ、休日というものの過ごし方を考える程度には心に余裕が生まれた。

 この遠月では休日に、自分の料理の研鑽として新しい料理を作ってみたり、知らない知識を蓄えたりといった研究を重ねることが多い。

 だが、恋は此処に来るまでに数々の修練を重ねてきている。詳しくは省くが、彼の料理に対する知識や技術というのものは、既に一級品の域に到達しているのだ。

 となると、彼が己の進化の為に必要としているのは料理の知識量や技術を高めることはではなく、自分の人間としての中身を積むこと。

 料理と薙切えりなしか己の世界に存在しない彼は、料理をどう振る舞うのか、どう振る舞いたいのか、どう作りたいのか、どうしたいのかが存在しないのだ。

 

 どんな料理を作ろうが、その料理から汲み取られるモノは己の中にあるものしか出てこない。

 

 彼には、人間としての魅力――そして彼自身の人生経験を積むことが必要だった。

 

『――黒瀬、アンタ今暇かい?』

「ん、ふみ緒さん。どうしました?」

 

 するとそこへ、寮母である大御堂ふみ緒の声が掛かった。各部屋に通じている通気口の様な連絡管から聞こえているようで、若干くぐもった声になっている。

 

『アンタに良い知らせを教えてあげるよ。三十分後にある人物の食戟が行われるそうだ』

「ある人物? ……まさか、彼女か?」

『察しが良いね、その通りだよ。薙切えりなの食戟さ』

 

 ふみ緒からの知らせを聞き、恋はすっくと立ち上がる。

 薙切えりなの食戟、つまり今の恋の超えるべき相手の料理。見ない訳にはいかないだろう。

 

「ありがとうふみ緒さん……ちょっと出かけてくるよ」

『フン、まぁアンタと薙切えりなとの間にどんな因縁があるのかは知らないけど、精々色々見てくるんだね』

 

 ふみ緒はそう言うと連絡管の蓋を閉めたのだろう。もう何も言わなかった。

 

「因縁、ね。そんな高尚なモノじゃないさ」

 

 恋はそう呟くと、制服の袖に手を通して部屋を出た。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 "食戟"

 それはこの遠月学園で行われる生徒間の料理勝負。

 この食戟は生徒間に起こった揉め事や、言葉ではどうにもならない決め事を料理勝負で白黒付けるための決闘法だ。

 一応食戟を行うためには、勝敗に拘らずお互いが勝利した時に得られるものの価値が釣り合っていることや、審査員が規定人数居ることなど、必要な条件がある。

 しかしそれさえ突破してしまえば一切の介入を気にすることなく、技術や施設、食材、土地、人材、賭けるものに拘らず奪い合いが出来るということ。

 まぁ、時に勝利そのものが名誉として与えられるような食戟もあるけれど。

 

 ともかく今、私――薙切えりなはその食戟を行う者として厨房に立っていた。

 

 勝負の相手は、ちゃんこ研究会の主将である豪田林先輩。

 相撲の力士の様な大きな身体を持った男子で、立派に髷まで結っている。ちゃんこに興味がある以上相撲も好きなのでしょうけれど、力士にならずちゃんこの研究をする時点で、運動はそれ程得意じゃないのだと思う。

 

 私が彼に食戟を挑んだのは、新しい調理施設としてちゃんこ研究会の部室をいただこうと思ったからだ。碌な実績もないし、それなら私が有効活用した方が有益だと思う。

 まぁ当然納得しなかったので、私の十傑第十席の座を賭けて食戟を行うことにしたわけだ。

 向こうが勝てば豪田林先輩が十傑ということになるのだろうけれど、まぁ私が負ける筈もない。

 

 それに、

 

 ――此処で負ければ私を追いかけている黒瀬君に申し訳が立たないわ

 

「!」

 

 そう思って顔を上げた先に、偶然知った顔が見えた。

 

「黒瀬君……」

 

 目が合って、尚更闘志が燃える。

 彼の目が私だけを見ていた。食戟なんて二の次――彼には私しか見えていない。私だけを見てくれている。

 あの金の瞳に見られているだけで、なんというプレッシャーだろう。いつの間にか背中から食い破られそうな程に、手を伸ばしてくる。

 

 ならば見せてあげましょうか、貴方に。

 

「――貴方の追いかける私が、どれほど高みにいるかを」

 

 料理を出し、審査員の判定が下る。

 三人いる審査員が挙げた札に書かれた名前は、全て『薙切えりな』。この時点で私の圧勝が確定。しかしそれではまだ足りないだろう。

 ケチを付けてくる豪田林先輩。

 だから彼にも私の料理を食べさせた。自分の出した料理と、私の料理の差を知って尚ぼやけるというのならぼやいてみればいい。その全てを捻じ伏せて沈黙させて見せる。

 

 結果、私の料理を一口食べた先輩が崩れ落ち、最早何も言えなくなる。

 

 勝利? まだ足りない。

 

 圧勝? まだ足りない。

 

 完膚なきまでに叩き潰し、審査員の結果を相手にも認めさせる。

 観客にも、相手にも、審査員にも、そして何より自分自身にも、文句は言わせない。ちょっとのケチだってつけさせない。私の料理こそ至高で、究極の高み。

 

 この神の舌を持って私は私の最高を世界に振る舞おう。

 

 そんな"完勝"――それが薙切えりなの勝利なのだ。

 

 

「それでは――ごきげんよう」

 

 

 踵を返して背を向ける。視線を上げれば目を輝かせて笑う黒瀬君がいた。

 

「ふふ……全く、本当に仕方のない子なんだから」

 

 これだけの格の差を見せつけて尚貴方は笑うのね。

 私を追いかけて、私の為に料理を作って、私の笑顔が見たいなんて言う貴方には、私がどれほど高みに居ようが関係ないのでしょうね。結局貴方は追いかけてくるんだもの。

 生まれた時から存在する、味覚という絶対的な才能の差。それさえも己の意志と努力のみで埋めてきたんだもの――このくらいじゃもう、貴方は私を諦めようとは思わない。

 

 本当、これまでこんなに人に想われる様になるなんて思わなかった。

 

 貴方は私の初めての友達。 

 あの日私が風邪を引いていなかったら、貴方が両親に連れられていなかったら、貴方が迷子にならなかったら、私が貴方と会話しようと思わなかったら、こうはならなかった。

 たまたまでも、幸運でも、偶然でも良い。

 

 貴方は私と同じ料理人というステージに立って尚、神の舌(わたし)から逃げなかった。

 

 今はそれが嬉しい。だから私は、そんな貴方に恥じない至高で居続けよう。

 私も貴方の夢が叶うと良いって思うもの。あの日あの時、貴方に出会ったあの瞬間から、私も貴方の笑顔に魅入られた。

 

 大丈夫、貴方ならきっと叶えられる。

 

「いつかきっと、私に美味しいって言わせてね。恋君」

 

 "料理は誰かを想って作るもの"、私は貴方にそう教えたのだから。

 

 


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