彼は再び指揮を執る   作:shureid

42 / 52
恋するヲ級

「あ、おかえり不知火。何でこんなとこに……って誰それ」

 

徒歩で鎮守府へと戻った二人は、何故か食事を終えた筈の陽炎と鉢合わせていた。ヲ級は不知火を無表情で見つめ、不知火はしまったと額に手を当て唸り声を上げる。なるべく他の艦娘に見つからないようにと考えた不知火は裏門を潜り、人気の無い道から食堂へと向かおうと考えていた。

 

「陽炎こそ、何故こんな所に?」

 

その場に明かりを与えているのは、厨房へと続く食堂の裏口の扉から漏れる光のみであり、互いの顔がやっと見えるほどの暗がりの中、不知火はなるべくヲ級を前に出さぬように体を前面へと押し出す。陽炎はヲ級の姿を目撃していたが、不知火が庇ったのに加え、暗がりの中であった為顔を鮮明に読み取る事は叶わなかった。

 

「いやぁ、ちょっとお腹が空いちゃって、間宮さんにこっそり何か作って貰おうと……」

 

「今夕餉を食べてきたのでは?」

 

「今日は何時もよりお腹の虫が暴れてるのよ」

 

「全く……なら不知火が間宮さんに頼んで部屋に持っていってあげるわ」

 

とっとと人払いを済ませておきたい不知火は陽炎を追い返す為、疲労困憊の体に鞭を打ち陽炎が飛びつきそうな提案を申し出る。案の定それに食いついた陽炎だったが、足を踏み出してきた不知火の表情を見るや否や顔を顰め、顔をじっくりと覗き込む。怪我の部分は腕で押さえており、おくびにも出さなかったつもりだったが、陽炎は怪訝な視線を送り続ける。

 

「どしたの?何かあった?……で、あれ誰?」

 

「司令の知り合いよ。気にしないで」

 

「嘘……だろうけどいいわ、事情有りそうだしこれ以上は何も言わないわ」

 

「…………助かるわ」

 

「うーん、今日の所はさっきの事諦めておくわ、あまり無理はしちゃだめよ」

 

不知火を信じ、それ以上追求しなかった陽炎は腹の虫を鳴り響かせながら踵を返した。そんな相方に感謝しながら、不知火は食堂の裏口をノックし、返事を確認した後扉を開く。そして一言断りを入れると、厨房へと消えて行った。成り行きを傍観していたヲ級は、ファミレスでの朝霧と不知火の掛け合いを思い出しながら、今のやり取りを経て胸にもやもやとした物を溜め込んでいた。朝霧が不知火を咎めながらも直ぐに感謝した理由も、陽炎が何も言っていない不知火を気遣ったのも、ヲ級には理解に苦しむ事だった。数分後、裏口から出てきた不知火の手にはトレイが握られており、その上には卵やレタスを挟んだサンドウィッチが乗せられていた。

 

「特別に作って貰いました」

 

「はやーい」

 

「まあ、一応司令を助けて貰った事は感謝しています。これはそのお礼と思っていただければ」

 

不知火の感謝の念にまた、胸の表面を覆うようにもやもやが降りかかってきた。気になっている人間である朝霧が心配で見に出ただけであり、助けた気は無かった。助けたのは結果であり、過程はそうであったと不知火に伝えるが、同じ話だと切り捨てられる。深海棲艦に助け合いの感情は無く、ヲ級自身にはよく分かっていなかった。トレイを手渡した不知火は食堂の壁に背中を預け、少し雲がかかっている夜空を見上げる。同じく壁に凭れ掛かったヲ級は腰を下ろすと、サンドウィッチを手に取り一口頬張る。

 

「おいしい」

 

「間宮さんに伝えておきます」

 

それ以降言葉を発さず、無言でサンドウィッチを頬張り続けたヲ級は、最後の一つを手に取り、口をつけ始める。

 

「私はやっぱり、分からないよ」

 

「……何がです?」

 

「最初はあの提督の指揮で戦ってみたいと思ったの。流石に無理だろうと思ったけどとりあえず会ってみたかった。それが話まで出来て、おいしいものまで食べられた」

 

「良かったのでは」

 

「そう。だけど分かった。私は貴女達と一緒に戦えない」

 

「……」

 

「貴方達は単独では戦わない、艦隊を組む。そんな貴女達と戦う、多分それが私には出来ない。さっきから貴方達の言ってる事がよく分からないの」

 

「……実の所、不知火にもよく分かっていません」

 

「ぶっ、何それ」

 

不知火は空になったトレイをヲ級から取り上げると、それを脇へと挟み壁から背中を離した。

それにつられ立ち上がったヲ級は不知火が見上げていた夜空へと視線を上げる。

 

「先程、何故陽炎が一言も話していない不知火の気持ちが分かったのか。不知火には分かりません」

 

「変なの」

 

「ですが、不知火は陽炎が分かった事に対して、疑問は特にありませんでした」

 

「……分からないよ」

 

「それが信頼です」

 

「……やっぱり、無理みたいだね」

 

ヲ級は名残惜しくコートを脱ぎ、両手に握ったコートに少しだけ力を込めると不知火に差し出す。

 

「……一緒に戦い続ければ、分かるかも知れません」

 

「いや、多分無理。私は深海棲艦。貴女達は艦娘。元から無理があったんだよ」

 

コートを受け取った不知火は、抱えていたトレイと共に裏口横の室外機の上へ置くと、見送ると言いヲ級を先導し歩き始める。背伸びしたヲ級は手袋を嵌めなおすと、闇に溶けるような黒いマントを靡かせながら不知火の後へ続く。

 

「提督に言わなくていいの?」

 

「あの人も分かっているでしょう」

 

「……それも、分かんないなあ」

 

防波堤まで来たヲ級は、海へと飛び降りると一瞬崩したバランスを取り直し、海面に足を着け不知火を見上げる。

 

「色々ありがとね」

 

「はい」

 

驚くほどあっさりと夜の水平線へと消えて行ったヲ級の背中を見届けた不知火は、これから先程までの出来事を瑞鶴や龍驤に事細かく説明しなければならないと思い、その日一番の溜息を吐いた。鎮守府が豆粒程まで小さくなった地点で足を止めたヲ級は、比較的穏やかな波に少し揺られながら空を見上げた。先程食堂から見えた曇りの空とは違い、それは星が鮮明に見えるほど澄んでおり、海上から見る空は手を伸ばせば届きそうであった。

 

「……やっぱり、こっちの方が好きだな」

 

だが心地よくはあった。自分の運命を呪いながらも、ヲ級はとっとと艤装のある岩場まで帰ろうと足を向ける。これからどうしようかと考えたヲ級は、流石にあの鎮守府へ攻め入る気は起きず、隣の横須賀にでもちょっかいをかけてやろうかと画策していた。なんてことは無い。また深海棲艦としての生活に戻るだけだと思っていた。その時までは。

 

「あらぁ、何処へ行ってたのかしら?」

 

艤装のある岩場まで後一海里も無いであろうその場所で。佇んでいたそれは、ヲ級を見下すような視線を送り、不気味な笑みを浮かべていた。

 

「何処でもいいでしょ」

 

ヲ級は平静を装いながら、それの横を通り過ぎようと距離を詰める。

 

「すっごく良い所に行ってた気がするのよぉ。例えば」

 

それの横を通り過ぎる直前、確かにヲ級の耳にその言葉が届いた。

 

「敵棲地、とかぁ?」

 

深海棲艦が艤装を外す事は絶対に無い。外しても何一つメリットが無いからだ。恐らくこれは自分がボロを出す瞬間を狙っていたのであろう。足を止めたヲ級は、一瞬で思考を巡らせると、ある一つの決断を叩き出す。こいつを、防空棲姫と呼ばれているこいつを此処で沈めておくべきだと。ヲ級が身に纏っていた雰囲気が変化した事に気付いた防空棲姫はニヒルな笑みを浮かべると、その白い髪を靡かせながら刹那の間を経て魚雷を発射する。

体を捻りいともたやすくそれを回避したヲ級は拳を握ると、左手の親指を突き出しそれを下へと向ける。

 

「駆逐艦がのぼせあがっちゃった?」

 

「試してみるぅ?」

 

「今日はお友達いないけど大丈夫ー?」

 

防空棲姫。日本で最後に確認されたのはあの作戦以来であり、駆逐艦の名を冠しているものの、その砲撃の破壊力は大和型を一撃で大破させる。何といってもその名の通り、対空性能において右に出るものはおらず、空母の天敵と言ってもいい存在だった。空母ヲ級としての艤装は持っていないが、この化け物の前ではあってないようなものである。ヲ級は素手で防空棲姫を葬り去る手段を選び、一瞬でその距離を詰める。

一方の防空棲姫は余裕の笑みを崩さなかった。丸腰のヲ級相手に引けを取る程柔ではないと、此方へ突っ込んでくるヲ級へ強者の風格を見せ付けるようにその場に棒立ちしていた。驚くほどあっさりと懐へと入り込んだヲ級は、間髪入れず渾身の力を込めた右手を心臓目掛け突き出す。この時、ヲ級は防空棲姫に対する認識を一つだけ誤っていた。LE作戦で艦娘達を最も苦しめたのはその火力でも、対空能力でも無かった。

突き出した右手は防空棲姫の胸へと直撃している。確かな手ごたえを感じたヲ級だったが、眼前に映った防空棲姫の表情は非常におぞましいものであった。

 

「イタイじゃなぁい」

 

全く効いていないと主張するように、余裕を含んだ語気でそう漏らした防空棲姫は、主砲をヲ級の顔面へ向け間髪入れず撃ち抜いた。上半身をほぼ垂直に仰け反らせ、鼻先を掠めていった砲弾を見送ったヲ級は再び拳を突き出す。防空棲姫は防ぐ事をせず、寸分狂わず先程と同じ箇所へ拳が突き刺さるが、表情一つ変えずヲ級を見下している。

その装甲は現在確認されている深海棲艦の中でも類を見ないものであり、並みの戦艦級の火力でも全く歯が立たないものだった。ヲ級の素手が弱い訳では断じて無い、駆逐艦に放てば恐らく跡形も無くなり、武装した戦艦級であろうと渡り合えるであろう。そんなflagshipヲ級改の拳だったが、防空棲姫からしてみれば、全く脅威と成り得なかった。一瞬、自身の敗北を悟ったヲ級は退避する事も考えたが、此処で仕留めて置かなければ後々厄介だと判断する。

しかし、その一瞬の隙を防空棲姫は見逃さなかった。ヲ級の突き出された手を両手で掴んだ防空棲姫は確実に砲撃を命中させる為、ヲ級を引き摺りあげる。

 

「ッ――――」

 

咄嗟に左手で防空棲姫の右腕を掴んだヲ級は、腕力だけで防空棲姫の両手にぶら下がり、体を捻りながら右足を防空棲姫の腹部へと叩き込んだ。蹴りの威力は素手の何倍もの威力を持つ。堪らずヲ級の腕を離した防空棲姫は後ろへと仰け反ると、眼前へ垂れ下がった白い長髪をかきあげる。支えを失ったヲ級は海面へと叩き付けられるが、すぐさま体制を建て直し顔を上げる。そのかきあげられた髪から覗かせた防空棲姫の表情は、苦痛に歪んでいるものではなく、先程と同じく不気味な笑みを浮かべていた。

 

「あらぁ、残念ねぇ」

 

ほぼゼロ距離、避けるには不可能な程迫っていたその魚雷は、ヲ級の右半身へと直撃した。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。