彼は再び指揮を執る   作:shureid

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曙と朝霧提督

息を切らしながら食堂の前まで辿り着いた曙は、膝に手を突き大きく息を吸った。ゆっくりと呼吸を整えると、両手を跳ね上げるように膝から手を離すと、よしと短く呟き顔を上げた。先程食堂から飛び出して凡そ十分も経過していないだろう。食堂からはまだ喧騒が漏れており、つい先刻の曙の一件を気にしたでも無い様子が伝わってくる。握りこぶしを作り、意を決して食堂の扉を勢い良く開くと、中に居た面々は一斉に振り返り、曙に視線を合わせた。それは敵意の視線でも、憐れみでも、同情でも無く、ただ純粋に驚いたといった視線に曙は少し拍子抜けすると、頭を左右に振り大股で面々の前へと躍り出た。食事を続けていた艦娘や、今の今まで雑談に花を咲かせていた艦娘達も手や口を止め、曙へと視線を集めた。

 

(言うのよ……曙)

 

自身が少し震えている事に気付いた曙は、何とか口を開こうとするが、中々開かない自身の口に嫌気が差していた。

 

(このままだと何も変わらないわよッ……)

 

俯き続けていた顔を少し上げると、一番近くの席に座っていた吹雪と目が合う。吹雪はまるで女神のような優しい表情を浮かべると、右手を握り締め曙にエールを送った。曙はそれに後押しされる様に顔を思い切り振り上げると、肺から込み上げる空気に乗せ一番伝えたい胸の内を言い放った。

 

「ごめんなさいッ!」

 

食堂の隅から隅まで響き渡って行った声と同時に、曙は振り上げた頭を思い切り下げる。曙の一世一代の勝負の時、これ程緊張した瞬間は戦艦級と対峙した時にも無かったであろう。静まり返る食堂に、口から飛び出しそうな心臓の鼓動を押さえつけ、皆の応答を待った。

もし、許されなかったら。あれ程大見得切って出て行った人間がものの十分で戻ってきて、許してもらおうなど虫が良すぎるのではないか。凡そ五秒も無かったその静寂の間、頭の中を様々な思惑が交差し、気が気ではなくなりそうになった。しかし、そんな曙の小さな考えを吹き飛ばすように、食堂は大歓声に包まれた。

 

「良く言ったぞ!今夜は飲み明かそう!」

 

「うむ、一件落着のようじゃな!」

 

曙は突然の出来事に体を一瞬震わせると、顔を上げ何事かと辺りを見渡した直後。

 

「曙ちゃぁぁぁぁん!」

 

視界に入ったのは目尻に涙を浮かべている吹雪の姿だった。吹雪は曙に飛び掛ると、そのまま両手を背後に回し押し倒した。

 

「ちょっ、何よッ!」

 

「もぉ!曙ちゃんが出て行っちゃうんじゃないかって心配したんだよ!」

 

曙は頬を赤らめると、気恥ずかしそうに目を逸らし吹雪を押しのけた。

 

「辞めないわよ。もう吹っ切れたわ、何処かのお馬鹿さんのお陰で」

 

吹雪はそれが朝霧の事を指しているのだと察し、感謝の意を心に浮かべながら曙に寄り添い食堂の面々に頭を下げた。

 

「気難しい子ですがどうかよろしくお願いします」

 

「出会ってまだ初日の人間に言われたくないわよッ!」

 

「だって、もう友達だもん」

 

二人の掛け合いに食堂内は笑いに包まれる。その様子を傍から傍観していた瑞鶴は、周りとの空気に隔離されているかのように、一人物思いに耽っていた。もし朝霧が来る前の鎮守府でこんな事をのたまわったなら、言いたくは無いが即干されていただろう。それ位皆心に余裕は無かったし、他人を最低限気にかけることしか無かった。たとえ戦況が有利で心の余裕があったとしてもこの雰囲気を作る事は叶わなかっただろう。一人一人が秘書艦を毎日交代する七面倒臭い制度だったが、朝霧は会話の中で悩みを聞き、相談に乗る事で心の負担を取っ払っていた。心に余裕があるのは非常に重要だ。余裕が無ければ焦り、焦れば判断を誤る。

 

「……何かむかつくわね」

 

「瑞鶴?」

 

「先に戻ってるわね」

 

食器を返した瑞鶴は、まだ喧騒の止まない食堂を後にした。

 

 

翌日の昼下がりの司令室、その日の秘書艦として任命された曙は、右往左往しながら部屋中を駆け回っていた。一応の罰として司令室に存在する書類の整理を言い渡され、勝手が分からないながらも書類整理と悪戦苦闘していた。ソファーにふんぞり返り、煙草を吹かしながら愉快そうにその様子を見ていた朝霧に殺意を覚えながらも、性根が真面目な曙は日が暮れるまでに仕事を終わらせようと必死になっていた。しかしどうだろうかこの鎮守府は。

 

「ちぃーっす!昼寝に来たよー!」

 

「おーおー、頑張ってるねー……お休み」

 

「のび太かお前は」

 

昼寝常習犯の鈴谷と北上が訪れ、我先にとソファーへ飛び込んだ。鈴谷は空いたソファーに、北上は朝霧に頭を預け何処かの眼鏡の少年よろしく、目を閉じた瞬間には既に寝息を立てていた。汗を流しながらせっせと働く傍で気持ち良さそうに寝られてしまっては、モチベーションが下がってしまう。恨めしそうに睨む曙に、朝霧は空いている左側のソファーをおいでと言わんばかりに手で叩いた。

 

「クソ提督ッ!」

 

誘惑を断ち切った曙は再び書類整理に戻る。すると二人に続くように、二つの人影が勢い良く司令室へ飛び込んでくる。

 

「ぽいぽーい!」

 

「遠征帰りで少し眠いね」

 

「ぽーい」

 

「ぽい?」

 

「ぽいぽい」

 

「ぽい!」

 

「日本語で話そうよ……」

 

夕立は朝霧の膝の上に飛び込むと、頭を胸板へと預ける。苦笑いしながら時雨も夕立の傍へと歩み寄るが、せっせと動き回っている曙に気付き声をかける。

 

「手伝おうかい?」

 

「いいわよ。私の仕事だから……おやすみ」

 

既に目が泳いでいる時雨を気遣い、助けを断った曙は、そのままソファーの端に座り寝息を立て始めた所まで見送り、書類に目を落とした。それから凡そ二時間程経っただろうか、何時の間にか眠っていた朝霧も含め、五人は誰も目を覚ましていない。整理に一区切りを付け、一息吐いた曙はお茶を淹れ一気に飲み干した。

 

「ふぅ……大体終わったわね。……にしても」

 

ソファーの前に回りこんだ曙は、幸せそうに口を開けいびきをかいている朝霧を見て少し羨ましくなった。これ位素直に生きられれば、どれ程楽になるだろうか。曙は辺りを見渡すと、人影が無い事を確認し足音を立てないよう朝霧に忍び寄る。

 

「……むぅ。そうよ、これは頑張った自分へのご褒美よ、三十分くらい」

 

早朝から駆け回っていた曙は、心地の良い眠気に襲われており、更に目の前で気持ち良さそうに眠られていた事もあり眠気が限界に達していた。目を擦りながらソファーに腰掛けると、頭を背もたれに預け、朦朧とした意識の中で朝霧に頭を預けている北上に視線を向ける。

 

「……ごほうび」

 

少し悩んだ後、空いている左肩に頭を乗せそのまま意識を手放した。

 

「……わぁぁ!寝過ごした!?」

 

夢の中まで聞こえてきた警鐘に飛び起きた曙は、真っ先に時計を確認する。既に時計の針は六時を刺しており、当初起きようと思っていた時間を遥かに越えていた

 

「おーおはよう」

 

デスクで一枚の書類を手にしていた朝霧は、その書類を両手で丸め込むとゴミ箱へと放り込んだ。瑞鶴に一言告げ建造依頼を撤回した朝霧は、曙に歩み寄り問題をあっさり解決した吹雪に感謝しながら腰を上げた。

 

「……吹雪は良い艦娘だな」

 

「へっ?……え、ええ。確かに良い子ね」

 

「……えらく素直になったな。誰かに似て」

 

半年前の自身と曙の姿を重ね合わせながら、人との繋がりの大切さを再確認し、上着を羽織る。

 

「ほら、飯だ飯。いくぞー」

 

「ちょ、待ちなさいよ!」

 

慌ててソファーから飛び起きた曙は朝霧の背中を追う。肩を並べ食堂へ向かう道中、曙はふと朝霧に声をかける。

 

「ねえ、提督」

 

「ん?」

 

「……ありがと」

 

「んんっ?聞こえなかったな、もう一回言ってくれ」

 

「…………ッチ」

 

「ちょっ!ギブギブギブ!すみませんでしたッ!」

 

朝霧のしたり顔に曙は朝霧の腕を捻り関節を極める。

 

「この私が来たからには、この鎮守府は安泰って言ったのよッ!クソ提督!」

 

腕を唸りながら押さえている朝霧を尻目に、曙は夕餉を終えたら佐世保に居る潮達に手紙を書いてみようと決め、鼻歌交じりに食堂へ駆け出した。


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