廊下に出てみたものの、オジサンには直樹がどこに行ったかなど分かりようもなかった。とは言え戻るわけにもいかない。オジサンは新鮮とは言い難い朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、自分を落ち着かせた。目尻に溜まっていたものを手の甲で拭う。
とりあえず歩き始める。
目についた扉から手当たり次第に開けるが、直樹の姿はない。この階にはいないのだろうか。オジサンは階段に着いてそう思った。だとすれば上か下か。
「屋上、だといいんだけどねえ……あそこ、落ち着けるし、何か話すのには最適だからなあ」
ぽつりと呟き、階段を上り始めた。
○
屋上に出ると、眩しくも心地のいい陽の光が降り注ぐ。オジサンは目を細め、直樹の姿を探す。菜園の奥まで行くが、直樹は見つからない。
「いない、か……」
ため息を一つ吐き、踵を返した時、その視線は一点に集中した。
「……直樹君」
直樹は扉のすぐ近くで座っていたのだ。彼女はオジサンの言葉に反応することもなく、体育座りをして俯いている。顔を上げてくれない直樹に、オジサンはどうしたものかと考えて、
「ああ……その、ごめん、直樹君」
オジサンは頭を下げた。
直樹はそんなオジサンに対し、顔を上げた。その表情は暗い。
「何で、謝るんですかっ」
「女の子泣かせちゃったってことだから、男として謝らなくちゃなあと思ったんだけど……」
「……っ」
直樹は何も言わない。オジサンは自分が失敗してしまったのだろうか、と気が気ではなかった。何か言ったほうがいいのだろうけど、言葉が浮かばない。二人の間に静かな時間が過ぎる。
「……私は」
そんな中、直樹が重い口を開いた。
「私は、皆さんに感謝しています」
直樹はオジサンの目を見て、そうはっきりと口にした。
「私は皆さんに助けてもらいました。あの時来てくれなかったら、きっと今、ここでこうして生きていられないと思います」
オジサンは何も言えなかった。
「でも……」
直樹の瞳から涙がこぼれる。
「もっと……もっと早く来てほしかった……そしたら……きっと……っ!」
「……え?」
オジサンの口から出たのは、そんな間の抜けた声だった。
直樹はまた俯き、その表情は伺い知れない。
オジサンはどうしたらいいのか分からなかった。
直樹は言った。感謝していると。
直樹は言った。もっと早く来てほしかったと。
オジサンは、自分が何か大きな失敗をしてしまったのだと、そう感じて、手を力いっぱい握りしめた。
「……我が儘が過ぎますね……助けてもらったのに、こんなこと……」
「全然、そんなことはないよ」
「……ありがとうございます」
「理由を聞いてもいい、かな。その、きっと、の続き。言いたくなかったらいいんだけどさ」
オジサンは暗くなってしまった空気を吹き飛ばそうと、努めて明るい声音で話す。
「……私には、友達がいました。こんなことになってしまってからも、ずっと一緒にいた友達が……でも……ある時、友達は私を置いて出て行ってしまいました……余裕が出てきた今になって、思ってしまうんです」
「そのお友達も、助けられたかもしれない……」
直樹はゆっくりと頷いた。
「ここは電気も水道も生きてて、お風呂まで入れて……一度考えてしまったら止まらないんですよっ! もしかしたらここで一緒に過ごせたかもしれないって! 笑いあえたかもしれないって! そうやって……どうしても消えないんです! こんなこと、考えたって無駄だって分かってるのに!」
堰を切ったように次々と出て来る心の叫び。
オジサンは黙って聞いていた。
「先輩が、みんなが、頼れる人だってわかればわかるほど、この気持ちは消えてくれないんですっ! 私は、自分が情けなくて……っ」
そこでオジサンは自分が言った言葉を思い起こした。
ヒーロー志望で、出来る限り助けたい。
こんな身近な人も助けられていないのに、自分は何を言っていたのだろう。
オジサンはただ悔しかった。
「直樹君」
「……はい」
「そうやって考えるのはね、当たり前のことだと思う。それが正しいんだよ」
「え?」
「こういうこと言うと、何て言うか、怒るかもしれないけどさ。子供っていうのは大人に頼るものなんだ。オジサンだって子供の頃は大人の世話になったりしてたしね。で、こうやって大人になって、その時世話になった分を子供たちにお返しする。そうやって、どうにかこうにかうまいこと回っているんだと思うんだ」
話しながらオジサンは直樹の隣に腰を下ろした。
「だからね、自分を責める必要なんてないんだ。責められるのはオジサンの方だよ。殴られてもまだ足りないくらいにね。……簡単に助けるとか言ってごめん。直樹君の気持ちなんて何もわかってなかった」
「あ、謝らないでください!」
「でも」
「い、いいんです、本当に。オジサンに話したら、少しすっきりしましたから」
そこでようやく、直樹は小さな笑みを見せた。
「そっか」
オジサンはほっと息を吐く。
「うん、なら安心した」
不意に直樹が立ち上がった。オジサンもつられて立ち上がる。
「戻るかい?」
「はい。戻って、お騒がせしたことを謝ります」
そう言う直樹の表情は、先ほどまでとは全く違う、綺麗な表情だった。泣いていたから、目は赤くなってしまっているけれど。
「オジサンも一緒に謝るよ」
そうして、二人は屋上を出ていく。
少しして、彼らをクラッカーの音が迎えた。
新学園生活部、今日から始まり。