ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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十七話

 ……"俺は、味覚障害を持ってます―――あらゆる味を、正しく感じられません"

 

 その言葉が耳を通り抜けて理解に至った時、四宮達は目を見開いて絶句した。

 当然だ、そんな筈があるわけがないと思ってしまう。

 黒瀬恋という少年は、この場にいる全員が認めるほどの料理の腕を持ち、この合宿中自分たちはそれを正当に評価してきたつもりだった。なのに、その料理が全て味覚障害を抱える人間の作ったものだったというのだ。

 

 そんなことがあり得るというのだろうか?

 

 彼が卒業生のフルコースを食べていた時、その表情には辛さがあった。食べるのが苦痛と言わんばかりの色があった。だからこそ四宮達は、自分たちが自信をもって出した料理でそんな感情を抱かれたことがショックだったのだ。

 だからその原因は何なのか、些細なことであろうとも知ろうとした。黒瀬恋を認めているからこそ、その理由は一体なんなのかと。

 

「……まじ、か?」

「はい、正真正銘……事実です」

「っ」

 

 なんとか絞り出した問い掛けに、恋はまっすぐ四宮を見ながら断言する。

 

 それで卒業生達全員が恋の言葉が嘘ではないことを理解した。

 その上でこの場にいることの異常さも、恋の積み上げてきた努力の質が自分たちのソレとは桁外れに違うことも、信じられないが理解せざるを得なかった。

 

 世の中の人間とは違う。そもそもの土台から彼は違う。

 圧倒的なマイナススタートから始めて、彼は今プロにも迫る技術を身に付けて遠月にいる。課題の評価とはいえ、超一流の料理人である自分達全員から認められ、こうして強化合宿を生き残っている。

 それはつまり、誰一人として彼の料理の異質さに気付かなかったということだ。彼が味覚障害を抱えているなんて、露として思わなかったということだ。

 

「黒瀬……お前、どうしてそこまで料理人に拘る……人生を棒に振るとは、思わなかったのか?」

 

 四宮は想像してしまった――――もしも自分に、正常な味覚がなかったのなら、どうなっていたのかを。

 遠月で十傑第一席の座を得て卒業し、卒業後はフランスに一人渡り、自分の店をオープンして、苦難を乗り越えて日本人で初めてのプルスポール賞を獲得し……そんな輝かしい栄光の道がそれでも歩けただろうかと。

 

 とてもじゃないが、出来たなんて自信を持って言えるわけがない。

 

 だからこそ黒瀬恋という少年に問いかけた。

 どうして結果は見えていただろうに、この道を歩いてきたのかと。

 

「…………四宮シェフ、料理をするの、楽しいですか?」

「は? ……そりゃ、そうだろ」

「そう、料理をするのって楽しいんですよ。一生懸命料理して、大切な人に美味しいって笑って貰えたら……どんなに幸せなことでしょう」

「……」

「俺は、皆と一緒が良かった。美味しいものを共有して、手放しで幸せを感じたい……そして味が分からない俺でもそれが感じられる方法を、大切な人が教えてくれました……それが料理人の道」

「そんな……それだけの為に、貴方は……!」

 

 困惑する四宮に恋は困ったような笑みを浮かべてそう言った。日向子はそれを聞いて、恋の苦しみを想像し泣きそうになっている。他の卒業生達も、言葉が出ない様子だった。

 なんて残酷で、なんて優しいのだろうかと、そう思って。

 

「なんて……まぁそんなこと言っても、突き詰めれば単純な話ですよ」

 

 なんだか重苦しい空気にしてしまったな、と思った恋は苦笑しながら言う。

 

「俺はあの日……目の前の女の子に美味しいって笑ってほしかっただけです」

「女の子……?」

「薙切えりな、俺の幼馴染です」

「!? …………いや、そうか」

 

 恋の進む道が茨どころか、針の筵のような道であることを理解して、四宮達は何も言わなかった。もう引き返すには遅すぎるし、引き返す気もないのだろうと理解したからだ。

 黒瀬恋という料理人は、ハンデを抱えて尚この道を進むと決めている。

 四宮達はその覚悟がどれほどのものなのか、想像することすら出来ない。それでも彼の覚悟を尊重し、やめろなんて無責任なことは言えなかった。

 

 最早四宮達は、黒瀬恋という人間を学生としては見られない。

 尊敬すべき一人の料理人の姿だと、そう思った。

 恋には既に、学生という領分を越えた料理人としての覚悟と技術が備わっている。遠月学園で今後生き残れるのかは分からないが、それでも彼が料理人であることを疑う馬鹿はいない。

 

「黒瀬……お前がどれほど頑張ったところで、遠月のてっぺんは安くねぇ。ましてやそんなハンデを抱えて獲れるもんじゃねぇぞ」

「はい」

「それに差別するわけじゃねぇが……そのハンデを抱えたお前に負けるようじゃ、料理人としての名が廃る……もし俺が学園総帥で、お前が第一席に座りでもした時は、それ以外の全員のクビを切るくらいにな」

 

 だから四宮は恋に言う。

 侮辱する意図も、差別する意図もない。ただ純粋に事実を述べ、恋が遠月の頂点を獲ることはそれくらいのことなのだという現実を語る。

 恋もそれを理解しており、動揺することなく頷きを返した。

 

 そして数秒、四宮の視線に強い意思を以って見つめ返すと、四宮は不敵に笑みを浮かべてその手を差し出してきた。

 

「だから、お前がもしも遠月の第一席の座に着いたなら……俺はお前に幾らでも力を貸してやる。その時は例え全ての料理人を敵に回したとしても、お前が一流の料理人だと俺が認めよう」

 

 恋はその手を取った。

 固い握手から伝わってくるのは、四宮小次郎という超一流料理人からの激励。

 味覚障害を抱えていると知ってなお、黒瀬恋という料理人の未来を応援してくれたのだ。そして厳しい現実を覆してみせた先で、黒瀬恋という料理人が進む道を作る力を貸すと。

 

「私もです! 黒瀬君、折れてはいけませんよ……貴方の進んできた道を信じてくださいね」

「乾シェフ……」

「私も、君の進む先が見てみたい……期待しているぞ」

「関守シェフまで……」

 

 四宮に続くように、日向子も、関守も、黒瀬の手を取って激励を残していく。

 これは可能性だ。黒瀬恋という料理人が輝く未来があっても良いだろうという、可能性に賭けた超一流のスターたちによる期待だ。

 

 恋は嬉しかった。

 これほどの人達に激励を貰っては、燃えないわけがない。

 

「私も……卒業したらウチに来るといい」

「なっ!? ちょ待て水原ァ! それはずるいだろ!!」

「早い者勝ち」

「テメェ!」

 

 すると、イタリア料理のシェフである水原が恋に誘いを掛けたことで、空気は一転する。卒業生からのお誘いをいただけるなんて光栄だな、なんて思いながら恋は笑った。四宮を始め、これほどの卒業生達が自分を認めてくれている。

 かつての自分では考えられなかったことだ。

 だがこれではもう問いかける必要もない。

 堂島の顔を見ると、彼は恋が初日に問いかけたことの意味を理解したらしく、笑みを浮かべてただ深く頷きを一つだけした。

 

 その意味は、非才の者が随一の剣豪に勝てるという解答ではない。

 堂島自身もそんな奇跡があっても良いだろうと思っているという、"回答"。

 

 恋はそれだけで十分、救われた気がした。

 

「……ありがとうございます」

 

 だから何も言わず、恋はただ頭を下げてそう言った。

 自分はこうして期待をしてもらえるだけの場所まで来られたのだという喜びと、これから先の自分の未来に期待してくれることの感謝を込めて。

 

 深々と。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 さて、遠月生徒達の帰りのバスが出発した後、遠月リゾートに取り残された生徒が二人。薙切えりなと幸平創真である。どちらも忘れ物をして部屋に取りに戻った結果、帰りのバスに置いて行かれた者同士であった。

 結果的にえりなが迎えに呼んだ車に創真も乗せてもらうことで事なきを得たのだが、車内で二人きりという空間は中々に気まずいものがある。ましてえりなは創真のことを認めていない―――その視線は車窓の外へと向いていた。

 

 会話はない。

 普段なら創真も俺生き残ったけどどんな気持ち? みたいな言葉を掛けたのだろうが、えりなの様子が普段と違って少し重たい雰囲気だったからだ。

 

「……薙切、なんかあったのか?」

 

 だがとうとう堪え切れなくなったのだろう、創真は話しかけた。

 

「別に、貴方には関係ありません」

「……そうか……まぁ悩みがあるなら、俺じゃなくても誰かに相談してみたらどうだ? 黒瀬とかさ」

「! ……黙ってて!」

「わ、わりぃ……」

 

 気を使って言ったことだったが、えりなにギロッと睨まれて創真は黙る。そして流石に気が付いた。えりなと恋の間になにかあったのだと。恋の名前を出した途端に感情的に反応してきたのだ。流石の創真でもそれくらいはわかる。

 だがあれほど仲が良かった二人の間に、一体何があったのだろうと首を傾げた。恋は元々ああいう性格故に、えりなを怒らせるようなことはしないだろう。そう思えばこそ創真はえりなが何に悩んでいるのかを理解することが出来ない。

 

 先ほどは卒業生のフルコースを食べる時も同じテーブルで食事をしていたのだから、仲違いをしたのなら本当についさっきになる。だが恋は卒業生と話していたし、バスに向かう最中もえりなと一緒にはいなかった。

 だとしたら、これは恋とのことではなく、えりな個人の悩みに恋が関わっているということなのだろうか。

 

「……はぁ、ごめんなさい。少し強く言いすぎてしまったわ」

「お、おう……気にすんなよ」

 

 すると、えりなは自分が創真に八つ当たりしてしまったことを反省したのだろう。悩むのを一旦やめて、創真に素直に謝罪した。創真は別に悪くない。ただ自分を案じて励まそうとしてくれただけなのだと。

 創真はそんなえりなにそう返して、とりあえずは重たい空気が幾らか軽くなるのを感じた。

 

「まぁ、お互い無事に生き残って良かったな」

「これくらい当然です。それに、貴方が生き残ったのも運が良かっただけよ

……失敗したという経験を得た? そんな言い訳は通用しないわ。料理人に失敗は許されないのだから」

「そうかねー?」

 

 会話は出来そうだと判断した創真は、話を変えるために無難な話題を提示する。だがえりなはそれに対して当然だと切って捨てる。あくまで創真のことは認めていないらしく、大衆料理店の下品な料理は遠月には相応しくないと思っているようだ。

 そんなえりなの冷たい言葉に、創真は傷ついた様子もなく相槌を返す。

 

「ふん……そうやって底辺で足掻いているといいわ。どうせ貴方程度じゃ"選抜"にも選ばれないでしょうし」

「選抜?」

 

 すると、えりなの口から零れたワードに創真は食いついた。

 

「その事も知らないの? 遠月伝統・秋の選抜! 学園理事や出資者……一堂に介した食の重鎮たちの前で、一年生からの選抜メンバーが腕を振るい競い合う美食の祭典! 生徒にとっては、己の力を学外に示す最初の舞台となる。その選考はもう始まっているの。気づかなかったかしら? 合宿の三日目から、選出委員が会場に出入りしていたのを」

「ああ、あれってそういう人だったのか」

「つまりこの合宿はふるい落としだけでなく、伸し上がる者を見極める意図が隠されていたのよ」

「祭典かぁ、そういうの面白そうだな。なんか沸き立つものがあるっていうかさぁ」

「貴方が選ばれるわけないって言ってるでしょ!」

 

 全く、と呟きながらえりなは車窓に頬杖を突いて外を眺める。創真と会話していると良くも悪くもストレスが溜まってしまうようだ。

 だが、うじうじ悩むよりはまだ気分が晴れたのも事実。緋沙子には車で帰るとは言ったものの、創真がいたことは気持ち的に助かったのかもしれない。一人だったらずっと頭を抱えていた気がしていた。

 

 えりなは悩んでいた。

 黒瀬恋という少年の想いと覚悟の大きさを理解して、その気持ちに応えることが出来ていない自分に。恋のことは好きだ―――でも、彼から送られる気持ちを享受するだけの自分でいいのだろうかと思ってしまうのだ。

 人生の全てをえりなの為に費やして、あれほどの成長を遂げた恋。えりなの唯一の友人で、幼馴染で、気になっている人。

 

 そして今は、えりなも恋に……美味しいという幸福を味わってほしいと思っている。

 

「……はぁ」

 

 だが神の舌を以てしてもそれはとても難しいことだった。

 恋の抱える不都合を打ち消す何かがなければ、それを実現することなど不可能。彼にはどんなに美味なものを作ったところで意味がないのだから。

 

「完璧な品を作れば、それが究極の美食になると思っていたのに……」

 

 ぼそりと呟いて、えりなは唇を噛む。

 恋と別れてから出会った、かつて幼いえりなをして完璧な料理人と思った人物を思い出す。彼の作り出す料理は卓上を彩り、まるで一皿で世界を感じられるような魅力があった。えりなはそんな彼に憧れたし、これこそが理想だと思って生きてきた。

 

 けれど、恋にとってはそうではない。

 

 もしもあの人ならばこの状況でどんな料理を作るだろうか。

 どのようにしてこの難問を突破しようとするだろうか。

 そう考えては、何も思い浮かばない自分に限界を感じてしまう。えりなは制服の上から内ポケットに入れた忘れ物―――当時出会った最高の料理人との写真に触れ、もう一度溜息を吐いた。

 

「貴方が遠いわ…………黒瀬君」

 

 そうして彼女が思うのは、ただそれだけ。

 

 




焦れったい。
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