「そ、その子を人質にするならわしを人質にするみゃあ!」
三十路を越え、頭に鉢巻を巻いた小柄な足軽は頭を地につけて懇願した。
良晴はこれほど頼み込む足軽に困惑していた。
「いや、別に人質にするっていう訳でもないんだけど…」
「お願いするみゃあ!!」
良晴の話を聞かずになお、地面に頭を擦り付ける足軽。
「わしはただのしがない足軽…だがその子ほどの可愛い
命を捨てる覚悟。その足軽の言葉に良晴は心の中で感動をしていた。
ふと気づけば良晴は、元康を離していた。そして代わりに小柄な足軽が傍によってきた。
「あ、ありがとうございます~名も知らない足軽さん~」
「いいんだみゃあ…かわいい女子を救えたと思えば…」
良晴の手から離れた元康は小柄な足軽に礼を言い、小柄な足軽は黄泉の道へ足を踏み入れたような顔をしていた。
「はい~、では皆さん、鬼退治を手伝ってください~」
「……えっ?」
元康が言い放った意外な言葉に良晴と足軽は声を揃えて間の抜けた声を出した。
目の前には鎧を身につけた武将達が集まっていた。
「いや~、身代わりになってくれてありがとうございます~。私はも~ダメかと思いましたよ~。それに時間を稼いでくれたおかげで戦力も揃いました~。皆さ~ん!鬼退治に手伝ってください~!あ~、人質の足軽さんごと切っても構いませんよ~。もう必要ありませんから~。足軽さん~、あなたのことは忘れませんよ~?一刻ぐらい~」
一生じゃなくて、一刻だけかみゃあ!!と涙を浮かべながら叫んでいる足軽をよそに良晴はあることを思い出していた。
わ、忘れていた…松平元康って腹黒いことで超有名な武将じゃねぇか!!
しかし、そんな事を今更思い出しても遅かった。
目の前の武将たちは鬼気迫る勢いで良晴達を襲ってきた。良晴の傍にいる足軽をお構いなしに。
わしの人生もここまでかみゃあ…と完全に生きることを諦めている小柄な足軽。
「…生きるぞ、おっさん!!」
だが、良晴は諦めていなかった。小柄な足軽を小脇に抱え、もう一度川の方にUターンした。
良晴は川の向こうにまた弓兵達や足軽達がいるかもしれない、という可能性は考えていなかった。
だが、あの足軽たちはこの陣形からみて今川の兵達だったのだろう。そして良晴は川の向こうの本陣に(偶然)向かっていった。
もし本陣に向かっているのならば、大将を討ち取られてしまうかもしれない。
大将を討ち取られる=この戦は負ける。そう考えた足軽達は回り道をして本陣に向かっていった。
そして、偶然にも足軽達が去った後に良晴たちはたどり着き、今度こそ兵士たちが伏せていない安全な林の中に行った。
良晴は「はぁ~」と息を吐きながら小柄な足軽を下ろした。
「ど、どうしてわしを助けてくれたんだぎゃ?」
小柄な足軽は死ぬ覚悟でいた。だが皮肉にも鬼だと言われていた良晴に命を助けられた。
「おっさんは良い人だ…本当に…誰かの為に命を投げ捨てる…そういうおっさんの心意気に惹かれたのさ」
良晴は少し照れながら言った。あと俺は鬼ではないと文句を言った。
小柄な足軽は、驚いた。そして、自分の事を評価してくれる良晴をみて泣きかけた。
気がつくと小柄な足軽はまた頭を地につけていた。
「お、おっさん…どうしたんだよ…頭を上げてくれよ」
「わ、わしは農民のせがれ…誰にも認めてもらえず、手柄を立てて出世する為に乱世に足を踏み入れたみゃあ…だが仕えていた今川の殿様はわしを見ることすら嫌っていたみゃあ…だからさっきみたいな行動で誰かに覚えて欲しかったんだみゃあ」
だが、わしはまちがっていたみゃあ。と震えた声で言い、顔を上げた。
「わしはお前様に仕える為に生きるみゃあ!殿!」
良晴は少し困惑した。…えーと、このおっさん今さっきなんて言った?殿?
「いや、おっさん…殿って…」
「わしみたいな小物は嫌かもしれないみゃあ!だけども、何卒よろしくお願いしますみゃあ!!」
だからっ、落ち着けっ!と良晴は訴えるが、何卒!何卒!と頭を下げ続ける小柄な足軽。
やりとりの繰り返しを続けたがついに良晴がわかった、と言った。
「ただし!一つだけ条件があるっ!」
「な、なんだみゃあ?」
良晴は一息ついて小柄な足軽に言った。
「俺は、おっさんの殿じゃなくて、相棒ってことならいいぜ」
「…それだけでいいのきゃ?」
「ああ、おっさんも俺にとっては右も左もわからない状態で知り合った人間だからな。俺にとってはもう相棒みたいなもんだぜ」
良晴は屈託の無い笑顔で言った。
「ああ、そういえば俺の名前を言っていなかったな。俺の名前は良晴。相良良晴だ」
「そ、そうじゃったの。良晴か!いい名前じゃのう、わしの名前は木下―――」
木下、と言ったところで足軽はその先を言えなかった。良晴は死角になって気づかなかったが気づいたのだ。
良晴の背後を狙う者の存在を。
「危ないみゃあ!」
良晴が気づく前に轟音が鳴り響いた。気が緩んでいた良晴には反応できなかった。
眼前に広がる真っ赤な血。自分の体に飛び散る血。だがその血は良晴のものではなかった。
「おっ…おっさん?」
良晴の背後を守る様に盾になった木下という足軽の血だった。
狙撃した男はチッと舌打ちをし、その場から去っていった。
しかし、ここは戦場。油断はできないと判断した良晴は腹を抑えている木下を抱え茂みに隠れた。
「おい、おっさん!しっかりしろ!」
「……ごふっ、良晴…大丈夫か……?」
「なんで…俺のことよりも自分のことを心配しろよ!!」
「よかったみゃあ……お前を…助けることができて…」
良晴は涙を流した。今この瞬間、共に相棒として歩んで行く木下の命がここで散ってしまう無情さを。
「畜生…畜生!!どうしてだよ、なんでおっさんが死ななきゃならねぇんだよ!!」
「泣くな…良晴……わしには大いなる野望があったみゃあ……だけども……お前と出会った時そんな野望はちっぽけだと気づいたみゃあ……わしはお前を守れた…心残りもなく逝けるみゃあ…」
心残りはない。そう言った途端、木下は出血を止める為に腹を抑えていた手を離した。
それを見た良晴は木下の代わりに自分の手で出血を抑えた。
「死ぬなよおっさん!野望を捨てるなよ!!どんな野望か知らねぇけど生きるのを諦めるなよ!!」
「はは……言っていなかったのう……わしの夢はなあ……一国一城の主になって………女子を……守る……」
木下の声がだんだんと小さくなっていったが良晴は所々を辛うじて聞き取れた。
一国一城の主。女子。守る。
おそらく自分の城を建て、愛した女を守ることなのだろう。
「小さくねぇよ……小さくねぇよ、おっさん!男にとって女を守る事は日本男児として最高のことじゃねぇか!!」
「分かってくれるかみゃあ……そういえば……わしの名前をちゃんと……言っていなかったな…」
「分かったよ!!わかったからこれ以上喋るとおっさんが―――」
良晴は悲痛な訴えをかけようとしたが木下の名を聞いた時に思考中止せざるを得ない状況になった。
「……わしの名は……木下……藤吉郎……」
……木下、藤吉郎?いやいやいやいやいやいや、ちょっと待て…木下藤吉郎っていったら……
――――羽柴秀吉…いや、豊臣秀吉!?
「わしの名なんてどうでも良いことじゃった……わしの野望を理解してくれるお前に渡しておくみゃあ……」
「待てよおっさん!死ぬな!あんたが死んだら歴史が……」
「聞け!良晴!!」
死に体の木下藤吉郎から放たれる迫力に良晴は肩をビクッとさせ驚いた。
そして木下藤吉郎はゆっくりと手を頭の方に持っていき、頭に巻かれていた鉢巻を外した。
「わしの野望はこれまでじゃった……だが、お前なら…お前なら必ずわしの野望を果たしてくれるだろう……」
木下藤吉郎は最後の力を振り絞り、目を見開き、できる限りの声を出し、震える手で良晴に鉢巻を渡した。
「わしの
そうして木下藤吉郎は満足したかのようにゆっくり目を閉じ、息を引き取った。
木下藤吉郎―――享年、31歳
相棒である相良良晴に
「そうか…木下氏が死んだ…でござるか……南無阿弥陀仏…でござる」
背後で、舌足らずな少女の声が響いた。良晴がゆっくりと振り向くと忍び装束を着た少女が腕を組んで立っていた。
「……お前は?」
「拙者の名は、蜂須賀五右衛門でござる」
「藤吉郎さんの娘か?」
「違うでござる。拙者は藤吉郎氏の相方。ともに出世を果たそう…という約束でござる」
小柄な少女からはひしひしと藤吉郎との約束というものが伝わってきた。
だが少女は、表情を変えない。この現実を受け入れるしかない、という考えのようだ。
だから良晴はその少女に言った。
「お前は…藤吉郎さんが死んで悲しくないのか?」
それでも少女の表情は変わらない。
「…木下氏は拙者の相方だっただけ。人死にも乱世の理…」
五右衛門は自分でも気づいていなかった。だが、良晴は見抜いていた。
「手が…震えているぞ」
良晴に指摘された途端、五右衛門は双眸の目から涙が流れた。
そして良晴は叫んだ。
今は亡き
原作では忘れられた木下藤吉郎さん。
良晴の成長のために最高の相棒として登場させていただきました。