「以上、色々問題はあったけど隊から損耗は無かったわ」
「ご苦労」
第六駆逐隊救出作戦から帰還した瑞鶴は、出撃結果を報告するために司令室へ訪れている。
一足先に戻った筑摩達は、即入渠ドッグに入り、怪我を癒し始めていた。今回は負傷者が多く、普段は使わない場所が多い入渠ドッグを全て開放し、負傷者の回復に充てている。瑞鶴は報告を終え、部屋を後にしようとするも、足が止まりその場で地団駄を踏んだ。
「どうした」
「……あんたのことをまだ認めたわけじゃないけど、今回は助かったわ」
そう捨て吐くと、瑞鶴は司令室のドアを乱暴に閉め、部屋を後にした。入渠ドッグへ、負傷者の詳細を確認するために向かう道中、瑞鶴は今回の作戦について自分のミスの多さに頭を抱えていた。仮にもし、あの男が来なかったら、先行させた重巡は壊滅、それを救助しようと向かった艦隊もじりじりと損耗していき、戦果は無残な結果に終わっていただろう。悔しいが、最後のレ級を取り逃がした時、自分達に成す術はなく、神に祈るしかなかった。あの男はそれすらも先を読み手を打っていた。瑞鶴は唇を噛み締めながらそのことを告げると。
「それはお前らの責任じゃない、俺が持つ責任だ」
朝霧は書類に落としていた視線を上げ、瑞鶴と目を合わせると、その一言だけを残し、再び大本営に提出するであろう書類に目を落とした。その一瞬だが、朝霧の瞳に変化があったように感じられた。三年ぶりに再会したその瞬間は、光と言うべきか、生気が宿っておらず、見ているだけで此方の気力が削がれそうなものだった。
「私は……どうすれば良かったのよ」
あの作戦の責任はあの男一人にあるわけではない。むしろあの男が自分一人の責任だけだと、全て背負い込み、勝手に壊れていっただけなのだ。そんな男を見て、瑞鶴は言葉が見つからず、ただ傍観することしか出来なかった。すると、鎮守府内放送が鳴り響き、軽空母龍驤が司令室に呼ばれた。艦娘の装備を整えるための工廠にて、龍驤は艦載機の整備を行っていたが、その言葉に重い腰を上げ司令室へと向かう。
「失礼するで」
龍驤はあえて司令室のドアをノックせずに入る。これは朝霧が昔提督を務めていた時からの名残りで、朝霧があまりに部屋に入る時ノックをしないため、龍驤も対抗して朝霧が居る時はノックをせずに入っていた。お堅い上下関係を嫌っている朝霧は、特に気にも留めていなかったが、今の朝霧も気にしていない様子だった。
「……ああ」
「……何か用か?」
龍驤も話したいことは山ほどあったが、何から話していいか分からず、まず呼ばれた立場から話を問う。朝霧はバツが悪そうに、深く腰掛けた椅子から立ち上がると、司令室の中心に置かれている、向かいになったソファーの片側に座る。中心のガラス製のテーブルを隔て、向かいに龍驤が腰掛ける。朝霧は何かを言いたそうに口を開けようとしていたが、そわそわと体を動かした挙句、胸のポケットから取り出した煙草に火を着ける。
「ぶっ……」
その様子が、まるで初恋の中学生が人生初めての告白に乗り出すような、そんな初々しさを感じ、思わず噴き出してしまう。
「いや、やっぱキミはキミやなあ」
龍驤は満足げに笑みを浮かべると、腰を上げ朝霧の隣に密着するように座る。朝霧は視線を天井に向け、煙を吹き出す。
「もう無理せんでええんちゃうか」
「何がだ」
「此処にはキミをまだ認めてない艦娘が大勢おるかもしれへん、けど今よりは、前のままのキミの方が絶対取っ付きやすいと思うで」
「………………」
もともと朝霧は無表情、無口等ではなく、むしろ話好きの龍驤よりも話し、よく笑う人間だった。セクハラまがいの行動も珍しくなく、龍驤の中ではおちゃらけた男のイメージが定着していた。しかし、作戦に事関しては真剣そのもので、そのメリハリがあったからこそ、前主力部隊は愛想を尽かさずに付き従っていた。三年の間誰とも接することなく、歪み、捻くれた感情が渦巻いている結果が、今の朝霧だった。咥えていた煙草を、テーブルの上に置かれた灰皿に押し付けると、背もたれに体重を預ける。この司令室の天井を見上げるのは何度目だろうか、三年前もよく見上げていた。自分は全てを捨てた気になり、提督から逃げてきた。しかし、自分が今まで積み上げてきたものはそう簡単に捨てることは出来ないようだ。龍驤が訪ね、不知火が訪ね、救出作戦に立会い、提督に復帰した。偶然が重なったように見えるが、それは全て朝霧を思い続けた龍驤から始まったことだった。繋がりがあり、縁がある。
「人との繋がりを作るのはなかなか難しい、しかし、人との繋がりを絶つことのほうがよっぽど難しいもんだ」
なんて言葉を、両親からよく聞かされていたのを思い出す。隣に居る龍驤は逃げ出した後もただ一人、愛想を尽かさず自分を思い続けてくれた。その手が、あの生活を続け、抜け出す機会を失っていた自分を引き上げてくれた。瞬間、今まで心の胸の奥に溜まっていたものが少し、取り除かれたような気がした。
「言いたい事があったんだ」
「何や?」
「悪かった」
「ええよ。それじゃ、おかえり」
「ただいま」
「何や、えらい素直になったやん」
「…………今日は疲れたな」
朝霧は靴を脱ぎ、ソファーの端に足を投げ出すと、龍驤の膝の上に頭を乗せる。
「ったく、甘えんぼやなあ」
龍驤は懐かしい感覚に陥り、同時にこの瞬間を手放すまいと、朝霧の頭を優しい手つきで撫でていく。そんな二人だけの空間を、僅かに開いたドアの隙間から覗き込む人影があった。
「ちょっと!どうすんのよ!入りづらいじゃない!」
「うわー!龍驤さん大胆っぽい!」
司令室の前にて、作戦により聞きそびれた演習の勝ち方を、聞こうと集合した第七駆逐隊の面々は、ドアの隙間から中の様子を伺っていた。まるで新婚のような雰囲気に、入るタイミングを逃し、六人は立ち往生していた。
「あらー、羨ましいわねえ」
「ふむ。提督は膝枕が好きなのかな」
「睦月も好きにゃー」
色恋沙汰が大好きな駆逐艦娘達は、聞くのは後日にしようとその場を引き上げると、就寝時までその話題で持ちきりになっていた。その後、司令室の前を通りかかった艦娘はみな、ドアの隙間が開いている事に気付き、覗き込んだ先の光景を見て、嬉しそうに言いふらした。翌日から三日間、龍驤はそのことでからかわれ続けることなり、頭を抱えた。