ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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四十四話

 恋がボロボロの状態で現れた段階でかなり騒然となったものの、試合が始まってから調理が進めばそんな心配も要らないことを恋は証明してみせた。

 右腕を負傷したことなどハンデにはならないという言葉通り、左腕をメインにして以前と変わらぬ調理技術を見せる。動き自体はスローになっているものの、そこに無駄な工程やミスは一切存在しなかった。

 ただ身体に痛みは走っているのか、表情に時折何かを堪えるような色が見えてはいる。スムーズに歩けないのか移動速度も遅く、恋は普段以上に先々の工程を見据えることで、行動速度の低下を補っていた。

 

 今回のテーマは『秋刀魚を使ったメイン料理』。

 

 対する葉山が今回作ろうとしているのは、秋刀魚を使ったカルパッチョだった。

 本来なら前菜であるその料理をメイン料理となるこの場に持ってきたのは、香りという武器を究極まで高めることで、前菜料理をメインを張れる料理へと進化させることが出来ると確信しているからだ。

 黒木場との戦いではスパイスを無数に組み合わせることで、重厚感のある香りへと進化させた葉山であったが、今回は別―――秋刀魚の香りを際立たせる為に、あえて使用するスパイスを一つに絞っていた。

 カルパッチョの表面をバーナーを使って炙っていき、その香りを更に強化。その品はまさしくメイン料理といっても過言ではないほどの存在感を放ちだす。

 

 その完成度に観客の視線も向かうが、恋もまた自身の料理を作り上げていく。

 

 恋が今回選択したのは、秋刀魚を使ったガーリックステーキ。

 三枚に下ろした切り身に小麦粉をまぶし、丸めて焼いていくのだが、そこで恋は更なるアレンジを加えていた。もう一つ別の場所で、秋刀魚を細かく叩いて粘り気の出るまで潰したものを用意していたのだ。

 秋刀魚の切り身に対して用意したそれは、『秋刀魚のなめろう』である。

 恋は小麦粉をまぶした切り身の上にシソの葉を乗せると、その上になめろうと薄く広げてから丸めていく。別々の調理を施された秋刀魚同士を組み合わせて一つにしたのだ。

 

 そうして焼いていけば、三層に分かれた秋刀魚の身がステーキとして一つになっていく。本来なめろうを何かに包んで焼く料理は、『さんが焼き』と呼ばれるのだが、恋は今回それをステーキと組み合わせることを考えたのだ。

 創真との戦いでアレンジを身に付け始めた恋が、少しずつ己の料理に向かい合って出した結論がこの品なのである。

 そしてオリーブオイルでトマト、ニンニクに熱を入れていき、白ワイン、レモン果汁、みじん切りにした大葉、醤油、はちみつを混ぜた調味料を更に煮詰めていく。

 立ち昇るニンニクの香りとほのかに香るレモンの風味が空気を彩っていくようだった。

 

 恋もまた、葉山同様秋刀魚の香りを活かすための構成を考えてきたのである。

 

 一見すれば、両者互角の戦い―――だが、本人達にとっては拭えぬやりきれなさがあった。

 

「(くそっ……黒瀬も普段と変わらねぇ実力を発揮してる……! 俺だってミスもなくやり切っている筈なんだ! なのに、なのにどうして―――納得がいかないんだ……!!)」

 

 葉山は集中力は切らさず、なんなら普段以上に広い視野で思考出来ている状況で、それでも悔やまずにはいられなかった。

 恋の身体に走る複数の負傷……そのたった一つの事実が、葉山の中で拭えないやりきれなさの原因。今自分が普段以上のポテンシャルを発揮出来ていると確信しているからこそ、あの負傷がなければ恋はもっと良い品を作り上げることが出来たのではないか? そう考えてしまうのだ。

 

 視線を送れば、恋の表情には苦悶の表情が浮かんでおり、嫌な汗も浮かんでいる。ベストコンディションとは到底言えない姿だ。

 

「(くそっ! くそっ!! こんな勝負が俺のやりたかったことじゃねぇ……!! ちくしょう!!)」

 

 全力を尽くす―――けれどその果てにある結末に納得が出来ないことを、葉山は確信してしまっている。ベストコンディションかつ最高の出来になることを確信したというのに、葉山の表情は何処までも悔しさに歪んでいた。

 観客も葉山のその表情に鬼気迫るものを感じたのか、固唾を呑んで見守りだす。誰もがその戦いに口を挟むことを躊躇っていた。

 

 対して恋も、そんな葉山の感情を感じ取ったからだろう。苦悶の表情を浮かべながらも、必死に歯を食いしばって笑みを浮かべた。

 

「(悪いな葉山……伝わってくるよ、お前の悔しさが。こんな勝負にしてしまったのは、俺の失態だった……この状態でも普段以上のパフォーマンスを発揮しなけりゃ、お前はきっとどんな結果でも満足できない……だが、俺の料理スタイルにこの負傷は致命的だった。無理やり動かそうにも―――右手が思う様に動いてくれない)」

 

 料理開始から強引に動かし続けた右腕。

 秋刀魚を三枚に下ろしたり、食材をカットしたり、まだ疲労の少ない段階で負荷の多い作業をこなしていったものの、火入れの段階で既に恋の右手はほとんど感覚がなかった。ジンジンと走る痛みと熱で、思う様に動かすことが出来ないでいる。

 

 勝敗はどうあれ、葉山に納得のいく結果だったと思ってほしかったのだが、それでも恋の身体の方が先に限界を迎えていた。

 

「(くそっ……フライパンを上手く握れない……! 身体ごと動かすしかないか―――ちくしょう、なんてザマだ!!)」

 

 全身を総動員させて普段の作業を代替するが、それではいつも以上のポテンシャルは発揮できない。恋は己の限界を超えようと必死に歯を食いしばるものの、その想いは肉体に届いてくれなかった。

 

 そうして完成した二人の料理は、その完成度こそ非常に高い品になっているが、二人の料理人の表情には達成感など何処にもない。

 

「完成だ……」

「……こっちもだ」

「……座ってろ、俺が持っていってやる」

「ああ……悪いな、葉山」

 

 二人して完成させた料理をサーブする。

 既に限界を迎えている恋の身体を気遣って、葉山が恋の料理も一緒にサーブした。普段皿を持つ機会なんて幾らでもあるというのに、恋の皿を持った腕にずっしりと重さを感じる。重量ではない、そこに込められた想いの重さを感じたのだ。

 

「……っ」

 

 香りを嗅げば葉山には分かる―――恋がこの料理に施した工夫も、それを作り上げるために積み重ねたであろう時間も、どんな痛みの中で料理をしたのかも、痛いほど感じ取ることが出来てしまった。

 歯を食いしばりながら、決して表情には出さないように審査員の前へと並べる。

 

 薙切仙左衛門、薙切レオノーラ、そして堂島銀。三人の審査員は、目の前に出されたその料理を見て、香りを感じて、その品の完成度を知る。

 

「色々な感情が渦巻いているが……審査に入ろう」

「そうデスね、聞きたいこと、いっぱいあるデスが……まずは実食シマショウ」

「では……いただこう」

 

 まずは葉山の『カルパッチョ』を食する三名。

 食べた瞬間に口いっぱいに秋刀魚の香りが広がり、腰が砕けるほどの衝撃となって三人の身体を襲った。一度味わえば分かる、この料理に施された工夫の数々が。

 

 黒木場との戦いで見せたスパイスの組み合わせは、まるで煌びやかな装飾の施された宝剣のようだったが、今回のカルパッチョはまさしく秋刀魚一つの香りの集中させた鋭いレイピア。

 数々の香りを使わずとも、たった一つの香りのみで美食足りうる世界を顕現させる。

 

「このカルパッチョは確かに、メイン足りうる領域へと昇華されている!」

「ドレッシングに使われているワインビネガーとオリーブオイルもさることながら、秋刀魚の肝を和えていることで、そのコクが秋刀魚本来の脂の甘さを強調! 溢れる香ばしさと風味に溺れそうになります!」

「薙切レオノーラさんが急に流暢になったぞ!?」

「まさか、"おはだけ"によって片言がはだけたとでもいうのか!?」

 

 堂島の言葉とレオノーラの反応に、観客が騒然となる。

 葉山アキラの品が、そこまでの完成度を持っているということが明らかになり、恋の負傷も相まってこれは葉山の勝利かと多くの者が思った。

 

 だがまだ恋の料理が食されていない。

 勝負は両者の品を食べてからが勝負である。

 

「では……黒瀬の秋刀魚のガーリックステーキをいただこう」

「ニンニクとレモンの香りがいいデスね……秋刀魚の香りを打ち消していますが……はむ――――ッ!!?」

「これは……!」

 

 食する前の香りでは、レモンの風味香るガーリックソースが主張して秋刀魚が目立たなかったが、一口食した瞬間審査員達の表情が変わる。

 

 秋刀魚本来の香りだけではなく、なめろうと共に焼いたことで、強くストレートな秋刀魚の香りと柔らかくほのかに存在する秋刀魚の香りが、同時に襲い掛かってきたのだ。ガーリックソースの香りに包まれていたからこそ、それが口の中で溶けた瞬間に爆発する秋刀魚の香りがより強調されている。

 更に秋刀魚のステーキというべき確かな身の中になめろうの層を組み合わせたことで、少し噛むだけで柔らかく噛み切れるような食感を生み出していた。香り、食感、そして口に入れる前から飲み込んだ後に残る風味まで、次々と変化していくバラエティ豊かな味と香りが楽しい。

 

「葉山が鋭く穿つレイピアならば、黒瀬の料理はまさしく蛇腹剣の様な自在さがある!」

「流石は恋君ですね。レモンの風味のあるガーリックソースだけでなく、ステーキ内に仕込んだシソの葉がより爽やかなアクセントになっています。ステーキとサンガ焼きを組み合わせたこともさることながら、香りを扱う技術で勝る葉山君にも劣らぬ工夫で秋刀魚の香りを強調しています」

「まだ片言がはだけたー!! 黒瀬の品も負けてねぇ!!」

 

 これもまた、堂島とレオノーラの高評価を得て、恋の勝利の可能性も高まってくる。

 観客の歓声があがり、決勝戦に相応しい勝負にボルテージも最高潮。

 

 そして結果発表の時がやってくる。

 

「どちらも甲乙つけがたい、互角の品だった。どちらも料理人の顔が見える品であることに変わりはなく、両者にとって必殺料理(スペリャリテ)となり得る料理である……故にこそ、その勝敗を分けたのは……どちらが必殺料理としてより高い完成度であったか」

 

 最高のパフォーマンスが出来たと思う葉山と、負傷しながらも普段通りの実力を発揮した恋。どちらも料理人の顔が見える品であったと評価され、必殺料理(スペシャリテ)として相応しい品だと言われる。

 どちらも必殺料理であり、どちらも互角の品であったが故に、その完成度が勝敗を分けた。

 

 恋も葉山も、その完成度という言葉に、最早聞くまでもなく勝敗を悟る。

 

「黒瀬……今回は引き分けだ、お前が万全なら……俺は負けていたかもしれねぇ」

「……悪かったな。多分、お前にとって大事なことだったんだろ? この選抜」

「まぁ……いいさ―――次は完璧にお前に勝つからな」

 

 結果発表の直前、短く交わした言葉に恋も葉山も笑みを浮かべた。

 

 

「勝者―――葉山アキラ!!」

 

 

 片腕を上げて勝者としての姿を見せる。

 納得はいっていなくても、それでも黒瀬恋の普段通りの実力に勝ったことは事実。ならば自分が勝者だと言われても、一先ずは強引に受け入れることが出来た。

 

 歓声が上がり、秋の選抜の勝者を讃える拍手が鳴り響く。

 

 様々なことがあったこの秋の選抜。

 それもようやく此処で終わりを迎えることが出来た。葉山アキラを勝者として、そして現時点で高い実力を持った一年生の姿を再認識したことで、その競い合いには一種のヒエラルキーが生まれる。

 選抜に選ばれなかった者、選ばれても予選敗退した者、本戦に出場した者、決勝を戦った者、明確な上下意識が生まれた。

 

 これを覆そうとするのか、もしくは臆して勝てないと考えるのか、それがこの先の彼らの玉としての資質を左右する。

 

「結果はどうあれ、皆良く戦った! 願わくば、選抜に選ばれなかった者も含め、更なる研鑽を今後も見せて欲しい。それでは――――これにて秋の選抜、閉幕とする!!」

 

 最後に仙左衛門がそう語り、今年の秋の選抜が無事、終了した。

 

「……―――」

「っ! 黒―――!!」

 

 そしてその宣言を聞いた瞬間、眩しい天井の照明を見上げていた黒瀬恋の意識は途絶える。ふらりと身体が倒れていく感覚に、恋は限界か、と内心で苦笑した。

 最後に隣にいた葉山が咄嗟に動いたのが見えたが、恋は限界を超えたことでスイッチが切れるように視界が暗転するのをただ受け止めていた。

 

 

 




秋の選抜編終了です(拍手
葉山とも良い関係を築けそうですね。
色々暗躍するものがありましたが、次回からスタジエール編までのお話になります。

感想お待ちしております✨



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