孤島の六駆   作:安楽

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12話:水無月島鎮守府の長い一日①

 足元の水面の感触を確かめつつ、空母・飛龍は姿勢を前に倒して緩やかに速度を上げた。

 鎮守府裏手の第二出撃場は、建造上がりやリハビリを必要とする艦娘たちの訓練の場となっていて、それは第一出撃場が復旧した今でも変わりはない。

 飛龍は本日が初訓練。基礎的な動作や理論などは建造時に刷り込み教育されているし、その動きに適した形に肉体が調整された状態でロールアウトするため、後はこうして実際に水面を踏みしめ体を慣らす工程となる。

 基礎的な“慣らし”の時間は最低30時間は設けるようにと海軍本部側で規定されていて、それはこの水無月島でもそれは硬く守られている。

 既に一通りの動作がこなせるとしても、規定時間は厳守。時間の空いてしまった艦娘ならば、後は自主トレーニングの時間だ。

 軽巡や駆逐をはじめとする水雷組は対潜攻撃の強化訓練としてまるゆを借り出していたのだとは、飛龍のお目付けで第二出撃場に詰めている巻雲談。

 巻雲と朝霜、そして清霜は同時期に建造され、訓練課程も一緒に進めていたのだが、その3隻掛かりでも、まるゆにはたった一度も爆雷を当てたことが無いのだとか。

 

「当ったんないの、全然。体おっきくなってるけど推力自体は大して増えてないって言うから、楽ちんかなーって思ってたけど、ぜーんぜん。数で押してもフェイントかけても全然読んでくるしで。逆にこっちが撃沈判定もらうしで……」

 

 実戦を経て身に付いた勘というものか、それともまるゆ自身の野生が成せる技なのか。

 夕雲型の時もそうだが、第三艦隊の駆逐艦5人娘で挑んでも結果は変わらなかったのだという。

 敵の姫級をほぼ相討ちのような形で轟沈させたというのも、そうした体験談を聞けば真実味が出て来るものだなと飛龍は唸る。

 いずれにしても、巻雲たちや利根、プリンツが建造されるまでは前線に出て、阿武隈や千歳たちと死線を掻い潜ってきた猛者であるのは確からしい。

 基本弄られ役に落ち着いているあのおっきな潜水艦娘の顔を頭に思い浮かべる。

 今でこそ、周辺海域の調査で単艦出撃する機会が増えて前線を離れたまるゆではあるが、一時期は駆逐艦たちの間で「絶対怒らせてはいけない人」リストの上位に居たというのだから苦笑ものだ。

 

 さて、教官役の祥鳳の指示に従って、飛龍は脚部艤装を展開する。

 空母の艦娘、特に弓を用いる艦種は水上にて射形を取るため、足場を安定させる必要が出て来る。

 最初期の空母たちは補助艤装の恩恵無しに二足で水上に立ち、そのうえでなお完璧な射形を成立させていたと言うのだから恐ろしいなと、飛龍は笑うしかない。水上で射形を整えることの難しさを、改めて実感したからこその笑みだ。

 それ故に、変形し連結した脚部艤装の形状は確固とした足場、艦の底部を模したような楕円形のステージ状となる。

 波風の影響などをある程度緩和するためのバランサーを内蔵したステージは、確かに足場の安定を約束するが、大波や強風による傾斜まではその限りではない。

 そんな悪天候を再現していない、凪いだの状態の水面であっても、揺れるステージ上での射形は困難を極めた。

 空母艦娘の弓式発艦システムは正しい射形を取ることによって“艦載機が無事に甲板より飛び立った”と言う結果を再現するものだ。

 よって、射形に乱れがあれば発艦は失敗し、最悪の場合複数の艦載機を一度に喪失することになる。

 揺れる足場を不動の地面と同等のものとして射形を成立させるのは至極困難であり、加えてその状態である程度の速度が無ければ艤装のロックが外れない仕様であることも焦れる要因だ。

 地上基地の滑走路とは異なり、艦上の飛行甲板の長さは圧倒的に短い。よって、実際の空母ではある程度の速度を稼いで風を迎えなければ発艦に支障を来すのだが、飛龍にしてみれば何もそこまで再現しなくても良かろうにと口を尖らせん思いだ。

 とは言え、静止状態でも発艦シークエンスは構築可能らしい。向かい風と速度が乗らなかった分を仮装フライヤーを展開して補うとのことで、これが物凄く疲れるのだとか。

 肉体的にではなく精神的にでもなく、目には見えない“霊力”のようなものを著しく消費するとのことで、以前無理矢理にそれを行った龍鳳が、入渠後に三日三晩も寝込んだという。

 

 しかし、そう不平を漏らしても居られない。

 自分よりもはるかに飛行甲板の長さが足りないはずの祥鳳が安定した発艦シークエンスを構築する姿には、ただただ素直に感嘆するばかりだ。

 さすがは、朝は誰よりも早く床を出て、庭で上半身裸になって乾布摩擦している御仁だ。

 トレーニングはかつての一航戦並みにこなし、厨房にも良く顔を出して、しかし提督のことを考えている間は別人のように隙だらけな姿を見せるのはいかがなものかとも思うが、そう言ったところで力みを抜いているのだろうと考えると、ますます侮れない。

 敗けてはいられないぞと、焦りが生まれてくる。最初から空母として建造された身であるという艦艇時代の背景が、そういった感情に駆り立てている部分もある。しかし、最も強く体を押すのは「このままでは置いていかれる」という、正体の良くわからない恐怖だ。

 早く、自らが実戦で使えるようにならなければとも思うが、その思いに反するように体は強張り、思うような成果を上げられない。足踏みさえ覚束ない。

 そうして挑戦を続けて幾度目か。体勢を崩して転倒して、ようやく祥鳳から「待った」がかかった。

 

「あまり根を詰め過ぎるといけませんよ。規定時間はまだまだ残っているのですから、ゆっくりと慣らしていきましょう」

 

 手を差し伸べてそう言ってくれる祥鳳の顔をまともに見るのが辛いが、それでも情けない笑みを浮かべてしまうのは、やはり悔しいからなのだろうか。

 

 

 そうして一時休憩と言ったところで、榛名が第二出撃場を訪れた。

 テーブルでひとりでお菓子食ってる巻雲に挨拶した榛名は、その向こうに吊るされているものを見て、顔も体も硬直させてしまった。

 まあ、確かにと、飛龍たちもそちらに視線を向けて概ね同意する思いだ。

 天井クレーンで吊るされたそれは、真っ白な塩の塊のような姿をしていた。

 かつて水無月島で鹵獲した、敵姫級の自律稼働型生態艤装なのだという。

 鹵獲した当初はこんな姿ではなかったのだが、いつの間にかこうして真っ白な粒子状の物質に覆われてしまったのだとか。

 その形状から「魚の窯焼きみたいだ」と言う話が出て、いつの間にか“かまちゃん”とあだ名が付けられる。

 巻雲に説明を受けている榛名も「かまちゃん!? コレかまちゃんって言うのですか!?」と頓狂な声色で聞き返している。

 こうして遠巻きに見る程度ならばただの平和なオブジェなのだが、夕張の話では「……コレ、なんか成長してます」とのことで、一時鎮守府内が騒然となったらしい。

 “かまちゃん”を鹵獲して第二出撃場に吊るしてからおよそ9ヵ月余りで、約2倍の大きさにサイズアップしているのだそうだ。

 

「……大きくなって、どうしようというのでしょうね?」

 

 一同、テーブルに着いて一息。巻雲が水筒に入れて持ってきた熱いお茶がカップに注がれ、テーブル下の背嚢からは御茶請けの麩菓子が新たに取り出される。

 巻雲から貰った麩菓子を手に深刻そうな顔をする榛名だが、鎮守府の面々は特に気にした様子はない。

 卯月や清霜などは観察日記を付けているし、まるゆなどは時々話しかけて受け答えしているというのだから恐ろしい。自律稼働型砲塔たちも気さくに挨拶のような仕草をしている姿が見られているとのことで、同じ自律稼働型として何か通ずるものがあるのかもしれない。

 

「そう言えば、榛名はどうしてこちらに? 清霜の姿も見えませんが」

 

 麩菓子の端を小さく齧る祥鳳の問いに、榛名は当初の目的を思い出して手を打った。

 聞けば、榛名の艤装の再構築などを行っているから第二出撃場へ来るようにと夕張に言われていたらしい。

 話をすればなんとやら、奥の格納庫からツナギ姿の夕張と秋津洲が出て来る。

 聞けば榛名の艤装や衣装を再構築するとかで、採寸が必要になるらしい。

 同時に、艤装との同期もこのタイミングでやってしまうのだとか。

 

「感覚的にはつい先日まで前線で戦っていたはずなのに、いつの間にかブランク10年以上だものね。インナー着る必要が出て来るかもしれないし、艤装の各管制システムに狂いが出てるかも知れないしだから、そこら辺の調査もね」

 

 巻雲のストックから勝手につまみ食いし始めた夕張が言うには、榛名の艤装、その基礎部自体はもう構築が完了しているのだという。

 あとは当人が装着して“慣らし”の工程に入るだけなのだが、それには艤装核との同期作業が必須となる。

 体感的には艤装を解除して1ヵ月も経っていないとはいえ、実時間では10年を超えている。

 10年間艤装から離れていた暁型の姉妹たちでもかなり精神に負荷がかかっていたため、榛名の場合は同期に慎重を要すると、提督の判断で周辺準備に時間をかけているのだ。

 

「それと、艤装の基礎部分は完了しているんだけど、補完艤装がまだなのよね。戦艦クラスの補完艤装となるとまだまだ時間が掛かっちゃって。だから、もしも緊急で出撃するって場合は格納庫で眠ってた金剛型の補完艤装を流用することになるかも。ちょうど、戦艦・比叡の防御タイプが丸々手付かずで残ってたから」

 

 比叡と言う艦名に榛名が反応して肩を震わせる姿を、麩菓子を咥えた飛龍は見る。

 姉妹艦の名前が出たのだから当然かと俯く飛龍は、そう言えば自分には姉妹艦と言う概念が薄いなと今さらながらに思い至る。

 同じ二航戦の蒼龍は、なんと言うか魂の双子のようなものだし、だとすれば改飛龍型である雲龍型が妹たちといったところだろうか。どちらにしろこの鎮守府にはいない。空母は新参の飛龍を含めて4隻。正規空母は飛龍だけだ。

 まあ、傍らの先輩面した駆逐艦が妹替わりでいいかと頭をぐりぐり撫でれば、目を細めた不思議そうな視線が返ってくる。

 

「と言うか榛名。出撃するの大丈夫かも? しばらく安静にしててもいいと思うけれど……」

 

 秋津洲が心配そうな顔で気遣うが、榛名は薄く笑んで大丈夫だと、確かに告げる。

 

「いろいろと吹っ切れたわけではないのですけれど、榛名の本分を果たすことに変わりがあってはいけないなと、そう思っただけです。榛名にも出来ることがあるのなら、やらないと。……それにそろそろ、働かずにご飯食べてばかりだと、ちょっとその……」

「帰投後のごはんは美味しいですからー」

 

 すでにおやつをたらふく頬張っている巻雲が言っても説得力がなあと目を細める飛龍は、しかし運動後のご飯は確かに美味しいなと頷き、ならば帰投後によりご飯が美味しく感じるように、現状の課題をクリアせねばと意気を入れる。

 休憩終わって、さてもうひと訓練と言った思い出立ち上がる飛龍。しかし、祥鳳が次の訓練はまた明日にと告げて出鼻を挫いてくる様に、巻雲を巻き込んでズッコケそうになる。

 

「鎮守府周辺海域の定期巡回で、午後から出撃なんです。第三艦隊と、私たち第四艦隊で」

 

 

 ○

 

 

 第一出撃場の広さは第二出撃場の約4倍ほど。

 天井も高く、使用できるクレーンの数も第二出撃場の比ではない。

 その天井クレーンで吊られて移動しているのは、空母たちの補完艤装、その待機形態だ。

 形状はかつての艦艇そのものを模した1/70縮尺だが、その内部は科学技術とオカルトの塊だ。

 特に空母の補完艤装は飛行甲板を備えている特性上、水上にて困難な弓式の発艦システムに頼らなくとも良いという大きな利点がある。

 海上にて速度さえ稼げれば艦載機発艦に困難が無くなるのだと聞いた飛龍は、自分も最初からこれ使えばいいのではと疑問するも、いいやと首を横に振る。

 なんとなくそれは楽をするようでいけないという考えが脳裏にあるのだ。

 これは古い考え方なのだろうかと唸る中、クレーンで降下してきた空母の補完艤装たちは“隼”の後部格納庫に収納されてゆく。

 

 敵支配海域での“隼”の運用は計器類の不調により困難を極めたが、超過艤装運用計画の資料を基に妖精たちが再構築を行い、どうにか運用レベルにまでこぎ着けている。

 補完艤装を収納する必要があるため、ベースとなっている従来の隼艇型よりも大型な甲型魚雷艇を模した形状が選択された、しかしその内部の機構はベースとなった魚雷艇よりもかなり変わってしまっている。

 そう薀蓄を語る夕張の横、“隼”後部に増設されたハッチの開閉確認をうっとりとした様子で見つめるのは清霜だ。

 榛名のお目付け役から離れていたのは、第三・第四艦隊の出撃準備の手伝いをしていたというのもあるが、榛名に戦艦の補完艤装を早く見せたくなって、提督に掛け合っていたからなのだとか。

 「もうすっごいんですよ! すっごいの! 1/70の戦艦の模型みたいで! 強そうで格好良くて!」と両手を振って語彙乏し目で榛名に力説する清霜。それを遠巻きに見る飛龍は、最終確認を行い“隼”に乗り込んでゆく艦娘たちを見送る。

 いつか自分もああして出撃してゆくのかなと思いを馳せ、今のままではいつになることやらと溜息を吐く。

 

「さあ、じゃあ第一出撃場も空いたことだし、清霜お待ちかねの補完艤装、お目見えと行きましょうか」

 

 夕張が告げて、壁に備え付けのパネルを幾つか操作して見せる。

 奥の格納庫、その重々しい扉がゆっくりと開いてゆき、クレーンで吊られた長大な鋼が姿を現す。

 1/70スケールの在りし日の姿は清霜の顔を感動に輝かせ、榛名の顔を切なそうに歪めた。

 補完艤装は、金剛型は二番艦・比叡のもの。かつてこの鎮守府には戦艦・比叡が居たという証だ。

 

「比叡姉さまは……」

 

 姉艦の、この島でのことをと、榛名は考えたのだろう。

 しかし、今ここに居る面々は水無月島が再稼働してから建造された者たちで、夕張に至っては外部からの参入者だ。

 かつての所属艦のことを聞きたければ暁型の姉妹に聞くべきかなと考えた飛龍は、もう1隻、かつての水無月島鎮守府を知る者が居たことを思い出す。

 

「比叡の話、聞きたい?」

 

 天津風だ。夕張たちと同様のオレンジ色のツナギ服、その上を脱いで袖を腰まわりで結んだ姿。

 チェック用のパットとタッチペンを手にこちらへと来るのは、比叡の補完艤装が引っ張り出されたからだろうか。

 出戻りの天津風ならば比叡のことを知っているだろうなと思う飛龍だが、その思い出が楽しい物ばかりでは無いだろうなとも、彼女の表情からなんとなく察していた。

 

 

 ○

 

 

「比叡。この鎮守府の古株の1隻だったのよ。10年前、最後の出撃の時も一緒だったわ。大和や鳳翔たちと一緒。それで……」

 

 天津風を庇って大破して、そのまま水煙の向こうに消えたのだという。

 悔いる声色の言葉を、榛名はロッカールームのカーテン越しに聞いていた。

 

 艤装の同期を行うに際して、専用の衣装に着替えるためだ。

 榛名の艤装は既に構築済みだが、衣装の方がまだと言うことで、ロッカーに残っていた比叡のものを拝借する流れとなったのだ。

 補助艤装のインナーを着用し透過措置を施すと、すぐに自分の肌の色が露わになる。

 最近改良が加えられた最新版の仕様だろうか、手首や関節部等に白い文字が浮き上がり“異常なし”等の表示が表れては消える。

 試しに手の甲を抓って見ると、赤い文字で“痛い?”と返ってくるのでどうしたものか。

 

「比叡さん、どんな方だったんですか?」

 

 カーテンの向こう、いつもよりもだいぶ落ち着いてしまった清霜の問いに、天津風は「んー」と虚空を見上げて思案する構え。

 以前の姿をすぐに思い出せない、というよりは、何から話したものかと思案しているものだろうか。

 

「余所の比叡がどうかはわからないけれど、うちのは料理上手だったわよ」

 

 ああ、と。榛名は胸元をサラシで覆い締め付けながら苦笑する。

 元となった艦艇にまつわる逸話を受け継いでしまったものか、それとも誰かが吹聴した噂話か、比叡に料理をさせてはいけないというのが、榛名が任務で各地を転々としていた時に耳にした通説だった。それがどうやら、この鎮守府では違ったらしい。

 

「うちの提督の……、ああ、前のおじいちゃん提督の方ね? ……と、割と初期の方から一緒に活動していた艦娘で、会議や会食なんかに同行することが多くって、そういう席だとお酒入って気が大きくなって、からかってくるような人も多くてね? そういう、艦娘のジンクスのこと」

 

 自分もそういうことが多分にあったなあと、榛名はソックスを履かんと片足でバランスを取りながら、しみじみと思い出す。

 そういった提督同士やお偉いさんたちとの会合の際、酒が入った彼らの話題の常となるのが、自分たちのジンクス、かつての軍艦時代のエピソードだ。特に、特徴的な逸話を持ってる娘は苦労したのだろうことは、想像に難くない。

 

「それでね、比叡のこと馬鹿にした余所の提督を、うちのおじいちゃんが思いっきり叱りつけて。それがもう、一喝って言うレベルじゃなくて、窓にひびが入ったって。普段、絶対に声を荒げる人じゃなかったから、みんなびっくりして何も言えなくなっちゃって。比叡の方が恐縮してあたふたし始めて……」

 

 その場に居たのが比叡ではなく自分であったとしても、あたふたしただったろうなと。小袖に腕を通して前を合わせる榛名は、写真で見た老提督の姿を想像して思う。

 その一件以来、比叡は料理をするようになったのだそうだ。老提督が自分のために怒ってくれる人であることは嬉しかったのだろうが、だからこそ、温厚を常としている人にそうした振る舞いをさせてはいけないと、比叡は考えたのだとか。

 

「そうして、いざやってみれば、ジンクスなんて全然関係なくて。どんどん上達して。当時の水無月島鎮守府の艦娘の中だと一番料理上手かったんだから。逆に、うちは鳳翔が料理出来なかったくらいだからね? 目玉焼き失敗してたし」

 

 「えっ」とカーテンの向こうで皆が動きを止めて静かになる様子が、榛名には手に取るようにわかった。

 こちらも思わず動きを止めてしまったが、何か失礼な気がしてそそくさと翡翠色のスカートを履いてゆく。しかし、フックを止めようとすると、それが出来ないことに気付き、愕然とする。サイズが一回り小さいのだ。「比叡姉さま、超スリムです……!」と姉艦に思いを馳せた榛名は、衣装の自動調節機能を用いて腹囲を拡張する。酷い敗北感だ。

 

 「でもさ」と、今まで黙して話を聞いていた飛龍がぽつりと問いを灯したのは、天津風の話がひと段落したあたりだ。

 

「最後の出撃になるって分かっていて、なんで比叡は補完艤装を使わなかったの?」

 

 それは、榛名も疑問に思っていたことだ。

 最後の出撃となるのだから、ありったけの装備で構えてゆくものではないのだろうかという疑問。他に意図があったのならば、それを記録に残して置くものではないだろうかとも。

 

 そもそも当時の天津風たちは、島から退避する人員が安全圏へ到達するまでの時間を稼ぐ手筈だった。

 ならば補完艤装はいらなかったのかと新たな疑問が生まれるが、天津風にもそのあたりはよくわかっていないらしい。

 その時はちょうど、建造ドックで武藤提督代理が大和型戦艦の建造を開始していた頃なのだが、だとすれば、電でも知らなかったことを比叡が知っていたことになり、どうにも腑に落ちない。

 

「たぶん比叡は、これで終わりだって、思ってなかったんじゃないかな?」

 

 電探型のカチューシャをセットする榛名は、更衣室にやって来た響の声を聴く。

 響は当時、オーバーホールが完了したての艤装が調整中で最後の出撃に同行できなかったとは、後に榛名が本人から聞くことになる話だ。

 

「時間稼ぎどころか沈むことになる可能性の方が高いとわかっていて、それでもなお、帰って来ようとしていたのか。それとも、いずれ鎮守府が再稼働する可能性に賭けていたのか……」

 

 今となってはもうわからないこと、と言うわけではないらしいとは響談。

 

「補完艤装の方に音声記録が残っているんだ。ほんの10秒くらいのね。劣化が酷くて一度再生したらもう二度と聞くことが出来ないから、まだ誰も再生して聞いてはいないんだ」

 

 榛名はカーテンを開けて、そこで各々立ったり座ったりの姿で待ち受けていた艦娘たちを見る。

 夕張たちと同じオレンジ色のツナギ姿の響が片手を上げて軽く挨拶するのに応じ、しんみりした顔が徐々に輝いてゆく清霜を経由して、視線の行きつく先は天津風だ。

 問うのは、何故、未だに誰も彼女の声を聴こうとしないのかだ。

 その問いを向けられた先、天津風は、困った様子で、一足先に更衣室を後にする。

 

「聞こうと思えば出来るのよ。本来は艤装と同期したときに再生されるようになっているもので、設定弄って、レコーダーだけ取り出すことだって可能なの。でも、しない。したくない。出来ない。怖いから……」

 

 背を向けて、振り返らずの言葉には、どこか反論を許さない響きがあった。

 天津風も未だに割り切れないものがあるのだなと、榛名は自らのことのように理解する。

 仲間と共に出撃して、自分だけが生き残って。

 そんなことは日常茶飯事だった。有馬艦隊に居た時だけではない。

 しかし、どれほど多くの別れを経ても、どうしてもこれだけは“慣れる”ことが出来ないのだ。

 

「艤装と同期する榛名は、たぶん比叡の声を聞くことになると思う。ごめんね……」

 

 その謝罪は、故人の言葉を榛名にだけ背負わせてしまうからだろうか。

 

 

 ○

 

 

「……ある人が、言っていました」

 

 艤装の同期準備の最中、榛名は思い出したようにそう告げる。

 その言葉を聞く者はいない。夕張と天津風は計器類の最終確認でこの場を離れている。自分に対して語りかける言葉だ。

 

「いつだって人は、亡き者の言葉に縛られる、と……」

 

 遺言、今際の言葉は、聞いた者の人生を、その言葉によって縛り続ける。

 「だから自分は、そんなものを残さないように生きるのさ」と、そう笑って告げた彼は、しかし自身が物悲しそうな顔をしていたことに気付いていない様子だった。

 榛名自身も経験はある。それだけ多くの戦場を駆けてきたのだ。仲間の最後を看取ったことも、後から遺言を受け取ったことも一度や二度ではない。

 この鎮守府においては、暁型の姉妹たちが老提督からの遺言を託されているし、漣がかつて居た同名艦の願いを受け継いでいる。

 他の艦娘にも、特に島生まれではない者たちには、それなりに経験があるだろう。敵の目の前にいる限り、そう言った言葉を得ることは避けられない。

 そうなった時、無邪気に笑う彼女たちがどうなってしまうのか。榛名はその想像を、頭を振って断ち切る。

 

 同期が始まる。

 補完艤装との同期も同時に行うため、要する時間は果てしないだろうと、事前に説明を受けている。

 微睡、足元が揺らいで、ゆっくりと底へと落ちてゆく感触を全身に覚えながら、榛名は異音を耳にする。

 蓄音機の針が落とされたかのような独特の音は、しばらくのあいだ無音を再生し続けたが、その最後の方。微かにかすれるような声を、榛名は確かに聞いた。

 

 “お願い、みんなを守って”

 

 かつてこの島に居て、もういなくなってしまった姉艦の声。

 榛名は顔を悲痛に歪ませて、そして泣き笑い。

 比叡が、この音声を誰にも聞かせたくなかったであろうことが、わかってしまったのだ。

 彼女の言葉、その願いに嘘偽りはないのだろう。

 だからこそ、聞いた者の行く末を縛り付けてしまう。

 榛名は届いた願いの声に応えるつもりだ。

 自分の姉艦からの時間を超えたお願いだ。果たさずに居られようものか。

 

 それに、艦娘に対して“守って”と告げる言葉は、なんとも的確過ぎた。

 自分たちを構成する一部が、かつて守れなかったことへの悲嘆を、確かに含んでいるのだから。

 特に、半ばで果てず、終わりを目の当たりにした榛名にとって、これ以上の言葉はない。

 そのすべてを追体験するべく、長い白昼夢が始まった。

 

 

 


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