ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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十六話

 無事に四日目を突破し、そして訪れた五日目の夕方―――恋達は再度制服を着た状態で集合を指示されていた。広間に集まった生徒達の表情は暗く、四日目の朝食課題の様な過酷な課題が来るのではないかと恐れている。

 だが時刻は夕方、翌日にもつれ込む様な課題はないだろう。ましてこの後は遠月学園へと帰らねばならないということもあるので、恋は正直あまり心配していなかった。課題をやるには時間があまりに切羽詰まりすぎている。

 料理を作る時間も、審査する時間も、この数の生徒を一堂に集めた状況ではないに等しいのだ。

 だが疲労が溜まりに溜まった生徒たちのほとんどは、その事実に気付かず顔を青くしている。

 

 すると、遂に堂島が生徒たちの前へと出てきた。

 

「―――諸君、それではこの合宿最後のプログラムを開始しよう」

 

 瞬間、生徒達の悲鳴があちらこちらから上がる。

 膝から崩れ落ちる者、天を仰いで悟ったような顔をする者、口から魂が抜けている者、様々だ。中には恋や創真と同じように動じていない者もいるが、総じて阿鼻叫喚の嵐である。

 そんな状況に苦笑した堂島は、ハキハキとよく通る声でその内容を口にした。

 

 

「六百二十八名の諸君に告ぐ! ――――宿泊研修の全課題クリアおめでとう! 最後のプログラムとは、合宿終了を祝うささやかな宴の席だ! 存分に楽しんでくれ!」

 

 

 シン……と、堂島の言葉を噛み砕くための数秒の沈黙が空間を包む。そして堂島の言葉と同時に開かれた扉から、四宮を始めとする全卒業生達が各々の料理を持って現れた。

 そしてこれが現実だと理解した瞬間、生徒達は絶望から一転――歓喜の声を上げる。

 

「や……やったああああああああ!!」

「さあ皆テーブルへ! 今から君等には―――卒業生の料理で組んだフルコースを味わっていただく!!」

 

 大歓声の中、生徒達はテーブルへと案内されていく。

 到達率一桁……遠月学園の卒業生にして、今や超有名料理店のシェフとなったスター達の料理をフルコースで味わえるというこの機会。遠月の人間であれば喜ばない筈がない。寧ろ人生で最も輝かしい記憶として心に刻み込まれてもおかしくないくらいだ。

 大歓声の中、恋達もテーブルに着く。

 自由席だからか、恋の着席した丸テーブルには、恋以外にも四名の生徒が座った。

 

「お互い、無事生き残ったな。恋」

「まぁ、これくらいで落ちるようじゃ遠月ではやっていけないわ」

「つまんないわねぇ、折角生き残ったんだから少しくらい喜んだら?」

「……」

 

 順に緋沙子、えりな、アリス、そして黒木場の四名だ。

 四人で来たわけではなく、二人ずつ恋の座ったテーブルにやってきた様子だった。それぞれ主人と付き人のコンビなので、恋としては場違い感があるものの、全員顔見知りなのでまぁいいかと受け入れる。

 ちなみに恋の右隣にえりなが座り、逆を緋沙子が確保している。アリスを近づけまいとしたのか分からないが、ともかく珍しくえりなも若干の焦りを見せながら隣を確保してきた。

 

 するとがやがやと騒がしい環境故にテーブルごとの会話は聞こえてこないが、恋に椅子を近づけたえりながこっそりと話しかけてくる。

 

「その……大丈夫なの? 卒業生のフルコースでも……貴方は……」

「ああ……そういうことか」

 

 この学園の中で、恋の味覚障害について知っているのはえりなと緋沙子の二人だけだ。だからこそ、卒業生のフルコースを食すというサプライズを聞いた瞬間、恋の傍にきたのだろう。他の生徒達と同じテーブルで食べて、恋の様子からその異変に気付かれることを心配したのだ。

 恋はそれを理解して、なるほどと納得する。だからこそ二人は自分の両隣を意地でも確保しようとしたのだ。

 

 ありがたいと思いながら、恋は思わず笑みを浮かべる。

 

「大丈夫だ、不味いと感じるわけじゃないしな……ただ、皆と同じように美味しいと思えないのは、ちょっと寂しいけどな」

「……そう」

 

 恋もえりなにだけ聴こえるようにそう返した。美味しいと感じられないというのは慣れたものだが、こんな祝福の空気の中皆と同じ感覚を共有出来ないのは少々寂しい。この感覚だけが、恋が人生で一度も経験したことがない感覚だった。

 誰かと一緒に食事をすることで、より一層美味しく感じる。そんな当たり前の感覚を理解出来ないことは、この瞬間少しだけ、孤独を感じさせた。

 

 それを聞いて黙ったえりなを置き去りにするように、このテーブルにも料理が運ばれてくる。恋達の前に置かれた料理はどれも彩り豊かでとても美味しそうだった。そう、美味しいとは感じられないからこそ、この美味しそうだという感覚すら恋には分からない。

 

「……いただきます」

 

 恋は前菜(オードブル)を食べて、

 スープを飲んで、

 魚料理を食べて、

 肉料理を食べて、

 メインディッシュを食べて、

 サラダを食べて、

 デザートまで食べきって、

 

 全てを食して尚―――美味しいという表情を表現することしか出来なかった。

 

 舌の上に乗せられた極上の料理が、恋には僅かに味らしきものがする様な感覚しか与えてくれない。どれだけ集中したとしても、普段トレーニングで微量ずつ口にしている調味料の味を感じとれるだけだ。そしてそれは、けして美味しいという感覚にはならない。

 恋の感じる甘味は人とは違うから、恋の感じる酸味も人とは違うから、恋の感じる辛味も、苦味も、塩味も、人とは違うから――これが美味しいと感じる味なのだろうと思うけれど、恋の味覚はそこに幸福を生み出さない。

 

「……うん、これが卒業生の、プロの味か……」

 

 だからこそ、彼は美味しいとは言わなかった。

 ただ純粋に、自分の味覚で感じる超一流の味をしっかりと刻み込んだ。この味に届かなければならないのだ――――自分では理解できなくても、やると決めたのだから。

 

 えりなはそんな恋の表情を見て、自分がどれほど恵まれているのかを再認識する。

 口にすれば分かる。この極上の料理の素晴らしさと、その感動を理解できる。美味しいと感じ、それに幸福を感じられる。当たり前に得ていた幸福を、噛み締めることしか出来ない。

 美味しい―――これこそ超一流の料理―――感動すら覚えるほどの境地―――素晴らしい―――……称賛の声は幾らでも用意出来るのに、恋の悲しみを理解することが出来ないことが苦しかった。

 

 此処は遠月学園の強化合宿会場。

 そして同じテーブルに着いているのは、神の舌を持つ料理界の至宝である薙切えりなと、料理人として最も致命的な欠陥を持つ黒瀬恋。

 本来であれば共にこのフルコースを食すことなどありえない二人が、どういう運命か同じテーブルで同じ料理を食べていた。

 

「(……そうね……そう、黒瀬君……貴方はあの日、こんな気持ちだったのかしら)」

「恋君、コレ美味しいわよ!」

「メインディッシュか、アリスは結構そういうタイプの料理が好きなのか?」

「ええ、結構この味付け好きかも」

 

 恋は美味しいとは一度も言わない。それは卒業生に対する侮辱だと経験で知っているから。アリスの言葉にも、上手く躱して話を逸らしている。

 えりなは恋のそんな姿を見て、胸が苦しかった。

 そしてかつて、恋が自分の為に料理を作りたいと言い出した日のことを思い出す。

 あの日、美味しいということが分からない恋は何故、料理をしたいと言い出したのか。何故、えりなに美味しいと言ってほしかったのか。その気持ちが少し分かった気がした。

 

 そう―――分からなかったからこそだ。

 

 恋はえりなの神の舌を羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。えりなが料理を楽しそうに語るのを聞いて、羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。誰かが料理を美味しそうに食べる姿を見て、羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。

 誰かと一緒に食事をする――その幸福の輪の中に、恋は自分も居たいと願ったのだ。

 そして美味しいと感じられない以上、恋の取れるその手段が、『料理を振舞うこと』しかなかったのだ。

 

「(貴方は優しかった……子供ながらに怒っても仕方がなかったでしょうに、理解出来ない私の話を聞いて、それでも私の為に料理を作ろうと思ってくれた……)」

「? どうした、薙切」

「(美味しいと感じられないからこそ……"美味しい"を作る人に憧れたのでしょう?)」

 

 えりなは気を抜けば泣いてしまいそうだった。

 幼い恋の、あまりにも優しい心を今理解してしまったから。友達と同じことが共有できないことの、世界中の人が知っていることを自分だけが知ることが出来ないことの、その辛さを抱えて尚―――恋はずっと、そこに歩み寄ろうとしていたのだ。

 えりなを笑わせて、美味しいと言わせて、証明したかったのだ。

 

 自分は―――"美味しい"で幸福を感じられる人間なのだと。

 

 どこまでも、残酷なまでに、人に寄り添うその優しさが、えりなはとても苦しかった。どうしてこんなにも優しい人が、こんなにも大きな孤独を抱えなければならないのかと思った。神の舌なんてものを持って生まれた、恋からすれば喉から手が出るほど羨ましいものに恵まれた薙切えりなという存在を、それでも笑顔にしたいと思った黒瀬恋。

 残酷すぎる、そう思うと涙を堪えるのが辛かった。

 

「っ……少し、花を摘みに行ってくるわ」

「……ああ、行ってらっしゃい」

 

 堪らず席を立ち、その場を離れる。

 料理は全て食べ終えていたし、もう恋の味覚障害についてバレる心配もない。えりなは目に浮かんだ涙を拭いながら会場の外へと出る。そして大きく息を吸って、震える唇をぎゅっと噤んだ。

 吐き出した息は震えていて、えりなはぎゅっと自分の腕を掴む。

 

「はぁ……っ……!」

 

 ―――"料理は、人を想って作るものなのよ"

 

 えりながかつて恋に教えた言葉、それが今も恋の心の奥底で彼の料理を支えている。それならえりなは? 至玉の才能を持つえりなの料理には、誰を想う心があるのだろうか。

 そう自身に問いかけ、そして落ち着いた心に今度は燃え盛るような熱が生まれるのを感じる。

 

 そう、自分は料理界の至宝にして神の舌を持つ天才。

 

 薙切えりなだ。

 

「なら、出来ない筈がないわ……彼がやろうとしているのだもの」

 

 ならば彼がやろうとしていることを、自分が出来ない筈がない。

 えりなは今日、彼の孤独の一端を理解した。誰にも理解できない苦しみを背負っていることを知った。その上で彼がやろうとしていることが、どれほど彼の人生にとって価値があるものなのかも、考えることが出来た。

 だからこそえりなも思うのだ。

 

「私も……貴方に笑ってほしいわ―――"美味しい"って」

 

 黒瀬恋に、美味しいと言ってほしいと。

 えりなの記憶の彼方にあった、そして今は黒瀬恋の心にあるかつての自身の言葉が、今彼女の心に熱となって舞い戻ってきたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして全てのプログラムを終えて学園へと帰る時間になる。

 恋達一年生はそれぞれグループに分かれて、数台のバスで学園へと帰ることになっていた。生徒達が荷物を纏めて、ぞろぞろとホテルのロビーに集まってきている中で、人込みの中には卒業生たちの姿もある。

 強化合宿の為にこの遠月リゾートへやってきているが、本来は有名料理店のシェフだ。店をいつまでも閉めているわけにはいかないし、早々に帰る必要があるのだ。

 

 だがそんな中で、卒業生たちが集まってくる生徒の中から数名に声を掛けている姿がある。この強化合宿で良い資質を持った生徒に、卒業前からアプローチを掛けているのだ。卒業生は卒業生で、この合宿に価値を見出してやってきているということなのだろう。

 恋がロビーにやってくると、創真や恵が四宮達卒業生に声を掛けられている姿があった。どうやら知らない所でなにかしらの無茶をしたようだと、恋は察する。

 それに、初日に感じた四宮の刺々しい空気が和らいでいる。創真と恵が何かした結果なのかもしれない。恋はそう考えて、やはり幸平創真という人物は大物かもしれないと苦笑した。

 

「む……黒瀬、話すのは初日以来だな」

「堂島さん」

 

 すると、創真達に声を掛けていたところ、恋に気が付いた堂島が恋に声を掛けてきた。初日に妙な質問をした時から、会話をすることはなかったものの、こうして話しかけてきたということは何か用があるということなのだろうか。

 だがそれは堂島だけに留まらず、創真達に声を掛けていた卒業生のほとんどが堂島の声で恋に気付き、近づいてきたのだ。

 

 人数の圧、しかも全員スター的料理人。流石の恋も少し緊張した。

 

「えーと、なんでしょうか?」

 

 堂島たちの表情は創真達に話しかけていた時とは一転、若干真剣な表情だった。何か気になることでもあったのか、恋はややおそるおそる質問する。

 すると、代表してか堂島が口を開いた。

 

「いや、なに……この合宿中の君の評価は卒業生の中でもかなり高かった。調理技術においてはプロにも匹敵するほど無駄がなく、提出された料理も総じてレベルが高い。四日目の朝食課題においても、君は合格ラインを大きく超えてきた……だからこそ、この場にいる卒業生は納得がいかないことがあるらしい」

「……黒瀬恋、だったな」

「はい、四宮シェフ」

「お前……俺たちのフルコース、どうだった?」

「!」

 

 堂島の言葉に怪訝な表情を浮かべた恋だったが、四宮の言葉で目を見開く。

 

「ハッキリ聞かせてもらうが……お前、美味いって思わなかっただろ?」

「私達も今では店の看板を背負う料理人です。客の僅かな反応でその評価はすぐにわかります……あの時、黒瀬君の表情からは一切の幸福感を感じませんでした」

「……美味しく、なかった?」

 

 四宮の言葉に続いて、乾、水原と、同様のことを恋に問いかけてくる。

 流石に超一流の料理人の目は誤魔化せなかったらしく、恋があのフルコースを美味しいと思っていなかったことを全員が見抜いていた。だがこれは配慮なのか、周囲に聞こえないように小さめの声を話してくれているのは有難かった。

 恋は言うべきかどうか、少し迷う。

 そして不意に堂島と目が合うと、堂島は何も言わず頷きだけを返した。それはきっと、何が原因だろうと四宮達は受け止めることが出来るという意味なのだろう。

 

 しかし―――その原因は、四宮達にはないのだ。

 

「…………これは、誰にも言わないでください。この場にいる人間同士であっても、口に出すことすら禁止させてください」

「! ……良いだろう、今から聞くことは……誰にも言わねぇ」

「わかりました。私達の間でも口に出しません」

 

 だが恋は話すことにした。

 超一流の料理人たちに、問いかけたかったからだ。堂島に問いかけた問いを、もう一度。そして恋の様子を見て、これが深刻な話だということを悟った四宮達は恋の出した条件を承諾する。

 おそらくは黒瀬恋という人間の、根幹に関わるようなことなのだと知った上で、彼らはそれを聞く姿勢を整えた。

 

 そして恋は口にする……一切隠してきた、これからも隠していくその致命的なまでの欠陥を。

 

 

 

「……俺は、味覚障害を持ってます―――あらゆる味を、正しく感じられません」

 

 

 

 空気が凍ったのを、恋は感じた。

 

 

 




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