絶対絶命のピンチを前にして、僕と穂乃果ちゃんの判断は一瞬だった。
足場の木の枝が折れる前に僕と穂乃果ちゃんは必死で上の枝に向かって飛び、なんとか上の枝に掴まってぶら下がることに成功した。
そして海未ちゃんとことりちゃんも、木の幹側に近かったことがラッキーだったのか、木の幹になんとかしがみつくことが出来てなんとか無事だった。
……でも、死ぬような思いを味わった二人の心は無事という訳にはいかなかった
「えーーーん!! いやっ…落ちちゃうーー!!」
「ひっ…うわぁーーん!! こわいよぉーー!!」
ことりちゃんは完全に取り乱し、海未ちゃんは普段の丁寧な口調を忘れるほどのパニック状態になって、思いっきり強く木の幹にしがみつきながら泣いている。
でも、二人は木の幹にしがみつけているだけまだ大丈夫な方だと僕は思う。
「う…うわっ……! 高いっ……!」
木の枝にぶら下がって、どうしても地面を意識しないといけない状況にある僕よりは。
え……!? ここって、こんなに高かったっけ!? 怖い怖い怖い怖い!!
僕も口には出さなかったが、ひどいパニック状態に陥っていた。
実際に落ちそうになってしまったからなのもあるけど、さっき木の枝の上から見たときと、今この状態から見たときでは高さの感じ方が段違い過ぎる。
さっきとは違って、足場がないだけでこんなにも怖いなんて僕は思いもしなかった。
この最悪の状況でせめてもの救いは、穂乃果ちゃんと僕がぶら下がっているこの木の枝は丈夫で、僕達がぶら下がったぐらいなら、なんとか持ちこたえてくれるだろうと思える事だった。
早く木の枝の上にあがらないと……!
僕はこれ以上一瞬でもぶら下がっていたくなくて、僕は腕に力を込めて木の枝をよじ登ろうとする。
しかしその結果、僕はさらに最悪な事実に直面することになった。
「えっ……嘘だよね?」
手にどれだけ力をこめても、体がほとんど持ち上がってくれないのだ。
僕はその事実を認めたくなくて、さらに力を込める。
「ふぐぐぐっ……!!」
しかし、さっきより力を込めても結果は同じ。
……こうなると、自分の身体能力の無さを呪うしか無かった。
もしかして僕、飛び箱だけじゃなくて懸垂もできないの……?
そんな事実に、僕は目の前がまっくらになってしまったような気分になる。
マズいマズいマズい……! いつまでもぶら下がってられないし、今でももう手が痺れてる。
つまり……手に握力がなくなった瞬間に僕は……
「怖い……怖いよーー!! 助けてーーー!!」
僕はそんな最悪の想像をし、頭の中が混乱してまともに考える事が出来なくなってしまって、泣きながらそう言って助けを呼んだ。
この高さから落ちたら、きっと僕死んじゃう!
やだ死にたくないっ! 死にたくないよぉ! 助けてぇ!
僕の頭の中は、そんな言葉だけで一杯になる。
……そんな、ことりちゃんと海未ちゃんの泣き声と、僕の助けを呼ぶ声が鳴りやまない絶望的な状況の中で――
「み、みんな大丈夫! 穂乃果にまかせて!」
僕のすぐ隣で響く穂乃果ちゃんの声が、まるで救いの光のように僕には感じられた。
「「……穂乃果ちゃん………!」
「ほ……ほのかぁ……」
そんな穂乃果ちゃんの声を聞いて、僕たちはパニック状態から一瞬で立ち直った。
そうだ……忘れていた……穂乃果ちゃんが居るんだった……!
僕が泣いてたらいつも助けてくれる、まるで物語の中の“主人公”みたいにカッコ良くて、テレビの中のヒーローみたいにスゴイ僕の友達。
きっと、そんな穂乃果ちゃんなら、いつもみたいに僕やみんなを助けてくれるはずだ……!
僕はそんな想いで穂乃果ちゃんの事を見つめる。
「まっててね……今なんとかするから……大丈夫だよ! 怖くなんてないんだよ!」
僕と同じ状態で、同じぐらい怖い思いをしてるはずなのに怖くないなんて……。
穂乃果ちゃんはやっぱりすごい。僕もきっといつか強くなるから、ちゃんと飛び箱も飛べるようになるし、これからちゃんと体だって鍛えるから……。
「怖くないよ……怖くなんてないよ……だって、さっきは怖くなかったもん……大丈夫……」
だから――今は、いつもみたいに僕の事を助けて穂乃果ちゃん。
いつか、将来きっとカッコいい男になって、僕も穂乃果ちゃんの事を助けられるような男になってみせるから――だから、今は――
「こわくな…………怖いよ……ふぇぇ……! うぇーーーん!! おとーさん! おかーさん! たすけてーー!!」
――そうやって僕は、穂乃果ちゃんが震えて泣き始めるまで、そんな人任せな馬鹿な事を考えていたんだ。
こんなことに今まで気づかないなんて、僕も本当に馬鹿だと思う。
最初から穂乃果ちゃんは、物語に出てくるような“主人公”みたいに、なんでも一人で何とかしてしまう存在でもなければ、ヒーローみたいに、僕をいつでも助けてくれるようなスゴイ存在でもなかった。
好きな事には一生懸命で、そして友達思いな……普通の女の子だったんだ。
「ほ……穂乃果ちゃぁん…………わぁーーん!」
穂乃果ちゃんが泣き出すのを見て、最後の望みが絶たれたかのように泣き出すことりちゃん。
「ほの……か……?」
それとは対照に、海未ちゃんは何か信じられないものを見るかのように穂乃果ちゃんを見つめていた。
「うぇーーーん! 無理だよぉ……うごけないよぉ……!」
そして穂乃果ちゃんは、木の枝にぶら下がりながらそう言って大きな声で泣いている。
……状況は何も変わっていない、むしろさっきよりも絶望的と言ってもいい
でも、変わったことがひとつだけあった――
穂乃果ちゃんは、僕の思ってるようなすごい子じゃなかった…………でもっ!
――――正ちゃんをいじめるな!
――――だったら頑張るのは当然だよ! だって穂乃果たちは友達だからね!
それでも、僕の大切な友達だ!!
そう――友達に助けられてばかりだった泣き虫で情けない僕の中の何かが、この瞬間確かに変わった。
――いつか、将来に穂乃果ちゃんを助けられるようになるんじゃない……“今”穂乃果ちゃんを助けられるような存在になるんだ!
泣いてる穂乃果ちゃんを、今度は僕が助けるんだ―――いや違う、
僕はそんな決意を胸に、必死で頭を働かせる。
考えろ僕……どうすればいい……?
僕の中でさっきまであった高さへの恐怖は、いつの間にか不思議と感じなくなっていた。
僕は必死でみんなを助ける方法を考える。
まず、このまま急いで木の幹を伝って降りて、誰かを呼んでくるのはダメだ。
木の幹を伝って降りようとしたら海未ちゃんとことりちゃんが居るから危険だし、それにこんな泣いている状態で、いつまでも穂乃果ちゃんがぶら下がっていられるとも限らないから時間的にもダメ。
だったら、もっと大声で叫んで助けを呼ぶ……? いや、これもダメだ。
大人が来てくれる保証もないし、それにやっぱり穂乃果ちゃんの事を考えると時間的にもダメ。
…………となるとやっぱり……。
僕は上を見上げる。
この木の枝をよじ登って、穂乃果ちゃんを引き上げて助けてから大人が来るのを待つしかない!
「ふんぐぐぐぐぐ………!!!!」
僕は腕にありったけの力を込めて木の枝をよじ登ろうとする。
それでも僕の体は持ち上がってはくれない。
「ああっ!」
「あっ……! 穂乃果ぁ!」
「……えっ……穂乃果ちゃんっ!?」
三人の緊迫した声を聞いて、慌てて穂乃果ちゃんの方を見ると、そこには恐れていた事態が発生していた。
穂乃果ちゃんの片手が、木の枝から離れている。
「あ……ああっ……」
そんな、片手だけで木の枝に捕まっている状態になってしまった穂乃果ちゃんは、もう泣くことすら出来なくなっていた。
ダメだ……このままじゃ落ちてしまうのは時間の問題だ。
それだけは……それだけは絶対にさせない!!
僕は覚悟を決めて叫ぶ。
「穂乃果ちゃん待っててっ!! 今助けるからぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!!!」
「……正…ちゃん…?」
もう、たとえ手が折れたってかまわない。
僕は全力以上の力を振り絞る。
分かってるんだ……今まで、カッコいい男になりたいって思いながら、心の底では穂乃果ちゃんに助けて貰う事ばかり考えていた甘えてばかりの僕に、この木の枝を登る力なんて到底足りてないなんて事はもちろんわかってる。
手も痺れて力が出なくなってきてるし、握力も限界に近い。
地面に落ちる事を考えたら、今にも怖くて動けなくなってしまいそうだ。
……でも、それが
―――――……正也なら絶対にできます。がんばって下さい
弱い僕だって……
―――――正ちゃん、大丈夫、ことりも応援してるよっ!
みっともなくったって…
――――ぜったい正ちゃんならできるよ! だって穂乃果達が味方だもん! がんばって……ううん、ファイトだよ!
たとえ……『カッコいい男』でもなくったって!!!
そんな僕でも……みんなを助けたいんだ……大切な友達を助けたいんだ!!
だからっ……
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」
僕の必死の想いに応えるように、体が少しずつ持ち上がっていく。
「あと………もう……少し……っっ!!」
そして僕は、全力で力を振り絞り続けて、ついに木の枝の上に頭を出せるところまで体を引き上げた。
僕は必死に木の枝を足にひっかけ、そして全身でしがみつくかのように木の枝の上に強引によじ登った――よじ登る事が出来た。
……やった! やった僕! ――って……今はそうじゃない!急げ!
「穂乃果ちゃん! つかまって!!」
僕は必死に穂乃果ちゃんに向かって手を伸ばす。
片手でぶら下がりながら、手を伸ばす僕の事を見上げる穂乃果ちゃんは、涙目で一瞬ビックリしたような表情をしていた。
だけどその後、すぐに安心したような笑顔になって……
「…………うんっ!」
そう言って、穂乃果ちゃんは僕の手を嬉しそうに掴んだ。
こうして僕は、穂乃果ちゃんのピンチをギリギリで助けることが出来たんだ。
――大切な友達を、助ける事が出来たんだ。
そしてその後、海未ちゃんとことりちゃんもいつまでも木の幹にしがみつけるわけがないので、僕が必死に声をかけて励ましながら、二人を一番近い木の枝に移動させた。
「正ちゃん!? ほ、本当に大丈夫なの~!?」
「大丈夫ことりちゃん! そのまま足をゆっくりおろして! そう、その調子! 海未ちゃんも大丈夫!?」
「……は、はい……大丈夫です……」
予想外にも二人ともパニックを起こしていたわりには、スムーズに幹から枝に移ることに成功する。
きっと、僕がみっともなく叫んじゃってたから冷静になったんだろうなぁ……もっと、スマートにみんなを助けられるようにならないと『カッコいい男』って言えないかな……先はまだまだ長いみたいだ。
――それにしても、さっきから海未ちゃんがジッとこっちを見ているのが気になる。
そ、そこまで見られるほどみっともなかったかな僕……?
そして、海未ちゃんとことりちゃんの木の枝への避難が完全に終わるころには、夕日はすっかり沈んでしまい、木の上から見える景色は
僕はそんな景色をみんなと眺めながら、みんなを助けることが出来た達成感で胸がいっぱいになる。
するとそんな中、穂乃果ちゃんがゆっくりとこう言った。
「みんな……ごめんね……穂乃果のせいであんなになっちゃって……」
穂乃果ちゃんは普段の様子とは打って変わって、しょげた様子で僕たちに謝った。
きっと、自分のせいでみんなを危険な目に合わせてしまったと思い込んでるのだろう。
だとしたらそれは間違いだ。だって、この事件が起こった最初のきっかけは……
「大丈夫だよ……穂乃果ちゃんは、僕を元気づけるためにここまで連れてきてくれたんでしょ? だったら僕のせいだよ……僕のせいだ。穂乃果ちゃんは悪くないよ」
――そう、そもそも僕がダメダメだったからこんなことが起こったんだ。
最後には何とかなったけど、もし、みんなを助けることが出来なかったら……そう考えると震えが止まらない。
「穂乃果ちゃんも正ちゃんも悪くないよ……ことりが、ちゃんといやだってハッキリ言えたら良かったの……」
「……それだったら私が悪いです……危ないってわかっていたのに、みんなを止められなかった……だから私が…」
僕に続いて、海未ちゃんとことりちゃんもそう言って謝る。
――その後は、「みんな何言ってるの?穂乃果が…」「いや、僕が…」「違うの、ことりが…」「いいえ、私が…」――と、僕たちは口々に自分の責任だと言い合った……そして。
「もう、こんなんじゃいつまでたっても終わんないよ!」
僕はついに我慢できずにそう言ったのだった。
「みんな……悪かったってことでどうですか?」
すると、海未ちゃんが丁度いい納得案を考えてくれた。
僕は内心で、海未ちゃんに全力で賛成する。
「うん、ことりも賛成」
「うーん……なんか、納得できない……」
そんな不満そうな穂乃果ちゃんに、僕は言う。
「――それでいいんだよ! だって……穂乃果ちゃんは、僕たちにこんなにきれいな景色があるって教えてくれたでしょ、ありがとう! 穂乃果ちゃん!」
すると、海未ちゃんとことりちゃんも、僕のその言葉に同意するように頷く。
――そう、確かに今日は、また穂乃果ちゃんの思い付きで散々な目にあったかもしれない。
でもやっぱり僕は、今まで通り後悔はしていなかった。
いや、僕だけじゃなくて、海未ちゃんもことりちゃんも後悔はしていないだろうという確信がある……そうじゃなかったらきっと僕たちは、出会ってから今日まで、ここまで仲良しで居続ける事なんて、出来はしなかっただろうから
「正ちゃん……ことりちゃん……海未ちゃん……」
目に涙を滲ませながらそう呟く穂乃果ちゃんの表情に、やっと少し元気が戻る。
「うん……本当にありがとう。穂乃果ちゃんのおかげで今日、僕は決心する事ができたんだ!」
そして――このまま僕は、今日決意したことをみんなの前で言ってしまおうと思った。
僕は、強い意志を瞳に灯す。
「僕は……決めたんだ! これからはみんなに助けられる僕じゃなくて、みんなを助けられる僕になりたい!」
――それは、弱かったさっきまでの自分への別れ。
「そして今は泣き虫な僕だけど……きっとこれから強くなって……みんなの友達でいて恥ずかしくないような『カッコいい男』になるんだ!」
――そしてそれは、未来の自分への誓い。
僕は、黄昏色の空の下でそんな思いを言葉に乗せ、みんなにそう宣言したんだ。
「………もう
すると、吹く風で消えてしまいそうなぐらい小さな声で、穂乃果ちゃんがそう呟いた。
「え……? 穂乃果ちゃん今なんて……?」
「な、なんでもない! 何でもないから……!」
僕の問いに、穂乃果ちゃんは慌ててむこうを向いてしまった。
でも何となくその顔は、少し赤くなっているような気がしたんだ。
一体、穂乃果ちゃんはどうしちゃったんだろう……?
でも、考えてもわかりそうになかったので、僕は気にしないことにした。
「もしかしたら……また、これからも迷惑かけちゃう事もあるかもだけど……みんな、これからもよろしくね!」
そして、僕は最後にみんなにそう言って宣言を締めくくった。
「……うん! これからもよろしく! 正ちゃん!」
「もちろん、ことりの方こそよろしくねっ、正ちゃん!」
「……はい、よろしくお願いします……正也」
三者三様、みんなの暖かい返事が黄昏色に染まる木の上に響く。
僕はみんなの言葉を聞きながら、今この瞬間、僕は本当の意味で穂乃果ちゃん達の友達になれたのかもしれない――と、そう思ったのだ。
結局この後僕たちは、帰りが遅いのを心配して探しに来てくれたお父さんやお母さん達によって助けて貰い、その後こっ酷く叱られることになって、見事に全員一週間ほどの学校以外の外出禁止令をもらうことになったのだった。
――こうして、僕の身を襲った大事件から始まった今回の大騒動は、僕の穂乃果ちゃんに対する間違った憧れを正し、僕の中の何かをいい方向に変える結果になった。
きっと、今が目標を最初から勘違いしていた僕の、本当のスタートラインなんだろう。
ほんの少しだけど、『カッコいい男』に本当の意味でなる方法が、今日で分かった気がするんだ。
だからとりあえずは、穂乃果ちゃん達をこれからも助けられるような、そんな強い自分を目指そう。
そう――それが、泣き虫な僕が大切な友達の為に出来る事だと思うから――
ここまで読んで頂いて、本当にありがとうございました!
0章の本編としてはこれで終了です。
後は後日談を投稿すれば、この0章は終わりを迎えます。
ではまた、次回の後日談も是非よろしくお願いします!