ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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お久しぶりです。
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十一話

 温泉で薙切えりなと言葉を交わし、早々に風呂を上がった恋は、少しだけ心臓の音が早くなっているのを感じながら、浴室外に設置されていたベンチに腰を下ろしていた。

 二人しかいない空間で、すぐ隣に生まれたままの姿の女子がいる―――相手がえりなでなくとも、多少意識してしまっても仕方がないことだ。まして恋も料理に生きてきたといっても思春期の男子だ、相応の邪な感情だって持ち合わせている。

 

 浴衣に着替えてなお火照った身体を冷ますように、恋は胸元を上下させて空気を送り込む。汗はすっかり流せたものの、想定外に身体を熱してしまったようだ。

 

「ふぅー……」

「おや? 随分と早いな、正直驚いたぞ」

「! 堂島シェフ」

 

 そうしてえりなが上がってくるのを待っていると、そこへ遠月リゾートの料理長である堂島銀がやってきた。片手に入浴セットを持っていることから、彼も温泉に入りにきたのだろう。

 恋は相手が堂島と分かると、礼を失しないように腰を上げて挨拶した。

 佇まいと雰囲気からわかる、料理人としての格の高さに恋も多少緊張する。なにせ元々は遠月学園十傑評議会第一席の座を欲しいままにし、歴代最高成績で主席卒業した怪物だ。調理技術は勿論、知識、センス、意識の高さにおいても他とは別格の才能を持っている。

 

 羨ましい、と思わないわけではない。

 恋にとってそれは、喉から手が出るほど欲したものだからだ。当然、堂島ほどの才能があれば尚良いのだろうが、恋からすればたった一つ、"正常な味覚"があればどれほどか―――何度そう思ったか分からない。

 

「ここまで早くあの課題をクリアした生徒は初めてだな。生徒が来る前に入浴を済ませるのは毎年のことだが、入浴中にやってくる生徒こそいても、俺の入浴以前に課題を済ませた生徒はいなかったぞ」

「まぁ、俺にとっては相性のいい課題だっただけですよ。それに、薙切は俺より早く終わっていたみたいですし」

「ふむ、薙切えりなか……確かに、彼女は遠月始まって以来の傑物だ。かの神の舌(ゴッドタン)だけでも計り知れない才能だが、それに加えて彼女は薙切の血統として正しく最高の才能を受け継ぎ、最高の環境で育てられたまさに料理界の至宝……順当に育てば、遠月学園開闢以来、史上最高の怪物となるだろう」

 

 かの堂島銀をして此処まで言わしめる薙切えりなの才能と実力。分かってはいたが、それでも恋にとってその月とスッポンとも言える差が辛い。

 片や料理界において最高の才能を持ち、相応しい環境で鍛え上げられた者。

 片や料理界において絶望的な才能の欠如を抱え、悪あがきの様に地べたでもがく者。

 追いつけるはずもないし、追いつこうと考えることすら烏滸がましく、追い抜こうなんて口にするだけでも侮辱極まりない、そんな圧倒的な力の差だ。

 

「だが、君とてその彼女に比肩しうる何かを持っているからこそ、他の生徒がまだ課題に苦しむ中、こうして入浴後のリラックスに努めている。そこは誇るべきだぞ」

「……堂島シェフ、一つだけ率直な意見を聞かせていただきたい」

「いいだろう、なんだ?」

 

 それでも堂島は、恋に対する評価は薙切えりなと関係のないことだと言わんばかりに、恋の課題達成速度を認める発言を出した。

 それを聞き、恋は堂島に―――遠月学園始まって以来史上最高とされた料理人に、問いかける。

 

「例えば、互いに全力を出し、一切の卑怯な手を使うことなく真剣勝負をしたとして、片方は国宝級の名刀を持ち、随一の剣の使い手……片方は竹刀を持ち、剣に関しては非才の身……この条件で非才の者が勝つことはあり得るでしょうか?」

 

 比喩表現に過ぎないが、堂島はその問いかけに一瞬言葉に詰まった。

 単純に聞けば、才能があり相応の努力をした者に、才能がない人間は勝てるのか……そういう問いかけに聞こえる。現に、堂島は一瞬そう捉え、『非常に厳しい勝負だが、勝てないと言い切ることはできない』……そう答えようとした。

 

 だが、恋の述べた条件は才能の良し悪しではない。

 

 これを料理人に置き換えるのなら、剣術の才能が料理人としての才能だ。

 例に挙げられたのは『随一の剣の使い手』と『剣において非才の者』。

 つまりは料理人として随一の才能を持った者と、持たない者である。

 しかし堂島が最初に捉えた意図であるならば、恋の質問はシンプルにこのような言い方になる筈。

 

 ―――随一の剣の使い手に、剣において非才の者は勝つことができるのか?

 

 違う、この男が問いたいのはそういうことではない。堂島は直感でソレを悟り、口に出そうとして答えを飲み込んだのだ。

 

「……」

「……」

 

 数秒の見つめ合い、恋の視線は堂島の答えを待っていた。

 

「―――すまないな、俺にはその答えは分からない」

 

 そして堂島は、その質問に対し答えを出せなかった。出来る、出来ない、口にするのは簡単だ。だがしかし、恋の述べたことの意味を正しく理解することが出来なかったのだ。

 恋の述べた両者が持つ、国宝級の名刀とは、それに対する竹刀とは、何を指すのか、それが分からなかったのだ。

 

 当然だろう、これは常識の範疇を超えた質問なのだから。

 

「……そうですか」

「君はどう思うんだ?」

「俺は……勝てないと思います。何があっても、天地がどう引っくり返っても、非才の剣士は勝てません―――竹刀じゃ、人は殺せない」

「であれば、どうする?」

 

 質問の意図を全て汲み取ることは出来なかった堂島であるが、恋の言う非才の剣士が恋自身のことを示していることは察していた。そして、随一の剣の使い手が薙切えりなであることも。

 そして恋はそれに勝てないと断言した。

 そこで堂島は逆に問いかける。

 ならば、そう確信しているのであれば、何故此処にいるのかと。この場所に居て、その腕を振るうからには、そこに諦めはない筈だろうと。

 

 恋は答える。

 

「俺なら、竹刀を捨てます」

「……そうか……いや、久々に興味深い話を聞かせてもらった。君、名前は?」

「黒瀬恋です」

「では黒瀬、君がこの合宿を生き残ることを期待している」

 

 堂島は恋の答えに対し、深く味わうように頷くと、そう言って浴場へと姿を消していった。恋の答えの意味、それを正しく理解したのかどうかも分からないが、それでも恋は堂島の応援を素直に受け止める。

 そして緊張から解放されたように再びベンチへと腰を落とすと、ふー、と大きく息を吐き出した。やはり相応の緊張によって身体がこわばっていたらしい。

 

「流石は元第一席、やっぱり雰囲気あるなぁ」

「ん、んんっ! 黒瀬君、待たせたわね」

「ああ、もう上がったのか? もう少しゆっくりしてても良かったのに」

「……別に、人を待たせるのは趣味じゃないだけよ」

「はは、そっか」

 

 そこへ女風呂の暖簾を潜って姿を現したえりな。濡れた髪を軽くまとめあげ、同じく浴衣に着替えた彼女の姿は、恋からすればかなり新鮮だった。制服か料理服の姿くらいしか目にしてなかったのだから、当然だが。

 やはり風呂上りだからか、上気した頬がほんのり赤みを帯びている。濡れた髪も相まってそこはかとなく色気を感じさせる風体だった。

 

「隣座っても?」

「ああ、どうぞ」

「それじゃ、失礼するわ」

 

 恋がベンチに座っているのを見て、手ぬぐいで軽く顔に残る水気を拭いながら、えりなは恋の隣を指差す。そして恋が頷いたのを見てから、隣に腰を落とした。

 浴衣は制服と違って布自体は薄く、座るとお尻と太ももにベンチの感触と冷たさがより伝わってくる。慣れない衣装にえりなは二度ほど座りなおした。

 

 すると座りなおして居心地のいい場所を探していたからか、無意識に恋のふとももと自分のふとももが軽く接触するほど近くに座っていることに、あとから気が付いた。

 だが二度も座りなおした後にまた腰を浮かすのは、せわしない子だと思われそうで今更動けないえりな。上気した頬に更に赤みが差し、激しく高鳴る心臓の鼓動に動揺が止まらない。

 

「あ、暑いわね」

「そうだなぁ、水でも飲むか?」

「え、ええ……貰うわ」

 

 動揺を隠すように適当な話題を振ったえりなだったが、幸い恋は暑いのに距離が近いことを指摘せず、苦笑しながら水の入ったペットボトルを差し出してきた。

 渡りに船と、えりなはとにかく熱を冷ますべくペットボトルを受け取り、一気に口を付ける。口内に入ってくる水の冷たさに、普段の何倍も美味しいと感じてしまう。

 

「あっ、と、俺の飲みかけなんだけどって言おうとしたんだが……」

「ぶふっ!?!? けほっ! けほっ!」

「だ、大丈夫か?」

 

 そうして水を飲み込もうとした瞬間、恋から告げられた衝撃の事実に一気に咳き込んだ。喉を逆流する水にむせ返り、咳き込み、鼻にも入ったのか鼻水も出た。

 テンパっているえりなに、恋は慌ててえりなの背中を擦る。その手の大きさと温もりを感じながら、えりなは正直穴があったら入りたかった。

 

 高貴で、孤高で、非の打ち所のない天才令嬢――薙切えりな。

 

 そのイメージが一気に崩れ去るような醜態を晒してしまっていることが恥ずかしかった。しかも、よりにもよって一番見られたくない人の前で。

 なんどか咳き込んだ後、せめてもの意地で鼻水垂らした顔を見られないようハンカチで顔を拭いて、なんとか息を整えながら心を落ち着ける。

 

 そして落ち着いた思考で自分の手に握られたペットボトルの飲み口を見て、落ち着かないことを理解した。

 

「わ、悪かった、流石に飲みかけを渡すのはアレだったな……新しいの買ってくるから、ちょっと待って―――」

「だ、大丈夫です! 別に、ちょっと驚いただけで……か、間接キスくらいどうってこと!」

「……あ、そうか、そういえば間接キスになるのか」

「~~~~~~!?!?!?!?」

 

 恋の言葉で間接キスを意識していたのは自分だけだったと理解し、最早えりなのライフはゼロだと言わんばかりに顔が真っ赤に染まる。神の舌と呼ばれ続けてきた影響か、えりなはキスという概念に対して少し過敏に反応していた。

 それもそうだろう、幼いころより神の舌と呼ばれていた以上、その味覚が劣化しないように努力することは自分以上に周囲が必死だった筈。

 舌の味蕾が死なないように徹底された口内ケアを施し、虫歯や歯周病の予防をし、えりなの周囲に喫煙者や酒類は一切近づけない。

 

 そうして徹底された保護を"神の舌"は受けてきている。

 

 そうなればえりな自身も、自分の舌は特別で大切にしなければならないと無意識下に刻み込まれてしまっている。結果、そこに他人の舌や唇が触れるであろうキスに対し、常人以上の関心を得ていてもおかしくない。

 

「き、あっ、違っ、っ、あ、~~~~もうっ!!」

 

 座った時の近さを意識して、誤魔化そうとしたら間接キスをしてしまって更に意識して、それを口にしたら間接キスを意識していたのは自分だけだったと気づかされ、言い訳も出ないほどに動揺してしまって―――軽傷を誤魔化そうとしたら致命傷を刺されたような気分だった。

 幸か不幸か恋はえりなが何故こうなっているのかを察していないようで、鈍感にも心配そうにえりなのことを見ている。それが余計にえりなの癪に障った。

 

「はぁ……はぁ……全く……んっ」

「大丈夫か?」

 

 なんだか意識している自分が滑稽で、一周回って冷静になったえりなは、改めて恋の飲みかけのペットボトルに口を付けた。一度口を付けたのだ、もう二度も三度も変わらないと思ったのだろう。

 水を飲みながら、えりなは思う。

 神の舌を持ってる自分がこんなに過敏に反応して、味覚に少々不都合を抱えている恋がこんなに鈍いのは何か関連があるのでは? なんていう間抜けなことを。

 

 もちろん関係ない、えりなが耳年増なだけだ。

 

「もう、余計暑くなっちゃったわ……早く行きましょう」

「え?」

「散歩、誘ってくれたでしょう? エスコートしてくださる?」

「……ああ、喜んで」

 

 立ち上がり、つんとそっぽを向きながら手を差し出してそう言ってくるえりなに、恋は一瞬目を丸くした後、笑みを浮かべてその手を取った。小さい頃は同じくらいだった二人の手のサイズは、やはりもう大分違う。

 えりなの白く細い指を、恋の大きな指がそっと包んだ。

 手を繋ぐのではなく、指と指を触れ合わせるような繋ぎ方。振れば簡単に解けてしまうようなその触れ合い、でも確かに二人の手は繋がっていた。

 

「露天風呂でも見たけど、今日は星が綺麗だよ」

「ええ、流石遠月リゾート……合宿でもない限りは見られない景色よ」

 

 外出るためにそうして手を繋いだまま歩きだす。

 他の生徒は課題でいない、人の目を気にする必要はない。えりなは指先の頼りない繋がりが嬉しかった。歩いている振動で解けそうになる度、恋の手がえりなの手を包みなおす。

 

 ―――解ける。

 

 ―――包みなおす。

 

 ―――解ける。

 

 ―――繋ぎなおす。

 

 ―――解ける。

 

 

 ――――――握った。

 

 

 何度も解け、その度恋は少しずつえりなの手を繋ぎ直し、最後はしっかり手と手が握られた。えりなの華奢な手が、恋の大きな手にしっかりと握られた。

 今度はもう、解けそうにない。

 

「……あら、随分しっかり私の手を握るのね?」

「……エスコートを命じられたからな」

「そう……でも、ダメね」

 

 えりなは気丈に振舞い、恋の数歩前に出るようにしてその手から離れる。少し温もりが手から離れるのが寂しく思えたけれど、それでもえりなは悪戯な笑みを浮かべて恋の前に立ち塞がり、恋の顔を覗き込むように少し前屈みになる。

 そして悪戯に目を細めてにんまりと笑うと、スッと再度その手を差し出した。

 

「解けたわ、もう一度」

「……」

 

 解けては、より強く繋ぎ直す――そんな言葉のいらない信頼の駆け引き。

 しっかりと握っていた先程よりも強く、その手を取れとえりなの目は言っていた。

 

 恋は苦笑し、えりなの手を取る。

 最初のように指先に触れ、しゅるりと手のひらと手のひらを合わせるようにくっつけて、そのまま互いの指を交差するように握った。

 

「これでいいか?」

「ええ……これが良いわ、凄く貴方を感じるもの」

 

 そうして笑ったえりなの幸せそうな笑顔を見て、恋も笑った。

 繋がれた手をそのままに、二人はまた歩き出す。

 彼らは恋人ではない。強い信頼で繋がれた、友達だ。

 それでも、恋はえりなに人生を捧げてきたし、えりなもまたその想いに応えようとしている。友達というには、既に二人の間にあるものは大きく、強く育っていた。

 

 恋人繋ぎ――二人の手と手が示す姿を、人はそう呼ぶ。

 

 

 




創真「うわ、またイチャついてら……はいはい、お粗末お粗末」




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