彼は再び指揮を執る   作:shureid

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彼は耽る

 

「じゃあ行ってくるね、提督」

 

雲ひとつ無い晴天の下、海原へと抜錨していった年端も行かぬ少女達。

その後姿を何度夢で追いかけただろうか、決して届くことの無い右手を永遠と伸ばし続ける。

 

無精髭を蓄え、目元に深い隈を浮かべた男は、蛍光灯を掴む様に天井へ手を翳す。あの日から眠れたことなど一度も無かった、頭の片隅から離れたことなど一度も無かった。頭痛を覚えながらも毛布を蹴散らし、ベッドから這い出た男は散乱していた煙草の一本を手に取り火を着ける。クローゼットに寄りかかると、何も見据えることの無いその視線を再び天井へと向ける。男はその時の始まりを、寝起きの頭で思い起こしながら再び目を閉じた。暗い視界に浮かび上がるのは初めて話した艦娘の顔であった。もう五年前になるだろうか、男は提督と呼ばれる職に就いた。

 

突如現れた海を荒らす怪物、深海棲艦。

その怪物を打ち倒す者艦娘。

それを指揮する提督――。

言わば人類の救世主であった。

 

普通提督には軍属の人間が選ばれる。深海棲艦が現れてからは、提督学が海軍兵学校の過程に組み込まれ、その中から優秀と判断された者が提督として選ばれていた。その後、港に深海棲艦防衛策として莫大な税金を投入し、鎮守府を建設。当初は人類の反撃の拠り所として機能させようとしたが、その思惑は外れ、大本営を悩ませる結果となっていた。深海棲艦に打撃を与える指揮を執れる者が現れなかったのだ。

学生時代には優秀な成績を修めた者も、いざ深海棲艦と戦うとなると、押し寄せてくる深海棲艦に防戦一方であった。莫大な税金を投入した手前、どうしても成果が欲しかった大本営は焦り、成果を挙げることの出来なかった提督を鎮守府から除名し、次の提督へと引き継がせていた。一年の間、ジリ貧な戦いを繰り返している内に、深海棲艦は海域の半分近くまで詰め寄っていた。国民は引きあがり続ける税金に耐え切れず、デモを起こす寸前であった。そんな情勢に大本営は頭を悩ませ続けていた。その渦中、防衛の要とされている、横浜鎮守府にある男が着任した。

 

「……ここが横鎮か、広いなー」

 

海軍兵学校卒業時の成績は可もなく不可もなく、そんな自分に防衛の要所である横浜鎮守府提督の仕事が回って来たのだ、世も末ということだろう。なんでも前提督は大本営からの圧力や深海棲艦の恐怖に発狂し、夜の間に逃げ出したとの話だ。一家全員が軍属という身から、両親に無理やり学校に入学させられ、特に居たくもない軍に従事している身だ。戦場に出たことも、本物の指揮を執ったこともない。どうせすぐに除名され、いつもの仕事に戻るだけだ。しかしまあ、仕事は仕事である。横浜鎮守府の門を潜ると、事前に入手していた見取り図を手に、司令室へと足を向けた。

司令室へ向かう道中、何人の艦娘とすれ違ったが、どの娘も自分の風体を見るやいなや、緊張した面持ちで敬礼し、自分がその場を離れるまで敬礼を続けていた。

誰に語る訳でもなく、敬礼している艦娘を横目で見ながらぼやく。

 

「律儀なもんだねえ、やっぱりお堅い場所は肌に合わないなー」

 

司令室まで後少しといったところであろうか、廊下の少し先から綺麗な黒髪から肩までかかる程のおさげを垂らした、大人しそうな女の子が歩いてきていた。その女の子は自分の姿を見ても、これといって緊張するわけでもなく、壁に寄り自分に道を空けると、やる気無さそうに敬礼をした。その憮然とした態度は嫌いではない、むしろ好感がもてた。艦娘は写真では見たことがあったが、やはり実際見てもただの少女にしか見えない。

 

「えっと、司令室はこの先でいいの?」

 

もちろん司令室の場所は把握していたが、その少女に興味が湧き、話しかけるネタとして利用する。

 

「えーっと、はい、そこの角を曲がれば……すぐです」

 

「ありがとう、名前は?」

 

その時点で少女は敬礼を止め、自分へ向きなおす。

 

「雷じゅ……あー……重雷装巡洋艦の北上です。……あなたが新しい提督ですか?」

 

違和感丸出しの敬語に少し笑いそうになりながら、北上と向きなおす。

 

「敬語が嫌ならいいよ別に、気にしないし」

 

「そう?助かるー。あんまりお堅いの合わないんだよね、あたしって」

 

北上はけらけらと笑うと、人懐こそうな笑みを浮かべ、壁に寄りかかった。

 

「今までの提督はお堅い人多かったからね、提督は頑張って続けてよね?」

 

北上は悪意無く言ったようだが、こっちの事情を知っている者からすれば笑えない台詞である。お上はなりふり構ってられないのだ、血税を使い、成果を挙げられない日々が続く。そんな大本営に不満を募らせた国民が、鎮守府の存在意義について問うようになってきたのだ。もちろん北上にとっても笑い話ではないのだが、こっちの裏事情は彼女達には通らないようにしている。当然だ、命を張って戦うのは彼女達艦娘なのだから、余計な不安をかける必要は無い。

 

「まあぼちぼちやるよ、じゃあまた」

 

「はいよー」

 

北上と別れると、廊下のあちこちに目をやり、横鎮の部屋の多さに驚きながらも指令室の前へと辿り着いた。ドアノブに手を伸ばすが、少し緊張し手を引っ込め、深呼吸する。

 

「……ふぅ、なるようになるか」

 

決意を固め、ドアノブを捻る。

その扉を開いた瞬間から、俺の提督としての生活が幕を開けたのだ。

 

 

 

「ふぅ…………」

 

 

目を開くと、煙草から肺に入れた空気を天井へと吹き出す。もう何度目だろうか、そのドアノブを開くまでの光景を思い出すのは、そんな平凡よりショッキングな事件が多数あったのだが、その光景が脳裏にやたら染み付いている。提督になってしまった後悔からだろうか、着任する前のことばかり思い出してしまう。思えばああなる前に辞める機会はいくらでもあった、しかし、何も特技がないと思っていた自分が深海棲艦を屠り、人類の英雄として奉られた時の快感が忘れられなかったのだ。天賦の才というやつだろうか、深海棲艦がどう攻めてくるのか、何を狙っているのかが手に取るように分かった。学問優秀な同輩には出来ず、苦労せずにそれが出来ていた俺は天狗になっていた。兵法も大して学ばず、独自の戦略で深海棲艦を屠り続ける。常勝船隊とも言われていた、しかし今思えばそれは運が良かっただけなのだろう、艦娘の轟沈、つまり艦娘を死なせることがなかったのも、ただ運が良かっただけだ。そのことを思い知らされたのは着任してからちょうど二年が経った夏の日だった。横浜鎮守府の艦隊は、敵に侵略された海域を破竹の勢いで奪還し、それにあおられ周りの鎮守府も我こそはと士気を上げ、人類は快進撃を進めていた。

そして、侵略された海の八割以上を取り戻した時、各鎮守府の提督が大本営から招集され、告げられたのだ。

 

LastEnemy海域強襲作戦。

 

どれ程大本営がその時を待ち続けてその名前が付いたのか、人類が海の主導権を握るための最後の最重要海域からそう名付けられた。

そのLE作戦では、負け知らずだった俺の第一艦隊が第一主力艦隊として選ばれることになった。

 

正規空母赤城。

正規空母加賀。

軽空母龍驤。

高速戦艦金剛。

高速戦艦比叡。

重雷装巡洋艦北上。

 

 

赤城を旗艦としたその第一主力部隊は、もはや人類反撃の要といっても過言ではなかった。

他鎮守府からも高練度の艦娘が選ばれ、大本営や民衆、そして各鎮守府に所属する提督や艦娘までもが勝利を疑わなかった。ドックから海原へ抜錨していく艦娘達を見送ると、何の不安も無く提督室へと戻った。基本的に最重要海域を攻略する時は、電波により敵に場所が悟られないよう無線を封鎖するか否かの判断を下す。無線を封鎖するとこちらの指示が届かず、予想外のことが起き艦隊に乱れがあった時に混乱し、危険が増すが、偵察機に見つからない限りは敵からの居場所の特定が困難というのは非常に魅力的であった。その時の俺は、彼女らの意見を聞き入れ、無線封鎖を行うことにした。そうなると抜錨前に戦略を伝え、後は現場の判断に任せるしか無いが、横浜鎮守府の第一艦隊は全員が高い練度を誇り、経験も大いに積んでいたため、よほどのことがあっても混乱することなど無いと考えていた――。

 

 

その結果、鎮守府へと生還したのは、大破した軽空母龍驤のみであった。

他鎮守府の艦隊も半分以上の艦娘が轟沈し、その日、人類は大打撃を受けた。

皮肉にも人類が勝利を確信していた日に、主力艦隊壊滅、支援艦隊半壊と言う人類が大敗した知らせが届いた。煙草を一本吸い終わり、もう一本の煙草をくわえ、火をつけようとマッチを擦ろうとした瞬間、部屋中にチャイムの音が鳴り響いた。宅配を頼んだ覚えも、自分を訪ねる来訪者の覚えも無い。男は一瞬出るか悩んだが、煙草とマッチをシャツの胸ポケットに入れるとゆっくりと立ち上がり、ドアへと歩み寄った。その安っぽい部屋には覗き穴が付いていないため、カギとチェーンを外しドアを開く。そこに立っていたのは、陰陽師風の赤い服に、黒のミニスカート、ツインテールと艦首を模したサンバイザーが特徴の少女が立っていた。予想外の来訪者に男は目を見開き、言葉を詰まらせる。

 

「……えと、久しぶりやな……」

 

おずおずと関西弁で話しかけてきた少女は、一瞬目を合わせたが、男の風体を見て気まずそうに目を逸らす。目の前の少女はあの日の第一艦隊から唯一生き残った、軽空母龍驤だった。男にとっては、あの日龍驤が抜錨して以来、顔を合わせていなかった。

 

「…………いきなりどうした?」

 

「……えー……ちょっち時間……ええか?」

 

歯切れが悪く、目線を泳がせながらその言葉を紡ぐと、龍驤は目線を外へ向けた。男の記憶では、本来の龍驤は元気がトレードマークといってもいい程活発な艦娘だった。しかし、向かいの龍驤からはその欠片も感じさせないほど、言葉に高揚が無かった。男は少し考えると、足元のサンダルに足を通し、初夏の日差しが照りつける外へと踏み出した。横浜鎮守府郊外の山の麓にあるそのアパートから出た二人は、龍驤の先導で舗装されたアスファルトの上を歩き始める。自分はこの少女に何か言うべきことはないのだろうか。大破で帰還し、即入渠したため顔を合わせる機会が無く、錯乱した自分はそのまま逃げるように提督を辞めた。当初、もし会うことが出来たら真っ先に謝ろうと考えていたが、月日が経つにつれ、その感情は薄れてきていた。自分の手で死地に送り、目の前で仲間を死なせたこの無能と誰が会いたいだろうか、謝って許される話ではない。それまでの成果から、莫大な報奨金は得ていたため、ならばいっそ、会わずにこのまま余生を過ごそうとも考えていた。二度と会うことが無いと思っていた龍驤の背中を見つめながら歩いていた男は、胸ポケットに入れた煙草の一本を取り出し、マッチを擦る。振り返り、それを見た龍驤は驚きつつも、悲壮な表情を浮かべ呟く。

 

「煙草……吸うようになったんやな」

 

「………………」

 

「……やっぱりあの日の……ことか?」

 

「……で、用は何だ?」

 

男は龍驤の問いには答えずに、ぶっきらぼうに問い返す。そんな男の態度に業を煮やした龍驤は、眉間に皺を寄せ大きなため息を吐くと、男に詰め寄る。

 

「もう単刀直入に言うで!また横鎮の提督に復帰する気あらへんか?」

 

「……断る」

 

「何でや!?キミだって聞いたんやろ!?あの日の責任はキミには無いって!」

 

あの日艦隊が壊滅した原因は、誰も予想出来る筈のない、深海棲艦の新たな進化だった。

 

「誰も深海棲艦が艦娘に化けるなんて予想出来るわけ無いやろ……無線封鎖だって、みんな納得してのことやったし……」

 

その日、第一艦隊はLE海域へ向かう道中、作戦には無かった第二支援艦隊と合流していた。

その支援艦隊は、自分達より後に出撃する予定だった為、追いつくのはおかしいと考えたが、支援艦隊の旗艦から、急遽作戦の変更があり、第一艦隊と合流し迂回したルートを取れと言う指示があったことを伝えられた。そのルートは作戦海域から外れて、敵地裏側へ回り込むものだった。突然の作戦変更に旗艦赤城は戸惑ったが、深海棲艦と他艦隊の動きを見切った提督の奇襲の作戦の一つだろうと考え、その指示に従い進路を変更した。もし無線封鎖をしていなければ、提督へ留意点の確認を込めて連絡を取っていただろう。そうなっていれば、主力艦隊全滅と言う悲劇が起こることは無かった。ルートを迂回し、周りに艦隊が居なくなったその場所で、突如金剛達の電探に敵影が映った。その数は徐々に増え、第一艦隊は夥しい量の深海棲艦に囲まれていた。

 

「敵機確認……!?何で!?」

 

「この辺にエネミーが居るなんて情報……」

 

そこからはまるで地獄絵図だったという。他艦隊も偽の支援艦隊から伝えられた作戦により、バラバラの進路を取り、孤立していたのだ。そこを大量の深海棲艦に襲われた。後の龍驤の証言と、第二支援艦隊を出撃させた鎮守府の提督の証言は一致しておらず、大本営は深海棲艦がその支援艦隊に成りすましていたという結論に至った。敵側に支援艦隊の編成が割れていたのだ。つまり出撃前の時点で、鎮守府に艦娘の皮を被った深海棲艦が居たということになる。これを受けた大本営は急遽対策を練り、各鎮守府の艦娘にIDなどを配布する対策を取り、深海棲艦を鎮守府に立ち入らせない対策や、無線封鎖の禁止などの対策を取り、問題を緩和させたが、失ってしまったものはあまりにも大きかった。結果的に主力艦隊の壊滅という失態を犯した男には普通厳しい処罰がある。誰にも予想出来るはずのない事態が起こっても、命を握る提督と言う立場は、予想できませんでしたでは済まされないのだ。

今まで奇抜な作戦が型に嵌り、成功し続けたのは単に運が良かっただけということに男は気づいた。男はその後悔から処罰を甘んじて受けるつもりだったが、大本営からすれば、男には再び海を取り返すために指揮を執ってもらうことの方を望んでいた。慢心から自分が二年間共に戦ってきた仲間を殺したのだ。その事実に耐え切れなくなった男は全てを投げ出し、この郊外へと移り住んだのだ。龍驤は入渠を終えた後、提督が無理を通して鎮守府を去っていたことを知った。横浜鎮守府には新たな提督が着任したが、男の様な指示を出せるはずも無く、人類は再び窮地に立たされていた。目の前で仲間が傷つき、自分だけが逃がされた。

再び海へ抜錨する勇気が湧かず、その様子を傍観していた龍驤は、提督の艦隊が勝ち進んでいたのはただ運が良かっただけだとは決して思わなかった。意表を突く作戦も含め、艦娘を信じ、艦娘が自分を信じていることを自覚し、深い絆があったからこそ、常勝船隊とまで呼ばれていたのだ。無線封鎖もその結果である。気持ちの整理がついた龍驤は、三年の時を経て現住所を大本営から聞き、単身で提督の下を訪れていた。

 

「深海棲艦がどんどん陸に近づいてきとる……このままやとどうなるか分かるやろ!?」

 

「今更戻ってどうする?俺にはもう指揮する資格なんてない」

 

龍驤は自分の言葉を聞き入れようともしない男の胸倉を掴み上げると、深い隈が残る光の宿っていない男の目を睨み付ける。

 

「っ……わかっとるわ!あんたがどんだけ辛い思いしたか!……でも……ここで終わったら一生……キミはこのままやろ……」

 

男の生気の無い瞳を見つめながら、龍驤は胸倉を掴んでいた手を離すと、肩を落とし脱力し、踵を返し一歩踏み出すと立ち止まった。

 

「……ウチはキミのことが好きや。勉強嫌いで、でもみんなが思いつかんような作戦を考える自称天才の提督。いっつも赤城や金剛にちょっかい出して加賀や比叡に怒られる。そんな馬鹿やっとるウチの提督が大好きやった」

 

「……何言うてんのやろ、ちょっち疲れたかな」

 

龍驤は再び歩みを進め、肩を落としながら男との距離を離していく。

男はそんな龍驤の背中を見つめながら、吸い終わった煙草を地面へ落とし踏み潰すと、何も言わずに帰路についた。

 


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