「大丈夫か?」
「ええ……少しだけ、落ち着いたちょちょっと、そんなことしなくていいからっ!」
恋の言葉で少しだけ気持ちを持ち直したえりなの手を取って、恋は彼女を引き起こす。そして立ち上がった彼女の膝に付いていた砂をはたいてやると、何処か子供扱いされているような感じがしてえりなが顔を赤くした。
どうもえりなが涙を見せたことで、恋がぐいぐい来る。えりなに対する好意が全開に出ており、えりなは既に限界だ。
だが問題は依然として解決していない。
恋の退学は既に決定されたことであり、この状況から盤上をひっくり返すのは不可能に近いのだ。恋もえりなもそれを理解しており、その上でまだ諦めないことを決意している。
「改めて……俺が退学することは現時点でもう覆せない」
「ええ……」
「でも、退学を白紙に戻す方法ならある」
「!」
「案としては、今回十傑評議会で俺の退学に賛同し票を入れた六人……その内の三名を食戟で倒し、叡山先輩の決議を白紙に戻すこと」
恋の退学を覆すための手段として、恋が退学した後、恋の退学を白紙に戻すための食戟を誰かが行い、勝利するという方法がある。恋はそもそもこれは個人的な問題故に、この方法を却下としたのだが、えりなが涙を流した以上方法を選ぶ余裕などない。
但し、コレを行ってくれる上に十傑に勝利する実力を持つ者など、如何に遠月とはいえ限られてくる。えりなが食戟を行うという道もあるが、そもそも食戟を受けさせるメリットを用意する必要があるので、えりな一人にやらせるには賭け金が足りない。
「……実現可能かと言われれば難しいわね」
「ああ、まず現実的じゃない。でも、だからこそ退学がこのタイミングで良かった」
「え?」
恋の語った方法に勝算が薄いことを悟り、顎に手を当てて考え込むえりな。だが恋がそれに対して不敵に笑みを浮かべたことでえりなの表情が変わる。
どういうことか――そう問いかけようとした時、恋の視線の先にとある人物が立っていることに気付いた。その人物は悠々と極星寮の入り口に向かって歩み寄り、恋とえりなの前で立ち止まる。
恋とその人物は視線を合わせ、恋が今どういう意思を持っているのか、そしてその人物が何をしに来たのか、それを互いに悟った。
「良い目をしてんじゃん―――黒瀬ちん」
「こんなところで奇遇ですね、久我先輩」
現れたのは遠月学園第二学年、十傑評議会第八席……久我照紀だった。
突然現れたその人物に、えりなは目を丸くして驚く。どうして彼が此処に、そう考えた瞬間、恋が食戟で久我と交流を持つ権利を獲得していたことを思い出す。えりなの知らない所で、恋は久我を接触していたのだ。
そして今、その接触を切っ掛けに、このタイミングで久我が恋を訪れた意味とは。
「困った時の久我先輩ってね☆ この前の約束通り、困ってるようだから力を貸し付けにきたよん♪」
「頼りになる先輩を持って良かったです」
「ハッハー! この俺の偉大さをもっと敬っておけよー? こんなこと、早々ないんだから」
恋は幸運だった。退学になる直前に十傑の一人と接触する機会を持ち、その上力を借りられる約束を手にしていたのだから。その結果、薙切えりな、久我照紀、一色慧と、恋は図らずとも十傑の内の三名を味方に付けられる人間関係を構築していたのだ。
これは大きな手札になる。
えりなは恋がこの学園で紡いできた結果が、料理だけで得たもの以外にもあったことを理解し、恋という存在の大きさを思い知った。
「(凄いわ……恋君)」
料理人にとって、自分の店を持つことは誇りであり夢だ。
そしてその店が一番大事にしなければならないのは、料理の味でも、サーブの丁寧さでもない。
料理人と客の間にある心地いい信頼関係だ。
本来厨房と客席で顔を合わせることはない両者の間に、料理という一つだけで生じる繋がりが心地いいかどうか。品に込められた思いやり、華やかさ、工夫、そして何より高められた美味しさが客を笑顔に出来るかどうか。
勿論食べる側にそこまで汲み取る力はないし、汲み取ろうなんて食べる時に一々考えない。けれど無意識でも確実に伝わってしまう部分に、人を惹きつける魅力があるかどうか。
それがその品、ひいては料理人の魅力である。
そして根本的に、絵画であろうが、歌であろうが、芝居であろうが、ダンスであろうが、そして料理であろうが、あらゆる表現には己の中にあるものしか出てこないのだ。
恋にはその魅力がある―――人を惹きつける魅力が。
「んで? そんなやる気に満ちた目をしてるからには、何かしでかそうってんでしょ? 手はあるの?」
幸平創真達極星寮の面々は勿論、合宿で会ったばかりのアリスや黒木場までもが恋の退学を聞いて、えりなに食いついてきた。そして十傑の一人であり、一年のことなんて眼中にもない態度を取っていた久我ですらもが、能動的に力を貸しにやってきている。
これこそが、その証明だ。
「勿論、まぁしばらくは退学を受け入れる必要がありますけど……戻ってくる方法はあります」
「いいねいいねぇ! 崖っぷちからの大逆転☆ 圧倒的な格差で押し潰すのが好きな俺だけど、そういう少年漫画みたいな下剋上も大好きなのよ!」
好戦的に笑みを浮かべる恋と久我のやりとりを聞いて、えりなはこの状況から恋は何か大きなことをしでかそうとしていることを悟る。自分で考えてもこの状況から恋を救い上げる方法など思いつかないというのに、恋は退学を告げられてから現在までの僅かな時間で何か思いついたというのだ。
味覚障害を抱えて尚料理人として高い能力を身に付けてきた恋に驚いたえりなだったが、今それは恋の成長の一端でしかなかったということを理解する。
そもそも皆が感じていたことだ。
黒瀬恋は、料理人としてだけではない―――人間として、誰よりも大きな器を持っているということは。
「(そうだった……恋君がこの学園に来てから、彼が何かに失敗している姿なんて見たことがない……料理だけじゃなく……座学成績も、運動能力も、人への気遣いも、生活態度も、コミュニケーション能力も、なんだって卒なくこなしていた……)」
それが、どれだけの努力の上に成り立っているものなのか、えりな達は理解していなかったのだ。あまりに自然に行われていたことだったから。そして料理学校だからこそ料理の腕にばかり目が行っていたから。
恋本人が持つ料理以外の能力に一切気が付いていなかった。
「(あれだけの料理の腕を身に付けるのにだって相当の努力が必要だったはずなのに、貴方は……それ以外のことも一切捨てずに研鑽してきたというの……!?)」
黒瀬恋という少年は、何一つ捨てなかった。
料理で大きなハンデを抱えているからこそ、それ以外の全てを決して言い訳にしないように努力してきたのだ。
故に彼は今、誰よりも才能の差に対する苦しみを知り、誰よりも努力することの尊さを知っている。人間として誰よりも人を思いやり、誰よりも努力を尊ぶことの出来る人格者に成長することが出来たのだ。
そしてそれは、ある驚愕の事実を浮かび上がらせる。
黒瀬恋は料理以外なら―――なんだって出来るという事実を。
「叡山先輩が裏で糸を引いてようがいまいがどっちでもいいけど、どちらにせよこのタイミングで退学にするのはちょっと早計だった」
「どういうことかな?」
「これから遠月は夏休みに入るし、それが明ければ選抜戦……それはつまり、この間遠月学園は内部に向かう意識が大幅に薄れるってことです。十傑含め学園運営は選抜戦に向けて運営を集中させるでしょうし、選抜メンバーは選抜に向けて準備に入る。それ以外の生徒も、授業がない以上各々のことに集中するでしょう」
「ふむふむ、確かに……でもそれってつまり、向こうが裏で暗躍するにはうってつけの期間ってことじゃない? ならこのタイミングで黒瀬ちんを退学にさせたのは、そこで何かするために邪魔だった?」
「いや、おそらくこのタイミングで俺を退学にさせたのは、このタイミングが一番向こうにとってダメージが少ないからです」
「! ……そういうことね!」
恋の言葉に久我が頷きながら相槌を打つと、えりなが恋の思考を察したようにハッとなる。恋はえりなの聡明さに笑みを浮かべ、静かに一度だけ頷いた。
そう、恋の言った通り夏休み期間中は学内への意識が大幅に薄れることから、恋を退学にした何者かが裏で動きやすくなる。恋を退学にしてえりなから引き剥がすことが目的ならば、その先に更なる目的があってもおかしくないのだ。
そしてそれ以外にもう一つ。
手続き的には不当ではないが、評価や料理人としての実力を鑑みるのなら、障害を抱えていたとしても理不尽な退学を強行したのは何故か? 冷静に考えれば、今回黒幕の取った手は確実にその強引さのツケを支払う羽目になってしまうというのに。
「そう、自惚れでなければ、俺の退学に疑問を抱く生徒や講師は多分少なくない。正義感の強い奴なら追求することもありえる。だから終業式であり選抜メンバー発表のタイミングに合わせて通告することで、話題性を二分し炎上を避けた。そして夏休みという長期休みを利用してほとぼりを冷ました頃に、明けにある秋の選抜という一大行事で一気に話題性をかっさらう。そうすれば生徒の意識は自然と俺の退学から逸れていくからな」
「なるほどなるほど……そういう意味でベストなタイミングだったってことかー、うわ性格悪っ! けど、ならもっとスマートなやり方があったんじゃないの? 今でなくちゃいけなかったわけじゃないんでしょ?」
「それはおそらく、向こうも恋君の実力を認めているということだと思います。此処までの成績や評価を鑑みて、恋君が今後大きな功績を積む可能性を避けたのでしょう。例えばですが、もし仮に今後恋君が十傑入りを果たすなどの結果を出そうものなら、味覚障害というハンデ一つを取り上げて退学にするのは明らかに理不尽だと誰もが気付きますし、そうなってからでは相応に注目も集めてしまいますから」
「まだ小粒である今、それも選抜を控えていてなるべく密かに消せるこのタイミングがベストだって判断したわけね」
恋とえりなの説明に、一年の勢力図など一切知らない久我ははーんと感心したような声を上げる。というより、黒幕側の戦略があまりにも緻密に仕組まれていることに驚いたといった風だった。
恋一人を退学にするために生じるリスクを考え、それを最小限に抑えられるタイミングを計り、そして正当な手段で実行したのだ。しかも今日までそれを阻止する隙が微塵もなかったというのが恐ろしい。そんな相手に対し、どう立ち向かうのかと久我は難しい顔をする。
だが、話は此処からだ。
「けれどこのタイミングだったことは、私達にも利点を生みます」
「利点?」
「おそらく明日からの夏休みの間、向こうは選抜の準備の裏で何か別の目的の為の準備を始めるでしょう。学内に向く意識が薄れる以上、動きやすくなるわけですから」
「それは分かったけど、何処に利点が?」
えりなの言葉に、久我が眉を顰める。
黒幕側が動きやすくなることに一体どんな利点が生まれるというのか、その続きは恋が口にした。
「向こうが動きやすくなる……それはつまり向こうの意識も学内から外れるってことですよ」
「! ……そっか、つまり黒瀬ちんは―――誰も注目していない遠月学園の中で、何かしでかそうってワケだね?」
「その通りです……といっても、俺は退学になるので行動を起こすのは協力者が必要ですけど」
「はっはーん、俺もナイスなタイミングで来ちゃったってワケね? いやいや、空気ばっちし読めちゃうんだもんなぁ俺ってば☆」
「とはいえ、まだ手が足りないんですけどね」
恋の策は、黒幕が裏で暗躍しやすくなるこの夏休み期間を逆に利用し、黒幕の裏を掻くこと。つまり、黒幕含め生徒たちの意識が学内から外れるこの夏休みの間、大胆不敵に堂々と、"表"で暗躍してやろうということなのだ。
無論その為には恋の代わりに、恋の為に行動してくれる協力者がいる。それも、この学園で高い実力を持つ協力者が。
「―――じゃあ、俺達も協力すれば足りるか?」
「!」
不意に背後から声がした。
恋達がその声の方へと視線を向ければ、寮の扉が開き――その奥から複数の人影が姿を現す。そこには幸平創真を始めとした極星寮の全員と、薙切アリス、黒木場リョウ、新戸緋沙子といった面々が喜々とした表情で立っていた。
どうやら話を聞いていたらしく、先程までの重苦しい空気は何処へ行ったのか全員好戦的な熱に燃え上がった目をしている。
「……お前達は選抜があるんじゃないのか?」
「おー、それがどうかしたか?」
「……ははっ、大した自信だなぁ」
恋の言葉に対し、創真の返答は何か問題でもあるのか? と言いたげだった。選抜を勝ち抜くためには、本番に向けて様々な準備をし、そこに全ての力を集約させなければならない。それだけ全員が死に物狂いで挑むだろうし、それだけ過酷な戦いになるからだ。
けれどこの場にいる全員がそれを把握して尚、恋の為に力を貸すと言っている。
えりなは思う。
これも恋の人を惹きつける魅力のおかげなのか―――否、違う。
これは創真達が料理人として、恋という料理人の実力を認めているからこそ、この学園に必要な存在だと判断した結果だ。
恋に勝ちたい、競い合いたい、学び取りたい、一緒に料理をしたい、様々な自分の
なにより仲間の、友達の為に立ち上がることに、理由など必要としていないだけだ。
「じゃあそうだな……助けてくれ、幸平達の力を借りたい」
「ああ、任せなよ」
そう言って笑う創真達に、恋も笑みを浮かべる。
すると、そんな創真達の背後、寮の中から更に一人の人物が姿を現した。創真達よりも幾分背が高く、歳も一回り以上上の男性だ。料理をしていたのか腰エプロンを巻いており、シャツの袖も腕まくりしている。
えりなはその人物を見て、目を見開いた。
「才波……様……?」
「面白そうだな―――そういう事情なら、俺も少し力を貸そうか?」
才波城一郎、またの名を幸平城一郎。
幸平創真の実の父にして、かつて薙切えりなが究極の美食と称した料理を作り上げた、憧れの料理人が、其処に居た。
現れた幸平創真の父、幸平城一郎。
彼が言う力を貸すという言葉の意味は?
次回、黒瀬恋が遠月を去り……そして、創真達が選抜に向けて動きだします。
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