孤島の六駆   作:安楽

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5話:第二艦隊⑤

 グローブに内蔵されたスイッチ類を指の動きで操作しつつ、これはこれで張り合いの無い仕事だなと、時雨は他の者に悟られぬように溜息を噛み殺した。

 久々に足元に感じる海面の感触は、以前自らが体感したものとはひどく変わってしまっている気がした。

 敵支配海域に突入した5年前当時、すぐに艤装を外してしまったがゆえに、この硬い海面を踏みしめる時間はさほど多くはなかった。

 この海域の感触を足に覚える機会を、自ら放棄してしまったのだ。

 

 だから、こうしてリハビリがてらの機雷掃討任務は、感触を取り戻すうえでは最適かと思いつつも、退屈であることは否めない。

 水無月島の活動圏に定期的に発生する深海忌雷。それらの処分が、今の時雨の主な任務だ。

 両の腰部に接続した掃海具、そこから掃海艇を複数解き放って、グローブ内のコントローラーで動きを微調整する。

 互いの触腕を伸ばし繋ぎ寄り合わせて連結している忌雷どもをこれで断ち切ってゆくが、そうする傍から勝手に動いて襲ってくるので、お目付け役の潜水母艦・大鯨や三式潜水輸送艇ことまるゆが、海上と海中の両面から伸縮機構のある棒状の艤装で突いて爆発させている。

 これなら最初から突いて爆発させた方が手間がないのではと思う時雨だが、自分のリハビリも兼ねていると理解しているので、口はつぐむ。

 後にこちら側の機雷も敷設する作業があるため、そちらの方面でもリハビリメニューが組まれているはずだからとも。

 

 退屈ではあるが、それは時雨が海上での感触を取り戻しつつあるという意味でもある。

 航行に支障がないことは確認済み。あとは、背中の連装砲の代わりに収まった自立稼働型砲塔がデータを収集して、艤装核に刷り込むためのパターンを再構築できれば上出来と言ったところか。

 

 それにしても、お散歩気分で敵を掃討する大鯨やまるゆの肝の太さには驚くばかりだ。

 建造された時から最前線となれば、常在戦場という言葉を意識する機会も無かったのだろうか。

 時雨は否だと首を振る。

 最前線で生まれ、戦い続けるも、彼女たちは平和な時間の存在を蔑ろにはしていない。

 そんな心の在り方をどう言ったものかと口をへの字に曲げる時雨は、こちらをちらりちらりと伺う大鯨の様子にさらに渋面を作る。

 

 彼女と艦艇時代に縁があったのは確かだ。

 より正確には、彼女が改装され空母となった姿である“龍鳳”に、だが。

 時雨自身にも思うところは無くはないが、それでも彼女に対して自らが“時雨”として向き合ってよいものか、そう言った葛藤がある。

 自分はデフォルトの時雨よりもだいぶ捻くれているのだと、多くの人や艦娘に言われ続けていたから、そう思ってしまうのかもしれない。

 わかっているし、知っている。

 艦娘としてこの世に顕現した駆逐艦・時雨は、真面目で素直でとても良い娘で、今の自分とは真逆の存在だ。

 素体となった娘がさぞ育ちが良かったのだろうとも言われているが、そのあたりの事情は知る由もない。

 思うに、そう言った素体の性格を基礎とした時、駆逐艦・時雨として内側に秘めて隠していたい部分を表に晒しているのが自分なのだと、捻くれ者はそう考える。

 “前”に縁があったものたちからは身を引かれるし、同一艦の時雨と対面しても顔をしかめられたものだ。

 当たり前だ、自分の隠している部分、見せたくはないはずの部分を明け透けにして平気でいられるなど、それこそ時雨には耐えられないはずだ。

 だからだろうか、27駆の皆といる時間は心が安らいだ。

 こんなに擦れてやさぐれていてもそれでいいのだと言ってくれたし、事あるごとに喧嘩を吹っかけてくるあの姉も、本当に替えが利かない大切な存在だったのだ。

 

 こんなことになるのなら、一度くらいは普通の時雨みたいに素直に振る舞って見れば良かったと思わなくもないが、それはそれで絶対にあの姉がからかってくる。確信があるのだ。

 ならば、この島の面々はどうなのか。

 今のところ、脱走前に感じていたような息苦しさは無い。

 せいぜい高雄が「ずいぶんと皮肉屋ですわね」と片眉上げてちくりと言うくらいだ。不快に思うどころか逆に好感が持てるのが彼女の人徳かなとも思う。皆に弄り倒されているので大目に見ているという節もあるが。

 そんな中にあって、自分を時雨として慕って世話を焼こうとしてくる彼女の存在に、居た堪れない気持ちになる。

 

「ボクは、キミの望んでいる時雨じゃないよ」

 

 さあ昼食だ、おにぎりを握って来たのだと、意気揚々と並走してくる大鯨に、時雨は思わず悪態をついてしまう。

 すぐに、そんなつもりはなかったのだと弁解したかったが言葉は出ず、しかし大鯨は気にしていない様子で懐の包みを差し出してくる。

 

「貴女が時雨ちゃんとしてこの海に舞い降りたのなら、貴方は紛れもなく時雨ちゃんなの。他の娘とはだいぶ違うのかも知れないけれど、私にとっては守ってあげたかった大切な僚艦なのよ」

 

 だから、また会えて嬉しいのだと告げる大鯨は、「それに、自分の考えていたイメージと違っているから別人だなんて、そんなの酷いと思わない?」と、眉を寄せて食いついてくる。

 ご最もだと降参したいところだったが、それでは自分がいっそう出来損ないな気がして、やはり素直に認めたくない。

 こちらがどうであれ、自分はこうあるのだと、大鯨の言葉には彼女の強さがにじみ出ている。

 独善にも聞こえる言い草ではあるが、こちらが嫌だと言えば、彼女は素直に身を引くつもりなのだろう。

 どれだけ性格が違っても人は人。どれだけデフォルトからずれてしまっていても、彼女はこちらを時雨として認識する。

 

 これはやり辛い。こんなにべったりとした好意を向けられたことがなかったからだと思い至り、今さらに27駆の皆が気をつかって自分に接してくれていたことに辿り着く。

 こういった付き合い方が苦手だとわかっていて、あのような距離感を保っていてくれたのだなと、もう戻らないものに思いを馳せる。

 かつてあったものが得難いものだったのだと、失ってから幾度も思い知らされるのは、まるで地獄のようだ。

 

 地獄と言えば、まあこの状況もそうだろう。

 緩く並走しては引っ付いてくるこの僚艦。

 どうしたものかと視線を逸らせば、向こうでおっきい三式潜水輸送艇が大口開けておにぎりを食んでいる。

 あれを見ていると深く考えすぎるのが馬鹿らしく思えてくるなと、時雨は引っ付いてくる大鯨の頭をくしゃくしゃに撫で繰り回して誤魔化すことにする。

 

 戦時も戦時、最前線の真っただ中。

 それだというのに、こんなにも平和な面々と一緒に、自分を立て直していこう。

 復讐心を穏やかに保ちながらもそう考えるに至った時雨は、それがすぐに揺らぎ波立つ心地を味わうことになる。

 視界の端に、無視できない兆候を見たのだ。

 海面に体の一部を、黒いヒレ上のパーツを露出させて高速で移動する敵。

 深海棲艦は潜水棲姫。こんな奇行を行うのは個別コード“ナックラビー”以外に考えられない。

 討つべき仇が、こうも簡単に姿を現したのだ。

 

 

 ○

 

 

「まるゆが抑えます!」

 

 動きを止めた3隻の内、即座に対応を開始したのは海中に身を置くまるゆだった。

 時雨が爆雷を用意するまでに敵の初動を抑え、時間を稼ぐのだ。

 一度は潜水棲姫と引き分けた身だが、此度もそう出来るという楽観は微塵もない。

 だから出過ぎた真似はせずに、あくまで時間稼ぎなのだと、まるゆは甲標的をリリースして敵艦へと先行させる。

 あちらは背びれが露出するほど海面すれすれを潜航しているにも関わらず、かなりの速度を保持しているし、直角なターンを繰り返して軌道が読めない。

 だから、甲標的で追い立てて行先を限定して、魚雷でさらに行先を制限する。

 そう考えて雷撃準備を整えるまるゆだったが、こちら側にターンして来た“ナックラビー”が真正面は衝突コースを突っ切って来て、慌てて急速潜航して深みへ逃れる。

 

 動きが読まれているのではないか。

 過った考えにまさかと焦り、もう一度手順を立て直そうとするが、今度は先ほどよりも前の工程で妨害が入る。

 こうまでされればもう確信だ。

 この敵はこちらの考えを読んでいる。

 対して、相手の動きは全く予測出来ない。

 甲標的を回収して手元で構えなおすも、“ナックラビー”は回避行動を取る素振りもなく、こちらの射程圏内をジグザグに行く。

 この動きそのものが回避行動なのかと思い数発魚雷をばらまいたところ、2、3発が直撃してまるゆはぎょっと目を見開いた。

 致命傷ではなかったものの、確実に敵の力を削いだはずの攻撃だ。それだというのに敵の挙動に変化はない。

 攪乱ならばそこから意図を逆算できるが、この敵はそんなものとは無縁な思考と動作でこちらを翻弄している。

 少なくともまるゆの目にはそう映った。

 これまで相対したどの深海棲艦も、こんな自由奔放な挙動を取る個体はいなかったはずだ。

 

「惑わされないで。やつは正気じゃない、動作や思考を読み取ろうとするだけ無駄だよ……!」

 

 時雨からの忠告がモールス変換で降りてくるが、じゃあどうしろと言うのだと、まるゆが涙目で敵を狙い続けるなか、“ナックラビー”は更なる動きを見せる。

 

 潜水棲姫“ナックラビー”、その体は女性の上半身に魚類の下半身といった、まるで人魚のような構造を基礎としていて、背部や腹部にヒレ状の生態偽装を複数張り付けた姿だ。

 海中を高速で縦横無尽に駆動するその体が、一度深海へと消えたかと思えば急浮上して、勢いをそのままに海上へと跳ね上がった。

 まるでイルカショーでも見ているかのような光景に、海中にいたまるゆはもちろん、海上で補給用のコンテナを展開していた大鯨も思わず手を止めて固まってしまう。

 敵の奇行に対して即座に反応出来たのは、時雨ただ1隻だ。

 主砲も魚雷も未だ制御系が構築出来ていない身で戦う手段は、今のところ爆雷のみ。

 グローブの上から手の甲に口付けした駆逐艦は、自立稼働型砲塔の背部に増設したストッカーから次々と爆雷を射出。

 それらを脚部艤装のヒールで蹴って跳ね上げ、敵の着水地点に円を描くようにばらまいてゆく。

 タイミングは完璧、海上高く跳ねた敵が再び海中へと身を没した瞬間に炸裂する罠はしかし、“ナックラビー”が海面にへばりついてごろごろと転がる動きで回避される。

 

 その動きを、時雨は予測していなかった。

 そもそも、敵の次の動きを予測など、最初からする気はない。

 次にどんな奇行が来ようとも、現状において取れる手段を持って即座に対応する。

 その心構えは5年前から出来ているのだ。

 時雨は己の速度を徐々に上げながら、新たに射出した爆雷を足の甲で蹴って海面をスキッドさせ、何故か這って逃げる“ナックラビー”に直接命中させ、爆破する。

 海中のまるゆには何が起こっているのか全く分からず、海上にて動向を見守っている大鯨も時雨のしなやかな挙動に見入っている。

 

 海上での爆撃を重ねダメージが蓄積された“ナックラビー”へと、時雨が迫る。

 しかし、さすがは敵の首級ということか、これだけ攻撃を重ねても彼女はけたけたと笑うだけで、まったく意に介した様子はない。

 

「それなら、沈んでも笑っていられるか確かめてやる……!」

 

 速度を上げ距離を詰めるに至った時雨は、敵が笑いながら海面に両手を付き、むくりと上体を起こす姿を見る。

 “ナックラビー”の下半身部に変異が生ずる。

 幾つも纏わりついていた黒いヒレの一部が生き物のように蠢き肥大化して、有蹄類の脚部のような形状を作り上げてゆく。その数は4。

 魚状であった下半身部は馬の胴体に酷似した変異の途中で止まり、ひどく中途半端な姿を露わにする。

 かの妖精の名の通りの姿に変異した深海棲艦は、馬がそうするように後ろ足で立つと、ひづめの4足で海面を踏み荒らす。

 暴れ馬そのものの動きで時雨が放つ爆雷を後ろ足で蹴り返し、時雨は自分の方へと返ってくる脅威に舌打ちして、即座に対応する。

 

 腰部の掃海具を展開する。

 掃海艇部分を射出して返って来た爆雷を捕らえると、ワイヤーをグローブに握りしめ、担ぐように構えて、自らの体を時計回りに回転させる。

 そうして遠心力を生じ、ワイヤーの先でトップスピードに到達した爆雷を再び敵に叩き付けた。

 炸裂箇所は頭部、人間であれば重要な器官を数多く内蔵している急所中の急所だが、そこを破壊されても敵はなお動く。

 半壊した頭部から青黒い粘性のある液体を滂沱と溢れさせた“ナックラビー”は、手の届く距離に至った時雨に対して、その手を伸ばす。

 白く長い手が掴むのは時雨の細い首。

 なけなしの速度が完全に殺され、足が海面から浮いた状態で停止した時雨は、敵の目を真正面から見つめ返す。

 このまま片手で握り潰さんばかりに力が込められることは誰の目にも明らかであり、よって時雨の次の行動を推測するのも容易だったろう。

 掃海艇を繋いでいるワイヤーが翻り、敵の手首を拘束。断ち切らんとする。

 

「ダメです! 時雨ちゃん離れて!」

 

 大鯨の声を背中で拒絶して、時雨はグローブにてワイヤーの挙動を操作。

 しかし、切断の用途にも改良されたはずのワイヤーは敵の手を断ち切ることが出来ず、せいぜい表層に切れ目を入れて流血させる程度に留まる。

 力はもちろんのこと、速度が圧倒的に足りないのだ。

 ほとんど静止状態からの運用では、本来の切断力が発揮できない。

 ならば、ワイヤーの強靭さに頼って断てる領域までやるだけだと歯を剥く時雨は、“ナックラビー”がその手に力を込めていない現状を訝しむ。

 否と、すぐに感じた疑念を捨てる。

 この敵は何をやって来てもおかしくはない。

 今もこうして、半壊した頭部を笑みの形にして、艦娘の領分から外れた手段を目の当たりにして、爛々と目を輝かせているのだから。

 

 不意に、時雨の体が前のめりに沈み込む。

 “ナックラビー”が時雨の首から手を離し、緩やかに潜航を開始したのだ。

 焦りを帯びる駆逐艦の顔を眺めながら、余裕を感じさせる動きで敵は海中に姿を消した。

 こうなると、彼我の艦種の差を嫌でも思い知らされる。

 潜水艦はともかく、水上艦である駆逐艦の肉体は、艤装を展開している間は水に沈まない。

 時雨の体は敵を捕らえたはずのワイヤーに引っ張られ、海中へと引きずり込まれてゆく。

 力は向こうが格段に上。このまま海中に引き付けられた場合、海面に押し付けられて潰されることになるだろう。

 瞬時にはじき出された計算では、掃海具の強度限界が来るよりも海面に圧殺される方が早い。

 

「我慢比べのつもりかい? いいよ、付き合うよ……!」

 

 自分の死に様を幻視した時雨は、海中に引きずり込まれるワイヤーに己の左腕を噛ませて楔とする。

 ようやく手の届くところまで辿り着いた仇だ、掃海具をパージして脱出するという選択肢は最初から投げ捨てている。

 ワイヤーの噛んだ左腕が海面にめり込んで、海中へ引きずり込まれる動きは止まった。

 しかし、本来全身で受けるはずだった負荷が左腕一箇所に集中して、柔な細腕は一瞬で破裂したかのように噴血する。

 肉は駄目だが骨はもう少し持つはずだと、時雨は痛みを堪えるように口をつぐんだまま、背部ストッカーの爆雷をありったけ周囲に投下する。

 自らをも巻き込む決死の攻撃はしかし、海中の“ナックラビー”が急発進したことでふいにされる。

 背後の水柱が遠ざかる音を耳に、手元の激痛に耐える時間が始まる。

 艦娘にとって海面は足場であり、移動する速度によっては舗装された路面に匹敵する摩擦が生まれることになる。

 腕の肉が削げ指が幾本か飛んでゆく光景に歯噛みすると同時、突如首の動脈が断ち切れて血が噴き出した。

 深海棲艦の手が触れた箇所だ。人間離れした握力で握りつぶされずとも、その鑢の様にざらついた肌は簡単にこちらの皮膚を傷付け、動脈すらも断ち切る。

 計算されたかどうかはわからないが、結果としてそうなった。何より頭の位置を低くし力んだのが致命的だ。

 自らの出血量から意識が落ちるまでの時間を計算した時雨は、もう自分ひとりではどうにもならないことを悟り、脂汗を浮かべた顔から表情を消した。

 

 海面を引きずられまま速度は急激に上がる。左腕も、我慢比べも、もう限界だ。

 意識を手放すのが先か、海面に頭をすり潰されるのが先かと考えたところで、背中の自立稼働型砲塔が異様な駆動音を上げ始めた。

 妖精たちが慌てた様子で艤装の中を走り回る感触が伝わってくる。

 耳に聞こえてくるのは「仮設機、限定モードで起動!」と妖精たちが叫ぶ声。

 表情の消えた顔に疑問を浮かべた時雨、その肩に、ふわりと何かが降り立った。

 横目に見るそれは、まるで妖精のような輪郭をしてはいたが、それはあくまで輪郭のみ。

 その姿は黒く塗りつぶされたような、あるいはノイズが走ったかのような白と黒の色彩を混ぜこぜにした、異様なものだった。

 

『駆逐艦・時雨。キミはひとつ思い違いをしている』

 

 何さ。そう口に出したかったが、それはもう心の中だけに留まる。

 

『今この状況に対応しているのは、キミだけではないよ』

 

 妖精の輪郭が発する声。

 どこかで聞いた声だと記憶を辿る時雨は、「ああ、ダンボールの人か」と、顔もおぼろげな水無月島の提督を思い出す。

 そして彼の言葉の意味を考える間もなく、突如海中で爆発が起こり“ナックラビー”が失速した。

 海上を恐るべき速度で引きずられていた時雨にとっては堪ったものではない。

 慣性によって宙に投げ出され、限界を迎えた左腕の骨が断ち切れ、腰部の掃海具も損壊。

 速度を維持したまま海面を水きり石のように転がった時雨は、浮上して奇声を上げる“ナックラビー”の姿を逆さまに見る。

 いったい何がと、焦るように険しくなる表情は、次の瞬間ぎょっと目を見開くものへと変わる。

 先程半壊した頭部が海中で起こった爆発によってさらにダメージを受けたのだろう。海面で激痛にのたうつ“ナックラビー”の後方、黒い球体を両手で掲げたまるゆが、ゆっくりと浮上して来たのだ。

 手にしている黒い球体は先ほどまで処理していた深海忌雷、その取り残しだ。

 先の爆発はあれにぶつかったものだなと察する時雨は、まるゆが容赦なく敵に忌雷を叩きつける姿に息を飲む。

 

 自分が攻撃しても痛がる素振りも見せなかったくせにと歯噛みする時雨は、次の“対応”を目の当たりにする。

 時雨とまるゆの足止めによって、ようやくこちらに追いついて来た大鯨が、準備していた装備を展開する姿だ。

 鈍色の球体をワイヤーで繋いだ形状は、こちらも機雷。

 深海棲艦側と違って自立稼働するものではない。比較的浅めの海域と言うことで係維タイプを用意していたものだ。

 大鯨はそれを“ナックラビー”の足元に射出。

 破損が拡大した頭部を庇うように押さえて立ち上がったばかりの有蹄脚に、ワイヤーが絡み巻き付いて接触、瞬時にして敵の足元に炸裂の花が咲く。

 “ナックラビー”は悲鳴のような声を上げながら有蹄脚を自ら切除して、元の人魚のような姿に戻ると急速潜航。すぐにこちらの索敵圏内から姿を消す。

 咄嗟に「待て!」と手を伸ばそうとした時雨は、自らの肘から先が消えた腕に歯噛みして、意識を手放した。

 

 

 ○

 

 

 それからは散々だったと、時雨は水無月島の医療用ドックで目覚めてから今までを、トレーニングルームの一角から振り返る。

 大鯨はじめ様々な艦娘たちからのお説教と謹慎の言い渡しと、そして泣きたくなるような気遣いの数々に心を痛めるばかりだった。

 自分が思っていた以上にこの場所に受け入れられていたのだと自覚して、ならばなおさら、仇との決着を付けねばと思うのだ。

 あの忌々しい仇は、時雨を追って来た。

 “ナックラビー”の顔を、その目を至近距離で見たとき、時雨はそう、根拠のない確信を得ている。

 あれは自分を追ってここまで来たのだ。

 ならば、自分がこの島の面々を危機に晒してしまったことになる。

 自分にそんなことを考える心が残っていたことに驚き、そしてその程度の思い詰め方で仇を討とうとしていたことに情けなさを覚えた。

 

 あの時点で出来ることは、取れる手段はすべて使い切ったと考えていたが、それは間違いだった。

 この後に及んでまだ、自分1隻ですべてを終わらせるつもりでいたことを、こうして生還して自覚する。

 手段を選ばず、あらゆる手を尽くして仇と対峙するべきだったと、この時ようやく時雨は思う。

 単艦ではなく艦隊で当たるべきだった。

 そしてそれは、新たな仲間を危険に晒すことでもある。

 

 今さら、自分にそんなことが出来るのかと、時雨は自問する。

 出来るだろうと答えは出るが、すべてが終わった後でより大きな後悔に蝕まれるところまで、はっきりと予知できるのだ。

 どれだけ冷めても冷徹になりきれない。

 そんな自分だからこうして仇討などしているのだと、面白くもないのに笑みがこぼれてくる。

 

 ダンベルのウェイトを増やしながら苛立たし気にため息を吐き出していると、艤装の修復の件だろうか、夕張と天津風が訪ねて来た。

 

「トレーニングもいいけれど、そんなにむきむきになってどうするの?」

 

 腕組み、呆れたように告げる天津風を、上から下まで舐めまわすように見つめて、鼻で笑うようにしてやれば、ツナギ姿の駆逐艦は傍らの連装砲くんでこちらを亡き者にしようとしてくる。

 夕張が止めなければ鋼の角で殴打されていただろうなと、どこか他人事のように考えて、そして今日はルームの使用者が多いなと、新たな来訪者に眉根を寄せる。

 高雄に青葉、そして響だ。服装からトレーニングする気などさらさらないような面々が何をしに来たのかと言えば、そんなものは決まっているなと嘆息する。

 

「時雨、私たちに何か言うことは?」

 

 澄ました顔で告げる響を上目でねめつけ、時雨はウェイトを置いて皆に向き直った。

 誰もかれも、こちらがしゃべるまで動かないぞと、そんな忍耐のある者などいない。

 時雨が何も言わなければ、自分たちで勝手に動くだけだと、言外にそう告げているが丸わかりだ。

 だが、皆はこうも思っているはずだ。

 時雨は絶対に言うと。その言葉を口にするはずだと。

 単艦で敵を撃沈させることが困難だと思い知ったのだから。

 知った顔をされるのは不愉快極まりなかったが、なかなかどうして、その不愉快な感情が心地よく思えてくる。

 

「ヤツを倒したい。仲間の仇を討ちたい」

 

 頷きが返り、笑みが返る。

 もはや自分1隻でどうにか出来ることではないと理解してしまった。

 だから、新たな仲間を頼ることにする。利用すると言い換えてもいい、その方が邪魔な良心が痛まないはずだ。

 そしてここに揃った面々は、そんな時雨の考えなど最初からお見通しで、それでもなお力を貸そうとするお人好しなのだ。

 

「ボクに力を貸して」

 

 思えば、水無月島の第二艦隊はこの時結成されたようなものだなと、時雨は後に振り返る。

 

 

 


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