彼は再び指揮を執る   作:shureid

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秘書艦瑞鶴の一日 午前

朝霧が着任していた頃の横浜鎮守府は、提督の雑務等の補佐をする秘書艦を、一日ごとに交代して行うことを方針としていた。秘書艦になれば様々な業務に追われ、苦労が多く、疲労が溜まっていくが、その分様々な内情を知ることが出来、勉強になることが多いことが理由だった。その方針を崩すことも無く、朝霧は第六駆逐隊救助作戦の翌日、書類整理が多いのを見て、経験豊富な瑞鶴を秘書艦に任命していた。午前七時、艦娘達はその眼を半分閉じながらも、朝食が作られている食堂へと向かう。そこを受け持っている間宮の作る料理は絶品で、特にデザートに関しては、娯楽が少ない艦娘達の心のオアシスとなっていた。その間宮のデザート無料券が様々な取引に使われることもしばしばだった。朝霧は、龍驤の膝に頭を預けたまま睡眠を取り、次に目を覚ました時には朝日が昇っていた。龍驤は既に居らず、薄い毛布が腹部にかけられているだけだった。司令室の後方にある窓から照りつける朝日が、黒いシャツを汗で濡らしていた。すぐさま司令室の横の部屋にあるシャワーへ向かうと、汗を流す。これほど清々しい気分で起きたのは何年振りだろうか。ソファーで寝たものの、家の布団で寝るよりも疲れが取れ、いつも半目以下だったものが、今朝は倍近く開いている。シャワーを浴びている最中、着替えをどうするか悩んだが、その脱衣所に自分の家にあるはずの着替えが、数着畳まれている事に気付いた。

 

「おかんかあいつは」

 

即座に龍驤の顔が頭の中に思い浮かぶ。用意された服に着替えていると、司令室がノックされたことに気付き、急いで脱衣所を出る。

 

「起きてる?」

 

「ほい」

 

「ほら……ふぁーあ……朝ごはん行くわよ」

 

瑞鶴は午前七時丁度に司令室を訪れ、その半分開いた目をこすりながらあくびをし、食堂へ誘う。朝霧はタオルを首にかけたまま、青い上着を羽織ると、出口へと向かった。

 

「もっと敬意を払ってもいいんじゃないの」

 

「そんなただの風呂上りのおっさんみたいな奴にどう敬意を払うのよ」

 

朝霧は瑞鶴のその言葉に、愉快そうな笑い声を上げると、昨日から何も食べていないことを思い出し、食堂へ向かう足を早める。

 

「……なんか変わったわね、と言うか戻ったわね。昨日龍驤と何かあったの?」

 

「ああ、慰めてもらった」

 

「良かったわね」

 

「瑞鶴は慰めてくれないのか」

 

「黙りなさい」

 

瑞鶴はこの会話に懐かしさを覚えながらも、少しの楽しさを思い出した。三年前は三年前で、この自由気ままな男の手綱を取るのが一苦労だったが、逆に昨日までのこいつはただの不愉快な男だった。馬鹿だが、これの方がこいつらしい。こっちの方が変に気を使わなくていいし、疲れなくて楽だ。それでもなお、沈んでしまった艦のことを思えば、素直に楽しむと言うのは不謹慎と言えるかもしれない、あれはそれほどの事件だったのだ。自分は賢いと言い切れる頭も無い。翔鶴に聞けば答えてくれるだろうか。ただ、もしこの場に赤城や加賀が居れば、間違いなく楽しんで何が悪いのかと答えるだろう、なら。

 

「そうね……まあ、これからも長い付き合いになりそうだし。愚痴くらいは聞いてやるわ。て・い・と・く・さ・ん」

 

「そりゃどーも」

 

そんな会話を広げているうちに、食堂へと辿りついた。朝の食堂は腹を空かせた艦娘達でごった返しており、それぞれ仲の良い艦娘同士でテーブルを囲っていた。

 

「いっぱいね……席空いてるかしら」

 

「いや、先食べてて良いよ」

 

朝霧は、食事を受け取る場所まで歩み寄ると、喧騒に負けないように手を叩き、目の前の食事に夢中な艦娘達の注意を向けさせる。すると、今まで食事や会話に夢中だった艦娘は顔を上げ、朝霧の顔を見てひそひそと話し合っている。ぴたりと喧騒が止んだことを確認すると、それぞれの艦娘の顔を見渡しながら話し始めた。

 

「昨日から横浜鎮守府提督に着任した朝霧です。知ってる人ー」

 

「知ってるのー!」

 

「はーい!」

 

朝霧は右手を頭のすぐ上まで上げると、ノリの良い駆逐艦や潜水艦が飛び跳ねながら挙手する。もちろん川内型や、空母勢は朝霧を知っていたが、瑞鶴や川内達はまたいつものかと溜息を吐き、無視しながら食事をすすめる。

 

「はいどーも。まあ俺の名前くらいは聞いたことがある人も多いと思います。俺から指定するルールは秘書艦を毎日交代でやることです。以上。一つだけ質問に答えよう」

 

朝霧がそう締めると、艦娘達は顔を見合わせ、再び喧騒が食堂内に響く。陽炎は、誰が先に質問するかを言い合ってるのを耳に挟んだ。しかし、第七駆逐隊のテーブル、特に不知火は、先日との朝霧のギャップに騒然としていた。

 

「何かキャラ違うよね」

 

「違うといいますか、別人ではないでしょうか」

 

食事を終え、食器が乗ったトレイを手に持ち、テーブルを離れようとした翔鶴は、その様子に気付きテーブルに近付く。

 

「あの人は本来、あのような振る舞いばかりですよ」

 

「うっそ!……昨日会った時なんて不知火から上機嫌と口数を取ったような人だったのに、信じら――」

 

陽炎がその言葉を紡ぎ終わる前に、不知火の手刀が脳天に突き刺さる。涙目になりながら、陽炎は脳天を両手で押さえつけると、木製のテーブルに突っ伏した。

 

「なんであんな感じだったっぽいんですか?」

 

「皆さんが知っての通り、あのLE作戦で、あの人が指揮していた第一艦隊は龍驤さん以外は轟沈してしまいました」

 

「それを悔やんで、ですか?」

 

「そうね。だから龍驤さんと只ならぬ仲にあると言うのも、それがあってでしょう。昨日も龍驤さんと一晩を過ごし、あのように元に戻られたのですから」

 

翔鶴は、この第七駆逐隊の面々が、先日の深夜までこの話題で盛り上がっていたことを思い出す。その言葉に、第七駆逐隊から黄色い声が上がる。

 

「やっぱり提督は龍驤さんを……」

 

如月は頬を染めながら、未だに軽空母が揃っているテーブルで寝ぼけ眼の龍驤に視線を移す。

 

「はーい、質問――」

 

誰が質問するのかと牽制しあってる中、重巡のテーブルから手が上がる。重巡鈴谷は、第六駆逐隊の沈んだ雰囲気を放っているテーブルに気付くと、今自分が気になっていた昨日の指揮の話を振るのは野暮だと思い、質問を考え直す。

 

「はい鈴谷」

 

「昨日龍驤さんとナニしてたんですかー?」

 

「ナニ?」

 

「ナニ」

 

「ぶっ――」

 

「……大丈夫?」

 

その鈴谷の言葉に、まだ半分寝ぼけていた龍驤は、飲み込もうとしていたものを吐き出しそうになる。噎せ返っている龍驤の背中を、横の席に居た飛鷹が擦る。

 

「残念ながら何もしてません」

 

「えー」

 

各テーブルから野次が飛ぶが、朝霧は気に止めずに踵を返すと、朝食を用意していた間宮の前に立つ。

 

「お久しぶりですね」

 

「いやー、間宮さんの料理をまた食べれるとは、感激よ」

 

「私もまた会えて良かったです」

 

間宮のエプロン着、そしてその全てを包み込むような笑顔に母親のオーラを感じ取りながら、朝食の乗ったトレイを握り空席を探す。すると、川内型の三人が座っているテーブルに、一つ席が空いてることに気付いた。

 

「一緒にいいか」

 

「駄目」

 

「夜中外出禁止にするぞ」

 

川内は顔を上げずに即答するが、朝霧はお構いなしに空席に腰掛ける。

 

「よく昨日の今日で馴れ馴れしく出来るね提督は」

 

「ん?喧嘩したつもりは無かったけど」

 

「んー、そういえばそうだね」

 

昨日は川内が一方的に辛辣な言葉を並べただけと言うことを思い出す。

 

「まあいいや、昨日のままだったら本当に口聞いてやんないところだったけど……ね?神通」

 

「え?あの……」

 

突然話を振られた神通は、川内の意地悪めいた笑みに気付き、顔を俯かせる。散々川内と神通の愚痴に付き合わされた那珂は、朝食を食べ終わると既にうとうとと、船を漕ぎ始めていた。

 

「まー気にしてないよ。いただきます」

 

この男は本当に気にしていないのだろう、黙々と食事を頬張っていくその様子を見ると、自分がこの男の秘書艦を務めた日の食事を思い出す。互いが互いに、口に物を含んでいる時に笑わせようと攻防し合うのだ。その結果、大抵は面白いことをしようと思ったこと自体が面白くなり、川内が勝手に自滅することが多かった。

 

「今度はやめないでね?提督」

 

「善処するよ」

 

川内の皮肉も特に気にしていない様子の朝霧を、つまらなさそうに、かつ少し嬉しそうに見つめていた川内は、食べ終わったトレイを手に取ると、既に本眠に入った那珂の髪を撫でる。

 

「ほーら、行くよー」

 

「んー……那珂ちゃんはー……今日はお休み……」

 

未だに寝ぼけている那珂を引きずりながら、川内達はそのテーブルを後にした。空腹を一気に満たすように、朝食をかきこんでいった朝霧は、川内達が食堂を出るのと同時に食べ終わり、トレイを間宮に返却する。その頃の食堂内では、大多数の艦娘の食事は終わり、各々のテーブルから雑談が始まっていた。戦艦の席に混じり、雑談を交えながら朝食を取っていた瑞鶴を見つけると、背後から忍び寄り、垂れ下がったツインテールを両手で掴もうと狙いを定める。向かいの山城は怪訝な視線を向け続けていたが、気にせず手を伸ばす。しかし、その手を横に座っていた翔鶴に掴まれ、目を合わせながら笑顔を浮かべられた朝霧は殺気を感じ、他のテーブルを見渡す。すると、第六駆逐隊の面々が、じっとこちらに視線を送っていたことに気付き、テーブルに近付いた。

 

「よー、はじめまして」

 

朝霧の緩い表情であげられた右手に、四人の強張った顔が少し、解れたことを確認すると、暁、雷と並んでいる席の間に滑り込み腰を下ろす。普段の二人なら、必ず何かしらのリアクションを取るはずだが、少し朝霧と目を合わせただけで、すぐに視線を落とし俯く。

 

「少しそこは狭いんじゃないかな」

 

「大丈夫大丈夫。そいで、なんか言いたそうな顔してたけど」

 

その言葉に、四人の口は一気に重くなり、電と響は互いに視線を交わし、朝霧は二人の様子から昨日のことであろうと目星をつける。しかし、これは本人の口から告げるべきことであり、気長に待つことを決め、緩やかな表情を崩さずにテーブルにもたれかかる。

 

「…………怖いのよ」

 

集中していなければ聞こえないような、そんな暁の僅かな呟きを、朝霧は聞き逃さなかった。

瑞鶴からの報告で全てを把握している。遠征に向かったと思えば、敵の駆逐艦では到底敵わない敵の主力艦隊と遭遇し、姉妹達が傷ついた。助けを待っていた末に、レ級が此方を確実に沈めるために向かってきたのだ。あの恐怖の凄まじさは、電と響が今こうしてこの席についているのも奇跡だろうと朝霧は思う。雷、暁も、いつ助けが、そしていつ沈められるか分からない恐怖の中、炎天下に晒されながら海上に留まり続けたのだ。

 

「遠征に行くのもね、怖くなったのよ。艦娘失格ね」

 

朝霧は、第六駆逐隊とは面識が無く、四人の普段の様子を知らなかったが、それでもこの雷と暁の気の沈みようは異常と取れた。四人とも確かに、駆逐艦相応の元気が無く、目に生気が宿ってないように見える。その目は、昨日までの自分とはいかないが、それに類ずるものを感じる。

 

PTSD。

心的外傷後ストレス障害。それは強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなり時間が経ってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものだ。震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になると言われており、それに艦娘が罹るのも少しだが報告されていた。普段艦娘は命の危険に晒されているのだが、特に昨日の第六駆逐隊のような、ただ処刑を待つだけのような体験をしたのなら、致し方ない話であった。テーブルに投げ出していた両手を上げると、そんな雷と暁の頭の上に乗せ、優しく、そして力強く撫で始める。

 

「お前らが艦娘失格なら、俺は提督失格だよ。現に今お前らは此処にいる、立派じゃないの。俺なんてビビって勝手に逃げ出してよ、全部ほったらかしてこの鎮守府から出て行ったんだよ」

 

その言葉に、今まで俯き続けていた暁、雷は顔を見上げ、朝霧と目を合わせる。この黒いシャツに青い上着、傍から見れば提督だとは思われないような、自由気ままそうなこの男の言葉が、少しだけ雷と暁の興味を惹いた。

 

「……どうやって戻れたの?」

 

「時間が解決してくれるってのもあったけどよ、まあ自分を思う誰かのおかげよ」

 

「……出撃するまで時間がどれだけかかるか分からないのよ。そんな艦娘もう――」

 

「じゃあプールからはじめるか!俺とか他の艦娘共誘ったら喜んでついてくるぞ」

 

他の艦娘の談笑に混ざり、朝霧は高らか笑い声を上げる。電は、瑞鶴からこの男のおかげで自分達は助かることが出来たことを聞いていた。敵の心理を読み、咄嗟の機転と戦略で自分達を救い上げた提督。高笑いしているこの男も、まさに昨日までは暁達と同様、死んだ瞳を浮かべ、心を閉ざしていたという。三年の月日を要したが、それは朝霧が一人に逃げ続けた結果だった。今の暁、雷には二人の姉妹が居り、鎮守府の仲間がいる。

 

「オラァ!プール行きたい奴手ェあげろォ!」

 

「プール!プール!」

 

「偶には塩の無い水を泳ぎたい!」

 

突如立ち上がった朝霧は、まだ残っている艦娘達に向かい、大声で叫ぶ。またもや駆逐艦や、潜水艦が真っ先に挙手し、重巡のテーブルからもちらほら手が上がる。

 

「ねえ、あの提督っていつもああなの?」

 

先程から目立つ朝霧の奇行に、山城は溜息を吐くと、瑞鶴に視線を戻す。

 

「あんなんでいちいち反応してたら身が持たないわ、無視無視」

 

「あら、瑞鶴。私は興味あるのだけど……」

 

「ダメよ翔鶴姉!あの馬鹿のことだからみんなの水着……きっと翔鶴姉のを見て――」

 

「でも楽しそうねえ」

 

「ダメよ姉様!姉様の水着は誰にも!」

 

朝霧の一言で、今まで各々の話題で談笑していた艦娘達は、プールと言う話題で持ちきりになった。海ばかりでは飽きるので、艦娘はプールと言う存在が恋しくなってくるのだ。新しい水着を買うだの、潜水艦が駆逐艦に潜水勝負を申し出たりと、食堂内は更に活気が増す。

 

「雷ちゃん!暁ちゃん!プール行くのです!」

 

「ハラショー。じゃあ新しい水着を買ってこないと」

 

いつも二人を頼っているばかりの私が、今度は二人を支える番であると、電はそう心に刻み込む。その気持ちは響にもあり、朝霧と目を合わせ、目線でありがとうと伝える。周りが沈んだままの気持ちでは、前向きになるはずも無い。二人の目に、少しだけだが光が戻ったことを確認すると、第六駆逐隊のテーブルを去り、未だに喧騒が続いている食堂を後にした。

 


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