ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。
※念のため、障害者というセンシティブなワードを使用する以上はあった方がいいかなと思い、作品のあらすじ部分に本作を読むにあたっての注意書きを追記しました。


二十九話

 選抜の予選が終わり、遂に本選出場を決めた八名が決定した後のこと。

 恋はえりなの屋敷へと招かれていた。

 遠月学園内部に用意されている屋敷であり、流石はお嬢様というべきかかなり大きな屋敷である。中に入れば内装も相応の豪華さを持っており、一見しただけでもかなり部屋が多いのが分かった。

 人目に付くのは少々避けたかったので、恋は屋敷の前で待機。えりなが予選を終えた緋沙子と合流して帰ってくるのを待っている。

 

「……! 恋!」

「ああ、緋沙子……本選出場おめでとう」

「来ていたんだな……元気そうで良かった」

 

 そしてえりなと共に帰ってきた時、屋敷の前で待っていた恋を見て思わず駆け寄ってくる緋沙子。予選のあとで多少疲れもあるだろうに、嬉しそうな表情を見せてくれる彼女に、恋も苦笑を漏らした。

 追いついてくるえりなも苦笑しており、早々に屋敷に入ろうと言って中へ案内する。緋沙子は秘書として、主人であるえりなと客人である恋の案内に努める。

 

「本人的には予選どんな感触だった?」

「そうだな……私個人としてはかなり自信があったのだが、アリスお嬢の品には驚かされたな。奇しくも二位通過となってしまって、悔しいというのが本心だ」

「そうか……まぁアリスにはアリスの、緋沙子には緋沙子の良い所がある。そこに貴賤はないが……より自分の長所を発揮したのが今回アリスだったってことだ。本戦では見返してやれ」

「当然、そのつもりだ。えりな様の秘書としても、恥ずかしくない活躍をする」

 

 そうして歩く中で、恋は緋沙子に選抜の雰囲気を聞き、緋沙子もそれに素直に返していた。恋本人としても、選抜での料理勝負に参加したい気持ちが強かったのだろう。今回の予選を見て、よりその感情が強くなったようだった。

 自分ならこうする、自分ならこんな料理を選ぶ、自分なら――そういう考えが巡ってしまうのは、やはり料理人としての癖のようなものなのだろう。

 

 ましてこの一月半、恋は城一郎と共に各国を巡っては料理をしてきた。知識も大幅に増え、様々な未知の技術を次々習得し、腕を磨いている。恋がどれほどの実力を手に入れているのか、退学したあの日から恋の料理を見ていないえりな達には分からない。

 

「とりあえず荷物を置いたら食事にしましょうか。今日は特別に私が腕を振るって差し上げます」

「え、えりな様自ら!? よろしいのですか!?」

「ええ、少し試したいこともあるのよ」

 

 すると、不意にえりなが今日の料理を自分が作ると言い出した。

 元々自分で作ることも度々あったえりなではあるが、客人がいる中で腕を振るうことは早々ない。自分の価値をしっかり理解しており、その腕を安売りするつもりはないという意思があるからだ。

 しかし今回何故えりなが自ら料理をすると言い出したのか―――その原因は、彼女の私室の中にある恋愛漫画にある。

 実際、この夏休みの間、選抜メンバーではないえりなはとんでもなく"暇"だったのだ。恋からの指示も別にそう高頻度にあるわけでもなく、緋沙子も選抜は自分の力で、というスタンスだったので、時間は腐るほど余っていたのである。

 

 そこで手を出したのが、娯楽物である漫画だった。

 そして数ある漫画ジャンルの中で、恋という好きな人がいる彼女が恋愛漫画に手を伸ばすのは、至極当然のことと言えた。

 その中で彼女がまず目を付けたのは、料理人としても興味深い恋愛テクニック。

 

 

「(男を落とすのなら―――まずは胃袋を掴む!!!)」

 

 

 だがえりなとて分かっている。

 恋という男はまともに味を感じることが出来ない。つまり胃袋を掴むというテクニックを行使するには、尤も相性の悪い相手だということを。

 しかし、合宿を終えてからえりなは常に恋に美味しいと感じてもらうための方法を模索してきた。その方法は未だ模索中ではあるが、まずは実践することで得られる情報も必要である。

 

 そしてこの相性の悪さをポジティブに考えるのなら、もしもえりなが恋の美味しいと思う料理を作ることが出来る料理人になった場合、それはイコール胃袋を掴むことになるのだ。

 

「(それはつまり、恋君が私の料理でしか美味しいと感じられないという事実が生まれるということ! 美味しいと思わせた段階で、胃袋を掴んだと同義!)」

 

 えりなは燃えていた。

 この難関をクリアすることは料理人としての実力と価値を高めることに繋がるし、また自分の好きな人が自分の料理でしか幸福を感じられないという至福を手に入れることも出来る。一石二鳥である。

 このまま恋愛漫画を参考に好感度MAXの相手にアタックを仕掛けていくつもりなのだろうか。えりなが恋愛漫画の内容を参考にし始めた段階で緋沙子はそう思ったのだが、放置していても平和な光景しか見えないのでスルーしているらしい。

 

 意気揚々と厨房に向かうえりなの背中を見送りながら、緋沙子は恋の表情を伺う。

 料理を作るというえりなに対し、味覚障害を抱える恋はどのような感情を抱くのか気になったのだ。

 

「……なんだか嬉しそうだな、恋」

「ん、そうか? まぁそうだな……気持ちはわかるから、素直に嬉しいよ」

「気持ち?」

「忘れたのか? 誰かの為に料理を作る……それは俺がずっとやってきたことだぞ?」

「!」

 

 そういえば、とハッとなる緋沙子。

 そうだ。誰かの為に料理を作るということを人生を賭けてやってきたのが黒瀬恋という料理人だ。であれば、えりなが恋の為に料理を作ると言い出した気持ちを、誰より理解出来るのが彼だろう。

 料理の味が分からなくても、その気持ちを抱いてくれたことを嬉しく思わない筈がない。そもそも彼は人の気持ちを汲む料理人なのだから。

 

「楽しみだな」

「……じゃあ、部屋に案内しよう」

 

 緋沙子は余計な心配だったか、と思い直し、恋を食卓へと案内するのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 結局、あの後出てきたえりなの料理で恋が美味しいと思うことは無かった。恋も過去の経験を踏まえて、今のえりなと同じく美味しいと思わないものに美味しいとは言わない。料理に対して嘘を吐かない二人だからこそ、そんな評価が嬉しかった。

 とはいえこのままで終わるつもりもない。

 えりなは自分の作った料理と恋の感じた味をデータに取るために、食した恋に事細かな感想を求めたし、恋もまたそれに誠実に答えた。

 お互いにお互いを美味しいと言わせたい者同士、競い合う様に互いの腕を磨き合う。料理人としても、良い好敵手と言えた。

 

 今は食事を終えて、少し食休みをしている時間。

 大きな長テーブルの端の席で、向かい合って座っている恋とえりな。食器類のあと片付けは使用人がやると言って持って行ってしまったので、手が空いてしまったのだ。緋沙子は選抜予選の反省をするようで、厨房に籠ってしまっていない。

 いつ誰が入ってきてもおかしくはないが、それでも今だけは、二人きりの時間が生まれていた。

 

「恋君はいつまでこっちにいられるのかしら?」

「少なくとも本選が終わるまではこっちに滞在するつもりだよ。もし良ければしばらく泊めてくれると嬉しいけど……都合が悪ければちゃんと宿を取るつもりだから変に気を使わないで大丈夫だよ」

「いえ、別にそれくらい構いません。この通り屋敷は広いし、部屋も空いていますから」

「助かる。お礼に明日の朝は俺に作らせてくれ」

「ふふふっ……そんなこと言って、作りたいだけでしょう?」

「バレたか」

「ならお昼は私が作るわ」

「お、じゃあ夜は……そうだな、一緒に作ろう」

「! …………ええ、あの時みたいに、一緒に」

 

 小気味良いやりとりに、二人は楽し気に笑う。

 しれっと本選が終わるまで、つまり二週間ほどの同棲生活が始まる約束をしている恋とえりな。その間、生活するに当たって起こり得る問題や男女の生活の違いなど、取るに足りない問題の様に話を進めている。

 そしてお礼に恋が朝食を作ると言えば、昼はえりなが作ると言い、お互い生粋の料理人であることにクスクスと笑い声を重ねた。

 

 そして夜は――と続きそうな所で、恋が一緒に作ろうと言い出し、えりなもそれを喜んで受け入れる。

 

 かつてえりなが恋に料理を教えていたあの幼き頃以来、同じ厨房で共に料理をすることなど一切なかった二人。それが今、ほんの少しの平穏の中で再び現実のものになる。

 隣り合って料理をするだけが、二人にとってはとても大切なことなのだ。

 

「えりなお嬢様……お風呂の支度が整いました」

「あら……じゃあ先にお湯をいただくわね。上がったら使用人が声を掛けに行くでしょうから、部屋で待っていてくださるかしら?」

「ああ分かった、そろそろこの服装も着替えたかったしな」

「ふふふ……とても似合っているけれど、貴方らしくはないものね」

「褒められていると受け取っておこうかな」

「ええ、褒めてるのよ。まぁ色付きの眼鏡はいただけないけれど」

「っと……」

 

 使用人が浴室の準備が整ったことを知らせにきたことをきっかけに、一旦話が止まった。そしてえりなが立ち上がることで入浴する空気になり、恋も貸し与えられた部屋で待っているように言われて立ち上がる。恋としても予選会場からずっと韓流アイドルの様な恰好を継続しているので、そろそろ着替えたかったらしく、丁度良かったようだ。

 すると恋の服装を褒めながら、らしくはない服装に口元に手を当ててクスクス笑うえりなが、不意に恋に近づいてくる。

 

 そしてその言葉通り、恋が掛けていた色付きの眼鏡を取り上げた。

 瞬間、恋の金色の瞳が姿を現し、パチッとえりなの瞳と目が合う。

 

「……貴方の目は金色で綺麗だもの。見えないのは勿体ないわ」

「……ははっ、素敵な口説き文句だな―――思わずときめいてしまったよ」

「っ! そんなつもりじゃっ……ま、まぁいいわ。それじゃあまたあとで」

「ああ、ゆっくりしてきてくれ」

 

 えりなから投げかけられた言葉に、恋も思わずドキッとした。

 恋と出会ったあの日から、幼きえりなの想い出の中に黒い髪と金色の瞳が印象付いている。そして成長して尚変わらない彼のその象徴的なカラーがえりなは好きだった。思い出の中に大切に色付いていた存在が、思い出そのままに現れたことも、えりなにとっては本当に嬉しかったのだろう。

 だからこそ、取り繕うことなく本心からそんな言葉が出てきた。恋としては、思わぬアタックにグッときたくらいだ。余裕を取り繕って返したものの、内心ではとても嬉しかったのを押し隠していた。

 

 対してえりなは口説いたという言葉に動揺して足早に退出していったが、恋がときめいたというのなら問題ないと羞恥心を殺して訂正をしない。そして恋愛漫画の一ページのようなやりとりだったと、部屋を出てパタパタと小走りになりながら心の中で歓声を上げていた。

 

「……部屋に戻るか」

 

 そう、恋愛漫画の一ページのようだった。

 好きな子が去った後に、少し頬を紅潮させる少年の光景も。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 広い浴室の中で、湯船に浸かるえりな。

 大きな湯船に張られた湯の量からか湯気も多く、並の銭湯や温泉よりも豪華に見える内装。足を延ばして尚余るその広さに、えりな自身も大分リラックスしているようだった。長い金髪もタオルでまとめており、ふぅーと大きく息を吐いて湯の中に身体を預けている。

 

 こうしてリラックスしてると、今日一日のことを思い返してしまうえりな。

 選抜予選が始まったかと思えば、そこで久しぶりに恋と再会し、勢いと流れで二週間も一緒に暮らすことが決まってしまっていた。

 嬉しいとは思う。これから少なくとも二週間は恋が傍にいてくれるのだから、えりなの心はウキウキだった。意地でも表に出す気はないが、それくらい浮かれているのは確か。

 

「変わったわね……私」

 

 そしてそんなことを考えていると、今までの自分と今の自分が全然違うことに気が付く。

 恋がいなくなってから高校で再会するまでの間、えりなはただひたすらに料理人としての頂点を目指すことだけを考えてきた。究極の美食を求め、創真の様な大衆料理は美食とは呼べないと切り捨てて、ひたすらに己の腕を磨いてきたのだ。

 

 なのに、恋と再会してからのえりなは変わった―――否、戻ったというべきだろうか。

 

「恋君と出会ったあの時みたいに……私、浮かれてるのね」

 

 料理を作ることを、楽しいと思うのなんて大分久しく思う。

 恋の為に料理を作ることも、極星寮で色々な料理に触れたことも、誰かと競い合うことも、切り捨てずに見てみれば本当に、とても煌びやかな光景だった。

 

 "……―――えり―――私の言う―――……"

 

「ッ!?」

 

 瞬間、不意に頭を過る恐ろしい声。

 ざばっと湯面を揺らすほどに身体をびくつかせたえりなは、急に心臓をきゅっと掴まれたような不安感に大きく呼吸を乱した。ゆっくりと呼吸を整えて、はぁ、と溜息を吐く。

 リラックスしていても一人だと余計なことまで考えてしまうもの。えりなは立ち上がり、そろそろ上がることにした。

 

 浴室を歩いていき、脱衣所への扉を開ける。

 

「此処が浴室だ、恋―――あっ」

「ああ、ありがとう緋沙おーまいがぁ……」

「あ……あ……」

 

 其処に居たのは、何かの伝達ミスなのか恋を連れてきた緋沙子と、濡れた裸体を晒しているえりなに直面してしまい、唖然とした恋の姿だった。

 

 ―――あ、恋愛漫画で読んだところだ。

 

 あまりの動揺に、えりなはそんな見当違いなことを考えるしか出来なかった。

 

 

 

 




バッチリ見てしまった恋君と見られてしまったえりなちゃん。
恋愛漫画ではこの先どうなっていたのか? 二人の反応は如何に。
次回もご期待ください。

感想お待ちしております✨



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