あの後、偶然会場で出会ってしまった恋君と私は学園内の一室へとやってきていた。
選抜予選が始まっている今は校舎内に人っ子一人おらず、私達のいる一年生の厨房室も誰一人いない。それほどまでに秋の選抜が注目を集めているということなのでしょうけれど、今の私達にとっては都合が良かった。
退学になったことで制服姿ではなく、変装の為に普段と雰囲気の違う衣装に身を包んだ恋君。久しぶりに直接会うというのもあって、普段の数倍くらい新鮮な姿に見えた。今まではいつも落ち着いていて静かな雰囲気の彼だったけれど、こうして韓流アイドルやモデルのようなファッションに身を包むと、かなり刺激的な雰囲気というか、ビリビリとした電撃のようなオーラがある。
端的に言えば、とても格好良かった。
「……その、来ていたのね、恋君」
「ああ、城一郎さんが応援くらい行ってやれって」
「そう……一ヵ月半程度だったけれど、なんだかもう随分長い間会ってなかった感じがするわ……毎日連絡を取っていたのにね」
応援にきたという恋君に、内心少しほっとしている。
このタイミングで学園を訪れた理由が、また暗澹とした理由でないか少し不安だったからだ。夏休みの最中にも、私達は恋君から送られてきた指示に何度か動いていたけれど、それが決定的に恋君の退学を白紙に戻す働きにはならなかった。必要なことなのでしょうけれど、早い所戻ってきて欲しい私としては、少し不服である。
とはいえ此処で会えるとは思っていなかったので、思わぬサプライズだった。
私の言い分に苦笑して見せた恋君の表情は、衣装の雰囲気は違ってもいつもの恋君で、私もつられて笑みを浮かべてしまう。
「もう予選が進んでる頃か」
「そうね……まぁ二グループそれぞれ三十名はいるのだし、まだまだ時間は掛かるでしょうけどね」
「一人一人料理して審査していくのか?」
「いいえ、広い調理場で同時にお題であるカレーを調理し、制限時間が過ぎた段階で順次審査していく方式よ。だから自分の前の人の料理が評価に影響する可能性もあるし、審査員も美食家として数多くの料理を食べてきた方々ばかりだから、選抜メンバーでも並の料理を出せば即座に最低評価を付けられるでしょうね」
「なるほど……逆に考えれば、初手で強烈なインパクトを叩きつければその他の品を全て潰せるわけか。選抜というだけあって、純粋に実力勝負になる良い審査方法だな」
選抜の予選では選ばれたメンバーの料理が全て点数で評価される。その中で上位四名が本選出場。決勝トーナメントでは食戟と同じ様な形式で戦っていくことになる。
緋沙子や水戸さんは私も腕を知っているし、相応の高得点を叩き出すでしょうけど、その他はどうかしら。葉山君やアリスなんかも強敵かしらね。
まぁ、もしも私が出場していたのなら、全員まとめて蹴散らす自信があるけれど。
恋君が出場していたらどうだったかしら?
……そもそもの調理技術は一年生の中じゃトップクラス……いや、全学年を合わせても一二を争う技術を持っているでしょうし、それだけでもきっと高得点を引き出すでしょうね。そこから彼の持つ知識からどれだけの工夫が加わるかが肝でしょうけど……彼ならなんだかんだどうにかしてしまいそうね。
「極星寮の皆はどうなるかな」
「気になるなら観に行きますか?」
「ん、まぁ応援に来たから観に行こうとは思うけど……少しだけ休憩していこうかな」
「……そう」
椅子を二つ持ってきて一つに座る恋君の意図を察して、私も隣に座る。
そう、久々に会ったのだから、少しくらいゆっくり話をしたっていいじゃない。緋沙子には少し申し訳ないけれど、ちょっとだけ二人きりで過ごすことを許して欲しい。今日が終わったら、また会えなくなる日々が始まるのかもしれないのだから……ちょっとだけ。
「寂しいのって……こんなに苦しいのね」
「ああ、俺もそう思うよ」
―――ちょっとだけ。
◇ ◇ ◇
それから少しだけ二人きりで過ごした後、恋とえりなは一緒に予選会場へとやってきていた。やってきたのは緋沙子のいるBブロックの会場で、二人が到着した時には既に審査が始まっていた。
下の方から順位を見れば、33点だったり、0点だったり、かなり低い点数が多く続いていき、80点台を越えた上位陣とは極端な評価が目立っている。選抜メンバーたちのいる厨房スペースに目を向ければ、それぞれ数々の工夫と得意分野を活かしたカレーを完成させており、色とりどりのスパイスの香りが観客席にまで伝わってきている。
現在評価が決まっているだけの順位を見ると、Bグループの順位はこうなっていた。
1st:新戸緋沙子 92点
2nd:タクミ・アルディーニ 90点
3rd:北条美代子 87点
3rd:イサミ・アルディーニ 87点
5th:吉野悠姫 86点
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上位ともなればかなりの高得点を叩き出している者ばかりだ。
前後の料理によって評価にも影響が出るので、点数が純粋に実力差ということにはならないが、それでも美食家として舌の肥えている審査員達を前にこれだけの高得点を叩き出すのは相当の腕がなければ不可能。
上位四名が本選出場ということならば、現時点ではイサミまでの生徒が本選出場ということになるのだろうが、まだ目ぼしい生徒は残っている。
その証拠に、次は薙切アリスの出番だった。
「緋沙子の出番には間に合わなかったわね……悪いことをしたかしら」
「まぁこの分じゃ本選出場は確実だろうし、本選ではしっかり応援してあげないとな」
そう言ってアリスのサーブを見守る二人。
分子ガストロノミーの申し子である薙切アリスの料理―――普段のアリスの様子からは想像も付かないが、彼女の脳内には複雑な化学によって構築される料理がいくつも存在している。
薙切えりなを超えると言った彼女が料理人としての顔を見せた時、その迫力は並の生徒を大きく凌駕していた。
彼女が出してきたのは、カレー料理には到底思えない見た目の料理。緑色の植物を模したような形状をした何かで彩られた皿には、同じく緑色のソースが添えられており、中心には肉なのか、カレーの何かを結晶化したようなものなのか、鮮やかな赤茶色の固形物が存在していた。
アリスの使っていた厨房を見れば大掛かりな機材が大量に並んでおり、最先端の分子ガストロノミー機器を使ったことが理解出来る。
恋はそれを見てアリスの料理に使われた技術に関して当たりを付け、アリスの料理が高得点を出すだろうことを評価の前に悟った。
《薙切アリス選手―――95点! 暫定一位に躍り出ましたぁーー!!》
結果は見ての通り、アリスは緋沙子の92点を抑えて一位に躍り出て見せる。
流石は薙切の血統であり、分子ガストロノミーにおける天才少女。十傑入りに最も近いと呼ばれるほどの傑物。その実力を遺憾なく発揮した結果だった。
恋とえりなはそんな結果を見て、どちらからともなく各々思ったことを共有する。
「……食べてみないことには詳しく分からないけれど、あそこにある機材を見れば少なくとも四種類以上の分子ガストロノミー技術を使用している……その腕でアレだけの品に纏め上げるのは流石というべきかしら」
「美食家として名高い審査員達が、まともに解説出来ずにただ美味いだけであの点数を付けた。明らかに常人の理解の範疇を越えた革新的なカレーであることは間違いない……同じ機材を使っても、俺では使いこなせそうにないな。流石にイメージだけであの料理の味を再現するには、分子ガストロノミーに対する学の深さが違う」
「こうなるとアリスと緋沙子、タクミ・アルディーニ君は当確として、同点の北条さんとイサミ・アルディーニ君の決選投票―――いや、もう一人」
「ああ、此処が踏ん張りどころだ……田所恵の」
最早現時点での上位四名が確定かと思われるほどの結果が出ているが、最後に残った料理人が一人。極星寮の生徒であり、創真と共にあの合宿で四宮小次郎と食戟を行い、生き残った少女――田所恵である。
恋は彼女の顔付きを見て、不意に笑みを浮かべた。
恋が退学する前は創真に付いて歩くことで緊張を紛らわせていたような節もあったけれど、此処にはAグループの創真はいない。たった一人で戦うしかない場で、彼女の顔はしっかり覚悟を決めた表情を浮かべている。
恋は理解した―――田所恵は今、一人で戦う立派な料理人だと。
「アレは……
「それに、どうやら鮟鱇の"吊るし切り"をこの場でやってのけたみたいだな。鮟鱇の性質上、まな板の上では捌きづらいから生まれた特殊な捌き方だが……アレは相当難易度の高い技術がいる。それをこの場でやってのけるなんて、相応の腕がなければ出来ない」
「……今まで無名だったのが不思議なくらいね」
田所恵の持つ人間味のある料理。えりなも恋が退学になった夜に極星寮で口にしたので分かる。彼女が作るそれが、技術以上に人の心を打つ料理であることを。
それを発揮するだけのメンタルを持たなかった彼女は、今まで遠月学園で一切日の目を見ることがなかった。緊張でミスを重ね、授業では最低評価を取り、周りからの責めるような目線にどんどん自信を失っていった過去。
だが創真と出会い、極星寮で試行錯誤を重ね、多くの難関を乗り越えて、今彼女は自分自身の殻を破る―――!
審査員達が恵の料理を口にし、そしてその美味しさに心が癒されていく。人と人との間に生まれる温かい空間をそのまま体現したような料理に、思わず溜息を漏らしてしまうほどだ。
「良いなぁ……俺もあそこで料理がしたくなってしまう」
「そうね……私も貴方がどんな料理を作るのか、見てみたかった」
羨ましい、素直にそう思ってしまう。
《田所恵――91点!! 三位に躍り出たぁあああ!!!!!》
この瞬間、Bグループの本選出場者が決定した。
薙切えりなの秘書である緋沙子を抑えた薙切アリスや、底辺から這い上がって数ある実力者を追い落とした田所恵。そんな大波乱の選抜予選に、会場のボルテージも一気に跳ね上がる。
そうして会場が盛り上がる中で、恋はふと創真達の方が気になった。
当然予選の戦いを真剣に見ていたし、知り合いであれば心から応援もしていた。けれど、恋はこの予選の中でとある人物を探してもいたのである。具体的に誰、というものはないが、それでもこの選抜メンバーの中にいるであろう人物。
「(……このグループにはいない……てことはA会場の方か、俺の経歴を調べた奴は)」
そう、それは恋の経歴を調べ上げ、味覚障害に付いて密告した人物のことだった。
恋はこの夏休みの間に色々と思考を巡らせて、叡山によって仕組まれた退学の件は、おそらく味覚障害の密告があったから出た話ではなく、それより前にそもそも決まっていた話だったのではないかと考えていた。
そこに偶々味覚障害の密告があり、叡山がそれを利用して計画を実行したのだと。
そうでなければ、叡山が恋を退学にする動機がどうしてもないからだ。
「(この時点で叡山の裏に別の人物がいるのは確定……それもえりなちゃんに対してかなり執着心を抱いており、料理の味が分からない者を強引にでも排除しようとする、選民思想的な思考の持ち主……)」
恋はその結論に至った段階で、夏休み中に色々な手を打っていた。創真達に行動してもらうことで、諸々未来を想定した手を。
そしてソレとは別で、恋の経歴を調べた人物の特定もしたいと考えていた。おそらくは叡山と繋がりのある生徒だろうが、恋の退学を計画していた話とは別口と考えるのなら、一年生である可能性が非常に高い。
それだけ手段を択ばない人物であり、十傑の叡山と繋がっている人物ならば、当然選抜に選ばれるだけの実力があってもおかしくはない。だからこの予選はその人物を見つけるチャンスと考えていたのだが、どうやら会場が違ったようだった。
「……まぁ、結果を見れば分かるか」
とはいえ、本選に残らない程度の実力なら放っておいても問題ないし、本選に残るのなら直ぐに特定出来る。一先ずはAグループの結果を待つことにした恋。
「さて、一先ずこっちは結果が出たわけだし……とりあえず一段落か」
「ええ、A会場がどうなっているかは分からないけれど……本選はこの二週間後……私は不参加だから除外するとしても、現時点での一年生最強を決める戦いになるわね」
「なるほどね……」
「まぁ、恋君が復帰した時はそれも不確かなものになるでしょうけどね。貴方も本選に出場していたとしてもおかしくないもの」
「そう持ち上げるなよ……まぁ、負ける気はサラサラないけどな」
予選が一段落したことで少し肩の力を抜いて話す恋とえりな。
分かっていたことではあるが、この秋の選抜は現時点での一学年最強決定戦でもあるのだ。優勝した者は正真正銘一年の中で最も優れた料理人という評価を得るし、そこから十傑というステージも見えてくる。
えりなは恋のことをかなり買っているようだが、それでも創真達の戦いの末に頂点を獲った者こそが、この先創真達の期を象徴する人物になっていく。
「早く戻らないとな」
「ええ……ところで恋君、選抜が終わるまで応援するのなら……こっちでの宿は決まっているの? 極星寮からは退去したのでしょう?」
「んー、まぁその辺で宿でも取ろうかと思ってるけど」
「じゃあ……私の屋敷に泊まると良いわ」
「え、と……助かるけど、良いのか?」
「なによ、アリスの実家には泊まれて、私の屋敷には泊まれないの?」
「……じゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
それはさておき、どうやらアリスと一緒に一つ屋根の下で過ごしたことに関しては、未だ根に持たれていたようだった。
お泊りイベント発生。
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