ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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デンマークの日の入り時間が21時、22時だと知り、前回の描写を修正しました。
夕食ではなく、夜食へと変更。

また返信は出来ていませんが、いくつもの感想ありがとうございます。
きちんと目を通し、全て励みになっています。
今後とも温かく見守っていただけたら幸いです。


十九話

 レオノーラに頼まれて恋が作ったのは、デンマークの一般家庭で作られる家庭料理だった。といっても、この家にある食材がそもそもデンマークの家庭らしいものが多かったから、自然と恋がデンマーク料理を選択しただけだが。

 夜食ということで恋が選んだのはデンマークでも愛される『エイブルスキーパー』。日本に馴染み深く言うのならパンケーキの様なお菓子だ。ホットケーキの様な形ではなく、たこ焼きの様な丸い形をしているのが特徴的。実際日本ではたこ焼き器を使って作ることも出来る。

 

 恋がさっと作ってきたそのお菓子を見て、レオノーラもアリスもまず品の選択に驚いた様子だった。即興で作れと言われて、即座にデンマーク料理を作れる筈がない。それはつまり、恋には少なくともデンマーク料理に対する知識が備わっていたということを証明している。そしてアリスは恋が合宿でアメリカの料理を作ったのを見ていた。

 この事実だけで、恋の頭の中には一体、どれほどのレシピがあるのかと考えてしまう。

 

「しかも、とても丁寧に作られていますね……調理に一切ムラがないのが分かります」

「ん! 美味しいわ!」

 

 食してみれば、見栄えだけではなくその味も確かであることが分かった。特にレオノーラは薙切に嫁いだ人間だけあって、その能力も伊達ではない。神の舌程とまでは言う気はないが、それでも舌は肥えている方だと自負している。

 そんな彼女をして、恋の調理技術の高さには目を見張るものがあったらしい。これが本当に学生の作った品なのかと思うほどに、洗練された技術を理解する。

 

 なるほど、アリスが連れてくるわけだとレオノーラは内心納得した。

 

「お口に合ったなら良かったです」

「ええ、とても素晴らしい腕を持っているのですね。とても美味しかったです」

 

 恋はレオノーラとアリスの反応にホッとした様子で笑い、レオノーラも恋の言葉に素直な賞賛を送った。

 超一流のスター料理人達にも認められたのだから自信を持つべきなのだろうが、恋はそもそも人に食べさせる場合まず不安を感じるのが常だ。自分で美味しいと思えない品を出すのだから当然だろう。

 

「それにしても恋君、デンマーク料理を知っていたのね」

「まぁ、色々雑食に手を伸ばしてきたからな……偶々だ」

「けれどこの品を選んだのは何故ですか? 夜食に向いた品は他にもあったと思いますけど」

 

 すると今度は恋がこの品を選んだ意図についての話へと話題が変わる。

 レオノーラの問いかけは尤もだ。

 デンマークはかつて食に対して文化の発展は少ない国だったが、今は他国からの影響もあってその辺も豊かになってきている。デンマーク料理を選んだのは食材や気遣いからかもしれないが、お菓子でなくとも軽食を作る選択もあった筈だ。

 なのに何故恋があえて『エイブルスキーパー』を選んだのか。

 

 それは、恋がデンマークの生活に着目したからだ。

 

「デンマークの生活は、心を豊かにし、障害を抱えている人も健常者も関係なく、人々と共生するための努力をすることが特徴です。一人一人が自立して、心の安定を図り、人と触れ合う時間を尊ぶ。だからこそ、幸福度で一位と言われる国でもあります」

「『ヒュッゲ』の精神ね。確かに、私達はそういう生活を心がけています」

「だからこそ、仕事中に一人で食べるような軽食ではなく、こうして家族で共有出来るお菓子の方が良いかなと思ったんです」

 

 デンマークの生活スタイルである『ヒュッゲ』。

 冬の時期のデンマークは暗く寒い時間が長く、必然的に人々は家の中で過ごす時間が増える。そういった時間を家族と過ごしたり、好きなことに使ったり、穏やかで心にゆとりを持てる生活を送ることで、前向きな気持ちを保つようにするスタイルだ。

 元々『ヒュッゲ』とは居心地のいい空間という意味の言葉。

 デンマークが幸福度で一位を取っているのも、贅沢やお金持ちになることではなく、心地いい時間を過ごすことに『幸福』を見出しているから。

 

 心の豊かさこそ、最大の幸福であると。

 だから恋はレオノーラとアリスが家族として幸福を共有出来るお菓子を選んだのだ。

 

「なるほど……貴方は人の心に寄り添える料理人なんですね」

「そう、だと良いなと思います」

「案外、恋君は日本よりデンマークでの暮らしの方が合ってるのかもしれないわね」

「うふふ、だったら卒業したら一緒に暮らしますか?」

「え、いやその、ご冗談を……」

 

 恋の意図を聞いて穏やかな笑みを浮かべるレオノーラとアリス。デンマークの生活スタイルや精神を知っていて、それに寄り添うようにこの料理を作った恋に、二人ともかなり好感を抱いたらしい。

 元々アリスは恋に好意的に接してくれていたが、レオノーラもまた恋という料理人を気に入ったようだ。

 料理の腕も高く、見た目も悪くなく、そして何より国が違っても相手に寄り添おうとする尊重力(Respect)と、それを受け入れ愛そうとする慈愛性(Love)を持つ恋。レオノーラからすれば、そして薙切として見ても、恋はとても優良物件だった。

 それにアリスとも仲が良く、こうして二人だけで海外に来るほど親密。

 

「ふふ、アリス……良い人を見つけたわね」

 

 となれば、レオノーラが恋とアリスは恋人同士なのだと勘違いするのも仕方がない。

 

「えっ!?」

「ん? どうしたんだアリス」

「ごほんっ! いや、なんでもないわよ! ええ!」

 

 隣にいたアリスは唐突にレオノーラから掛けられた言葉に素っ頓狂な声を上げる。幸いデンマーク語だったので、恋は意味を理解していない。

 だがアリスだけはこの状況をハッキリ理解出来た。

 確かに恋を家に泊めるために色々はぐらかして紹介したのはアリスだが、レオノーラに友達だと紹介すれば問題ないと高を括っていたらしい。レオノーラに勘違いされていると思い、アリスは段々この状況を冷静に考え始める。

 

「(この状況、もしかして実家に恋人を連れてきた女みたいになってない? あれ? しかもリョウ君も置いてきたことが逆に信憑性を増している気が……あれー?)」

 

 そう考えると、空港で恋が行き渋ったことも、レオノーラが突然恋に料理を作れと要求したのも、そういうことではないのかと辻褄があってくる。

 恋が渋ったのは、こういう勘違いをされるのは面倒だと考えたから。レオノーラが恋に料理を作れと言ったのは、アリスが連れてきた男がどんな人物なのか確かめるため。

 

「(……どうしよう、何も考えてなかったわ)」

 

 アリスだけが、何も考えずにこの状況に取り残されていた。

 恋に対して散々含みのある発言をしていたものの、どうやらソレも考えなしに言っていた言葉だったようだ。アリスから見れば、既に恋はアリスがレオノーラにちゃんと説明してくれたものと考えているし、レオノーラはレオノーラで恋とアリスの仲を応援しようとしている。

 

「(こ、こうなったらお母様の言葉を少しニュアンスを変えて翻訳して、乗り切るしかない!)」

 

 とても面倒臭い状況で、アリスだけが窮地に陥っていた。

 

「黒瀬君、アリスとは、どうやって、出会ったデスか?」

「あ、と……日本語苦手なのに、すみません」

「ふふふ、貴方がこちらに寄り添う、くれましたデスから……私も、と思っただけデスよ」

「えと、ありがとうございます……アリスとは合宿で出会って―――」

 

 恋の国の違いを超えて寄り添う料理を食べてか、アリスの目論見を崩壊させるように拙い日本語で会話し出したレオノーラに、アリスは頭を抱える。

 これで恋人ではないと言ったらどうなるのか―――えりなのようにはしたないと叱られるか、もしくは気に入っている様子だから捕まえて恋人にしなさいと言われるのか……どちらにせよ碌な展開ではない。

 

 うんうんと悩むアリスを置いて、恋とレオノーラは話が盛り上がっているのか楽しそうに会話を楽しんでいる。

 まさしくデンマークの生活スタイル『ヒュッゲ』を実現している空間が成立していた。頭を抱えるアリスを除いて。

 

「? どうしたんだアリス? 顔色が悪いけど」

「アリス?」

「な、なんでもないわ……ちょっと考え事しているだけよ恋君」

「!」

 

 恋がアリスの変化に気付いて声を掛けてくるが、アリスはそれを大丈夫だと言って引きつった笑みを浮かべる。いつも自由奔放に過ごしているからか、こういった窮地に立たされた時に自分の考えなしを後悔するアリス。

 だがその考えなしの発言は、本人の知らない所で事態を悪化させる。

 

「そういえば、黒瀬君とアリス、は、名前で呼び合ってるデスね?」

「ええ、アリスの方から名前で呼んでくれと言ってくれまして。まぁ薙切えりなさんや学園総帥など薙切姓の方が他にもいますから、有難い申し出でした」

「あらあら、そうなんデスね! アリスから……!」

 

 目をキラキラさせて恋の言葉に食いつくレオノーラ。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。既にレオノーラの中では、アリスの方が恋を好きになってアプローチを仕掛けたのだという構図が出来上がっているらしい。自分の娘だからこそ、今まで知らなかった甘酸っぱい話に興奮しているようだ。

 もっと聞かせて欲しいとばかりに若干前のめりになっている。

 

「もっとアリスとの話を、聞かせてくだサイ!」

「おおお母様!! 仕事が残っているのでしょう!? お話はここまで!」

「エー……もっと聞きたいデスのに……仕方アリマセン。黒瀬さん、お話はまたの機会に聞かせてくだサイ」

 

 アリスはこれ以上話がややこしくならないように、強引に話を切ることにした。元々夜食を作らせたのは仕事が残っているからだったはず。それを理由にレオノーラを恋から引き剥がすことに成功する。

 だがレオノーラには恋と二人っきりにになりたい娘が我儘を言ったように見えたらしく、ニヤニヤと笑みを浮かべながら席を立った。

 

 そして仕事に戻るために部屋を出る直前、アリスに耳打ちするレオノーラ。

 

「―――学生の内は、シちゃダメですよ?(Inden for de studerende, er samleje forbudt)

「ッ!? お母さまァ!!」

「うふふ♪ それでは、おやすみなサイ」

「はい、おやすみなさい」

 

 そして部屋を出ていくエレノーラを見送ると、顔を真っ赤にしたアリスと少し肩の力を抜いた恋が残される。同じ空間にいたというのに、二人が先程までの時間で感じたものが全く違っていた。

 アリスは息を整えて、顔にパタパタと手で風を送っている。そして恋と目が合うと、ぷいっと目を逸らした。どうやら自分一人が振り回されたことが不服だったらしく、ぷく、と頬を膨らませている。

 

「優しいお母様だな」

「ふん、そうかしらっ!」

「ま、実の娘と対応が違うのは当たり前だけどな。愛されてるってことだ」

「……まぁ今回のことは私が原因だから、何も言えないけれど……はぁ」

 

 少なくとも、恋に色々気付かれないで済んだことを喜ぶべきかと思いながら、アリスは大きく溜息を吐いた。どっと疲れたようで、普段の様子からはあまり見られない姿を見せている。

 恋もそんなアリスが珍しく、おかしそうにクスクス笑った。それにまた頬を膨らませるアリスだが、恋の気の抜けたような笑顔に毒を抜かれたのか、困ったような顔をしながらも自然と笑みを浮かべてしまう。

 

 レオノーラの誤解を解く必要はあるが、一先ずはこの心地いい時間に身を任せることにしたらしい。

 

「ヒュッゲの精神……だものね」

 

 ぼそっと呟いて、アリスは気持ちを切り替える。

 少々むず痒いものが心に残っているが、それでも折角の連休なのだ。もやもやして過ごすよりは、楽しいことに目を向けた方が良い。

 

「折角だし、明日は少しデンマークを観光してから施設にいきましょ! 私が色々案内してあげます」

「おぉ、良いな。皆にもお土産を買いたいし、よろしく頼むよ」

「ふふん♪ 任せなさい!」

 

 明日のことを話題に出せば、恋も乗ってきて話が弾んでいく。

 アリスは折角デンマークに来たのだから、どうせならこの国の良い所を恋にも紹介したいと思ったのだ。そして恋がそれを楽しみだと言えば、より具体的に何をするのか、何処に行くのかの話へと発展していく。

 早めに出て朝食の美味しい店に行こうだとか、その後にこういう場所に連れていきたいだとか、此処はこういう所でだとか、楽しそうに身振り手振り恋に語るアリス。恋もそんなアリスを見て、かつて料理について語ってくれたえりなの姿を幻視する。

 あんな喧嘩まがいなやりとりをしていたが、案外似た者同士じゃないかと。

 

「聞いてる? 恋君!」

「ああ、聞いてるよ」

 

 話が止まらなくなったアリスのテンションに、恋は苦笑しながら相槌を打つ。

 すると、そんな二人の姿を、部屋から出ていったレオノーラが扉の隙間から微笑ましそうに見ていた。先程のレオノーラの様に前のめりになって色々話しているアリスと、それを受け入れて相槌を打っている恋。

 

 そう、レオノーラは最初から、恋とアリスが恋人ではないことをきちんと分かっていた。これでも結婚し、子供までいる女性なのだ。それくらいは見れば分かる。

 

 分かった上でアリスにあんな耳打ちをしたのだ。

 何故か? それは、レオノーラが勘違いしたと思ったアリスが、素直に恋とは恋人ではないと打ち明けなかったことに理由がある。

 アリスは空港で恋に言った。

 

 ―――やましいことなんて何もないんだから堂々としていればいいのよ!

 

 そう、堂々としていればよかったのだ。

 ただの友達なら、レオノーラの言葉を素直に違うと言えばよかった。けれどアリスはレオノーラの言葉に動揺し、何故か必死にそれを隠し通そうとした。

 

「(ふふふ、アリスにも春がきたってことなのかしら? 本人は鈍感なようだけど♪)」

 

 つまりはそういうことである。

 そうしてレオノーラは、この鈍感なアリスがいつ自分の気持ちを自覚するのか楽しみに思いながら、上機嫌に仕事へと戻っていた。

 

 

 




以上、連休編でした。
いつか閑話でこの翌日以降の話は書くかもです。



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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