孤島の六駆   作:安楽

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5話:9ヵ月後の彼女たち⑤

 出撃中の陸上攻撃機、その全機帰還を見届けた提督は、ほっと小さく息を吐いて、水平線の向こうへと沈んでゆく夕日を名残惜しそうに見送った。

 海域支配の一時解除はこれまでに何度か目にして来たが、日が沈む前のこの赤を目の当たりにしたのは今日が初めてだった。

 この島で目覚めて初めて青空を見た時もそうだったが、風景を美しいと思う感情が自分の中にも確かにあったことに、提督は妙な安心感を覚えていた。

 島で目覚める以前の記憶がない提督は、かつての自分もこうして風景に感動を覚えるような人物であったかどうかを知ることが出来ない。

 本当の自分は、彼女たちに慕ってもらえるような、笑顔を向けてもらえるような人物ではないのかもしれないのだ。

 過去を失くした状態でもうすぐ1年が経とうとしているが、未だに思い出す気配すらない。

 幾度も思い悩んだが、その度に、今は提督としての自分であればよいと、そう言う自分の形を保ってきた。

 

 以前の自分がどうであれ、今の自分は彼女たちの提督だ。

 そういう役割を得て己を保っている、と言うよりは、その役割に縋っているのだろう。

 己を証明する確たるものが無い身の上で、それでも良しと潔く生きて行けるほど、提督は己の精神が頑丈ではないことを自覚している。

 もしもこの先、記憶が戻らず、かつ提督としての役割を終える時が来たのならば、自分はいったいどうなってしまうのだろう。

 そこまで考えが巡って、提督は一度考えるのを止める。

 不安や悪い考えを幾度も巡らせるのは良くない。

 現状はこのままを保とうとすでに決めているし、例え記憶が戻ってもこの島で得た経験が消え去ってしまうわけではない。

 楽観するわけではないが、かと言って悲観もせずに。

 そうした自らの落ち着け方にはすっかり慣れてしまったもので、さて気持ちを切り替えるためになにか良いことを考えようかと言ったところで、傍にいた小柄な娘がふふんと得意そうに笑う顔に気付く。

 

「提督もだいぶ航空機の運用に慣れてきたかも。私も教官役として鼻が高いかも」

 

 得意げな声の主は飛行艇母艦・秋津洲だ。

 腕組みしてしきりに頷く彼女は艦隊には現在、編成されておらず、島の警備隊としての戦力となっている。

 大型の飛行艇である二式大艇の運用を担当している役割上艦隊に随伴して遠洋に出ることは少なく、整備以外の時間は基本暇だと言って、飛行場を管理する提督のところの遊びに来ているのだ。

 緊急事態となれば新設したエレベーターで出撃ドックまで直通でいけるということもあり、最早秋津洲がこの飛行場の主と言っても過言ではない。

 提督としても、別件で手が離せなくなった時に航空機隊に指示を出してくれる者が居るのはありがたいものだ。

 妖精たちの感覚に任せきりだと、どうしてもやりすぎたり行きすぎたりと、微調整が利かないところがあり、その都度人間や艦娘の感覚での注文はやはり大事なのだと思い知らされる。

 

 とは言え、無線封鎖状態での活動が続く昨今では、執務室に詰めていても居なくても同じということもあり、提督は陸攻の運用に掛かりきりとなっている。

 そのことに対して艦娘たちが、特に阿武隈などが不満を感じていることは知っているし、どう説得しても納得してはもらえないだろうなとも、なんとなく察している。

 帰投後の報告よりも入渠を優先させているのもそう。定例会議を食堂で行っているのもそうだ。

 ……改めて思い返して見ると、かなりの件数上がりそうで困ったなあと、提督は渋い顔になる。

 何も、これらの方針に全く意味などないわけではないと、一応胸を張って主張することは出来るし、執務室に詰めていないこと以外は阿武隈も概ね寛大だ。

 ただやはり、艦娘たちの胸中としては、自分や仲間たちの命を預かる者には軽率な行動を取って欲しくないのだろう。

 自分たちの帰りを待って、執務室に居てほしい。

 それは、提督とて理解しているつもりだ。

 

 やはり執務室で大人しくしていた方が良いものだろうかと、悩みが一巡する提督は、自分の靴をこんこんと叩く小さな気配を感じ、視線を下げた。

 提督の足元には、先ほど帰投した航空機に搭乗していた妖精たちが一列で並んでいた。報酬を要求しているのだ。

 提督は妖精たちを笑みで迎え、傍らにおいていた容器から金平糖をひとつまみ取り出して与えてゆく。

 もう恒例となった報酬授与の儀式のようなもの。

 食堂や執務室でまとめて渡すより帰投毎に手渡しされた方が、妖精たちにとっては気分が良いのだそうだ。

 提督もすっかりこの儀式を気に入ってしまい、今では航空機体の妖精たちひとつひとつの顔も見分けがつくようになってしまったほどだ。

 航空機隊の妖精たちだけではない。工廠や艤装、入渠ドックを管理している妖精や、いつも何かしらの突破口となってくれているサボり組も。

 しかし、此度は見慣れない妖精が列の最後尾に見えて、提督は思わず苦笑してしまった。

 他の妖精たちよりも頭ひとつ、……どころか、サイズがそもそも違う巻雲が、必死に体を縮めて妖精に成りきっていたのだ。

 作戦行動中の艦隊が帰還した姿は遠目に見えていたし、もうそろそろ誰かこちらに来てもおかしくない頃合いだと思っていたところなのだ。

 

「巻雲妖精も報酬を? 晩ご飯前だと間宮さんに叱られるよ?」

「内緒ですよ、司令官様! 内緒に、内密にぃ……!」

 

 口元に袖を当てて「しー!」とジェスチャーする巻雲に苦笑して、提督は容器を振って「おいくつ?」と問う。

 こういった駄菓子類も漂着物の中には含まれているが、それでも引き当てるのは稀だ。

 そもそも駄菓子ならば、鎮守府の台所を預かっている間宮に頼むのが確実なはずだが、普段のおやつに不満があると取られて臍を曲げられるのが巻雲としては痛手らしい。

 間宮ならばそんなことはないだろうとは思うのだが、以前3時のおやつ関連で拗ねられたことがあったなと、提督は苦笑交じりに思い出す。

 巻雲としても決して間宮を信頼していないわけではないのだろうが、まあ、こうして隠れてお菓子をねだることが後ろめたいが故の口止めか。

 提督も、巻雲がこうして仕入れたお菓子を独り占めするようならば、こうして横流しすることはなかっただろう。

 

 意地汚く溜め込むのが巻雲だが、決して宝箱の蓋が重いというわけではない。

 ルームメイトたちと夜な夜な話し込むことがあれば惜しみなく蓄えを開放するし、妖精たちに渡して何かと融通を利かせて貰う姿も提督は見ている。

 その恩恵だろうか、普段は艤装関連のことにしか手を出さなかったはずの妖精たちが、提督や艦娘たちの生活、人としての営みの部分に自らの技を提供し始めたのだ。

 以降、執務室や各艦娘たちの部屋に置く特注の家具をつくってもらったり、特注の衣装をつくってもらったりと、艦隊運用以外の面で妖精たちの協力を取り付ける場合は、まず巻雲に相談と言う流れが出来ている。

 漂着物のリスト係となっている浜風には、巻雲と一緒に賄賂を渡して口止めしているので今のところ問題はない。

 巻雲が取り出したお菓子の缶に、提督は容器の中の金平糖を注いでゆく。

 量が増える毎に笑顔が輝いてゆく巻雲を眺めながら、提督は他に駄菓子を持って来ていたかなと足元を見渡すが、今回はこれきり。

 巻雲の横に並んだ秋津洲が「にひっ」と笑って、ドロップの空き缶を差し出して「口止め料」を要求してくるのもいつものことだ。

 

 これで酒匂までもがこの場に居れば確実に量が足りなくなっていたが、駆逐艦並みに元気いっぱいの彼女は今、雑用を頼んでいてこの場にはいない。

 まだ建造されて日が浅く、この鎮守府では卯月と並んで末っ子のような位置にいる酒匂ではあるが、他の艦娘たちの手伝いや陸攻隊の訓練に付き合ってくれたりと、いつも誰かにくっついて歩いている。

 中でも提督と、ひいては陸攻隊との付き合いは長く、提督同様、陸攻隊それぞれの顔も覚えてしまっている。

 艦娘たちと妖精のことで話す際に、提督と酒匂、後は秋津洲あたりは「巻き髪の」「にやけ顔の」「そばかすの」「クロワッサン」「オレンジモヒカン」等々、お互いにだけ通じる特徴で話すものだから、他の娘たちから半目で見られたり細目で見られたりと、何かと忙しい。

 まあ、提督はともかく酒匂はそういった周囲の視線をまったく気にする素振りもなく、卯月同様提督にべったりとくっついて来るもので、阿武隈や叢雲あたりがいつも「きっちり提督らしくしろ」と説教してくるのが最近の悩みだ。

 

 提督らしく。

 ふと、提督は駄菓子抱えてほくほく顔の巻雲と秋津洲に、自分は提督らしくやれているだろうかと問うてみる。

 一拍置いて互いに顔を見合わせた巻雲と秋津洲は、提督に向き直って「難点」「白色」と、基準の良くわからない評価を下してくれる。

 はて、どう受け取ったものかと小さく唸る提督に、秋津洲は自分の取り分の金平糖を掌に少しだけ開けて、提督に差し出してくる。

 掌に乗っているのは、件の白色と、黄色と、橙、緑。秋津洲はその中から白以外の色をを除く。

 その意味はと目で問えば、秋津洲は発するべき言葉をまとめている最中のようで、口を閉じながら鼻が鳴る唸りを漏らす。

 

「あんまり、うまく言えないかもだけど……。私たちが知ってる提督は昔の人で、艦艇の提督なの。乗員に支持を出して、訓練して、一緒にご飯食べて戦って、一緒に生き残ったり沈んだりした提督。秋津洲たちはこの島の生まれたから、昔の提督のことしか知らない。それってたぶん、提督が聞きたかった“提督らしさ”とは、違うかも?」

 

 逆に問われて、提督は思わず額を打った。

 在りし日の英霊たちと比較して自分はどうか、などとは、恐れ多くて考えたことすらなかったし、そもそも最初から聞く相手を間違えていたことに、今さら思い至ったのだ。

 島生まれの、しかもここ数ヵ月の間に建造された巻雲と秋津洲に“艦娘を指揮する提督としてはどうか”などと、聞くべきものではない。

 帽子の上から頭をかいて恥じ入る提督に、秋津洲は掌の白を差し出して来る。受け取れと言うことらしい。

 見やれば、秋津洲は取り除いた緑を口に入れたところで、橙と黄色は巻雲がちゃっかり横からかすめ取っている。

 

「秋津洲たちは、目の前にいる提督以外の“艦娘の提督”を見たことが無いから、この提督しか知らない。けど、この提督が一番だって、いつも思ってるかも。……じゃなかった、思ってます」

 

 照れることもなくそう真正面からそう告げられては、提督は笑んで頭をかくしか出来なくなる。

 適わないなと、そう思い知らされる。

 建造されてたった3ヵ月余りだというのに、自らの中にぶれない軸をちゃんと持っている。

 秋津洲だけではない、この島で建造された艦娘の皆が、そうだ。

 精神面に問題を抱える娘も少なくはないが、それでもあやふやな指針で今日明日を生きると言ったことなどしない。

 それはかつての艦としての側面か、あるいはかつての人としての側面か。

 恐らくはそのふたつで成り立っているのだろうなと、提督は差し出された金平糖をつまんだ。

 

「司令官様司令官様! そこはお口で、お口で直接! がぶっと! じゅるっと!」

「ちょっとお!? それじゃ提督がただの変態さんかも!?」

 

 巻雲の無茶な要求に秋津洲がびっくりして声を上げて、それを眺める提督はどう反応したものかと口の中で溶ける表層の甘みを確かめる。

 気を利かせた方が良いだろうかと考えるも、そういった言葉の引き出しは驚くほど少なく、勉強不足だなと提督は自らを恥じ入る。

 

「秋津洲の、味がするね?」

「ああああ! 提督も無理に変態さんにならなくていいかも! 駄目だから! 一部喜ばせるだけだから!!」

 

 頭を抱えて地団駄を踏む秋津洲の有り様に、提督はなるほどと頷く。

 こういった行為で喜ぶ娘もいると言うのは初耳で(以前響が言っていたような気もするが)、望む娘にはそうしてやるのもいいかもしれないとも思い始めていたところなのだ。

 だが少なくとも、秋津洲にそういった嗜好は無いのだなと頷く提督は、「やべえ、めっちゃドキドキしたかも……」「もう、素直になればいいのに……」と小声でやり取りする艦娘たちの言に首を傾げる。

 

「……ちなみに提督? 秋津洲味って何味かも?」

「汗味。皮手袋風味」

 

 秋津洲は二式大艇を運用する関係上、その整備をも専属して担当している。

 それゆえに工廠で過ごす時間は夕張に匹敵し、出撃用の衣装よりもツナギ服姿の時間の方が遥かに長いのだ。

 皮手袋は整備を行う上では必要不可欠なもので、当然、着用も長時間に渡る。

 そうして熟成された掌が、件の秋津洲味を生み出すのだ。

 

「――提督、私もう上がります。秋津洲お風呂行きます」

 

 回れ右して足早に鎮守府へ帰投する秋津洲を追って、巻雲も提督に向けて袖を振りながら小走りに去ってゆく。

 遠くで「今度から絶対手洗ってから提督のとこ行くかも。絶対洗う」「いいじゃないそんなの。手の匂いなんて」「マッキは袖に手入れっぱなしでかなり熟成されてるでしょ? 発酵してるかも」「自分の匂いって落ち着きますー」などと楽しそうだ。

 確かに電なども寝ているときに自分の指を咥えていることがあるなと思いだし、そう言った癖のようなものはどういった経緯で染みつくのだろうかと顎に手を当てて考える。

 まさか艦艇としての癖ではなかっただろうし、だとすれば艦に乗員たちの癖か。それとも彼女たちの素体となった少女自身の癖だろうか。

 素体となった少女たちの癖だと考えるのが、提督としては一番しっくりと来るものだ。

 彼女たちは死してなお、クローン体と言う形で、艦娘の一側面として生きている。

 体に残る癖もそうした生きた証なのだと考えれば、彼女たちの存在の、なんと尊いことか。

 

 ならば、自分はなんなのだろうかと、艦娘たちのことを考える延長で、いつもその様な雑念に支配されてしまう。

 彼女たちが自らの癖から素体となった少女の記憶を辿れないように、提督もまた、失った自分の記憶を辿ることが出来ない。

 まるでもう取り返しが付かないのだと、そうはっきりと宣告されてしまったかのような絶望感は、ここ数ヵ月でもう慣れっこになってしまった。

 今を穏やかに、滞りなく過ごしていられる故の希薄化。慣れだ。

 

 

 ◯

 

 

 夕日が水平線の向こうに沈み夜の色が空を覆う前に、空は再び重く濃厚な灰色に戻ってしまった。

 残念だなと思いつつも、提督は再び晴れやかな空を望むことはない。

 空が晴れると言うことは、敵の主格を海の泡に還したと言うことだ。

 彼女たちの存在を等しく命と捉えるならば、晴空は命の灯が消えた証明でもある。

 提督は美しい空を臨む度に、敵の命を悼むことはおかしいだろうかと考える。

 まだ彼自身にはその答えが出せない。

 

 ふと、閉ざされて行く空気の中で、提督はある色を見付ける。

 飛行場付近、海を臨む崖に1本だけ立つ樹の枝には、ふっくらとした蕾が灯っていたのだ。

 提督はその樹が桜であることを初めて知る。

 敵の影響下にあって命を眠らせていたものが、ほんの僅かな正常な時間に目を醒まそうとしていたのだ。

 そういえば、暦の上ではとっくに春なのだなと、提督は頭の中のカレンダーを思い出す。

 

 提督がこの島に流れ着いてからまだ1年も経っていないが、様々なことが動き出し、自らも判断を下し進め、変化してきた。

 果たして、本当にこれでよかったのだろうかと、何度も自らの選択を振り替えることがある。

 未だに誰も、失ってはいない。

 艦娘同士で、あるいは自らと艦娘たちの間に致命的なレベルの溝も生じていない。

 取り返しがつかないかと思われる諍いも有りはしたが、短いながらも時間が解決してくれている。

 すべてが、とは言わないが、皆の努力と幸運の元に、綱渡りはなんとかバランスを保っている。

 ふとした切っ掛けで、次の瞬間には真っ逆さまに転落してしまうかもしれない綱渡りは、まだまだこれからも続くのだ。

 楽観できるほど余裕を持てる器ではないが、しかしだからと言って、悲観もしない。

 どんなことがあろうと進むと決めたのだ。

 振り替えることはあれど、立ち止まることはない。

 

 さて、果たして、この桜は満開の花を咲かせるだろうかと、提督は深刻な顔で崖の気を見つめる。

 この桜が咲く時は、敵の誰かが倒れた時だ。

 その時は願わくば、薄紅色が失われた命の弔いにならんことをと、提督は樹に一礼して、自分を呼びに来た酒匂と共に、鎮守府へ急いだ。

 

 

 


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