孤島の六駆   作:安楽

57 / 73
6話:第二艦隊⑥

 執務室でダンボールの片付けをしている提督を横に、暫定結成された第二艦隊の面々がテーブルを占拠。

 菓子やら飲み物やら持ち込んで、ホワイトボードには“対策会議”の大きな文字。

 プロジェクター役の連装砲くんがスクリーンに投影する参考資料を眺めながら、夕張や天津風がその都度解説を入れるという形で作戦会議は進む。現在は敵の周辺情報をかき集めている段階だ。

 ここで纏まった内容をあとで第一艦隊の面々と擦り合わせることになるのだが、会議が多いのもどうかなと肩を竦めるのは時雨。

 そこは大丈夫だと、青葉が議事録を取りながら言う。

 情報を出し尽くして纏め終えたら、高雄の助言を交えて幾通りかの作戦を立案する流れとなっている。

 現状の水無月島の戦力で遂行可能な案を。

 第一艦隊の毛色は考えるよりも動くが早いといった風なので、こちらから最初に幾つか案を示して、「じゃあ、これとこれで行こう」と返事をもらうばかりにしておく、と言うのが響の狙いらしい。

 

 そうして始まった対策会議だが、時雨としては不思議な心持ちだった。

 作戦会議は提督はじめ人間たちの仕事であり、自分たち艦娘は参考意見を述べる以外は決定された命令に忠実に従うのみだったからだ。

 こうして艦娘が作戦会議の主導権を握るのは新鮮なもので、提督がこの会議を片耳に他の作業をしている姿には、正直笑みが込み上げてくる。

 この島ならではの光景だと、そう小声で告げてくるのは高雄だ。

 

「これが通常海域であれば、国内外は方々に確認や許可等を求めなければならず、もっと時間がかかってしまうでしょうね。どこか一箇所が遅れたりごねたりしたら、それだけでチャンスがふいになる。国の内外の情勢によって取れる手段が変わってくるのは遣る瀬無いものです……」

 

 感慨の籠もった高雄の口ぶりに苦労していたのだなと眉を上げる時雨は、確かに自分もそういった権益等の問題で割を食った試しがあったなと、思い出して臍を噛む。

 護衛対象の輸送船が他国の領海を通れず、仕方なしに敵支配海域すれすれの危険地帯を行かざるを得なかったばかりに、時雨は今ここにいるのだ。

 共通の敵が現れたとしても、人類は中々一枚岩には成れないものだねと皮肉気に笑う捻くれ者は、自分が興味を向けられる情報がようやく出てきたことに、足を組み直して気持ち前のめりになる。

 

 夕張曰く、かの潜水棲姫“ナックラビー”は、元は別の個別コード呼ばれていたのだとか。

 

「艦種は同じく潜水棲姫。個別コードは“メロウ”ね。時雨が接触した“ナックラビー”の、最初の姿よ」

 

 プロジェクターに映し出される姫の姿は、時雨も目にした“ナックラビー”のもの。

 その本体は以前から人魚のような形状をしていて、4足の有蹄脚が生ずる変異を得たのちに個別コードが変更されたのだとか。

 

「敵艦とは言え、そう簡単に個別コードが変更されることはないわ。だから、それだけあの敵が稀な存在だってこと」

 

 人差し指を立てて続ける夕張の言によれば、“メロウ”は変異によって、その基礎行動パターンが完全に崩壊している。

 つまりは、狂ったのだ。

 

「狂ったように見えているだけ、っていう可能性も無くはないけれどね。でも、そうだとしたら、彼女の奇行に説得力のある解説が出来ないのが痛い所かしら」

 

 海面に自らのヒレを露出させて、わざわざ目視で見つかりに行くなど、他の敵潜水艦はもちろん、姫鬼級でもまずありえない奇行だ。

 その奇行の原因を推測し語るのは天津風。

 連装砲くんが投影する画像を切り替えて映し出すのは、皆が最近見た光景だ。

 

「敵の行動パターンが狂った原因が、艤装核にある可能性が高いわ」

 

 艤装核を複数個内包している深海棲艦の存在は、公開資料にも幾つかその記述が見られる。

 それらの敵は容量の増大や機能拡張と引き換えに、本体の短命化と言う運命を背負うことになるのだとか。

 

「“メロウ”が他の艦から艤装核を奪取して“ナックラビー”となった。とするのが一番自然な流れなのだけれど、そうするに至った動機がはっきりしないのよねえ……」

 

 天津風の言を引き継いだ夕張が言うには、深海棲艦にも自己保存の概念は存在していて、上位種からの命令が無い場合は自らを保護し、数で不利ならば戦闘を避けて逃走する動きも見られるのだとか。

 姫鬼級にまで位階が上がってしまった個体に対してまでその概念が適応されるのかは定かではないが、単独もしくは少数で暗躍する潜水艦としては如何なものかと、夕張は締めくくる。

 海中から水上艦を狙い、長期に渡って敵を追跡・待ち伏せするのが常である彼女が、その寿命を削ってまで新たな機能を得ようとしたのは何故か。

 

「それはやっぱり、本体の短命化を推してでも拡張したい機能があった、と言うことなのではと、青葉思うのですが。その動機とやらを、“メロウ”の活動記録から追えはしませんかね?」

 

 愛用のペンを振って告げる青葉の言を受けて、連装砲くんが“メロウ”の来歴をスクリーンに羅列してゆく。

 それらを上から眺めていた面々の中で、やがて眉をひそめたのは時雨だ。

 

「補給艦と衝突し頭部が損壊? これは実際に起こったことかい?」

 

 連装砲くんが頷き、その時の詳細を更に投影してゆく。

 口元に手を当てて固まった時雨の顔色は悪そうで、執務室に集った皆は、彼女が何らかの核心に辿り着いたことを察する。

 時雨にその核心を問うた響は、力の抜けた白露型が小さく艦名を呟くのを耳にする。

 

「グロウラー。大戦当時、彼女の撃沈にはボクが絡んでいる。“メロウ”のこれまでの来歴が、そっくりそのもの、彼女のものに当てはまるんだ」

「ちょっと待って、“メロウ”は深海棲艦で、艦娘の彼女とは……!」

「落ち着いて、天津風。もちろん別人さ。ボクは実際に艦娘のグロウラーと会ったことがあるからね。仲間思いのとても良い娘だったよ」

 

 でも、と時雨は続ける。

 それはあくまで艦娘の彼女であり、深海棲艦としての彼女とは別なのだと。

 

「どちらも、同じく艤装核を基礎として生まれるんだ。例えば駆逐艦・時雨の艤装核があったとして、それが海中で怨念無念溜め込めば深海棲艦としての時雨になる。この場合は駆逐級がそれだろうね。イ級かロ級かはさて置き。そして、工廠施設にて建造を行えば、艦娘としての時雨になる。このふたつは似ているようで決定的に異なるよ」

 

 その決定的な違いについて時雨が追及することはなかった。

 それよりも重要なことは別にあったからだ。

 

「“メロウ”が取り込んだ艤装核は、ブラックフィンのものだよ。これは確信だ」

 

 時雨の言に対して、アメリカ側の記録を閲覧していた夕張が苦い顔で「ビンゴ」と天を仰ぐ。

 “メロウ”によって艦娘・ブラックフィンが撃沈され、その艤装核が奪われたとの記録を見つけたのだ。

 

「つまりこれは、グロウラーの無念や怨念を保有する深海棲艦が時雨に沈められないようにと、時雨に対するジョーカーを確保した、ということ?」

 

 思案し皆に問う高雄に、誰もまだ明確な返事を出来ずに黙り込む。

 確証はないが、そう受け取ることも出来る流れではあると、しばらく経ってそう告げるのは響。

 いつの間にか焙じ茶を入れていた提督から盆で人数分を受け取った響が、それを各々の前に置いて行く。

 

「皆、艦娘のジンクスについては、どこまで?」

 

 問えば「概ね」と返事があり、響は頷いて、連装砲くんに新たなデータの提示を要求する。

 

「艦娘のジンクス。それは、“前”に起こり得たことが今回も起こり得るというもの。例えば、艦艇としての自分が沈んだ時の編成を艦娘で再現したとすると、同様の結果となる可能性が格段に跳ね上がる。例えば、艦娘・時雨がスリガオ海峡は西村艦隊の時と同様の編成に組み込まれた場合……」

「ボクだけ助かって、他の皆は沈む、だね。知っているよ。だから、そう言ったジンクスを信じる提督たちの間では、“前”に縁のある編成を避けるような傾向が強いよね。西村艦隊はおろか、南雲機動部隊や“天一号”なんて、もっての外だ」

「そう。そしてこれは、艦娘だけでなく、深海棲艦にとっても適応されるジンクスなのではないか、という話さ」

 

 羅列された項の中から響が抽出したのは、深海棲艦の艦隊がとある飛行場を砲撃した事件だ。

 

「戦艦級2、軽巡級1、駆逐級9からなる深海棲艦の艦隊が、ソロモン諸島はホラニア国際空港を夜間砲撃した事件だね。この編成と場所とで思い当たるエピソードは? ……はい、青葉。早かった」

「恐縮です。1942年当時に旧日本軍が行った、ヘンダーソン飛行場への攻撃ですね。かつての場所と、そして編成された艦種がぴたりと合致していて、この事件があった2017年当時においては、深海棲艦の出所は日本なのでは? と、ちょっと国際的に悶着あったことを覚えていますよ」

 

 挙手と共に青葉が告げた言葉がそのまま答えだ。

 深海棲艦は艦種と数が揃えば、こうした昔をなぞる真似をすることが確認されている。

 再現される事件は旧日本軍が関わったものもあれば、米軍や他の勢力の艦隊が行ったものまでが含まれ、それらの事件から深海棲艦がある目的を持って動いているのではないかと、そう論ずる者たちを数多く輩出する切っ掛けとなった。

 重要なのは場所ではなく編成であるとされる説が現在の主流ではあるが、人類側が行う実験は限定的なものばかりであり、加えて先に述べたような各勢力の利害や世論諸々が枷となって、検証は思うような成果を上げられてはいない。

 

 深海棲艦は過去をなぞる。

 過去の通りに行動した果てにどのような結末を求めているのかは、定かではない。

 過去の状況を再現すること自体が目的なのか、それともその先に大いなる到達地点があるのか。

 彼女たちとの戦いが長引けば長引くほどデータは蓄積されていき、確証は厚みを増すだろうが、今はそれを議論する場ではない。

 

「深海棲艦の自己保存がどのレベルでのものかは正直わからないけれど、グロウラーの核から生じた“メロウ”はブラックフィンの核を得て、同一の艦に沈められた記憶と沈めた記憶とを得た。その矛盾に苦しみ、狂ってしまったと、私は考えるよ。そして、敵がそういった宿命を得たのならば、敵か時雨か、どちらかが沈むことになる」

 

 響がそう告げるも、やはり「何故」の部分は見えてこない。

 再び沈黙の時間が訪れる中、知恵熱が回って熱暴走気味になった天津風が真っ赤な顔で席を立つ。

 そうして何をするのか思えば、連装砲くんのボディにおでこをくっつけて冷やし始めるではないか。

 確かに金属質の彼はひんやりとしていそうだが、向こうも放熱で相当温度が高いのではと、時雨は呆れ笑いになる。

 

 しかし、時雨としてはそこまでを知ることが出来て、一安心といった心地だった。

 自分が沈むか。敵が沈むか。その二択に状況を絞り込むことが出来そうだから。

 そして、例え自分が沈んでも、この島の皆ならば確実にあの敵を沈めてくれるという確信がある。

 復讐を遂げるのは自分の悲願ではあるが、止めを刺すのは自分でなくとも良い。

 だから、情報を纏め作戦を立案する段階になって、時雨はひとつ提案する。

 時雨自らが囮となって、敵を誘い出す作戦を。

 

 

 ○

 

 

 そうしていざ作戦が始まってしまえば、決着は何とも味気なく、あさりとしたものとなった。

 時雨を囮にして敵を、“ナックラビー”をおびき寄せる作戦は、目標の捕捉から1時間も経たずに、目標の撃沈までを完了した。

 此度は水上艦や潜水艦を率いての登場となった“ナックラビー”だったが、水無月島の第一艦隊と単艦出撃した暁がそれらの露払いを引き受け、危なげなく見事に引きはがして見せた。

 “ナックラビー”に対しては第二艦隊の6隻で当たったが、分が悪いと見るや、かの敵は脇目も振らずに逃走を開始。

 しかし、空から見張っていた艦載機隊たちからの報告で、逃走ルートに予め張っていた網を起こすことは簡単だった。機雷による足止めだ。

 そうして逃げ場を探す“ナックラビー”に追いついた第二艦隊は、ものの数分の交戦で彼女の息の根を止めてしまった。

 対潜装備に特化させた響や夕張はまだしも、潜水艦に対して有利を持たない青葉が善戦していたのは驚きだった。

 高雄がおかしいと喚いていたのも、もはや見慣れた光景になってしまっていたが。

 

 いざ仇を討った感触を掌を握って確かめる時雨だったが、何の感慨も湧かなかった。

 沈まず海上に浮いた彼女の残骸に対しても、もうこれ以上目を向ける気にも、触れる気にもならない。

 終わったのだ。皆の力を借りて終わらせた。

 実感がわかずにすべての感情が抜け落ちてしまう心地の時雨は、ここからが始まりだと、すぐに知ることになる。

 

「……待って、おかしいわ。海域の限定解除が起こらない!」

 

 声を上げる天津風の方を向けば、そこには構えを解かない仲間たちの姿があった。

 敵の姫級を討った際には、彼女が存在していた区画の海域支配が一時的に解除されるというのがこれまでの流れだったはずだ。

 それがないと言うことは、敵はまだ終わっていないと言うことか。

 砲と掃海具とを再び立ち上げる時雨は、敵の残骸が微動し再起動する様を見る。

 “ナックラビー”を討ったことで、“メロウ”が呼び起こされたのか。

 変異する途中の敵に対して、そうはさせるかと攻撃を集中するが、敵上位種の展開する障壁のような現象が砲雷撃を阻む。

 

 響が信号弾を空に放って、残敵の確認に向かった第一艦隊と暁を呼び戻す。

 しかし、彼女たちが戻るよりも先に、敵の変異が収束した。

 その姿は“ナックラビー”でも“メロウ”でもなく、そもそも潜水艦としての特徴をひとつも備えていなかった。

 かなり大柄だった敵の体格はおよそ半分ほどに縮小して、両脚部の代わりに艦艇の底部と平べったい魚類を掛け合わせたかのような生態艤装が備わる。

 両の手には口径の小さい砲が、背部には生態式の魚雷発射管が、そして、深海棲艦の頭部を覆うバイザーのようなパーツが現れる。

 その姿があまりにも知っている誰かに似ていて、時雨は胸を締め付けられた。

 

「白露……」

 

 弱々しく呼びかけた先、駆逐棲姫に変異した敵は、乱杭歯を見せるように口を開き、駆逐艦の名を呼んだ。

 

 

 ○

 

 

 それから先の記憶は曖昧だった。

 いや、曖昧にしてしまわなければ、とても耐えられなかったはずだと、憔悴した顔の時雨は膝を抱えて思う。

 倒したはずの仇が変じた姿は、その仇によって奪われたはずの彼女だった。

 彼女は名前を呼んだ。駆逐艦・時雨の名を。

 以前のような活力のある声量と流暢な口調ではなかったが、確かに白露型一番艦の彼女のものだった。

 

 何故、敵がこのような変異を果たしたのかはわからない。

 しかし、時雨は彼女を守るように行動してしまった。

 誰もが固まってしまい、時間が止まったかのようなあの場所で、高雄が辛そうな顔で彼女に砲を向けた瞬間、時雨は己の砲で高雄を撃っていた。

 艦娘同士で砲を向け合えばセフティが掛かることは知っていたが、深海棲艦化が進行した今の時雨にとって、その機能はないも同然だ。

 回避の目がない至近距離での砲撃はしかし、高雄に直撃することはなかった。

 間に入った青葉が身を挺して、それを防いだのだ。

 

 それがさらに艦隊の動きを止める結果となり、時雨は彼女の手を引いてその場を脱することが出来た。

 誰もが理解が追い付かずに身動きが取れずにいる中、響だけがこちらに砲口を向けて睨んでいた姿は、はっきりと瞼の裏に焼き付いている。

 様々な感情が綯交ぜになったあの目。第二艦隊の面々から大きく距離を取った今でも、あの目が見ているような感触を首筋に覚えて落ち着かない。

 時雨は自覚する。自分は仲間を撃ったのだ。

 所属は違うが同じ艦娘だとか、そういう話ではない。

 あの水無月島の彼女たちを、時雨は仲間だと、家族と同然に思っていたのだ。

 撃って、逃げ出して、そして身を押しつぶさんばかりの後悔を持って、ようやくそれを実感した。

 

 時雨は今、環礁地帯の一角に、駆逐棲姫と共に潜伏している。

 風景偽装バルーンをいくつか展開して、その内のひとつに2隻で身を潜めているのだ。

 敵の航空機ならばまだしも、味方の目を騙し通せる程の精度はない。

 しかし、時間が自分たちに味方する。もうすぐ夜だ。

 空から捜索するには最早遅すぎる。

 夜間に艦娘たちがこちらの捜索に出向くか、あるいは夜明けを待って偵察機を投入する手筈となるだろう。

 

 駆逐棲姫の方は、今は眠ってしまっている。

 眠るという表現が彼女たちにとって正しいかは定かではないが、少なくとも稼働状態にないことは確かだ。

 外側の変異が収まり、内部の最適化でも済ませているのだろうなとあたりをつけ、膝を抱えた時雨は触れられる距離にある彼女の姿を伺う。

 脚部の生態艤装を砂浜に半ばまで潜らせて、少しだけ前のめりになって俯いて、髪で表情が隠れていて……。

 夜中に突然出くわせば驚いて肝を冷やすことは必至だろうと、こんな時にも関わらずそんなことを考えてしまう。

 

 隣りで眠るのは、5年前に失われた僚艦だ。

 推測にすぎないが、あの日、“ナックラビー”は白露の艤装核を鹵獲していたのだろう。

 それが、かの潜水棲姫の撃沈に際して表に出てきた。

 夕張や天津風ではないのでその辺りの事情に詳しくはないが、時雨は己の理解が及ぶ範囲で、そう推測を終える。

 彼女は時雨が手を引いても抵抗しなかった。

 こちらの名を呼んだと言うことは、艦娘であった時の記憶がわずかながら残っているのか。

 それを確かめようにも、眠った彼女を起こすのは躊躇われる。

 次に目を覚ました時、彼女はもうこちらの名を呼ぶことは無く、撃つべき敵として牙を剥くかもしれないのだから。

 

 そうであればどれ程良いかと、時雨は思う。

 仲間を撃った自分は、もう人の側へ、艦娘たちの場所へは帰れない。

 水無月島には帰れないのだ。

 しかしだからと言って、深海棲艦の手先となって、彼女たちの敵となるのも無理だ。

 先は咄嗟に仲間を撃ってしまったが、二度目は無い。

 時雨は仲間を撃てない。

 そして、隣りの彼女を手に掛けることも出来ない。

 あるいは、自らの深海棲艦化が進行して、彼女と同じになってしまえばとも思うが、それこそ自力でどうにかなる問題ではない。

 選べず、進めず、立ち止まった駆逐艦は膝を抱えて小さくなるしかなかった。

 

「……帰りたいよ、白露」

 

 夜が更けて、襲って来た睡魔に耐えられずに落ちてゆく時雨は、自分が泣きながらそう呟いたことに、気付かなかった。

 隣りに座する駆逐棲姫が、その様子をずっと見つめていたことにも……。

 

 

 ○

 

 

「じゃあ、敵があの姿になったのは、ちゃんと意味があってのことだと、そう言うのかい?」

 

 水無月島の近海にて停泊中の“隼”。

 後部デッキにて艤装状態のまま待機中の響は、同じく艤装状態で待機中の夕張の言に、眉をひそめて問いかける。

 時雨が駆逐棲姫を連れて逃亡を図ってからすでに半日。

 空からの捜索は一時中断され、夜明けを待って千歳と祥鳳が艦載機隊を発艦させる予定だ。

 水上機母艦から空母に改装したタイミングであり、訓練上がりの夜偵の数も少ないと嘆いていた千歳の姿に、皆は労いの言葉をかけて、彼女を休ませている。

 

 さて、夕張の言う、駆逐棲姫の件だ。

 潜水棲姫“ナックラビー”が5年前に駆逐艦・白露の艤装核を鹵獲したという推測は、時雨が思い至ったものとほぼ同じだった。

 しかし、その目的はやはり対・時雨を想定したものであり、彼女の撃沈を最終目的に据えているのではないかと、夕張は語る。

 

「深海棲艦の上位種には、どういうわけか艦娘の特徴を模したものたちが数多く確認されているわ。艦娘が変じたものだからではないか、と言う説が主流だけれど、もうひとつ無視できない説があるの」

 

 夕張は“セイレーン”という個別コードを口にする。

 歌で船乗りを惑わすその妖精の名は、艦娘にとって不吉な響きを覚えるものだ。

 “セイレーン”の個別コードは個体に付けられるものではなく、轟沈したと思われる艦娘の特徴を持った深海棲艦に付けられるものだ。

 そして“セイレーン”たちは、沈んだ彼女が親しくしていた艦娘の下に現れると、幾つかの報告が上がっている。

 

「それって、仲間の姿を真似て、こっちの戦意を削ぐってこと?」

 

 船内で休憩中だった暁がひょっこりと顔を出す。

 響はコーヒーを、夕張は頷きを持って、気が立っている駆逐艦を迎え入れる。

 

「沈んだ仲間に化けて真似をするメリットは、艦娘の戦意喪失だけかい?」

 

 響の問いに、夕張は言いにくそうに俯きながらも話を続ける。

 ただ艦娘に擬態するだけならば、艤装核を奪取する必要はない。

 敵は鹵獲した艤装核から、艦娘だった彼女の人格や趣向、経験をも獲得する。

 その中には、鹵獲された彼女が知り得る艦娘側の情報までもが含まれていて、敵の狙いの主となるのはその情報なのだと、夕張は荒くなりそうな語気を抑えて告げる。

 

「行動パターン、補給等の余力の有無、誰と誰が仲が良い悪い、哨戒シフトに至るまで、敵はすべてを浚って行くわ。そのうえで、“セイレーン”は自分の似姿を覚えている仲間たちを水底に引き込もうとするの。あるいは、そうして彼女に縁があった艦隊の足を止めている間に、別の敵艦隊が別方面を攻撃したり、ってね?」

 

 よって、消耗率の高い駆逐艦には作戦概要以上の詳細な情報が告知されない場合も多い。

 艤装核を鹵獲されても敵に情報が渡らないようにとの措置だ。

 そうして艦娘の間で情報の格差が生まれはするが、それが仲間への不信感につながるようなことは、ほとんどないのだとか。

 艦娘たちは、そうした指示の意図を知っているし、作戦と個人の感情とを概ね切り離すことなど造作もないのだ。

 ただ、敵が愛する仲間に化けて出てきたら、そしてそれが、自分たちを脅かそうとしてきたのならば、どうだ。

 そうされて冷静でいられる程、艦娘は兵士になりきれない。

 特に、日や経験の浅い娘は尚更だ。

 

 あるいは、艤装核の鹵獲を防ぐため、戦闘不能に陥った艦娘を雷撃処分するための訓練も、他の鎮守府では積んでいるのだそうだ。

 その役割を担うのはやはり駆逐艦が多く、“前”に経験のある艦娘が率先して志願する姿も稀ではない。

 そうする理由はと言えば、艦艇の時代にそれを行ったのだから、ジンクスから言えば自分が任された方が確実だという後ろ向きな自負と、仲間にその役割を任せたくはないという意識からだとか。

 

 水無月島にはない部分ねと告げる夕張は、暁が目に見えて渋面をつくる様を見る。

 話によるものか、それともコーヒーの苦みによるものかと苦笑する夕張は、響が目深帽子で目元を隠す仕草に、何故か胸のざわつきを覚えた。

 自分はいったい何を感じ取ったのかと、夕張がその正体に気付く前に、顎に手を当てた思案顔の響が声をつくる。

 

「すると敵は……、もう“セイレーン”と呼ぼうか。彼女は駆逐艦・白露の艤装核を鹵獲し、姉妹艦のすべてを被って時雨を騙し、沈めるつもりでいると言うことか」

 

 そうなると、すでに時雨は沈められている可能性が高い。

 こうしてはいられないと動き出そうとする暁を、響が首根っこを掴んで止める。

 

「現状をよく考えて、暁。青葉が大破で高雄がメンタル大破。第一艦隊は健在だけれど、昼間突っ走り過ぎて疲労が全然抜けてない。今満足に動けるのは私と暁、夕張、天津風に、まるゆ、雷だ」

「何よ、充分じゃない」

「皆、今の暁に速度を合わせられない。私たちはともかく、雷とまるゆは亀だよ亀」

 

 亀が海面に頭を出して不満そうな顔をしたが、皆概ね無視した。

 

「じゃあ、私だけでも行くわ」

「それもストップ。こちらが想定する最悪の事態は、もう時雨が沈められていることではないよ。彼女があちら側に回ることだ。艤装核を奪われるか、深海棲艦化が進んで敵になるか。どちらにしても、暁単艦では荷の方が勝つ。それに……」

 

 仲間を討てる?

 響の問いに、暁は固まった。

 ようやく暁を抑えていた手を離して、響はさらに問う。

 

「仲間だったものを討てる? 当人を、その僚艦を」

 

 暁をはじめ、水無月島の娘たちのほとんどには、そんな経験あるわけがない。

 他の所属であったものたちも同様だろう。

 だから、響は自分も行くのだと立ち上がった。

 

「そもそも、暁の出撃には致命的な時間制限がある。天津風や雷にもね。切り札はここぞという局面まで温存しておかなければならないのだから、私が先手を務めるのは必定だよ」

「それは、そうだけれど……」

「まあ、心配することはないよ。時雨はまだ沈められていない。敵は、やろうと思えばあの場ですべてを終わらせることも可能だったんだ。それをしなかったと言うことは、まだ何か、隠された理由があるのさ」

「何よ、その隠された理由って」

「あとで話すよ」

 

 まだ休んでいろと暁を船内に下がらせて、響は夕張に寄り添って耳元で囁く。

 

「響、それは……」

「念のため、だよ。私はこれ以上仲間を失いたくはないし、仲間だったものを誰かに討たせたくもない。水無月島の所属が仲間を討ってはいけないんだ。それをするのは私の役目だ。何故なら……」

 

 その先を、響は口にしなかった。

 口にしなかったが、それで夕張は確信する。

 

 響の内緒の要求は「艤装を弄って、敵味方の識別機能をカットして」というものだ。

 この響は仲間を討ったことがある。

 そしてそれを、恐らくは誰にも打ち明けたことがないのだ。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。