千倍じゃ足りない   作:野分大地

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06.加速禁止令

 部活の備品であるスターティングブロックは、当然ながらあの加速世界のように緑色の閃光を放ちはしなければ、爆発的な加速力を与えてくれたりもしない。ただ、走者の脚力をしっかりと受け止めてくれる。

 

「おい、矢光が走るぞ」

「アイツ最近ますます早くなってるよなぁ」

「俺が一年の頃はあのくらい……」

「それだと今のほうが遅くなってるじゃねえかよ」

「うっせ」

 

 小さく息を吸い、体の中で燻るそれを足に留める。何度解き放ってやってもいつの間にか俺の足を、心を疼かせるそれは、何時だって俺を前へ前へと駆り立てた。

 

 ……雑音が消えていく。視野が狭まり、俺の世界はこの体と、ゴールラインを結ぶ100mの直線だけが全てになる。

 今この瞬間は何もかもが……親も、友人も、仲間も、あの胸躍る加速世界の全てでさえも、二の次だ。

 

 号令も計測係も居ない中、俺の心が赴くままに駆け出した。全力のスタートダッシュから、前傾姿勢で倒れ続けるように足を前に運ぶ。

 ……ともすれば別に速ければ何でもいい、という信条の俺がそれでも短距離走に拘るのはこの一瞬が為なのだと思う。

走り続けなければ倒れてしまう。前に進むには、立っているためには、少しでも速く体を前に送らなきゃいけない。それはまるで、ただひたすら今よりも早くなりたいと願う俺の生き方そのままじゃないか。

 毎日毎日、もっと速くなりたいと……日常の中でも部活でも、加速世界の中でも走り続ける。その度に、ほんの少し……一回ずつは誤差と切り捨てられてしまいそうなほどではあるが、走る(・・)行為が最適化されていっている気がするのが、俺はたまらなく好きだ。

 

 生身の運動能力を無我夢中で引き上げ続ける以上に、大量に繰り返された加速世界での高速戦闘……特に、現実では決してありえない、しかしともすれば現実以上の実感を伴う加速世界で『トップスピード秒速300mで走る』経験は、もとより研ぎ澄まされていた俺の反射速度と、肉体制御の技をジリジリと底上げしている感覚があった。

 決してゼロにはならない『脳が指示を出してから実際に体が反応する』までのタイムラグ。

それが、あの心臓の鼓動のクロックアップによる脳細胞の活性化によって思考を一千倍にされた異様な環境で、なお速度の限界に挑み続けることにより現実にもフィードバックしているのではないか……とまぁ、それが美早から大雑把な加速の仕組みを聞いた時にぼんやり頭のなかで組み立てた仮説では在るのだが。詳しいところは知らない、要するに修行した分上達するのは少年漫画(教科書)にも書いてある真理だ。

 

 俺の思考(理想)に、肉体(現実)が少しずつ重なっていく。それでも理想はそれを待たずにどんどん先へ進み、距離は遅々として縮まらない。

それが、たまらなくもどかしくて……泣きたくなるくらいに嬉しいんだ。

 

「ーーーっ、はぁっ!はぁっ!はぁっ……!」

 

 ほとんど満タンだった体力をその一瞬で燃やし尽くして、今にも折れそうな震える足をゆっくり前に進める。ジェミニ・ブリッツ(あちらの体)のように砕け散ることはないが、キシキシと膝が軋むような感触には理想と現実とのギャップを感じる。

心臓は肋骨を打たんばかりに暴れ、鼓動の度に血管が大量に押し流される血液に拡張され、顔なんかが圧迫されるような錯覚すら感じるほどだ。

 

「……今の、測ってたらよかったな。相変わらず、グラウンドを捩じ伏せるような……鋭い走りだ」

「ふぅーっ、はぁーっ……せ、先生……」

 

 喘ぐように荒い息をしていると、どうやら走っているところを見ていたらしい陸上部顧問の門田先生が苦笑しながら声をかけてきた。

 

「げほっ、うぁ……は、はは、多分、自己ベスト更新してたっすね、今……でもまぁ大丈夫っすよ……今出せたなら、次出せない道理も無いですし」

「……なぁ、矢光」

 

 軽く、しかし思っていたことを口にすると……先生は少しためらうように言いよどんだ後、気まずそうな顔をして言った。

 

「…………あんまりそう、生き急ぐことは無いんだぞ。お前はまだ13歳だ。体だってまだ未成熟だし、伸びしろは未知数だ。無理をしすぎて怪我でもすれば、目先の大会なんかも逃してしまうかもしれんしな」

「あ、あはは……んな大ポカは、さすがにしませんって」

「しそうに見えるから、釘を刺しに来たんだよ!……いいから今日はもう上がれ、水分補給とクールダウンを忘れずにな」

「うっす」

 

 別の部員のところに行く先生を見送りながら、息が整っていくのを感じる。

何故かしばらく揉めた様子の後タオルを渡しに来てくれた三年のマネージャーさんにお礼を言いつつ、まだ少し痺れた足に気合いを入れて立ち上がった。

 

 ーーーせっかく時間空いたし、対戦でも…………

 

「あだぁっ!!」

「矢光君!?どうしたの……?」

「い、いや、何でも……」

 

 傷ひとつ無いはずの肩をさすりながら、心配して駆け寄ってきそうな先輩に笑ってみせる。

 

「(そりゃ確かに忠告忘れてレベル早上げしちゃったのは悪かったけどさぁ…………アイツ本気で噛むんだもんなぁ)」

 

 もちろん、加速世界の話だ。

 

 

 あのリチウム・ブースターとの胸躍る激闘の後。俺は勝利の余韻冷めやらぬまま、というかなんかこう、「上げるなら今だろ!」感に後押しされてデュエルアバターのレベルを2に上げた。

そして何憚ること無く誇れる勝利を伝えようとその足でケーキショップ《パティスリー・ラ・プラージュ》に向かって美早に戦勝報告を行ったのである。

 初めは苦笑しながらも褒めてくれるような空気だった美早相手に気持よく戦いのことを語って聞かせているうちに、その相手がしつこいほどに忠告してきた言葉を思い出していく。わかったわかった、と苦笑しながら言い返したのはその説明が五度目に至った時であろうか。

 ……俺の雰囲気が変わったことを如何なる技か気取った美早の追求に5分と保たず……残りのバーストポイントが16になってしまったことをゲロった俺を待っていたのはゴミを見るような冷たい目……ではなく、珍しく心から動揺したように揺れる瞳だった。

 ものすごい罪悪感にパニクりかけた俺は、言われるがままに直結し、クローズドモードで加速し…………それはもう凄惨なお仕置きを受けたのである。

 その詳細は思い出すだけで足が震えてくるので省くが、現実に戻ってから一日立っている今でも右肩に点々と鋭い痛みが走る気がするとだけ言っておく。

 

 

『……どうせ直ぐだと思って最初に教えて、どうせ一回じゃその場のノリで踏み倒しちゃうだろうと思ったから幼児に言うように念を入れたのに、全部意味がなかった。それも4日とは』

『はい……』

『とりあえず、翔はしばらく加速禁止』

『は、え!?』

『何か?』

『いえなんでもありません』

『よろしい』

 

 

 

「……しっかしなぁ、もう2日も対戦してないんだぜ。あー、こんなんじゃ鈍っちまうよ」

 

 今回ばかりはいくら俺とはいえ罪悪感があるし、あの目を見てしまうと勝手なことをしようという気も萎えるというもの。形ばかりのぼやきを漏らしつつ、ぶらぶらと下校する。

 その道中だった、ニューロリンカーが着信を伝えるアイコンを視界の橋にポップさせる。美早からだーーー些細な反抗心から登録名を、バーストリンカーの《親》であることから連想してオカンにしていることを知られたら、あの血色の豹に頭から齧られることをは想像に難くないーーー、すぐさま緑色の受話器アイコンを押す。

 

 

『……謝ることがあるのなら、今まとめて懺悔することを進める』

 

 エスパーかよ。

 

『い、いや流石に他にはなんもないって……で?そろそろ加速許可が降りるのか?』

『……どうせポイント全損を惜しんで、一生対戦から逃げることは出来ない』

『そりゃそうだ。んで、この2日でどうすることになったんだ?』

 

 どこか釈然としないような、はっきり言うと納得のいってないような様子の美早に内申小首を傾げつつ、問いかける。

 

『一応聞くけれど、私とタッグを組んで安全圏になるまで戦うことは』

『嫌に決まってんだろ』

『だと、思った』

 

 全損の瀬戸際に言っていられることではないのだろうし、俺だって相手が美早でなければその提案に乗っただろう。

だけど俺の安いプライドは、どうしてもコイツにだけは「縋る」ことも、「憐れまれる」ことも、ましてや「たかる」ことなんて許しはしないのだ。

《親》と《子》だろうがなんだろうが、現実で生きる俺とアイツの関係性が変わるわけじゃないんだ。普通とやらがどうあれ、そこだけは譲れない。

 そこは、およそ一年の付き合いになるコイツも知っているだろうから言うだけ言ってみた、というやつだろう。

 

『だけど、今の翔が危ういのは事実……特に翔のスタイルだと、負けるときはアッサリ負ける。今はそれが、シャレにならない』

『まぁ、そりゃそうだけど……』

『……だから、信頼できる人に手助けしてもらう』

 

 出来ることなら使いたくはない手だったというのは、その声音からにじみ出ているのですぐに分かる。俺はそれに薄っぺらい謝罪や、遠慮の言葉を吐こうとして……飲み込んだ。

俺が安いプライドにしがみつくように、美早もまた《親》としての責務を果たそうとしているのだ。そしてそれに過剰に気を使ってみせることは、また逆のベクトルで俺の信条にも反していた。

 俺達は、お互いを憐れむのでも、庇護するのでも無く尊重したい。そうありたいのだ、少なくとも俺は。

 

『でもそんな奴居るのか?確かまだお前もレギオンに入ってないはずだし、そりゃ交友範囲は俺より広いだろうけれど、そりゃライバルとかそういう感じだろうし……ん、あー』

『……TR(その通り)。私の……親にお願いした』

『……そっか、ありがとな』

『NP、私はシフトが入っているから行けないけれど、約束は取り付けてある。場所はーーー』

 

 

「ーーーここ、でいいんだよな?」

 

 翌日土曜日、午前までの授業を終えて、13時集合の五分前にやってきたのは神田神保町の書店ビル……その最上階に併設されたカフェテリアだ。

 美早が言うにはもうすでに俺の名前と顔は向こうに伝えているらしく(無断で何を、などということを言える立場ではない俺は、そうですかと言うしかなかった)、開いているテーブル席でコーヒーを頼んで待つだけでいい、むしろそれ以外の余計なことはしてくれるな、グローバルリンクには間違っても繋ぐな、とこれまた念を入れて言い聞かされた。7回目になってわかったわかった、と苦笑した際は、コイツこんな冷たい顔出来るのかと思わず感心してしまったほどだ。

 

 そんなことを思い出して身震いしていると、何も言わずに正面に誰かが座ってくる。

グレーのピーコートとスリムジーンズというどちらかと言うとボーイッシュな出で立ちで、ショートボブ(だったっけ)に赤縁の眼鏡をしている少女だ。

 

「ああ、ごめん。先約が……」

「矢光翔くん、ね?」

「……あぁ、アンタが……じゃない、貴方が」

「別に、口調は普通でいいの。私がレパードの、掛井美早の《親》。氷見あきらなの」

 

 実にアッサリとリアルネームを口にしながら、意に介さず自分の注文も店員に伝える少女に……ああ、《親子》だ、と場違いな感慨を覚えていた俺であった。


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