ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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遠月学園編入編
一話


 薙切えりな

 

 彼女の名前は、最早全国料理界において――特に日本の料理人ならば誰もが知っている。

 日本に存在する"遠月"という、料理界においても有数のブランドのついた学校、通称遠月学園。その総帥を務めている日本料理界の首領、薙切仙佐衛門の孫娘であることもそうなのだが、彼女の神髄はそこではない。

 

 彼女の持つ凄まじさは、最早神の領域とすら呼ばれる程の鋭い賞味感覚――"神の舌"を持っていること。

 

 スプーン一匙分味わえば十分。その料理に使われている調味料の量、食材の生産地、使われた技法、焼いたり蒸したり煮たりした時間、ありとあらゆる情報をその味覚で感じ取ることが出来るのだ。故に、彼女は生まれた瞬間からこの料理界においては人間国宝とでもいうべき資質を持った存在となった。

 

 生まれて初めて離乳食を食べた時、彼女はその鋭い味覚から不味いと一蹴した。そして彼女が食べられる最高の離乳食を創るべく、有名な料理人が死にもの狂いで腕を振るったそうだ。

 それでも、彼女が美味しいということはなかった。天才と呼ばれた料理人たちが死にもの狂いで作った離乳食ですら、彼女は『まぁまぁ』としか言わなかったのである。それは、この出来事をきっかけに料理を止めてしまったものさえいる程の衝撃だった。

 

 それから彼女は物心付いた頃よりその味覚を買われ、様々な有名料理店や企業の味見役となった。卓越した味覚は成長するにつれて更に鋭くなり、料理の知識や技術を蓄えていけばいくほど、料理人として完成に近づいていくほど、料理に隠された情報を隅々まで暴き出す。

 不味いかそうでないかしか言えなかった赤ん坊時代とは違って、小学生程の年齢になれば何がダメで何が上手くいってなくて何を間違えていて、どう不味いのかがハッキリと説明出来るようになったのだ。

 

 最早その頃になれば、彼女の評価によってその後の料理界における運命が決まると言われる程だった。

 

 薙切えりなは天才であり、天才以上の鬼才である。家では重宝され、彼女は幼いながらも世界にとって価値のある人間として世界中から目を集めた。

 だが、そうやって育てられれば性格も高飛車で少し傲慢なように育つのも無理はなかった。

 自身の味覚と同世代では最早敵無しと言わんばかりの料理技術。彼女のプライドは圧し折られることなく増長し、格式高い家柄と自身に向けられる畏怖の視線、大人ですら頭の上がらない自分の価値。彼女の絶対の自信を揺るがすことのない環境が、そうさせたのだろう。

 

 だからだろう。彼女には料理と向き合っている時間以外で、まともに話せる友人はいなかった。

 

 一応、家の計らいで彼女の秘書はいる。同世代で、新戸緋紗子という名前の少女だ。

 えりなとしても、普段から一緒にいてくれる存在として彼女には心を開いている。だが、緋紗子からはそうではなかった。

 秘書であるという立場からか、緋紗子という少女はえりなに対して必要以上に仲良くなろうとはしなかった。絶対の線引き。秘書であり、自分にそれ程自信がなかった緋紗子からすれば、えりなと仲良くするということが恐れ多かったのだろう。

 

 えりなは料理と関わっていない時間の孤独感が嫌いだった。だから緋紗子に頼んで、味見役の仕事を増やそうとする。無論えりなに対する期待度は高い故に、その願いはすぐに受け入れられ、毎日毎日多くの料理を味見しては人の心を折っていくようになる。

 だが所詮は小学生の身体。それだけのハードなスケジュールをこなして、疲れが溜まらない訳もない。

 

 ある時、彼女は疲労で熱を出し、普通の子供らしく寝込んでしまったのである。

 

 

 ◇

 

 

「……ヒマ」

 

 だだっ広い部屋の中、大きなベッドで寝っ転がる女子小学生薙切えりなは、ぽつりと呟いた。

 ベッドの脇には椅子に座って看病をする緋紗子の姿もあるが、もうあらかた看病に必要なことはしてしまったので、居心地悪そうに座っているだけだ。背筋を伸ばしてはいるが、自信無さげに困ったような顔をしていた。

 天井を眺めるえりなの熱はもう大分下がり、頭痛などの症状もなければ食欲だって回復している。こうなってくると、完全に治るまで寝ていなさいと言われても動き回りたくなるお年頃だ。

 

 なんといっても彼女はまだ、小学生なのである。

 

「……ねぇ緋紗子」

「はい、なんですか?」

「……なんでもない」

「あ……」

 

 緋紗子とお話でもして気を紛らわそうとしたのだろう。えりなは緋紗子の方へと顔を向けて話し掛けたが、丁寧な敬語に加えて困ったような表情をする緋紗子に、そんな気も失せてしまった。

 ぷいっと顔を背けるえりなに、緋紗子はしまったと思いながら更に肩を落として縮こまってしまう。

 

「そ、そうですね。では何か暇を潰せるものをお持ちします!」

「え? あ、緋紗子……」

 

 すると名誉挽回といったように、緋紗子は無理矢理テンションを上げてそう言うと、胸の前でぐっとガッツポーズする。そのままえりなの止める間もなく、彼女は部屋を慌てて出ていった。

 それがえりなには自分と一緒に居たくなかったというように見えたのだろう。唇を尖らせて、ぷりぷりと不貞腐れる。掛布団を頭から被るようにして、彼女はもぞもぞと布団の芋虫と化してしまった。

 

「(……普通に友達として一緒にいてくれればいいのに)」

 

 緋紗子のことが嫌いになったわけじゃない。寧ろえりなにとって緋紗子は数少ない好意を持てる人間だ。だからこそ、彼女は緋紗子に秘書ではなく友人としての関係を求めた。

 なのにお互いの距離は一向に縮まらないままだ。小学生ながら料理についてしか見てこなかった彼女は、その高飛車さも相まって素直な気持ちを言葉に出来ず、友達をどう作っていいかわからない。料理なら最高の物が作れるのに、友人関係についてはからっきしのえりなお嬢様である。

 

 だが、そんな彼女の前にとある転機が訪れる。

 

 キィ、という扉を開く音が聞こえた。緋紗子が帰って来たのかと思ったえりなだったが、布団から顔を出して見た先に居たのは、思っていたのとは全く違う人物だった。

 そこには、少年がいた。自分と同じ位の年で、既に大人の仕事や業界を経験して来ているえりなと違い、純粋であどけなさの残った子供らしい少年だ。

 黒い髪に綺麗な金色の瞳、顔立ちも整っており、きょとんとこっちを見ている表情からどこか黒猫っぽいなと思ったえりな。だが次の瞬間には、何故此処に少年が居るのだろうかという疑問が浮かんでくる。

 

「貴方……誰?」

「あ、うん……僕は黒瀬恋(くろせ れん)、道に迷っちゃって……」

「くろせれん? ふーん……じゃあなんで此処に来たの? 親の用事に付いてきたとか?」

「そう、僕の家料理店なんだ。僕料理のことはよく分からないけど、家で一人になっちゃうからって連れてこられたんだ……でも途中ではぐれちゃって、迷ってたら君がいた」

「そうなの……」

 

 えりなは突然現れた少年に対して、少し興味が湧いた。病気で弱気になっていたわけではないだろうが、緋紗子との関係に対する鬱憤や普段のストレスを発散したかったのだろう。ともかく今は話し相手が欲しかったのだ。

 だから、彼女は恋という少年を自分の近くに呼んだ。

 

「それじゃあ恋君。私今暇なの……ちょっとお話しましょう? 後で戻ってくる子に貴方のお父さんとお母さんの所へ案内させるから、それまで」

「ホント? 分かった、良いよ」

 

 恋は緋紗子の座っていた椅子に座り、えりなと顔を合わせる。

 お互い顔立ちが整っているからだろうか、それとも小学生ながらに可愛い、格好いい異性にちょっと意識してしまったからだろうか、どう会話していいのか分からないという気まずい空気が流れた。

 

 えりなは自分から誘っておいてなんだが、何か話しなさいよと内心この気まずさを少年のせいにしていた。友人がいなかった彼女からすれば、こんなときどう接していいのか分からないのである。

 だが、そんな彼女の心を悟ってか、最初に言葉を発したのは恋の方だった。

 

「とりあえず、君の名前は?」

「あ、ごめんなさい。私は薙切えりなっていうの、よろしくね」

「うん、よろしく!」

 

 その時、えりなはとても純粋に笑う恋の笑顔にちょっとだけ見惚れた。今までこんな風に笑いかけてくる同年代の子供は初めてだったからだ。しかも、近くで見ると改めて彼の瞳は綺麗だった。

 黒い艶のある髪に、金色の瞳、どこか猫の様な奔放さがあって、笑顔がとても可愛い少年。だからだろうか、えりなも何だか少し、素直になれた。

 

「……あのね、私友達がいないの」

「そうなの? なら僕が友達第一号だね」

「え、いいの? 私自分で言うのもなんだけど結構面倒くさいよ?」

「じゃあ面倒くさくなったら面倒くさいって言うね」

「それ結構酷くない? 友達なのに」

「そんなもんだよ、友達って」

 

 ケラケラとおかしそうに笑う恋に、自然とえりなも笑顔がこぼれた。病気なんてなかったかのように、なんだか心が温かかった。家族に抱き締められた時に似ているけれど、少し違う。

 家族は最初からある絆であり、無条件で自身を愛してくれる存在だった。けれど、彼は家族でもなければ初めから居たわけでもない。偶然彼と出会い、えりな自身が彼に歩み寄って手に入れた絆なのだ。

 

 だから、家族は違う。人はこれを友情と呼んだりするのだろう。

 

 それからしばらく、えりなと恋は色んなことを話した。主にえりなの話を恋が聞く形であったが、料理店の息子ということもあって、えりなのする様々な料理の話にも嫌な顔一つせずに相槌を打っている。

 あの店の料理はまぁまぁ良かっただとか、あの店の店員が可笑しかっただとか、この前新作の料理を作って褒められただとか、ほぼほぼ料理のことばかり話していくえりな。本当に料理が好きなんだなと、子供ながらに恋はそう思う。

 

 すると、聞き手に回っていた恋のことが気になったのだろう。えりなは自分のことを話すのを止め、ふとこんな問い掛けがした。

 

「恋君は料理はしないの?」

 

 その質問に対し、恋は苦笑しながら指で頬を掻く。

 

「うーん……前に一度料理をやってみたことはあるんだけど……僕、料理の才能がないみたい。良く分からないけど、生まれつき味覚障害? っていうやつらしくて、何を食べても味が薄く感じちゃうんだよね……」

「え……」

 

 それは、えりなにとっては衝撃だった。生まれつき鋭い味覚を持った彼女とは真逆、生まれつき欠陥を抱えた味覚を持った恋。えりなにとって美味しいと感じられるもの、まぁまぁと感じられるもの、不味いと感じられるもの、感想は多々あるが、恋にはそれが分からないというのだ。

 

 美味しいものを美味しいと感じられず、不味いものを不味いと感じられない。

 

 それは、えりなにとって想像を絶する絶望だった。自分の料理人としての価値が神懸った味覚にあると理解している彼女は、目の前の恋が信じられなかった。

 しかも、そんな彼の前で料理の話をいっぱいしてしまったのだ。美味しかった、不味かった、そんな感想を聞いていた彼の気持ちはどうだっただろうか。理解したくても理解出来ない、想像すら難しい話をされて、どう思われただろうか。

 えりなは顔を真っ青にして、俯いてしまった。

 

 しかし、そんなえりなの頭をぽんと撫でる小さな手がある。

 

「!」

「気にしないで。確かに味は良く分からないけど、全く感じられない訳じゃないし……治る可能性だってゼロじゃないってお母さんが言ってたから」

「でも……」

「君が話してくれた料理、きっと想像も付かないほど美味しいんだろうね……それは君の顔を見てたら分かるよ。きっと、料理って楽しいんだよね」

 

 恋は慰めるようにしてえりなの頭を撫でながらそう言う。料理が出来ない訳じゃない――作った料理がおいしいと感じられないから才能がないという判断になるのだ。自信を持って出した料理をおいしいと言ってもらえる、それはきっと料理人が料理人だからこそ得られる幸福。

 しかしその料理人になれない恋には、けして得られない幸福だ。なにせ、その美味しいを自分は共有出来ないのだから。

 

 だが恋は、料理が楽しいことを知った。えりながとても楽しそうに話してくれたから、恋は料理が楽しいことを理解出来た。たとえ自分が美味しいと感じられなくても、彼女は美味しいと感じられるだろう。

 

「ねぇ、僕に料理を教えてくれないかな?」

「え?」

「僕は味は分からないけど……でも、君は美味しいものを美味しいって思える。だから、僕の料理で君に美味しいって言ってもらえればいいな」

 

 恋はえりなの話を聞いて思ったのだ。この子は本当に料理が好きなんだなと。そして、とても幸せそうに料理のことを話すえりなの顔は、とても眩しかった。

 こんな風に人を幸せに出来る料理を作る料理人。素直に凄いと思ったし、その顔を見てるとこっちまでなんだか幸せな気持ちになれた。

 

 だから恋は自分もそうなりたいと思った。人と人とを繋げる料理を作ってみたいと思った。

 

 いや、そんな難しくはないだろう。もっと簡単に、シンプルに、単純に、

 

「僕は、君が美味しいと笑ってくれる料理が作りたい」

 

 恋はえりなに、心から"美味しい"と笑ってくれる料理を作ってみたいと思ったのだ。

 

 


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