あれから俺とユウキはホームに戻り何事も無かったかのように過ごした。
変わったのは俺とおユウキの内面。外面の変化など無い。だから誰も気付かない。
あの日の事は、俺とユウキ。二人だけの秘密だ。
そして、ラフコフ掃討作戦が終わった数日後。
俺は正式にPKKギルド『shadow』を解散することを発表した。
これには弱小ギルドや非戦闘プレイヤーから不安の声が多々寄せられたが、血盟騎士団と聖竜連合が各地に警備兵を派遣することで補うということで解決され、アインクラッドに本当の平和が訪れた。
けれど、この身に起きている変化は、なに一つ解決できていなかった。
ジジッ
「っ……またか」
Pohと剣を交えた時から、俺の愛剣に若干の、それこそそれを振るっている俺ですら気付けない時があるほどに微弱なノイズが走るようになっていた。
剣だけではない。防具も、アバターでさえもノイズに侵されている。
しかし何度確認してもステータスに変化は無いし、文字化けしたりすることはない。
ただノイズが迸る。それだけ。
「ジン?どうしたの?」
「何でもない」
この怪現象は既にGMに報告メッセージを送ったのだが解決する様子を見せない。
一抹の不安はあるものの、俺はこれを隠して皆と過ごしていた。
「ふぁぁぁぁぁ………」
俺の隣で座り、大きく口を開きマヌケな面を見せつけ眠りの国へと誘うのは攻略組筆頭、アインクラッドが誇る4大勢力の1つである月夜の黒猫団が誇る漆黒の剣士。キリトだ。
しかし今その手に握られているのは鉄で打たれた剛き剣でなければ鉱石を削りだして創られた美しき刃でもない。
特別な木材を丁寧に削りだし、細かなパーツを装着された細くしなやかな一振り。
………簡単に言ってしまえばそれは釣竿である。そしてそれは俺の手にも握られている訳で。
両者の釣竿の先端から伸びる細く華奢な糸は、眼前に広がる湖へと垂れ静かに波紋を広げている。
「………zzzZZZ」
こいつ……寝てやがる。
手前から誘っておいて先に寝るとはどういう了見だァ?いいぜ。手前がそういう気なら俺が俺なりの起こし方で最高にCOOLな目覚めをプレゼントしてやんよ。
アイテムストレージから氷嚢を取り出し、その封を少し開いて角の丸くなった氷を一つ取り出すと、眠りの国へと意識を飛ばすキリトの首元へと――――――
「うぉぁああああ!!?!?」
急な冷たく濡れた感覚に驚いて飛び起きるキリトの瞳には、眠気など欠片も残っていない。
意地の悪い笑みを浮かべて俺は言う。
「やぁおはよう。COOLな目覚めだろ?」
「………ああそうだな。正しくクールな目覚めだったよ」
「ったく。原因はお前が詐欺られたからだってのに。渋々ついてきてやったんだ。寝るなよ」
そうなのだ。本来俺がっこいつに付き合う理由は無い。そんな義理も無い。
「趣味探しを手伝ってやってんだから文句言うなよ」
「帰るか」
「すいませんでした。一人は辛いです」
おい離せ。お前筋力ステータス高いんだから俺の装備の耐久値がゴリゴリ削れるんだよ。
けれども断固として離そうとしないキリトに、俺は折れ再び地面に胡坐をかいて座った。
今回俺がここにいるのもまたキリトの自業自得なのだが。
昨日、キリトは新しい趣味として釣りスキルを上げ始めたということで少し高めの釣竿をかったのだが、何度頑張っても一匹も釣れず、餌などをいろいろ買って試しているうちに結構な額を使ってしまっていたということだ。
一人で釣りは寂しいからということで趣味探しという建前の元、俺を引っ張ってきた訳だ。
俺も自腹で釣竿を買い、買い過ぎたキリトの餌を使って釣りをしているのだが、まさか始めて15分で寝るとは思わなかったが。
「まあ何もしないのは退屈だからな」
そう言ってアイテムストレージからいくつかのアイテムを取り出す。
「こっ、これは!?」
「ああ、こうなるだろうと思ってアスナとサチに無理言って作ってもらったのさ」
ビニールシートの上に広げられた弁当の数々。
食欲をそそる薫りが俺達の空腹ゲージをごっそり削っていく。
「釣りしながら喰えってさ」
「そんじゃぁ、早速いただこうかな」
キリトはサンドイッチを片手に持つと釣竿から垂れる糸と、そこから広がる波紋を眺める。
湖は森で囲まれており、鳥の囁きや葉擦れの音が心を洗う。
ああ………平和だ………
静かに平和な時間―――――そう思った矢先だ。
ちゃぷん
「!!ぬうぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
キリトの釣竿の浮きが可愛らしい音を立てて沈み、刹那の時間さえ与える間もなくキリトは竿を掴んだ。
別に竿を掴むだけの行動に叫ぶ長所は無いのだが、昨日一匹も釣れなかったキリトからすれば漸く巡ってきたチャンスなのだ。叫びたくもなるだろう。だが五月蝿いので叫ばないでほしいと言うのが本音だ。
勢いよく糸を引き、逃がすものかと血眼になって糸の先にいるであろう魚を探す。
見ているこちらも何だか興奮してしまうようなキリトの雄叫びと気迫、そして糸先の魚。
ギュルルルルと高速で回転するルアー。蕎麦の如く水面から吸い上げられる釣り糸。
「どりゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして――――――
ジャボォォン!!!
中型の魚が水中からミサイルのような勢いで宙へと飛び出した。
舞う水飛沫、光を乱反射する魚鱗。七色に煌めくその空間に、俺は魅了されていた。
「よっと」
キリトの元へと飛び出した魚を、両手で受け止めるその顔は、喜色満面。
両手で暴れる魚を抑えながらこちらを向くその顔には、速く写真撮ってくれと油性ペンで書いてあるように見えて、俺は吹き出し笑いつつも記録結晶を取り出してそれを写真として記録した。
取り終えるとヒャッホォォォウと奇声を上げるキリトを窘めて魚の詳細を確認させた。
「こいつは…………S級レア食材ィ!?」
「はぁぁ!?」
ありえないなどと思いつつキリトが可視化させたステータス画面を見る。
『魚名 ハーヴェスト・フィッシュ
ランク S
詳細 栄養に富み、さらに綺麗な湖にしか生息せず、発見例の極めて少ない魚。
この魚の発見された湖は豊かな証であるともされ、
その湖の水を使った田畑は豊饒に恵まれると言われている。
また、魚の味もまた無類である』
………マジか。
初めて釣った魚がS級食材とか、そんなのお前だけだよ。どんな確率だよ。
「これはいい土産になるな」
「これだけデカいんだ。皆で食えるぞ」
俺達は肩を組んでワイワイと騒いでいたのだが背後からガサゴソという音が聞こえると硬直した。
これだけ騒いでいればモンスターが集まってきてもおかしくは無い。加えてこの場には弁当が広げられ、その匂いに引き寄せられてくるモンスターだっているだろう。すっかり失念していたが、ここは圏内ではないのだ。
そっと俺は短剣に手をかけ、キリトは魚をストレージに収納すると片手剣を取り出して構える。
3、2、1でバッと振り返ると、そこにいたのは意外や意外な珍客だった。
「キュウ?」
「っな!?」
全身を白銀の刃のように鋭利な鱗で覆われ、大きな翼を持ち、長い尾の先には一際大きな刃が存在している。その瞳は愛くるしいが、俺はその正体を知っていた。
第40階層ボス。『ブレード・ドラゴニック・エンペラー』。種族名をブレード・ドラゴン。
しかし目の前にいるのは45階層ボスとは比べものにならないほど小さな幼き竜。
言うなればリトル・ドラゴンと言う所か。略せばリドラ。
つまりこいつはブレードリドラと言う所の存在なのだ。
けれども目の前の生物は敵意を示してくるどころか、甘えたような鳴き声を出しながらすり寄ってくる。どういうことだろうかと考えていると、キリトが小さく言った。
「ジン、これってテイムイベントじゃないのか?」
何言ってるんだと言おうとしたが、考えてみるとシリカというアインクラッド唯一のフェザーリドラのテイム成功者という人物と俺は顔を合わせているじゃないか。
つまりこいつもテイム可能であるということなのか?
考えている暇はない。
テイムを成功させるには、友好的な反応を見せたモンスターに対して、こちらも友好的な反応を返さねばならないと聞いている。
足に頭を擦りつけてきたブレードリドラを、俺は頭を撫でたり喉を撫でてやったり…………いやこれは猫に対する方法ではないのかと疑問を浮かべるが、これ以外に方法を思いつかなかったのだ。
「きゅぅぅぅ……」
するとブレードリドラの鳴き声はより一層甘さを増し、小さくメッセージが送られてきた。
『テイムに成功しました
名前を付けますか?
→ はい
いいえ』
俺は焦りの表情を解いてメッセージの選択の『はい』をタッチして名前を考える。
その表情の変化からキリトも状況がどんなふうに変化したのかを察したようで、俺の肩を笑顔でバシバシと叩く。やめろ、おい。筋力差を考えろ。痛いっての。
「やったじゃないか。何て名前にするつもりだ?」
「それなんだよなぁ。ゲームとかでもキャラの名前考えるだけで3時間とか余裕なんだよなぁ」
何にすっかなと考えていると、俺の釣竿の方にも反応が出た。
キリトも気付いたようで先程と同じようにうおぉぉぉと叫びながら糸を引き始めた。その様子を見て魚はキリトに任せ、俺はブレードリドラの名前を考える。
ペットを飼ったことが無いと言えばウソになるが、しかしだ。金魚に名前を付けたことは無い。
飼っているペットの名前という最も簡単な方法を取れないとなると、身近な物の名前や好きなキャラクターの名前を取るくらいしかないのだが、男で好きなキャラとなると数が一気に減ってしまう。
うーむ………唸り声が口から漏れていることは分かりきったことなので考えず、ただただ名前を考え続ける。
クロガネ………いやコイツは黒くない。
シロガネ………漢字では銀だ。こいつは銀って感じじゃねぇな。
種族名の省略………ブリドラ?ブリザード・ドラゴンかよ。却下。
ここはネタ全開でドラ〇もん………痛いだけだ。却下。
ええいいいのを考え付かん。
「きゅう?」
ふと下を見ると澄んだ瞳でどうしたのだろうかというような表情で俺の顔を除く幼竜の姿。
はぁぁぁ……と溜息を一つ吐いて、俺は名前を入力した。
入力し終えるとウインドウは消え、翼を羽ばたき俺の肩に乗った。
「お、名前付けたのか?……へぇ」
後ろからキリトが魚を釣り終えたのかこちらに歩いてきていた。
けれどもその顔は小さな驚きを現しており、何かおかしなところがあったのだろうかと自分を改めて見回してみたが、やはり何もない。
するとキリトは手を横に振って違う違うと弁解する。
「お前がそんな表情をしてるとこを見たことが無かったってだけさ」
「………どんな顔してた?」
「そんな不安そうにしなくても大丈夫だって。
そうだな、俺が見た一番近い物だとその顔は家族に向ける物に近い気がする。
慈愛というか……こう………愛しい?」
俺はその辺詳しく説明できないやと笑うキリトだが、その言葉を俺は考えていた。
家族に向ける………俺には愛しいと思えた家族はいない。元々このゲームに参加した理由だって、多額の借金を俺に押し付け死んだ両親。改造ナーヴギアでSAOをプレイしてくれれば借金帳消し&一千万の報酬が出るという政府の話に乗っかったからであって、その話が無ければこのゲームはプレイしてないのだ。
両親は借金を残して死に、息子は俺だけ。借金まみれの俺と関わりたくないという近所の人々。
愛しい者はいない。
だから俺は、キリトの例えがよく分からなかった。だが、こいつは新しい家族みたいなものだ。
………俺は高々AIであるこいつを家族と同じように見ているのか?
それの何が悪い。AIだろうと人間だろうと、家族は家族だ。
「そうか」
俺は短く返事を返して振り返る。
「紹介する。こいつはブレード。今からこいつは俺の家族だ」
「きゅう!」
肩に乗ったブレードは、嬉しそうに鳴いた。
次回は明日の午後10時に投稿します。
ご愛読感謝です。