肉体も精神も限界かと思われたまさにその時、電探妖精が敵襲を知らせる。好都合だと重巡・高雄は笑み、砂浜に横たえていた体を起こした。
敵の支配海域とは言え季節は冬。緯度はほとんど日本と同じであるがゆえに、外気は身を切るように冷徹だ。
遮へい物の一切存在しない環礁地帯。わずかばかりの砂浜に穴を掘って埋まる姿は埋葬直前の死体にも似て。
衣装の保温機能が損なわれ、半ば延焼してぼろ布となってしまった上着を纏って体を暖めていた時間もようやく終わる。
真っ白に濁る吐息が煙のように霧散するのを視界の端に捕らえ、もうすぐ自分もこうなるのだと、高雄は決死の思いを湧き上がらせる。
極地突入作戦に失敗し、何隻かの僚艦と殿を務め、自分だけがこうして生き残ってしまった。
高雄の所属していた装甲空母部隊はこの海域を離脱することが出来たはずだ。自分の仕事はしっかりと果たしたという自負はある。
しかし、それだけでは足りない。
先に逝った僚艦たちの元へ逝く前に、敵をもう何隻か道連れにしなければ面目立たない。
ここまで良く体も心も持ってくれた物だ。これも艤装妖精たちのお陰だなと感謝の念を示すが、その妖精たちの顔はどれも晴れない。
当然だ、自らの宿っている主が、これから敵と刺し違えに行こうとしているのだから。
出来ればこの妖精たちは誰かに拾ってもらえればなと、高雄は最後の心が掛かりを思う。
あるいは、水無月島鎮守府の艦娘たちが救助してくれるだろうかと、淡い希望も抱くのだ。
そう、水無月島だ。
10年前に敵の手に落ちたと思われていたかの鎮守府はその機能を取り戻し、敵支配海域のど真ん中から反抗を開始したのだ。
ここで無様な姿を晒すことは、彼女たちに対しても面目が立たない。
敵地に取り残された高雄がここまで気力を繋いだのは、艤装妖精たちの癒しもあるが、同じ艦娘が孤立無援のこの環境下でも戦い続けていたからに他ならない。
せめて一目でもと思ったが、それも叶いそうには無くなった。
遠洋にて轟いた砲声、間もなく間際の海岸に、背後の砂浜に、着弾の水柱と砂煙が幾つも立ち上げる。
霞む目を凝らして視認する敵艦隊、その数は6。あの遠間から砲撃が届くのならば戦艦級がいる。2隻だ。他の4隻は形状から軽巡級が1、駆逐級が3と断定。
駆逐級1隻は連れて行きたいところだが、何分戦艦級のお陰で間合いに入るのは難しい。
艤装核が内臓されている基礎ユニットにガイドレールを接続、荷重軽減が機能して鋼の重さがふわりと和らぐ。
本来であれば、提督の指示なしに艤装の接続すら単独ではままならないはずの艦娘だが、高雄は“艦隊司令部施設”の試験運用艦としての適性上、ある程度の権限を保有している身だ。
艤装の診断が即座に行われる。
無事な砲塔は背部側の第四砲塔のみ。燃料はもう満足に戦うだけの量は残されていない。砲弾も然りだ。
魚雷発射管は両弦とも損壊。魚雷自体はかろうじて1本だけ予備が残っていた。手動ならば使えるなと、かすかな幸いに笑む。
脚部艤装の診断を終えた妖精が仮想スクリューの展開可能を示し、高雄は片膝を付いた状態から両手の指を砂に付き、前傾にのめり、抜錨した。
体の傾斜と艤装含めた重量を利用してのスタートは即座にその身を海面へと到達させ、両の脚部艤装が着水した瞬間に青白い燐光が足元に出現、莫大な推力を発生させた。
高速巡航形態への移行が不可能な今、敵の砲撃を足さばきで回避する他ない。幸いこの程度の砲撃ならば回避軌道を割り出すのは容易だ。
水柱の間を縫って進む高雄は、単縦陣に構える敵艦隊の後方へと回り込むように疾走する。敵艦隊の動作は機械的で無機質なものだ。こちらが動きで誘いを入れれば、意図した通りに動いてくれる。
しかし、此度はその意図の通りにはいかなかった。敵艦隊の後方へと回り込もうとする高雄に対し、最後尾の駆逐級は反転、吶喊して来たのだ。
馬鹿な。高雄は思わず言葉を漏らし、砲塔を迫る駆逐級へと指向する。ここは陣形を乱さずに単縦陣を保つはずの所だ。
まさか旗艦が特殊な個体なのかと横目に確認するも、別段特徴的なところがない戦艦ル級。とても奇策を弄するタイプには思えない。
ならば、入れ知恵している者がいるなと、高雄は迫り来る駆逐級を仰角零度の砲撃で屠り、その爆炎に隠れつつ確信する。
この海域にはなんらかの方法で通信を傍受する敵がいると、高雄は踏んでいる。
高雄が所属する装甲空母が強襲を受けた際、交戦に不利な地形に追い込まれてから敵の増援が現れている。敵は6艦編成の一個艦隊だけではなく、それら複数が統率者の意志の元に動いているのだ。
そしてその統率者こそが、無線傍受の能力を持つ敵だと高雄は断ずる。海域突入時、強襲があったタイミングは必ずと言っていいほど、他の装甲空母部隊との連絡を行って一時間も経たぬ内だった。行き当たりの遭遇戦と考えるにはあまりにも都合が良すぎる。
今相手取っているこの一個艦隊も、その統率者の遺志の元に使わされたものだろうか。
救難信号を出さずに様子を見ていたため、確証は得られないのが悔やまれる。
違和感を覚えたのは、交戦を始めてからすぐだった。
敵の攻撃が散発過ぎる。砲火はそれこそ雨のように降り注ぐが、どれも身の危険を感じるレベルの精度ではない。
吶喊してくる敵の動きも単調と言うか、迫力が感じられなかった。
こちらを沈めようという動きではなく、消耗させるかのように弄る責めだ。
「……まさか、ここで私が救難信号を出すのを待つつもり? それとも鹵獲を?」
ステラーカイギュウと言う海獣が、かつてこの地球上に居た。
艦艇の重巡・高雄が建造されるよりもはるか昔に存在し、人類によって乱獲されて絶滅した種だ。
海獣たちは仲間が傷付けられると大挙して押し寄せ、助けにやってくるという習性を持っていた。
その習性を利用されて狩人たちの恰好の獲物となってしまったわけだが、敵艦隊の統率者はそれを同じことを高雄で行おうとしているのだなと、傷付いた重巡はそう察して、顔に苦い笑みを浮かべて見せる。
そうはいくものか。手足がもがれようとも決して助けを呼ぶ声など上げはしない。
ル級の砲撃に動きを制限される高雄へと、軽巡級以下が殺到する。戦艦級が支援砲撃を行い、軽巡・駆逐級が各々の距離で戦うための方法か。
まるで歩兵と歩兵戦車の関係に似ているなと吐き捨てた高雄は、好都合とばかりに接近する片っ端から砲撃で沈めてゆく。残弾と威力を計算しながらの攻撃はしかし、吶喊してくる敵艦の執拗な喰らい付きで随時修正を余儀なくされる。
ここまでされれば、この敵艦隊の役割を理解することは容易だった。かの統率者はこの一個艦隊と引き換えにしてでも高雄を鹵獲しようとしているのだ。
その証明だとばかりに高雄が砲撃を止めて距離を取ると、敵艦隊もその動きを変えた。自壊をも恐れぬ決死の動きから、戦意を収めた観察する動きに。
推測が当たったことに、高雄の額に冷たい汗が流れる。
こうなってしまえば、即座に判断を下さなければならない。
体と艤装の動きが自由な内に、自らを終わらせる。その手段を行使しなければ。
敵が高雄に戦意なしと判断するか、あるいは高雄が戦意ある姿勢を見せれば、攻撃は再開されるだろう。鹵獲のための嬲りが始まるのだ。
とは言え、砲塔にはもう弾薬が残っていない。機銃も副砲も潰れてしまっていて、攻撃に用いることが出来るのは1本だけ残った予備の魚雷のみ。使い道は、たった今決まった。
もう敵を2隻も道連れにしたのだ、そろそろいいはずだ。自分の手で幕を引ける内に……。
収納から予備の魚雷を引き抜くと同時、艤装妖精が警戒の声を上げた。
高雄の左足に、海中から延びた腕が絡み付いていたのだ。
こんな浅瀬もいいところまで潜水級が侵攻しているなど、高雄は可能性すら考えていなかった。
眼下の光景に高雄は背筋を凍らせ息を飲む。
敵潜水級は1隻ではない。視認できるだけでも6つの影が海中を行き来しているのだ。
敵は6艦編成の一個艦隊ではなく、そこに6隻の潜水級を含めた二個艦隊だった。
海中の敵への対応を判断するわずかな間に、高雄は駆逐級の接近を許してしまう。
高速で迫った駆逐級が小さく跳ねて、右腕を手にした魚雷ごと咢に捉えられる。
抗えぬ膂力と速度で海面を引きずられる過程で、患部の痛覚はすぐに喪失し、同時に咢の向こうの手指の感触も消える。
これで、自らを処することは適わなくなってしまった。
あとはもう命が尽きるか、根を上げて助けを呼ぶまでこの蹂躙は続くのだ。
艦娘としての最後も惨めなものかと高雄は心中で吐き捨てる。
軍艦の時代よりも長く現役であれたことが誇りであることに違いはないし、かつての姉妹艦や縁のある艦たちと言葉と感情を交わすことが出来たのは、何にも代えがたい宝だった。
だからこそ、こんな最後はあんまりではないかと、ずっと堪えてきた涙が零れ落ちるのを止められない。
艦の時代も、艦娘となっても、自らの死を味方ですらない者に委ねなければならないとは。
出来るだけ苦痛を感じないように、心を閉ざす機能が備わっていればなと、高雄は自嘲する。
――あきらめんなああああ!!
幼くも、しかし鋭い叫びが鼓膜を引っ叩いたのは、心折れて諦めかけていた、まさにその時だ。
通信器が受信したのは幼い声、それが駆逐艦の艦娘の声だと悟り、高雄は意識を取り戻す。
横倒しになった視界の端、水煙を上げて迫る幾つかの影を確かに見たのだ。
○
表情を怒りの形に引き締めた駆逐艦・朝霜は、高速巡航形態で浅瀬を駆る。
後続の艦隊を置いて大きく突出する形となってしまったが、そんなことに気を割いてはいられない。
名も知らぬ味方が嬲り殺しにされるのを、黙って見ているわけにはいかない。
こちらの叫びが受信されたのか、敵の咢に捕らえられた艦娘がわずかに身じろく。
まだ生きている。
絶対に助け出す。
しかし、どうやって?
対象の艦娘が敵に捕まっているこの状況、下手をすれば味方にトドメを刺してしまいかねない。
方法を何も思い付かないことを嘆くが、打開するための知恵はすぐにもたらされた。
高速巡航する朝霜の背中に追い付いた響が声をつくる。
「朝霜は私と友軍の救助に当たってくれ。潜水級たちは後続に任せよう」
「ああん? 巻姉たちに任せるのはいいけどよ、あれどうやって助け出すんだよ?」
高雄を鹵獲したまま遠洋に向けて舵を切った駆逐級、その行先を阻むように敵潜水級からの雷撃が迫る。
速度を落とさず回避行動を取りながら、「対機雷装備を使う……!」と響。
目を見開いて息を飲む朝霜だが、すぐに表情を引き締める。
速度を上げた響が朝霜の前へと躍り出て、腰部艤装の一部を展開する。
「――こちらは水無月島鎮守府所属、駆逐艦・響。重巡・高雄、艤装核内臓ユニット以外の全艤装をパージして待て。あと、ちょっと歯を食いしばって、舌を噛まないようにしていてくれ。痛いよ?」
通信にて呼びかけ、見張り員妖精の遠目で確認する限り、響が何をしようとしているのかを高雄は理解したようだ。
息を入れ直して腰部の艤装核内臓ユニット以外をパージした高雄は、全身に力を入れ、捕らえられた右腕を引きちぎるかのように、思い切り引っ張り始める。
患部の袖口を染め上げる赤が、みるみる内に広がってゆく痛々しい光景は、朝霜の位置からでも良く見えた。
高雄を拘束する駆逐級の横を、響が高速で通過する。
そのわずかなタイミングで、駆逐級に捕らえられている高雄の腕にワイヤー状の何かが巻き付き、瞬時に切断した。
対機雷用装備。掃海具の概念を用いたワイヤーだ。
機雷型の深海棲艦に対しての装備ではあるが、こうして肉体を切断する用途への転用をも、水無月島では考案していた。
まるゆが潜水棲姫“ルサールカ”と接触距離で交戦した経験上、人型、もしくは半人型の深海棲艦との接触距離での交戦が今度も起こり得る可能性は高いと水無月島鎮守府の艦娘たちは判断した。
今回のように腕や脚を拘束された際に自力で、もしくは他者の手を借りて脱するための措置のひとつがこれだ。
結果はご覧の通り。
右の二の腕から先を切断され海面へと放り投げられた高雄は、さらに後方から迫る叫び声に従って体を丸める。
高機動形態へと脚部艤装を変形させた朝霜が、腰を落とし両腕を広げて「こいよおお!」と気合を入れた叫びを上げたのだ。
海面を跳ね転がって来た高雄を、朝霜は気合で頑張ってキャッチ、即座に高速巡航形態に移行して戦闘領域から離脱を試みる。
腕に抱いた重さを確かめながら、驚いて呆けてしまった高雄の顔に、朝霜はしんみりとした感情が湧き上がってくるのを自覚する。
「高雄かあ、レイテを思い出すな?」
「……貴女は朝霜ね。縁起でもない。でも、確かにあの地獄に比べたら、どんな苦難も生ぬるいですわ」
皮肉気に告げる高雄に、朝霜は額を寄せて「もう大丈夫だぞー」と笑む。
あまりに距離が近い行動に高雄は戸惑っている様子だったが、目じりに涙が滲むのは見逃さなかった。
感傷的になって泣き出しそうになっているのだなと判断した朝霜に、高雄は伝えるべきことがあると声を震わせる。
無線傍受の可能性。すぐに響の判断で無線封鎖の指示が発令され、手信号や口頭のみに連絡手段を限定する。
戦艦級の射程から逃れた朝霜は一息ついて、高雄に心配はないと念を押す。
ひとつは高雄の安否に関して。
もうひとつは、すでに敵艦隊への対応、その工程が段取りされていることに関してだ。
「見ていてくれよ。うちの鎮守府の皆、強いんだぜ?」
お手並み拝見したいなと呟く高雄だったが、もう体力が限界のようで、瞼が重そうだ。
切断した右腕部の応急処置を行ない、待機中の“隼”へと帰投する朝霜は、遠目に白い人影を目撃する。
敵の姫・鬼級かと息を呑み身構えるが、次の瞬間にはその姿は霧のように消え失せてしまっていた。
○
高雄が次に目を覚ました時、体に不規則な振れを感じた。
これは船の上だなと薄目を開け、天井や内装の様子から“隼”だなと判断。
敵の支配海域で運用可能なタイプが開発されていたのかとかすかな驚きが生まれるが、すぐにそれは違うなと否定する。
恐らくは超過艤装技術の流用で、艦娘の艤装をこの“隼”と同期して操舵しているのだろう推測する。
水無月島が支配海域の解除時に衛星経由で情報交換を行っていることを鑑みて、その可能性が高いなと高雄が判断したものだ。
切断されたはずの右腕が“寒い”と感じるのは幻肢感覚だろうなと、経験から己の状態を考察する高雄は、頭上から「鎮守府に帰投するまで治療は待ってね」との声を聴く。
視線を巡らせれば鳶色の髪が目に入る。メガネと白衣、そして年齢的には10代後半の少女の姿をしているが、高雄には彼女が艦娘であることが直感でわかった。
自らを雷だと名乗った少女は、高雄の救助に至った経緯について説明し、その副産物としてもう1隻艦娘を保護出来たのだと礼を言ってくる。
高雄の隣りにはもう1隻、艦娘が寝かされていたのだ。
伸び放題の傷んだ髪に隠れて顔は見えないが、制服から白露型駆逐艦の艦娘だと推測。手の甲の“27”のタトゥーから第二十七駆逐隊に縁のある艦と目標を絞って行き、そう言えば数年前に帰投命令を無視して敵艦を単艦追跡して行方をくらませた艦娘が居たなと思い出す。
「ええ、じゃあこの娘がその時雨なの? でもこの娘の姿は……」
時雨の姿は雷と同様、10代後半の少女のものへと成長している。
栄養失調の症状が出てはいるが、入渠ドックで充分回復可能な領域だそうだ。
「艤装を外して5年もの間、ずっとひとりで仇を探して? そんな長期間、ご飯とかどうしてたのよ、いったい……」
それはこちらが聞きたいところだと内心呟く高雄ではあったが、推測は可能だ。
水無月島に取り残された彼女たちがくすぶっていた10年のあいだに敵の支配海域は拡大し、各鎮守府や泊地をも呑み込んでいる。
ハワイ諸島とトラック島との航路上には人口の浮島が幾つも設置されていたこともあり、時雨は放棄されたそれらの施設に立ち寄り補給を行っていたのだろう。
「早く、いっぱいご飯食べさせてあげなきゃ……」
意識を取り戻す兆候すら見られない時雨の額に自らの額を当ててそう呟く雷の姿に、高雄は少しの不安と大きな安堵を覚える。
ゆっくりと意識が沈んでゆく中、耳には“隼”に戻った彼女たちの戦果報告が飛び交っている。
彼女たちは本当に、敵地のど真ん中から反旗を翻したのだ。
一度心がどん底まで落ちた高雄にとっては、何よりも勇気を奮い立たせることだった。