その後合宿も三日目に入り、その夜は初日同様団体で宿泊していたビルダーの客に対して料理を振舞うという課題を超え、恋達一年生は各々疲労の溜まった夜を過ごしていた。初日は五十食だった課題も、三日目ともなると八十食に増えるという過酷っぷりに、流石に疲れを見せる生徒が多くなっている。
恋は調理中の動きに一切無駄がないからかまだ余裕そうではあるが、それでも多少の筋肉疲労は感じているらしく、軽く肩を回していた。
最近はグループ分けのせいもあって極星寮の面々と別行動を取ることが多かった恋だが、今は夜の課題後、久々に極星寮の面々と行動を共にしている。
「流石に……今日は疲れたね……!」
「まさか五十食作りの試練が、八十食になって再びやってくるなんて……!」
「ハァー……ハァー……」
真っ白に燃え尽きそうな丸井を筆頭に、フラフラの吉野悠姫や腕をプラプラと揺らして溜息を吐く田所恵、腕をぐいぐいと伸ばす幸平創真と、全員生き残っている極星寮の面々も流石にしんどい様子だ。恋は全員の後ろから歩いているが、そんな全員の様子を見て苦笑している。
体力作りにおいて余念のない恋でもない限り、連日連夜の料理は体力を消耗する。この状況も当然と言えば当然と言えた。
「そういえば今日、課題の時にいたスーツ姿の集団……あれなんだったんだろな?」
「え、創真君、そんな人いたの?」
「知らないよぉ! 課題をこなすのに精一杯だもん!」
すると、まだ余裕がありそうな創真が口にしたことが話題に上がる。課題に取り組むための大広間に点在していたスーツ姿の人間達。初日にはいなかったその存在の登場は、この過酷な強化合宿も相まって中々不穏なものを感じさせる。
まして自分達がいるのは学校だ―――採点、というものが嫌でも頭を過ってしまった。
恋は昨日の夜、えりなからこの強化合宿の後――秋には更なる篩に掛けられるということだけを聞いていた。詳しいことは訊いていないが、もしかしたらそれに関わる何かを評価しているのかもしれないと予想する。
とはいえ、今は目の前の課題に全力を尽くすしかない。
「全員生き残っているのも良かったけど……中でも黒瀬は頭一つ抜けてるよね」
「そうか? 決められた課題をこなすって点で言えば、俺のスタイルが相性が良いだけだよ。実力が高いってわけじゃない」
「でも今日だって八十食に増えたのにサラッとこなしてたし、昨日だって滅茶苦茶早かったじゃん! なのに全然余裕そうだし」
「吉野だってクリアしてるだろ? 早く作れるのと課題をクリアすることは全く別の話だ。与えられた課題をクリアする能力があるって点では、俺も吉野も変わらないだろ。だから、吉野が俺のことを凄いって言うなら、吉野だって同じくらい凄い」
「っ……黒瀬ーー!! アンタ、滅茶苦茶懐がでっけぇなぁ!! ありがとぉぉぉ!!」
疲労で心身共に疲れ果てていた吉野に絡まれた恋だったが、卑屈になる彼女を励ますとコロッと態度が変わった。感動でドバーッと涙を流しながらオイオイと泣き出す吉野に、恋は苦笑しながらその肩をポンポンと叩く。
背も高く、人間的にかなり包容力のある恋が小柄な吉野の面倒を見ている光景は、親子か兄妹のようにも見えた。
「黒瀬君って面倒なのに好かれそうよね」
「面倒なの?」
「うーん……というより、人をダメにするタイプ? あのママみは正直ずぶずぶに溺れたくなるもの」
「あーなるほどな、確かに黒瀬って話しかけやすいし、迷惑掛けちまっても優しく許してくれそうな雰囲気あるもんな」
「そう! あれは付き合った人をどこまでも甘やかしてダメにするタイプよ」
「で、でも、案外好きな人にはきちんと叱れるタイプってことも」
「あー、そういう可能性も……」
そしてそんな二人の様子を見て、好き勝手に恋の恋愛を語り出す創真達。榊涼子の発言から、どこまでも遠慮なく恋について好き勝手言い出した。恋に特定の想い人がいるからこそそれはもしもの話として話せることなのだろう。
鈍感な創真ですら、その恋バナに混ざれるくらいなのだから、恋はそういった話を展開しやすい人物ということだ。
するとそこへ、不意に放送が掛かる。
《――全生徒へ連絡だ、本日もご苦労だった。今から一時間後、二十二時に制服に着替えて大宴会場へ集合してくれ》
それは堂島銀の声だった。
課題が終わった直後にこの放送。まさか、と恋バナをしていた面々も、大泣きしていた吉野も青褪める。慌ててしおりを確認すると、そこには三日目の就寝時間が記載されていなかった。
もしもこれが印刷ミスではないとするのなら―――十中八九、三日目は終わっていない。
恋は絶句している吉野の肩を、違う意味で再度ポンと叩くのだった。
◇
集合した一年生たちに堂島が説明したのは、明日の朝食時間に一般客に振舞うため、卵を使って作るホテルの朝食を作れという課題だった。
店の厨房に立つための心構えもそうだが、リアルタイムで訪れる客に対して満足のいく朝食を提供できるかどうかを見定めるこの課題―――技術以上に、発想力や精神力も問われる。
就寝時間がしおりに書かれていなかったのは、翌朝の朝食を試作するための自由時間となっていたからだ。メニューを考えて準備が整えば寝て休むもよし、ギリギリまで試行錯誤してもよし、とにかく明日の早朝六時に試食出来るようにさえすれば自由。
全生徒がその課題に対して息を呑んだものの、やるべきことは変わらない。恋達も一度バラバラに解散し、それぞれ作る料理の思索、準備に入る。
「そーいや俺達の編入試験も卵料理だったよな。懐かしいわー、なぁ薙切ィ」
「気安く話しかけないでくれる!?」
すると偶々近くにいたえりなに気安く話しかける創真の声を聞き、俺達、というからには恋は自分もこの輪に入っているのかとその場に留まる。えりなは創真のことを認めていないのか冷たく突っぱねるが、恋がいるからかそれ以上は厳しい言葉を言わない。
代わりにフン、とそっぽを向いてあくまで上から目線に創真に忠告する。
「今回は高級ホテルの朝食、あんな下品な料理は出さないことね。審査員の失笑を買いたいなら別だけれど」
「え、でもお前美味そうに食ってたじゃん。合格もくれたし」
「はぁ!? 誰が! あの時も美味しいなんて一言も言ってないでしょ!!」
「じゃあなんで合格に……はっはーん、なるほど」
「なによ!」
「いやぁ? 流石に黒瀬の前で嘘はつけねぇよなーって思っただけだ」
「知った口を利かないでくれるかしら! っ……全く……まぁいいわ、精々無い知恵を絞ると良いでしょう。ごきげんよう」
にやにやと見てくる創真に憤慨するえりなだが、微笑ましく恋が見ていることに気付き、分が悪いと見たのか早々にこの場を去る。丁度緋沙子が調理場の手配を終えてやってきたのもタイミングが良かった。
最後にチラリと恋の方へ向けられた視線に、恋はえりなからの気持ちを汲み取る。
今回の課題、恋とは少し相性が悪いのだ。学年を越えて学園全体を見ても随一の技術を持つ恋だが、今回は発想力が評価基準に入っている。技術は心配なく、元々神の舌を唸らせるつもりで作っているのだから客を相手にするメンタルも問題ない。けれど新しいものを作り出す発想力に関して、恋の抱える味覚障害は致命的だ。
だからこそえりなは恋が合格出来るのか不安だったのだろう。
「!」
だが、その視線に対して恋が笑みを浮かべたことで、えりなもまた笑みを浮かべた。この状況で笑えるというのであれば、恋は大丈夫なのだろうと信じることが出来たからだ。
視線を切って、言葉もなくえりなは緋沙子と共に去っていく。
「……なぁ、黒瀬。お前って薙切と付き合ってんの?」
「いや、付き合ってないけど……?」
「んん゛ー……そっかぁ! じゃあ……俺も試作に入る! 互いに頑張ろうぜ!」
「? ああ」
そんな二人のアイコンタクトを間近で見た創真は、何とも言えないもどかしい感情に野太い唸り声をあげたかと思えば、そそくさと去っていく。昨晩恋とえりなが手を繋いで歩いていく姿を見かけたこともあって、おそらく創真は緋沙子と同じくらい恋とえりなが二人でいる姿を見ている。
鈍感な彼でも、手を繋いで星空の中散歩する男女がいたら流石にカップルだと思う。それが知り合いであれば、嬉しいような、秘密を知ってしまった背徳感といったムズムズするような感情も覚える。
けれどそんなどう考えてもカップルだろと思うような二人が付き合っていないという。なんでやねん、と突っ込みたくもなる。けれど余計な手を出すべきではないという判断の下、創真は課題に取り組むことで考えないようにしたのだ。
去り行く創真に、恋は自分も課題に取り組むか、とその場を後にした。
「あ、そういえば名前の件……また今度でいいか」
◇ ◇ ◇
黒瀬君達と別れて厨房に向かう途中で、前から歩いてくる二人の人物と目が合った。
すると、話すこともないし、擦れ違おうと足を止めなかった私に対し、向こうはぴたりとその足を止める。何か話があるのかと、私も反射的に足を止めてしまった。
薙切アリス――私の従姉妹である彼女。
中学まではこっちにおらず、デンマークにある薙切インターナショナルで過ごしていたのに、高校に上がると同時に遠月学園に入学してきた。どうやら私に対してライバル意識を持っているようだけれど、正直あまり好ましくは思っていない。
何の用かと思って彼女の目を見ると、白い髪と肌に際立つ赤い瞳で私のことをジッと見つめてくる。妙に圧を感じるな、と思っていたら、急にニッと笑ってきた。
「いつまでもそんな風に、女王様気取りでいられるとは思わないでね」
「何かと思えば……忠告ありがとう、一応頭に入れておきます。下々の戯言としてね」
敵意剥き出しの台詞に、私は余裕をもってそう返す。
なんだか最近は黒瀬君といることも増えたからか、こういう空気感は久々ね。薙切の名を背負い神の舌と呼ばれる私に、こうして楯突く分不相応な輩は多い。そういう輩には容赦なく格の差を理解させてきたし、同じ薙切の名を持つ従姉妹であろうとそれは変わらない。
私が敗北する未来など、何処にも存在しないのだ。
言いたいことはそれだけかと、彼女の横を通り抜けてその場を後にする。
「ああ、そうそう……今日貴女がご執心の恋君にも挨拶したけれど、良い人ね?」
「!?」
けれど、私の背中越しにそんな言葉を投げかけてきた彼女に、私の足は再度止められた。顔だけ振り向いて見れば、不敵に笑う薙切アリスの小憎たらしい顔がある。
黒瀬君の名前を、下の名前で呼んでいるのも気になったが、彼に何かするつもりなのかと思うと自然と睨み付ける様に彼女を見てしまっていた。
「そんな怖い目で見ないでよ……別に何もしてないし――今はまだ、ね?」
「どういう意味かしら?」
「さぁ? どういう意味かしらね? まぁなんにせよ、明日の課題が楽しみね♪」
ばいばーい、と背を向けながら手をひらひらさせて、彼女は去っていく。
私は数秒その背中を睨みつつ、小さく溜息を吐いて再度歩き出した。彼女が何をするつもりなのかは知らないけど、課題の中で黒瀬君の邪魔をするとか、そういう卑怯な真似はしないだろう。あれでも薙切の血筋なのだし、相応のプライドは持ち合わせているようだしね。
とはいえ、妙に突っかかられたことが不快だったのかモヤモヤした感情が振り払えない。別に悪いわけではないけれど、彼女が黒瀬君のことを恋君と呼んでいるのも不快だ。何故と問われると具体的に説明は出来ないけれど、とにかく嫌だ。
「え、えりな様?」
「何よ」
「い、いえ、機嫌が悪そうだったので……」
「別に悪くないわ」
緋沙子がおずおずと話しかけてくるけれど、私は突っぱねた。なんというか、こうして気を使われると自分が小さい人間の様に思えてくるから余計に不愉快だった。
別になにも不都合なことは起こっていない。ただ身の程を知らない者が突っかかってきただけのこと。
けれどどうしてかしら――とても胸が痛かった。
「……格の差を思い知らせてあげます」
だからこのフラストレーションを、私は四日目の課題にぶつけることにした。
「お嬢……やっぱり修羅場じゃないすか」
「私は挨拶しただけよ? でもえりなのあんな顔が見られたのは収穫だったわね♪」
◇
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