「提督さーん!ていてい提督さーんぽいー!」
ヲ級との邂逅から一週間、変わらぬ日常を過ごしていた鎮守府の面々だったが、電達姉妹と吹雪と共に、近隣の哨戒に向かっていた夕立が司令室へ飛び込んできた。両手からはみ出す程の黒い塊を抱えており、バランスを崩しながらもデスクの前まで駆け寄ってくる。
その日の秘書艦の北上は相変わらずソファーで寝転び熟睡しており、朝霧も暖房が効いた司令室の中でうとうととしていた。しかし、夕立が抱えている物を見るやいなや一気に眠気が吹き飛び、デスクから腰を上げる。
「お前それ……」
「ぽい!」
主人に投げられた物を咥えて持ってきた犬の様に、抱えていた物を差し出してきた夕立の頭をとりあえず撫でると、それを夕立から受け取る。
「何処で拾った?」
「ここら辺全く敵が居なかったから、かなり奥の方まで哨戒に行ったっぽい!」
「それで?」
「少し休憩しようと思って岩場で休んでたら、隙間に入ってたの!」
それは紛う事なきヲ級の頭部にある艤装であり、その持ち主に朝霧は心当たりがあった。艤装を装着していないヲ級等此処最近ではあのヲ級しか居らず、他に居るとも考えられなかった。
どうしたものかとその艤装を見つめていたが、明石に解析させてみようと夕立に工廠へ持って行く様に促した。
「ぽい!」
夕立は朝霧から艤装を受け取ると、再び両手に抱え司令室から飛び出していった。
「…………ふぅ」
「訳ありみたいだねぇ」
「起きてたんかい」
「あんだけ騒がれたらね。それに、あの艤装」
「……ああ。と言っても、本体はもう死んだのが確認されてる。この話は終わり、防空とフラヲ改が減った、喜ばしい事よ」
「…………」
北上は曇る朝霧の表情にそれ以上追及する事も無いと判断し、再びソファーの端に頭を預け寝息を立て始める。朝霧は再びヲ級の事が頭の中を過ぎり、やりきれないと溜息を吐きながらソファーへ腰掛け、北上の頬をつつき始める。
「司令!司令!しれしれ司令!」
今度は慌てふためいた陽炎が司令室に転がり込んで来る。すかさず朝霧の向かいのソファーへ飛び込むと、体を起こし両手でテーブルを叩く。
「何?」
「如月と睦月が!男と!歩いて!いたの!」
「……マジ?」
「マジ!さっき不知火引っ張って買い物行ってる帰り道に見かけたのよ!」
「よし!」
朝霧は無線機に駆け寄り、マイクを鎮守府内へ切り替えると頭の中で現在鎮守府内に居る艦娘を思い出し、陽炎、不知火の他に曙が非番だった事を思い出す。
「曙!不知火!至急司令室へ来るように!」
放送を切ると、陽炎から詳しい話を聞くためにデスクへ座り直す。
「それで、相手は?」
「遠目だったから詳しくは見えなかったけど、同い年位かしら」
「あいつら……」
朝霧はあらかじめ如月と睦月から外出許可証を受け取っており、それが計画的な行動だと判断する。
「って事はナンパじゃないよな」
「あの子達がナンパする訳無いじゃない……それにナンパに乗る性質でもないでしょ」
「何!?敵襲!?」
息を切らせながら司令室の扉を開けた曙は、両手を膝に突き、息を整える。その背後から不知火が部屋に入り、陽炎と朝霧を見た時点で先程の話かと思い、急いで損をしたと溜息を吐く。
朝霧は深刻な表情で両手を組み、顎を乗せ顔を俯かせる。その様子に只事では無いと曙は固唾を呑んで朝霧を見つめる。
「さて、諸君、如月と睦月が男と歩いている事が陽炎の報告から明らかになった」
「……は?」
「と言う事で、不知火、陽炎、曙、俺で尾行したいと思う」
「はい!賛成であります!」
嬉しそうに手を上げた陽炎だったが、不知火は乗り気ではなく、曙に至っては状況が掴めず呆然と立ち尽くしていた。我に返った曙は右手の拳を握り締めると、足を一歩踏み出す。
「まあ、司令が行くなら」
「ちょっといい?」
(ッ……やられるッ!)
笑顔で駆け寄ってきた曙に朝霧は恐怖し、不意を突く様に部屋の隅を全力で駆け出し、司令室を飛び出す。間髪入れず朝霧の背後を追いかけ、司令室から走り去って行った曙を見送った後、陽炎は不知火と顔を合わせる。
「どうする?」
「…………」
「放っておいてあげなよ、そう言う関係じゃないみたいだしさー」
「わっ!起きてたんですか?」
「あれだけ騒がれればねぇ……」
「すみません。北上さんはその相手の事を知っておられるのですか?」
「んー。前手紙のやり取りしてるの見て、聞いてみたんだけど。大規模作戦の時に助けた男の子とらしいよ」
「あの時の……確か海に出た男の子をあの二人が助けたんだっけ?」
「そゆこと。提督が思ってるような関係じゃないみたいだしさ」
「そっか……じゃあ、やめとこか」
「ええ」
一言断りを入れ部屋を後にしていった二人に、ようやく眠れると頭を預けた北上だったが、再び司令室の前に響き渡る足音に嫌な予感が胸を過ぎる。朝霧が戻ってきたのかと思ったがそれは足音が一つであり、誰だろうと想像するが検討もつかず、通り過ぎてくれる事を祈りながら目を瞑る。
「北上さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
しかしその願いは叶う事無く、ノック無しに司令室の扉が開けられたのは本日三度目だなと思い、もしかしたらこの鎮守府は治安が良くないのではと冗談めいた事を考える。その声、その呼び方には非常に心当たりがある。姉妹の声を忘れる筈も無い。その人物が自分の体目掛け飛び込んできたのを受け、ソファーから転がり落ち、素早く避ける。
「おおう、久しぶりだねぇ。大井っち」
「北上さぁん!」
体を起こした北上の両手を掴んだ球磨型四番艦、重雷装巡洋艦の大井は感動の余りその場で泣き喚き始める。目の前に居る大井は紛う事無き自分の知る大井であり、あの作戦からの生き残りである。
「良かった!帰ってきたんですね!」
「うん。待たせちゃったね」
「早く来たかったんですけど!中々都合がつかなかったんです!ごめんなさい!」
北上の記憶では現在大井は舞鶴鎮守府に居る筈であり、よく此処まで来たものだと感心する。
「うん。あたしも久しぶりに会えて良かったよー」
「今日は此処に泊まるので沢山お話しましょうね!」
「良いよー。あたしは今日秘書艦だから、夜にねー」
「はい!……そう言えば、あの人は?」
大井が言うあの人が朝霧であると理解した北上は、どう説明したものかと考えたが、ありのままの事を大井に話す。それを聞いた大井はクスッと噴出すと、穏やかな笑みを浮かべながら体を起こす。
「先に挨拶して来ますね」
「うん、いってらっしゃい」
大井を見送った北上は、ソファーに這い寄ると、仰向けに寝そべり天井を見上げる。そして意外だった大井の反応について考え始める。大井がこの鎮守府に居たのは半年程であり、此方側の海域を攻略するのに舞鶴から呼ばれていた。その当時の大井の朝霧に対する態度は酷いものだった。原因の一つに、自分が朝霧と非常に仲が良かったのがあるだろう。大井は自分の事を非常に好いている。そんな自分が朝霧と仲良くしていたら、面白くないだろう。
最初は喧嘩ばかりしていた。取っ組み合いの喧嘩もしていたが、どっちが勝つかなんて想像に難くない。しかし、大井は表面上は刺々しい態度ではあったが、内心しっかりと朝霧の事を認めていたのも事実であり、北上も大井のそう言う所が好きだった。
姉妹であり、同じ雷巡として大井の本質は知っている。排他的に見えても相手の事はしっかり認めている不器用な性格。自分が沈んだ事に対して、大井は朝霧を恨んでいるのだろうかと考えていたが、今の様子を見るにそれは無いらしく、殺される事は無いだろうと安心し目を瞑る。
意識が遠ざかっていき、心地良い眠りに就く寸前、これで何回目だろうか、廊下を駆け抜ける足音が聞こえてくる。
「金剛お姉さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
止めろ、金剛が此処に居る保障が無いのに何故此処に走って来るんだと北上は渋い顔をするが、その人物が理屈で動いてる訳も無いと諦め、体を起こす。その元気溌剌とした声、今日は良く旧知の仲と会うなと苦笑いしながら勢い良く飛び込んできた比叡と顔を合わせる。
「あれ!?北上さん!」
「おっすひえー」
「久しぶりですね!佐世保から参りました!」
「ご苦労さーん。金剛なら演習場だよー」
「演習場ですか……それにしても」
比叡は司令室を見渡し、あちらこちらへ歩み寄り、懐かしそうに部屋中を歩き回る。其処はかつて自分が育ち世話になった場所であり、比叡からすればこの部屋は非常に感慨深いものだった。
「変わってませんね」
「うん。あたし達が居なくなった時から、ね」
「……そう言えば、金剛お姉さまも」
今この鎮守府に居る金剛は、確かに金剛であるが比叡を知っているあの金剛ではない。北上と違い、朝霧によって再び建造された時点でかつての金剛が戻って来る事は無い。
「ですが、金剛お姉さまは金剛お姉さまです!」
「ひえーらしいね」
北上は旧友と話せた事が嬉しくなり笑顔を見せながらも、本日の秘書艦である北上に、大井と比叡の来訪は知らされておらず、まさかアポなしかと考え肩を竦める。
(ホント……二人らしいねぇ)
「はっ!こうしちゃいられません!演習場へ行って来ます!司令への挨拶はまた後で!」
嵐が過ぎ去った様に一瞬で静まり返った司令室に、もう昼寝する事を諦めた北上は、我が提督である朝霧がそろそろ帰ってくる頃合だと考え、腰を上げる。曙との追いかけっこで喉が乾いているだろうと想像し、久しぶりにお茶を淹れてやろうとポットへ歩み寄る。
この平和な時間も後少しと言うのは理解している。防空棲姫が亡き今、あの海域を攻略する日は近いだろう。近日中に召集がかかったなら、それはそう言う事になる。
そうなれば、作戦が成功しようが、今顔を合わせている面々と再び会える保障は何処にも無い。それ程凄まじい戦闘になるであろう事が想像出来る。
「……でもやるしかない。悲しいけどこれ、戦争なのよね」
気が滅入ってしまうと、頭を切り替える為に夜大井と話す話題を考え始める北上だったが、やはり不安は拭えなかった。そして北上の予想は的中し後日その便りが届き、二日後、朝霧は大本営へ召集される事となった。