ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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二十二話

 選抜メンバーの発表から黒瀬恋の衝撃的な真実の暴露を終えて、恋達は一旦極星寮へと戻ってきていた。退学するにしても荷物は纏めなければならないし、ある程度世話になった者への挨拶くらいはすべきだ。

 恋であれば、ふみ緒や一色などがそれにあたる。

 恋を先頭に極星寮へと戻っていく創真達だが、その中には寮生ではないアリスや黒木場、えりな、緋沙子といったメンバーもいた。恋が退学するという事実を受ければ、せめて最後まで見送りたいと思うのが当然の感情だった。

 

 言葉はない。誰も何を言っていいのかが分からなかったからだ。

 

「……」

 

 そんな中、恋は自身の退学のことよりも別のことを考えている。

 今回、叡山枝津也の差し金によってなのか、それとも何か別の意図があってのものなのか、ともかく恋の経歴を調べた者がいたのは確実だ。

 仮にこれが叡山枝津也の差し金による経歴調査であれば、今回の通告から恋を退学にするための材料を探していたということになる。また逆に別の意図を持った何者かの行動なら、その者がなんらかの目的があって恋の経歴を調べ、それを叡山に横流ししたということになる。

 

 どちらにせよ、黒瀬恋を退学にしたいという意図があったのは確実だが。

 

「(けど……叡山先輩に俺を退学にさせる個人的なメリットがない。十傑とはいえ聞いた限りの人物像なら、そこまで遠月の為に献身するような人物には思えないし……となると、これが叡山先輩の差し金なら、その裏にまた別の黒幕がいそうだな)」

 

 だからこそ、恋はその意図が発生する動機が気になった。

 叡山枝津也と恋は一切交流がない。恋が叡山のプロデュースする案件の邪魔をした覚えもないし、敵対行動を取ったこともないので、彼が恋を邪魔に思う理由は何処にもないのだ。にも拘らず彼が恋を退学にしようとした理由を考えれば、更に裏で糸を引いている者の存在が浮かび上がってくる。

 この考えが当たっているのなら、正直学生の領分を越えた巨大な思想が絡んでいる可能性があった。

 

 逆に別の人物の目的が偶々恋の経歴を調べることに繋がった結果ならば、おそらくその人物は同じ一年生の中にいるだろう。恋は良くも悪くも目立つ存在だったし、今回の選抜にも入っていると誰もが思う実力の持ち主だ。

 退学になるように仕向けた以上、恋を邪魔に思っていたのは確かで、そうなると同学年の中に犯人がいる可能性が非常に高い。

 

「(まぁ、この場合も叡山先輩の裏にいる存在は否めないけれど、俺の経歴を調べた人物と叡山先輩陣営は繋がっていても一枚岩じゃないってことになる)」

 

 そうして視線の先に極星寮が見えてきた頃、恋は自分が退学することで起こることと、何者かにとって発生するメリットを考えだした。

 というのも、黒瀬恋という人間に対して、さほど執着心といった感情は向けられていないような気がしているのだ。単に邪魔だったから、黒瀬恋を排除したような意図が感じられる。

 

「……!」

 

 まさか、と恋は何かに気付く。

 自分が消えたことで得られる直接的なメリットが何も思いつかない。

 それはつまり、黒瀬恋を退学にすることそのものに直接的なメリットになるものはなく、目的の為に邪魔になるものを排除しただけということだ。

 ならば黒瀬恋が消えることで生じるものに、黒幕の目的が隠されているのではないか。

 

 恋は横を歩くえりなをちらりと見る。

 

「(まさか、薙切……か? 俺が学園で関わってきたことの中で、一番料理界に価値を生じさせるものと言えば彼女だ)」

 

 そう、恋は今回の退学を自分を敵視する者の行動ではなく、薙切えりなを狙った結果の行動である可能性を考えた。

 以前新戸緋沙子が懸念したように、薙切の名を持ち、神の舌を持つえりなには、それに相応しい振舞いと環境、人間関係を求める者が多く存在する。所謂貴族主義的な考えだが、高貴な者は高貴な者とだけ関わるべきだという一種の選民思想は、現代においても確かに存在しているのだ。

 

 ならば今回の目的は、薙切えりなから黒瀬恋を遠ざけることではないか?

 

「!」

 

 そんなことを考えていると、極星寮へと到着する。

 恋は重苦しい空気を醸し出す皆を見て、一旦思考を止めた。色々と気になることはあるが、こうして自分のことを想ってくれる友人たちを放置するのは気が引けたのである。

 

「とりあえず、腹が減ったな……空腹だと碌な考えも出てこないし、なんか作らないか?」

「!」

 

 沈黙を破るように寮の扉を開けながら恋がそう言うと、全員が顔を上げて恋の顔を見た。恋はいつも通り穏やかで優しい笑みを浮かべていて、自分が退学になることに一切動じていない。どころか自分達を思いやっていつも通りに振舞ってくる優しさに、創真達の方が心を乱されていた。

 どうしてそんなに冷静でいられるのか、どうしてこんな状況で自分達のことを思いやれるのか、一番辛いのは恋の方なのに―――そう考えては、何もできない無力感に内心悔しさが溢れる。

 

 だがそんな恋の優しさを無下にしないように、創真達もまたいつも通りのテンションを装った。

 

「……だな! 此処は俺がいっちょ美味いもんでも作ってやるよ!」

「私も何か作る!」

「そこまで言うなら、この私が恋君に一番美味しいものを振舞ってさしあげるわ! リョウ君も手伝って!」

「うっす……」

 

 恋が開けた扉から創真、恵、アリス、黒木場が勢いよく飛び込んでいく。明らかな空元気だが、それでも落ち込んだ空気でいるよりはずっとマシだった。

 残ったのは恋とえりな、緋沙子の三人―――だが緋沙子もまた、空気を読んでか扉の奥へと静かに消えていく。えりなと恋を二人にさせてあげようという気遣いなのだろう。

 扉を閉めれば、極星寮の正面で恋とえりなは合宿ぶりに二人きりになった。

 

 恋の言葉を受けても、空元気すら出ないえりなは俯いている。

 

「っと……」

 

 恋は玄関前の階段に腰掛け、階段の下で立ち尽くすえりなに視線を向けた。

 

「気にするなよ、元々味覚障害(コレ)に関しては発覚した段階でひと悶着あると思ってたんだ。即退学とは思わなかったけれど――大した問題じゃない」

「ッ……大した問題じゃない……? そんなわけないじゃない!!」

「……」

「だって貴方は……今まで想像もできないほど努力をしてきて……私なんかの為に、人生を賭けて……! 遠月でここまで結果も出してきたのに生まれ持った障害一つで退学なんて……!! あんまりじゃない……あんまりよ……!」

 

 えりなは恥も外聞も投げ捨て、恋の前で泣き崩れた。

 心の底から受け入れがたい現実を前に、何もできない自分の無力さを嫌悪している。溢れる涙はどれだけ分厚い意地を張り付けても、隠すことが出来なかった。

 

 えりなは恋に去ってほしくなかった。

 

 幼い頃に出会った、たった一人の友達。

 障害なんて関係なく、料理で繋がった幼馴染。

 そして、自分の為に人生を賭けて追いかけてきてくれたたった一人の男性(ひと)

 

「うぅ……うぁ……あああ……っ……!!」

「……えりなちゃん」

 

 離れたくないに決まっている。

 ここまで自分のことを想ってくれる人が理不尽な目に遭うことなんて、受け入れがたいに決まっている。何より、この人の優しさに応えるだけの何かを、えりなはまだ何も出来ていない。

 料理に対してはいつだって公平で、どんな人物であろうと贔屓なんてしてこなかった薙切えりな。そんな彼女が初めて出会い、そして惹かれた黒瀬恋という人。

 

 ―――どんな料理を作る人物よりも、大切にしたいと思った人。

 

 溢れる涙と一緒に、えりなの胸の奥に走るズキズキとした痛みが苦しかった。

 この感情をどうしたらいいのか分からず、子供の様に泣き崩れるしかない。怒ればいいのか、悲しめばいいのか、憎めばいいのか、受け入れるべきなのか、自分の感情をどこに収めればいいのか分からない。分からないから、その苦しみが涙に変わって零れていく。

 大切な人との理不尽な別れなんて、薙切えりなの人生にはなかったのだから。

 

「……」

「! ……うぅうぅ……嫌よ……っ……嫌よ、恋君……!」

 

 恋は階段を下りて、地面に座り込んで涙を流すえりなの身体を抱きしめた。

 そしてえりなは自分を包み込んだその温もりにしがみついて、彼の胸に涙で染みを作っていく。震える肩から伝わる悲しみに、恋の表情が初めて歪んだ。

 

 恋はえりなに涙を流させるために、ここまで努力してきたわけじゃない。

 原点はただ単純に、えりなに美味しいと笑ってほしかったからだった。そして自分には決定的にその力がないことを自覚して、薙切えりなという少女の圧倒的才能との差を自覚して、なおも諦めきれずに此処まで走ってきた。諦めるつもりなど、さらさらなかったのだ。

 けれど、それはあくまで一方的な思いだと思っていた。

 親しくなれたのも、えりなが自分の料理人としての努力を認めてくれているからで、友達として一種の期待をしてくれているのだと、そう思っていた。料理人として、欠陥を抱える者として、誰より他人のことに敏感に気を張り巡らせてきた。

 他人の料理、レシピ、技術、感情、そしてただ、"普通の味覚"という壁に対して、どこまでも理解を深めようと努力してきた。

 

「そうか―――」

 

 だからこそ、恋は自分への理解が足りなかった。

 誰よりも自分の欠陥が嫌いだった。普通の味覚を持って生まれることが出来たのなら……そう願わなかった日は一度もないくらいに。誰よりも他人に優しい恋が一番、自分自身を嫌っていた。いっそ舌を引っこ抜いてやろうかと思ったことすらあるくらいに。

 

 だが涙を流す彼女を見れば、嫌でも理解できる。

 違ったのだ。

 えりなは料理人としての恋ではなく、黒瀬恋という人物を大切に思っていたのだ。

 "神の舌"を持つ彼女は、誰よりも料理を愛している彼女は、これから先の未来、きっと素晴らしい高みを目指して突き進んでいく。料理を愛し、食を愛し、究極の美食を作るために、この業界を牽引する存在になる。料理人として誰よりも価値ある存在になり、それに応える天上の料理人を目指すのだ。

 

 そんな彼女が、料理よりも黒瀬恋を大切だと思った。

 

 障害なんて関係ない。料理人であろうがなかろうか関係ない。料理界に価値のある料理人であるかどうかなんて関係ない。何があろうと関係ない。

 

「君は……この味覚障害(にもつ)ごと、俺を想ってくれていたんだな」

 

 薙切えりなは、黒瀬恋と一緒にいたかった。

 

「れん、君……っ……!!」

「えりなちゃん」

「ぐすっ……!」

 

 恋に呼ばれたえりなは、涙を隠すことなく、ぐしゃぐしゃの顔のまま恋の顔を見上げた。そこにあったのは、初めて見るほど真剣な、恋の表情。

 何故――そう考えるより前に、恋はえりなに告げていた。

 

 

「君が好きだ―――愛してる」

 

 

 それが当然である様に、それが自然であるように、恋は己の心に従って感情を言葉にした。躊躇はなく、羞恥心も、恐怖もなく、己の全部を曝け出しても構わないという強い心を持って、薙切えりなという少女に自分の心を全て明け渡した。

 そして突然の告白に言葉を失ったえりなに、恋は以前一度見せた、とても幸せそうな、何もかも無防備な無垢な笑顔を浮かべてみせる。

 えりなはその笑顔を見て、自分が何をされたのかを理解した。

 

 そう、たった今黒瀬恋は、薙切えりなに恋を教えたのだ。

 

 こんな状況なのに、これから二人の道は別たれるというのに、黒瀬恋は薙切えりなに自分の心を全て渡した。そして薙切えりなの心を奪ったのだ。

 

「恋……君……」

 

 えりなの心に訪れたのは、今までないくらいの幸福と、それと同じくらいに大きな悲しみ。幸福と絶望を同時に味わわせられた気分だった。

 それでも逆らうことなど出来ないくらいに、落ちていく。深く深く、胸の奥、心臓の更に奥の心の更に奥底まで、恋という存在が刻み込まれてしまう。

 

 なんて残酷で、なんて愛おしい痛み。

 

「私も……私……」

 

 けれど、それを受け入れてしまえば、恋は目の前からいなくなってしまう。自分の最も愛おしい存在となって、自分の前から消えてしまう。えりなはそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

 えりなには勇気が出ない。

 

「大丈夫だよ、えりなちゃん」

 

 だから、その分恋は近づいていく。

 

「俺は諦めないよ。今までもそうだったように……必ずまた此処に戻ってくる」

 

 いつだってそうだった。

 幼き日のあの出会いがそうだったように、自分からは動けないえりなの下に恋はやってきた。上手く話しかけられなかったえりなに、恋の方から話しかけていった。友達のいなかったえりなに、料理を教えて欲しいと歩み寄っていた。

 同じことだ。

 

「俺の夢は変わらない」

「貴方の……夢……」

 

 恋は笑顔を浮かべて告げる。

 

「君に、ただ一言、"美味しい"と言って笑ってほしい」

 

 溢れる涙を恋が指で拭った時、えりなの瞳にははっきりと、恋の強い意思が宿った金色の瞳が見えた。諦めていない者の、強く、強い瞳。

 それを見てえりなは不思議とその言葉を信じることが出来た。

 

 まだ、黒瀬恋の運命は終わっていないと。

 

 

 

 




遂に自分の想いを自覚し、伝えた恋。
次回、この窮地に陥った恋の前に、一人の人物が現れて……?

感想お待ちしています。



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