孤島の六駆   作:安楽

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8話:2号ドック

 

 

 

 結論だけを言えば、提督の推測通りのことが起こっていた。

 

 地下の建造ドックにて提督と響が見たものは、右往左往してざわざわと落ち着きのない妖精たちの姿だった。

 お互いに首を傾げ、おかしいおかしいと口々に言う妖精たちに案内された先は、案の定、地盤が陥没して沈んだはずの2号ドックの跡地だった。

 無事であった操作パネルに表示されているのは、部屋を訪れた妖精が告げるように“建造完了”の文字。

 沈んでしまったはずの2号ドックにて、艦娘の建造が完了したことを知らせるものだった。

 

「響。みんなを起こして、ここに集めてくれるかい?」

 

 提督の指示に、響は即座に敬礼して了解の意を示し、建造ドックを後にする。

 

「さあて、どうしたものかな……」

 

 立ち尽くして頭をかく提督の元に、妖精たちが椅子を持ってくる。

 提督は礼を言って座り、ぽっかりと崩落して海水で満たされてしまっている2号ドック跡地を眺めた。

 

「建造されたキミは、いったい、何者なのかな……?」

 

 

 

 ○

 

 

 

 それから、起きてきた暁たちを含めて建造ドックの調査や妖精たちへの聞き込みが行われた。

 わかったことは、3点。

 10年前の空襲当時、この2号ドックにて艦娘が建造途中だったこと。

 その時の崩落でドックが陥没したことにより、建造が中断されてしまったこと。

 そして、妖精たちが建造ドックの復旧を行う際に、今まで遮断されていたエネルギーが供給されて、建造が再開・完了したということだ。

 電力供給ケーブルが繋がっていたいたことも奇跡だが、それがまだ電力を通せる状態にあったことは更なる奇跡だと、工廠妖精を両腕に満載した響が興奮気味に説明してくれた。

 

 この建造ドックの真下は鍾乳洞窟になってたようで、地盤が陥没した際に、2号ドックはそこに落ちてしまったのだろうと妖精たちは語る。

 幾つかの送電ケーブルで宙吊りになった挙句、海水が流れ込んで水没。

 そのまま10年の時を経たとなれば、なるほど、確かに奇跡的な復旧と言えるだろう。

 

 

 さて、ここで真っ先に暁たち疑問に思ったのは、10年前当時“誰が”建造を行ったのかということだ。

 響が今朝方言ったように、艦娘の建造には提督の承認と、艦娘の立ち合いが必須となる。

 当時から秘書官として鎮守府全体の動きを追っていた電が知る限り、前の提督はここにいる暁の着任を最後に建造を行っていないということだった。

 

「そもそも、空襲の時に建造途中だったのなら……。10年前当時、建造を承認出来る人は、ひとりしかいないのです……」

 

 電の言葉を聞いて、提督もその人物について合点がいった。

 艤装動作テストの後に電から聞いた話に、亡くなった提督の代わりに、臨時で提督権限を与えられたという人物がいたはずだ。

 

「後任の、提督代理のことだね?」

 

 提督の言葉に電は頷く。

 代理とはいえ、その人物にも提督としての権限は与えられている。

 もちろん、建造を行うこともできただろうというのが電の見解だ。

 

「その方、……元々は陸軍の方で、この島には研修という形で滞在していたのです」

「……彼、良い人だったわ? 誠実で、真面目で、責任感が強い人だった」

「どことなく、今の司令官に似てるところがあるかもね?」

 

 当時の状況と、提督代理となった人物の人となりを聞く限り、10年前にこの建造ドックで起こったことの真相を察するのは容易かった。

 きっと“彼”も、じっとしていられなかったのだ。

 出撃した艦娘たちは帰還せず、敵機の空襲が鎮守府を襲い、焦燥に駆られた“彼”は建造ドックを起動したのだ。

 

 “彼”が建造ドックを起動したという証は、妖精たちが復旧したデータの中にしっかりと残っていた。

 しかし、その時に立ち会ったされる艦娘についての情報は、何故か復旧出来なかったのだそうだ。

 

 妖精たちと一緒にデータのサルベージを行っていた響は、床に胡坐をかき、眉根を寄せて難しそうに唸る。

 納得できない不可解さに、座りの悪さを禁じ得ない様子だ。

 

「……艦娘は必ず、所属する鎮守府が登録されているものなんだ。登録データを照合しなければ、艤装の装着許可も下りないし、もちろん出撃も不可能だ。それどころか、入渠施設だって利用できない。10年前当時がどれだけ混乱していたとしても、未登録の艦娘がこの鎮守府に居たとは考えにくいんだよ」

 

 

 結局、建造に立ち会ったとされる艦娘の正体についてはわからずじまいだった。

 現在手元にある情報から足跡を終えなかったことと、それよりも優先すべきことを先に取り掛かるべきだと判断したからだ。

 現在も水中に没している2号ドック。

 その中で建造が完了したばかりの艦娘を救い出さねばならない。

 

 2号ドックに閉じ込められている“彼女”と直接肉声でのやり取りは適わなかったが、幸いなことにモールス信号での意思疎通は可能だった。

 送電ケーブルに伝わる微弱な振動から、2号ドックの中の艦娘が内壁を叩いて信号を送っているとわかったのだ。

 “彼女”は自らが置かれている状況を大よそ理解すると、こちらの指示に従い助けを待つと返事をした。

 そうしてやり取りが出来るとこに安堵する面々だったが、話を続けるうちに、その顔が徐々に怪訝そうなものに代わってゆくのを提督は見ていた。

 

 まず、“彼女”の艦種が潜水艦であるということ。

 提督はてっきり、水上機が運用できる艦ではなかったことを暁たちが残念がっているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 サルベージしたデータによれば、元の建造所要時間が、明らかに潜水艦のものではなかったのだ。

 

 そして、“彼女”の名前を聞いて、提督以外のみんなは二度驚いていた。

 “彼女”の正式名称は三式潜行輸送艇。

 通称“まるゆ”と呼ばれている、陸軍発の艦娘だったのだ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 提督と六駆の艦娘たちが勧めていた開発資材奪取作戦は一時中断し、水中に没したドックの中で身動きが取れない“まるゆ”の救出を最優先することになった。

 と言っても、その作業はほとんどが妖精任せの機械工事だ。

 提督たちが出来ることと言えば、定期的にまるゆに話しかけてやり取りすることと、現状進めている作戦やこの鎮守府で過去に起こった出来事をかいつまんで話してやるくらいなのだ。

 妖精たちの言では、サルベージに関する設備の工事は1日もあれば充分とのことなので、その通りに作業を任せている。

 

 提督たちは一度建造ドックから引き上げて、食堂にて朝食がてら今後の対策会議を行っていた。

 しかし、暁たちの顔は地下にいた時から晴れない。

 不満そうな顔は、今も水中で救けを待ち続けている彼女に対してのものではなく、何故“彼女”になったのかという、釈然としない疑問によるものだった。

 

 

「……いいえ、別に、まるゆが建造されたのが不満なわけじゃないのよ? ただ、彼女が建造された過程に、あまりにも偶然というか、イレギュラーな部分が多すぎるから……」

 

 暁が、まるで咎められやしないだろうかとばかりに小さくなりながら弁解するのを、提督は「怒っていなし、気にしないよ?」と告げて、自然な動きで頭を撫でた。

 今朝の暁の姿を思い出してか、無意識に頭を撫でてしまい、内心で「しまった」と焦る提督だったが、暁は恥ずかしそうに帽子を被って縮こまってしまうだけだった。

 どうしたものかと視線を巡らせるも、雷と電はにやにやしているだけで一言も発しないので、頼みの綱の響にすがるような視線を向けておく。

 響はそんな提督の視線をさらりと流して、データを印刷した用紙に蛍光ペンでチェックを入れていた。

 

「暁の言うとおり、あのまるゆが建造された過程には不可解な点が多い。建造時に立ち会った艦娘が不明なこと。建造途中で電力がカットされて緊急停止、そのまま10年もの時を経て建造を再開して、無事に建造が完了したこと。そして何より、元々建造されるはずだった艦種が途中で変更されたことさ」

 

 艦娘は、建造開始時に完了時間というものが明示され、それによってどの艦種になるのかが大よそ見当が着けられるのだという。

 そもそも、艦種を固定するために専用の開発資材を用いているため、建造が途中で中断されたからといって、再開後に艦種が変更されるのはあり得ないのだと、響は言う。

 

「確認したところ、10年前、2号ドックに投入されていた開発資材は、艦種・戦艦の艦娘を建造するためのものだったよ。建造所要時間から推定されるのは、――大和型戦艦だ」

 

 大和型戦艦。

 その単語を聞いた暁たちの表情は、目に見えて曇ってしまった。

 彼女たちが大和型の艦娘が建造されることを期待したわけではないということを、提督は知っている。

 10年前、この鎮守府には大和型の艦娘が居たのだ。

 電が最後の戦いに挑む際、共に戦場に出るはずだった艦の一隻が、かの戦艦・大和だったのだ。

 

 

「……ということは、2号ドックでは途中まで大和型戦艦を建造していて、10年間停止の後再開して、潜水艦・まるゆに切り替わったということかな?」

 

 提督の問いに、暁たちは「まあ、そうなるわね……」と頷くが、その顔はみな釈然としないものだ。

 どういう原理かと頭を捻るみんなが出した結論が、”海中に没したドックに水圧がかかるか浸水するかして、その状態、外界の環境に対応する為に、艦種が強制変更された”というものだった。

 もちろんただの推論であり、前例があるわけではない。

 

「そうなると、今現在2号ドックで救助を待っている艦娘は、大和型戦艦の肉体を持った、潜水艦・まるゆ、ということでいいのかな?」

 

 提督の続けての問いに、暁たちは「まあ、そうなる……、ええ?」と、頷きかけてその動きを止めた。

 しばし黙考するが、頭を抱えたり、難しい顔で首を傾げたりと、想像に難い様子だった。

 

「……そうよねー。建造が中断した時点で肉体が完全に構築されていたのなら、でっかい潜水艦がお目見え、って感じになるのかしら?」

 

 雷が人差し指を立てて告げた「でっかい潜水艦」を各々頭の中でイメージするが、誰もしっくりくる像を結べないようで、百面相が止まらない。

 

 そんな中、提督は手元の書を開いて紙面をめくっていた。

 以前、妖精たちから手渡された艦娘に関する書籍、海軍に登録されている艦娘の艦種毎の名簿だ。

 潜水艦の項で手を止めた提督は、その中でまるゆの名前を探す。

 

 艦娘・まるゆの元となったのは、厳密には潜水艦ではなく三式潜航輸送艇と呼ばれる、陸軍の開発した潜行輸送艇だ。

 コミカルな逸話に事欠かないこの艦は、第二次大戦中に38隻が建造されていて、艦娘としてのまるゆはその38隻の記憶全てを受け継いでいるとされている。

 名簿に載っている艦娘・まるゆの写真からは、小柄で気弱そうな少女だなと、提督は印象を受けた。

 

 2号ドックの彼女がこの通りの姿をしているかどうかは定かではないが、いち早く外に出してやらなければという思いは強い。

 しかし、2号ドックを引き上げるにあたって懸念があると、響から声が上がった。

 

 

「司令官、よく考えてみて欲しいんだ。建造途中で海中に没した2号ドックは、10年間海水に浸かっていた。ただの海水じゃなくて、この海域の海水、深海棲艦の支配海域の海水だ」

 

 この海域の海水に長期間浸かっていたことが、悪い方に作用するのではないかと響は懸念していた。

 動植物や物理現象までも変質させてしまう海域にあって、建造途中のまま長期間放置されていたドックに眠っていた艦娘。

 先ほどはモールス信号で意志の疎通は出来ていたが、もしも引き上げたドックから出て来た“彼女”が、艦娘の姿をしていなかったら……。

 

 提督は響の挙げた懸念に「確かに」と頷きつつも、それは杞憂ではないかと笑って見せる。

 

「だって、これから開発資材を獲得した後に、僕たちは艦娘の建造を行うだろう? その時用いるのは、深海棲艦から奪取した、純化されていない開発資材だ。みんなはもうリスクを承知で作戦に挑んでいるのだから、何を今さら、なんじゃないかな?」

 

 提督が首を傾げて問えば、懸念を示したはずの響が両掌を上に向けて肩を竦める。

 

「その通りさ。まあ、例え2号ドックのまゆるが深海棲艦になっていようと、救出は行うつもりだったからね?」

「あんな暗いところに、いつまでも置いておくわけにはいかないのです……!」

 

 最初からそのつもりで、ひとまず問題の確認だけしたということか。

 提督が六駆のみんなを見渡せば、困ったような顔をしたものは居ても、誰ひとり恐怖や不安を抱いては居なかった。

 響の言うとおり、本当にドックの中のまるゆが深海棲艦になっていたとしても、助ける気なのだ。

 

「それに、もし万が一中のまるゆが深海棲艦になっていたとしても、私たちに危害を加えることはできないわ」

 

 雷が自信満々といった風に人差し指を立てて言う。

 疑問を抱いた提督に応えるのは電だ。

 

「あの、深海棲艦は、陸に上がれないのです……」

 

 電が言うには、深海棲艦という“種”は陸に上がることができないのだという。

 その話を引き継ぐのは、腕組みをした暁だ。

 

「……人型をしていない駆逐級や軽巡級はもちろん、人型をしている空母級や戦艦級ですら、陸に上がることが出来ないのよ。この島が、そして私たちの命がこうして長らえているのが、その証拠ね? 実際に島に上陸なんてされていたら、私たちが司令官に会うこともなかったわ?」

 

 よって、深海棲艦によって陸地が占拠されることはないのだという。

 それでも、敵艦載機による空襲や、戦艦級による超長距離砲撃の危険はある以上、枕を高くして眠れるとは口が裂けても言えないのだが……。

 

「……なるほど。深海棲艦は、何らかの理由によって陸に上がることが出来ない。陸に上がるということは、彼女たちにとって、なんらかの不都合がある。そう考えても?」

 

 一同から頷きが返り、提督は納得しながらも「おや?」と首を傾げた。

 深海棲艦は海域を支配出来ても、陸地に足を踏み入れることはできない。

 この事実がなにやら重要なことのような気がするのだが、暁たちが至極当然といった風に話しているため、抱いた違和感がすぐに風化して行ってしまう。

 

 提督が再び深海棲艦の生態に着いて思いを馳せることになるのは、もう少し先のことになる。

 

 

 

 ○

 

 

 

 妖精たちが引き上げ設備の構築を急ぐ傍ら、提督と六駆の面々は、交代でまるゆとの対話に臨んだ。

 そうして、現在時刻は深夜を回ったところ。

 提督は、建造ドックに毛布を持ち込んで待機していた。

 未だに暗闇の中にいるまるゆが不安がった時に、誰かが傍に居た方がいいと考えたからだ。

 

 妖精たちが総力を挙げてサルベージ用の設備を構築するのを横目に見ながら、提督はまるゆの呼びかけに備えつつ、ひたすら書物を読み漁っていた。

 しばらく呼びかけがないのでもう眠ってしまったのだろうかと、少し不安になってくる。

 もし眠っているのなら、こちらから呼びかけることは迷惑になってしまわないだろうかと、呼びかけることを避けていたのだ。

 

 そうしてしばらく経った頃だ。

 提督がうつらうつらと船をこぎ始めた頃、控えめなモールスの振動を耳が捉えた。

 

 ――あの、誰かいますか?――

 

 微睡んでいた提督の意識は急速に覚醒し、急いでモールス信号の早見表を片手に返信を打つ。

 

「今は僕が、提督がいるよ。眠れないのかい?」

 

 ――時間の感覚があまりなくて。今は、夜ですか?――

 

「深夜2時を回ったところかな」

 

 ――す、すみません。そんな時間に呼びかけてしまって……――

 

「いいさ。僕はまだ、キミとこうしておしゃべりをしていなかったからね。名前は、まるゆだよね? まるゆさえよければ、まだ眠くないなら、少しお話しようか」

 

 

 提督とまるゆはモールス信号で言葉を交わす。

 話す内容は、六駆たちとのやり取りでどういうことを話したとか、ドックから出たらまず何をしたいか、そして、艦艇時代の記憶についてのものだ。

 

 ――お腹がすきました……。出られたら、まずご飯が食べたいです……――

 

「そうか。今朝には建造完了していたものね。何か食べたいものはあるかい?」

 

 ――カレー! カレーが食べたいです! 電がつくってくれるって言っていました!――

 

「カレーかあ……。好きなのかい?」

 

 ――好きな……、気がします! やっぱり、艦艇時代に乗組員が食べていたものは、美味しそうに感じるみたいです――

 

「艦艇時代か……。まるゆは、艦艇時代の記憶を辛く感じたりはしないかい?」

 

 ――まるゆは大丈夫です! 辛い記憶もたくさんあるけれど、楽しいことも嬉しいことも、たくさんありましたから!――

 

「へえ。楽しいこと、嬉しことか……。例えば?」

 

 ――ええとー、まずですねー……――

 

 

 まるゆは艦艇時代の思い出を得意げに語って見せた。

 曰く、潜水するつもりが上手く行かずに沈没してしまったり。

 敵艦の近くを日ノ丸掲げて堂々と通過したり。

 とある軽巡洋艦には“本当に潜水艦なのか?”と疑われたり。

 本国の輸送船に敵艦と間違われて体当たりを食らわされたり。

 あの戦艦・大和とも会ったことがあり、互いに礼を交わしている。

 

 ――それにですね、速力はあんまり出ませんが、潜水なら得意なんです! あの伊号潜水艦よりも深く潜れるんですよ!――

 

 敵の機銃掃射を避けるために潜航したところ、海底に激突してしまったというエピソードもあるのだという。

 微笑ましい思いでまるゆの話を聞いていた提督だったが、彼女の今の状態を思い出すと、やりきれない気持ちになる。

 暗い海中の中、ドックの内壁を必死に叩いて信号を送っているまるゆの姿を想像すると、早く助け出さねばと強く思うのだ。

 

 物思いに耽っていると、まるゆからの信号がぱたりと途絶えていたことに気付く。

 眠ってしまったのだろうか。

 まだ信号が途絶えてからそれほど時間が経っていないということもあり、提督は控えめに「眠ってしまったのかい?」と打電。

 反応はすぐにあったのだが、それは信号などではなく、ただドックの内壁をこつこつと叩いているだけの音だった。

 提督はその音が何かを言い淀んでいるように聞こえて、心音を抑えるように息を潜めて、彼女からの返事を待った。

 

 

 ――ここは、暗くて、寒くて……、寂しいです。早く、みんなの顔が見たいです。隊長さんの顔が、見たいです……――

 

 

 

 ○

 

 

 

 2号ドックの引き上げ準備が整ったのは、その翌朝のことだった。

 提督や六駆の面々、そして無数の妖精たちが見守る中、急ごしらえのクレーンが2号ドック跡地の水たまりに沈み、チェーンを潜らせていゆく。

 作業の進行を見守りつつも、提督は思いつめたように顔を伏せていた。

 昨晩のやり取りではっきりとわかったことがある。

 2号ドックのまるゆが艦娘としての人格を持っていることは疑いようがない。

 提督としても、一時でも早く彼女を外に出してやりたいと、強い思いを抱いていた。

 しかし同時に、ある考えもじわじわと提督の中に広がりつつあったのだ。

 

 “提督”としての立場で対応するならば、2号ドックの引き上げを中止するべきなのではないか。

 まるゆの建造過程にはイレギュラーな部分が多く、信じたくはないが、彼女が深海棲艦化している可能性も捨てきれない。

 いくら深海棲艦が陸上では無力だとは言え、そういった存在を引き上げて解放してしまうことが、正しいと判断だと言えるのだろうか。

 

 食堂にて、響に「彼女が深海棲艦化しているかもしれない」と言われた時、「その考えは杞憂では?」と返していた、あの時の心境は、もう提督にはない。

 もしも、ドックの中の彼女がすでに艦娘では無くなっていて、陸に上がると同時に暁たちに襲い掛かってきたら……。

 それだけでも暁たちにとってショックなことだろうが、そうなった場合、その深海棲艦を沈める役目を担うのは、他でもない彼女たち自身なのだ。

 

 今の時点でならば、2号ドックが海中に没している今ならば、まだそのリスクを排除出来る。

 繋がっている送電線をカットして電力を落とし、爆雷を投下して、その爆圧でドックそのものを破損、圧潰させる。

 ――そこまで考えて、提督は自分のことが怖くなってきた。

 今まで考えたことは、全て有り得る可能性であり。

 そして、2号ドックの爆破処理は、提督が命令を出せばすぐにでも実現可能だ。

 自らの言葉ひとつで、救助を待っている命をひとつ、摘み取ることが出来るのだ。

 

 そんな恐ろしいことはしたくない。

 提督とて、まるゆを引き上げて、外へ連れ出してやりたい。

 しかし、暁たちを危険に晒すかもしれない可能性を、このまま引き上げて良いとも思えない。

 

 

 歯噛みして、帽子を目深に被って目元を隠せば、誰かが手を握ってくる感触を左手に覚えた。

 電だ。

 いつの間にか提督の隣に立った電が、こっそりとその手を握っていたのだ。

 

「……きっと、大丈夫なのです。だから、深刻に考えすぎないでください……」

 

 相変わらず、電は何でも見通してくる。

 提督は深く息を吐き肩の力を抜いて、みんなの姿を、作業の動向を見守った。

 

 医療キットや毛布の類を準備して心配そうな顔の雷。

 引き揚げ作業を行う妖精たちと共に計器類の数値を睨む響。

 暁は誰よりも最前列に仁王立ちしていた。

 もしものことがあった場合、真っ先に矢面に立つためなのだろう。

 どこから持ってきたのか、軍刀まで持ち出している。

 そして、こっそり手を握って、隣にいてくれる電。

 

 みんなの姿に頼もしさを感じてしまうのは、提督として冥利に尽きるべきなのだろうか。

 それとも、そう感じてしまう己の未熟さを恥じるべきなのだろうか。

 提督の考え付いた可能性と手段など、六駆のみんなはすでに思い当たっているはずだ。

 しかし、その方法を提案することも、進言することもなかった。

 わかっていて、言わなかったのだ。

 

 例え、中の彼女がもう艦娘ではなくなっていたとしても、助け出す。

 敵であろうと、暗い海中にたったひとりで閉じ込めて置くなど、彼女たちの矜持が許さないのだ。

 

「……あまい考えだっていうのは、わかっているのです。もしかしたら、司令官さんの命が危なくなることも……。でも、だからこそ、その……。私たちに、任せてほしいのです……!」

「それが、みんなの決断なんだね? ……わかったよ」

 

 六駆の面々は、危険を承知で、あえてその道を進むのだ。

 危険を理解して、可能性を数洗いだして、そのうえで信じるのだ。

 可能性を上げることはしても、それを排除する手段を提示しなかったことは、提督に重荷を背負わせないためか。

 それとも、もしそうなっていた場合、自分たちですべてカタをつけるという意思によるものか。

 彼女たちとて、自らの命や、提督の命が危険に晒されることを知らないわけではないのだ。

 

 提督は、危険を排除するための指示を出さずに、このまま動向を見守ることにした。

 万が一のことがあった場合、自分や艦娘たちの命が損なわれることを理解した上での“見”だ。

 自らの責任を放棄して、楽で心地よい選択をしたとも思える。

 “提督”としては失格である判断だとも、胸に刻み込む。

 

 それでも、彼女たちが自分と同じ願いを抱いてくれていたことが、何よりも誇らしかったのだ。

 

 

 引き揚げられた2号ドックは赤く錆びつき、ところどころに凹みや亀裂が見られた。

 それらは地盤が陥没した際に出来たもので、水圧による破損ではないとは響談。

 よくこの状態で10年ものあいだ圧潰しなかったものだとも語っていた。

 

 扉部の開閉機構は腐食により動作せず、響がバーナーで溶断した後、暁がバールで扉をこじ開けた。

 中からは乳白色に濁った粘性のある液体が溢れてきて、それと一緒に人の形をしたものが、ずるりと流れ出てきた。

 タオルを持って駆け寄ろうとする雷を暁が手で制し、ドックから出てきた“彼女”の次の挙動を見守った。

 その肢体はほっそりとして長く、陽の光を浴びてこなかったかのような白をしていた。

 背は女性にしては高めで、おそらくは暁と同じか少し低いかといったところだろう。

 うつ伏せに倒れ、長い黒髪が液体の溜まった床に広がった。

 

 暁たちは警戒を解いてはいない。

 この時点では、まだ”彼女”がどちらなのか、判断出来ないのだろう。

 固唾を見守る中、“彼女”がゆっくりと身を起こす。

 

 異音が鳴った。

 びくりと肩を震わせた提督たちは、しかし「あれ?」と首を傾げる。

 今の異音、どこかで聞いたことがなかっただろうかと……。

 

「……誰か、お腹鳴った?」

 

 異音は腹が鳴った音だ。

 最前列の暁が、わずかに上体を起こした“彼女”から視線を外さずに、若干後ろに身を引いて問いかける。

 みんなが違う違うと首を振り、視線が再び“彼女”に戻った。

 

 長い髪に隠れて表情の見えない“彼女”は、かすれた声で何とか声を発する。

 

「――お腹が、すきました……」

 

 一拍間をおいて、提督たちは迅速に対応を開始した。

 

 雷が大きめのタオルを“彼女”に被せて体を包み、暁が介添えしてゆっくりと抱き起し、座らせる。

 そうしてようやく露わになった、まるゆの顔。

 太い眉毛が困ったような八の字をつくって、眩しそうに周囲を見渡している。

 提督が名簿の写真で見た彼女よりも、大幅に成長したその姿。

 六駆の艦娘たち同様、10年の歳月を経たかのような姿で、艦娘・まるゆはこの世界に誕生した。

 

 

「気分はどうだい?」

 

 提督は、まるゆの前で膝を付いて、目線を合わせ問いかける。

 突然の声にびくりと反応したまるゆは、ほっそりとした手を虚空に彷徨わせ、提督の顔にぺたりと触れる。

 傍に付いている雷が言うには、まだはっきりと目が見えていないらしい。

 肉体の不調等の検査も含め、これから入渠ドックへ移動する手はずになっている。

 

 提督は毛布にくるまったまるゆの体を軽々と抱き上げ、雷を伴って入渠ドックへと向かった。

 電は暁と響を連れて食堂へ。

 3人とも、これからカレーの仕込みをするのだと息巻いていた。

 玉ねぎを刻む前から鼻をすすっていた誰かが「やっと、たすけることが出来た……」と、小さく呟いていた。

 

 入渠ドックへ向かう最中、提督に抱えられたまるゆは、手を伸ばして提督の頬をぺたぺたと触り続けていた。

 

「どうかしたのかい? 僕の顔に、何か?」

「……隊長、暖かいです。人の体温、人の暖かさ……」

 

 まるゆは、まだ見えもしない目で提督を見て、にっこりと笑って見せた。

 

 

 


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