後部座席で揺られていた如月は、横に座っている睦月の顔と窓から見える景色を交互に見比べていた。うつらうつらと舟をこぎそうになっている睦月に少し笑いを漏らすと、背もたれに体重を預け窓からの景色を見つめる。ついに南方攻略作戦が展開され、鎮守府は慌ただしくなっていた。数ある鎮守府の中でも高い戦力を誇っている横浜鎮守府からは、大規模作戦の際に艦娘が他鎮守府へ転属になることが多々あった。主力部隊が抜けてしまった鎮守府は戦力が手薄になる。それに加え、備蓄されている資材は殆どが作戦に投入される為、鎮守府に残された艦娘達は必然的にコストがかからない駆逐艦が多くなる。既に北部や東部にある鎮守府からは南方へと作戦部隊が先行しており、今回の作戦の要となる佐世保鎮守府からも本隊が出撃したとの報告が全鎮守府に届けられた。会議の結果、如月と睦月の二人は駆逐艦の数が不足していた呉鎮守府への転属が決定していた。転属と言っても作戦時のみであり、作戦が終了次第横浜へと戻る。睦月型は総じて耐久に乏しい。朝霧は決して口にはしないが、自分達が海路で呉鎮守府へ向かわないのは、その装甲から他の駆逐艦と比べ大破する可能性が高く、安全の為陸路で作戦海域へ向かっているのではないかと感じていた。駆逐艦娘であることは誇りに思っている。しかし、性能の壁はどうしても超えられない。
夕立及び時雨はその性能から他鎮守府に引っ張りだこになる事が多い、陽炎や不知火も同じだ。その上まだ大規模改装を残していると言うのだ、末恐ろしくなる。しかし自分達はどうだろうか、第一次改装を終えただけで、次の大規模改装の目処は立ってない。どれだけ体を鍛えても、砲撃の火力が上がる訳では無い。どれだけ足を鍛えても、速力が上がる訳では無い。
無論鍛えることにより扱いの練度は変わってくるが、機械を扱っている以上元々の性能を超える事は叶わない。過去に睦月型が作戦の為に見捨てられ、散っていった例もある。
「……むー……どうしたの如月ちゃん?」
「えっ?」
自然と眉間に皺を寄せていることに気付いた如月は、直ぐに何時も通りの表情を浮かべる。
「難しい顔してたから」
それでも如月は腐る事は決してなかった。それは朝霧が出発時に自分達に持たせた荷物、その艤装以外に託された二つの装備は朝霧の信頼が前面に出ている物だった。三式水中探信儀と三式爆雷投射機、三式ソナーや三式爆雷と略されることもある。潜水艦に対して大きな打撃を与える事の出来るソナーと爆雷は、まだ数が普及しておらず一般的に使われるのは九三式ソナーや九四式爆雷である。その性能を大幅改良したそれは非常にレアリティが高く、本来大規模作戦の為に佐世保へ輸送されてもおかしくない代物である。
「これを……如月達にくれるの?」
「内緒な、それ公にしてないから」
「って、勝手に作ったの!?」
朝霧が現役時代に残した小さな鍵、それはまだ資材管理が疎かの時代に少しずつ備蓄していた資材の保管庫だった。秘密裏に明石と装備開発を進め、朝霧は主砲や艦載機開発では無く、駆逐艦の強みと言える潜水艦への打撃の強化に重点を置いていた。その結果資材をほぼ使い尽くし完成したのが三式ソナーと三式爆雷だった。現在資材管理は厳しく、開発した装備は逐一資材消費量と開発結果を報告する義務がある。
「こんなの上にバレたら即作戦の為に上納だよ」
「でも……」
「いいんだよバレなきゃ、それにお前らにしか出来ないことがあるだろ。俺に出来るのはそれを後押しする事だけだから気にすんな」
命令違反の危険を冒し、果てには性能に乏しい自分達に託された最新装備。しかし気負いする事は決して無く、信頼の証として受け取ったそれは二人に多大な勇気を与えた。
(……ありがとう。あなた)
「何でもないわよ……それはそうと、睦月ちゃんは如月達の行先覚えてる?」
「もー!覚えてるよー!」
如月は無邪気な笑顔を振りまいている睦月に感化され、自然と笑みを浮かべられていた事に気付き小声で感謝の意を述べると、呉到着までまだまだ時間がある事に気付き体から力を抜いた。横浜鎮守府に残された朝霧は、誰も居ない食堂にて編成資料を見ながら一人で酒を呷っていた。主力部隊として空母や軽空母、戦艦に重巡と、主力戦力が殆ど駆り出されており、鎮守府に残されている主戦力は榛名のみであった。大規模作戦ほど練度が高まるものは無く、進水して間もない金剛は作戦の部隊に組み入られていた。三杯目の日本酒を胃袋に流し込んだ瞬間、食堂の扉がガラガラと音を立て開かれたが、朝霧は気にせず目線を落とし酒を呑む。
「……提督」
サイドテールを揺らしながら、朝霧の席の向かいに腰を下ろした一航戦の加賀は間宮から杯を受け取り日本酒を注ぐ。
「不安そうですね」
「不安だよ」
大規模作戦に全ての戦力を投入してしまい、鎮守府が襲撃され落とされてしまっては本末転倒である。正規空母として高練度の瑞鶴と翔鶴が作戦に参加し、代わりに横浜に加賀が転属する事が決定していた。作戦に参加する正規空母は二航戦に五航戦、大鳳や海外艦等多くの主力が投入されている。一航戦の戦力は絶大だが、正規空母の数は作戦に足りており、二人は今回待機の命令となった。
「安心出来る作戦なんて無いからな」
「……そうですね、ですが提督の艦娘達は非常に優秀です。きっと戦果を上げて帰ってくるでしょう」
「……だといいけどね。で、墨田とは最近うまくやってるの?」
「はい。まだぎこちない感じはありますが、段々皆からの信頼を集めています」
「そうかい」
「提督のお陰です。感謝してもしきれません」
「そりゃどーも」
その時、突如朝霧の携帯電話が食堂内に鳴り響き、加賀は驚きのあまり杯を落としそうになる。ポケットから携帯電話を取り出すと、ディスプレイを確認する。そこに表示されていたのは如月の携帯番号であり、加賀に一言断りを入れ即座に通話ボタンを押す。
「すまん」
「はい」
電話に出た朝霧の耳に届いたのは焦燥を含んだ如月の声であり、嫌な予感が先行し一気に酔いが醒める。
「どした」
「今静岡辺りなのだけど、車が止まったのよ」
「……なんで」
「事故みたい……凄い渋滞よ」
「……ドライバーに代わって」
「朝霧中将でありますか?」
「ほい、渋滞してるって?」
「はい、先の事故の影響で、車は当分動きそうにありませんね」
「んあー……公共交通機関使っとけばよかったか……近くに駅はある?」
「…………はい、車を降りて南下していけば駅があります。徒歩で二十分程でしょうか。高速道路を降りたばかりなので徒歩で向かうことは可能です」
「駅使った方が早そうかね。如月に代わって」
「司令?如月よ」
「地図で駅の場所を確認、艤装を持って駅にいけるか?」
「ええ。任せて」
「何かあったら逐一報告、以上」
電話を切った朝霧は携帯電話を机の上に置き、再び腰を下ろす。
「……何か?」
「んにゃ大した事じゃないよ。まー作戦ってのは何か起こるのが通例なのか」
電話を切った如月は携帯電話をポケットへしまうと、地図を受け取り駅の位置を確認する。
ドライバーに頼み車を路肩に寄せて貰うと、後部へ回り込み艤装が入ったバッグを肩にかける。
「じゃあ、後はお願いしますね」
「はい、お気をつけて」
如月と睦月は地図を睨めっこしながら、少し寂れた下町の商店街を歩き始める。艤装の重さに息を切らしながら商店街を歩いていた睦月は、腹の虫が鳴り始めた事に気付き、如月に目線で合図を送る。昼時を過ぎたものの、商店街の各方位からは食欲をそそる匂いが漂っており、睦月の腹の虫は更に暴れ始める。
「ご飯食べる?」
「うん、お腹空いたにゃー」
「さっき調べて貰ったら、特急電車に乗るまでまだ時間があるみたいね。ご飯にしましょう」
如月は辺りを見渡すと適当な食堂へ足を向け、展示されていた食品サンプルを見て食欲が生まれ始める。睦月が我慢出来ないと扉の外から中が混雑していないことを確認すると、引き戸に手をかけ扉を開ける。
「こんにちは」
「こんにちはー!」
「いらっしゃい」
ちらほら仕事の休憩中であろう客が居るものの、昼時が過ぎている店内は空いており、店の端に場所を決めバッグを床に置き睦月はソファーに飛び込み、如月は向かいの椅子に腰かける。
店主であろう初老の女性が水をテーブルの上へと置くと、目を輝かせながらメニューを食い入る様に見つめる睦月の様子を見て笑みを浮かべる。
「見ない顔だけど、旅行かい?」
「……はい。お薦めはありますか?」
「ウチの海鮮焼きそばは絶品だよ」
「焼きそば食べるー」
「きさ……私も焼きそばにしようかしら」
「はいよ」
メニューを賜った店主が厨房へ入っていくのを見送ると、出されたお冷に口をつける。汗をかいた体に染み込むお冷に唸りを上げる睦月を見て微笑みながら、如月は両肘をテーブルに突き頬へ手を当てる。その時、食堂の扉が勢い良く開かれ、二人は体を震わせ何事かと入口に視線を移す。入口にはまだ若い青年が立っており、食事を進めていた初老の男性達が座っているテーブルへ駆け寄る。盗み聞きするつもりは無かったが、狭い店内に数名の客のみでありその声は二人へと届く。
「山口さんの所の若いのが海に出たって……」
「っ……何だと!?今は鎮守府から哨戒が出ておらんぞ!」
深海棲艦の特徴の一つに、攻撃対象は船、そして鎮守府のみと言うものがある。今まで深海棲艦が鎮守府以外の海沿いの町に攻撃した例は報告されておらず、現在も海沿いの住民は変わらず生活を続けている。しかし、一度海へ出てしまえばその船は深海棲艦の攻撃対象になり、轟沈される可能性がある。その為海に出る時は艦娘による護衛が不可欠であり、睦月達も度々船舶の哨戒任務に当たっている。現在は大規模作戦が展開されており、護衛を依頼する事が出来ず、どの町も海へ出る事は控えていた。
「また山口さんと喧嘩したとかで……」
「連れ戻せ!沖に出たらどうしようもないぞ!」
男性達は慌ただしくカウンターへ食事代を叩き付けると、一斉に店外へ飛び出していく。
その様子を傍観していた二人は顔を見合わせる。
「……どうするの?如月ちゃん」
「どうするって……如月達は早く呉に……」
その時、トレイに焼きそばを二人前乗せた店主がテーブルへ歩み寄り、皿を二人の前に並べる。出来立ての焼きそばは二人の食欲を刺激するが、先程の話が脳内を先行しており、箸を手に取らず店主へ疑問をぶつける。
「ごめんね、騒がしくて」
「さっきのって……」
「ああ……将来漁師を継ぐかどうかでよく揉めてる親子が居てね……こんなご時世、親は海の男なんて継がせたくないんだけどね」
「でも海へ……」
「……ええ、助けに出てるだろうけど……今海に出たら……」
二人は再び顔を見合わせると、無言で頷き箸を手に取り焼きそばを一気に胃袋へとかきこんでいく。
「ちょっと、そんなに急がなくても」
「っん……急いでやる事が出来ました」
「っはぁ……ご馳走様!美味しかったにゃー!」
二人はバッグを肩にかけると、代金を支払い店の外へと飛び出す。一目散に港へ駆け始めた睦月の後を追う如月は、道中携帯電話を取り出し再び朝霧へ通話をかけた。