それは、おれがフィンからの提案、『宴で自分と戦ってほしい』というものを受け入れた時から半月後の出来事だった。
自分なりに付け焼刃程度の暗殺技術――単に奇襲への慣れ程度だが――を体に叩き込み、五人で話し合って己の足りなさそうな部分を教えあい、コッソリとアイズの魔法を、ロキも巻き込んでどうするかと相談。
時折ユリのところにも顔を出して、魔力抽出ができたかどうかも聞きに行った。ダンジョンに潜るのも自分達の戦闘方式を確立するための最終確認程度に行くだけなので、半月前に比べて大分頻度が少なくなった。
ただ、おれにかかる負担は半月前よりも増えたが。自分達の準備に加え、平団員故に容赦無く宴への準備も手伝わされるからだ。フィンから手伝わなくていい、と各員に伝えられたのに、荷物を渡され持って行けと言われる。
そうされる理由に気づいてはいるが。
要するに嫉妬だ。フィンの意図も知らずに勝手に『コイツは優遇されている』と妬んで無理矢理仕事を押し付ける。流石に無駄な仕事を押し付けたりはしなかったが。仮にも最強派閥、無様な真似はしたくないという矜持だろうか。
正直、どうでもいい。今は唯々諾々と従っておくのが吉だ。
当日はどう足掻いてもフィンとの戦闘で傷つくだろう。重症を負うかもしれない。だから、なるだけ準備を手伝っておいて当日の片付けをしないでいい口実を作っておく。何か言われても、ただでさえフィンからあんな提案をされていたのだと知ったところに無理矢理手伝わされたと反論されれば口を噤むしかないだろうし。
それでも何か言うのなら、まぁ、その時は誰かの手を借りよう。本当に、妬みとかそういう感情を持った相手は面倒くさい。
自分なりに今の状況を纏めると、頭が痛くなってきた。まだギリギリ許容できるが、また何かあったらキレるかもしれない。それは避けたいところだ。
だから今日一日は休みを貰ってきたのだけれど。
キョロキョロと周囲を見渡して何か面白い事が無いかと探ってみる。昼時前という時間帯だからか、微かに漂う良い匂いに鼻がひくつきそうになる。久しぶりに何か買ってみるのもいいかもしれない。
唐揚げ、魚の塩焼き、イカ焼き、飴細工に甘栗、焼き鳥、クレープ、じゃが丸、ステーキ、焼きそば、ソースせんべい、たこ焼き、たい焼き、ラーメン、パフェ、ポテト、ケバブ、餃子、団子、コロッケ、焼きとうもろこし、フランクフルト、おにぎり。
屋台だったり店に売られていたりといった差はあるが、多種多様な食べ物に目が移ろうのは止められない。金なら有り余っているのだから買い食い程度問題はないのだが、身体的な問題であまり多くは食べられない。
結局焼きそばとおにぎりを購入。デザートで何か買おうかとは思ったが、お腹が満腹になる可能性があったので断念。食い終わった後で考えよう。
味的には、言っちゃ悪いが【ロキ・ファミリア】メンバーが作るほうが美味しい。だがこの熱気にあてられて、味とは違った物が心を満たしていく気がした。
途中でジュースを一本買う。喉を潤すのと、臭いが残っていたら多少誤魔化すために。
腹も満たしたので、本日の用件である店へと足を向ける。そこに行かなきゃわざわざホームの外へ出た意味がない。
それから数分。
着いたのは、小さな店だった。
ひっそりと佇むように存在しているその店は、看板を入口の横に置いてあるだけで、派手な宣伝は一切していない。そのため、人の気配は感じられなかった。
外観が汚れている訳じゃない。むしろ純白で染められたその壁は十分に清潔さを表していたが、この店はそう人が来る類のものじゃないせいだ。
必要な人が、必要な時に来てくれればそれでいい――。
そう示しているように感じられる。
人目にはつきにくいが、この雰囲気がおれは好きだった。
ドアを開けて中に入る。取り付けられた鈴がチリンと鳴り、来客を知らせる。音を立てないようにそっとドアを閉めると、おれの目からは外が見えなくなった。
ふと、店の横にあった物の姿を思い出す。
そこに立てかけられた看板には、達筆な共通語で、小さく『花屋』と書かれていた。
店のドアを閉めてまず感じたのは、圧倒的なまでの『香り』だ。
花屋と明記していた通り、ここにはあらゆる種類の花がある。もちろん季節柄置いていない種類は存在するが、十二分な数が揃えられていた。
ある程度の距離を保ちながら植木鉢に植えられた花は瑞々しく輝き、その光具合から、ついさっき水をあげたばかりなのだとわかる。カラフルに彩られた花が、おれの目に優しい光景を与えてくれた。
ここに来たのは、久方ぶりに義姉さんのお墓参りをするためだ。手向けの花はずっと前、葬式で送ったけれど、一つだけという決まりはない。何となく良さそうな花を選んでは、お墓にそっと置いていた。
前回義姉さんのお墓を見に行ったのはいつだろう。ホーム内にあるから、行かなきゃいけない場所次第では眼の端に入る事はあるけど、そんなのはお墓参りの内に入らない。多分数か月くらい前だと思う。
二年前に比べて随分頻度は減った。あの頃は本当に余裕が無くて、義姉さんの死を完全には受け入れられなかった。周囲を見ている暇があるならとにかく自分を苛め抜いて。
今更だけど、ティオナがいなかったら、今の状況が悪化していたかもしれない。どっかで死んでいたかもな。
いいや、違う。そもそもフィンと出会わなければ、友となれていなければ、誰にも知られないまま、おれはひっそりと野垂れ死んでいた。あの時、義姉さんが死んだ直後に自棄になっていたおれに手を差し伸べてくれなければ、きっと――。
でも、そのフィンとの出会いという縁だって、義姉さんが結んだもの。今も昔も、そしてこれからも、義姉さんがやってきた行いがそれとなくおれを助けてくれる。本当に、何時まで経っても甘えっぱなしだ。
もう、孝行だってできないという現実にほろ苦いものを感じながら、今日はどんな花にしようかと思っていると、ふいにおかしな事に気づいた。
誰も、来ない。
少なくともこの店は常に店主がいるはずだ。なんでも『花を育てるのが趣味』だそうで、店を経営しているというより、公然と趣味を行っているだけ、だそうだ。花を売っているのは単に花の良さを知ってほしいから、とのこと。
花に使う物を取りに行ったのだとしても、それならCLOSEを記した板をドアに置いてあるはずなのだが。
一体何かあったのだろうか、と目を閉じて少し耳に意識を傾ける。【ランクアップ】の恩恵によって増した五感を余す事無く利用した。
数秒後、おれの耳に店主らしき声が届く。だがその声音はどうにも困惑の色が濃く、戸惑いながら対応しているらしい。
珍しい、と思った。あの人は大の花好きで、探している花を大雑把な外観や特徴を聞けばすぐに理解して探してくるし、その人の好みに合わせて花を組み合わせて花束を作るなどお茶の子さいさいなのに。
クレーマーでも来たのだろうか。もしそうなら、世話になっているのだから助けに入るべきだろう。
……流石にLv.4や5だったら厳しいどころか嬲られるだけで終わるだろうけど。
それでも逃がすくらいの時間は稼げるはず。迷惑をかけるだろうが、最悪フィン達の名を借りれば死なずには済むと思う。侮蔑の目は避けられないだろうが。
死にたくないのだから仕方がない。
内心で色々考え、複雑な胸中になりながらも店の奥へと足を向ける。横幅は数人程度しか通れない店だが、奥行は結構ある。一階全てを花屋にしているようで、だからこその広さだろう。
できるだけ急ぎ、けれど決して花を踏み倒さないようにしつつ――踏み倒せば後で怒られるのが目に見えるからだ――その場へ行く。
やがて見えた光景。
「……え?」
それはちょっと、予想外のものだった。
何と、店長が困惑しているのは、小さな子供が相手だったのだ。シオンの記憶にある限り、例え子供相手でも特に問題なくやれていたと思うのだけれど。
よくはわからなかったが、店長が困っているのは本当のようだったので、敢えて音を立てて近寄る。すると流石に人の気配に気づいたのか、店長が視線を寄越した。
店長がおれの姿を確認すると、ぱぁっと顔が明るくなる。
いや、うん、その顔はちょっとズルいと思う。普段のクールビューティはどこに行ったんだ。頼られているのは嬉しいんだが。
巷で密かに有名な美人店長から視線を外し、おれよりも年齢の低い子に目を移す。
端的に言うと、白かった。多分、アイズよりも真っ白。ただそれは健康的な色ではなく、病的な白と形容すべきだろう。アイズも外を出歩かなければ、こんな感じになるかもしれない。
小さな人形とも思える程整った顔立ちをしているのだが、病的な白い肌が、見る者に不安を与えてくる。そのせいか、服を一瞬病衣か何かかと思ってしまったほどだ。
何となく見ていられなくて、店長へ視線を戻す。
「何があったんだ店長。らしくなく変な対応してるけど」
「いやーそれがねぇ。この子、どんな花がいいのか聞いても答えてくれなくて……」
本当に困惑している様子で、少女を見下ろす店長。見下ろされた少女は俯き、スカートの端をギュッと握るだけで、何も言わない。
その様子から、答えないのではなく答えられないのではないかと察する。もしや、喉とか何かに異常でもあるのだろうか。
まぁ、何にせよ解決策なら簡単に見つけられるからどちらでもいいのだが。店長だって落ち着けばすぐにでも思いつく程度の事だ。
「店長、メモ帳とか持ってない?」
「あるけど、そんなの何に使うんだい?」
「いや、単に紙に言葉を書いてもらおうかなって。話せなくても手は動かせるんだし」
「……その手があったか!」
数秒の硬直の後、再起動を果たした店長が速攻で二階へ上がっていく。一分とせずに戻ってきた店長は、荒い息をしながら少女にメモ帳とペンを差し出した。
「い、一応、新品だよ……花の名前がわかれば名前を、知らなくても、特徴とかわかれば書いてくれれば、目星をつけて持ってくるから……」
ゼェハァと息を荒げながら少女に近づく姿はさながら変質者そのものだったが、彼女の名誉のために口を噤んでおく。
おれが内心そう思っているなんて知らない少女は素直にメモ帳とペンを受け取ると、ペコリと頭を下げて感謝の意を示す。店長は構わないと言いたげに微笑んだ。
「それで、どんな花が欲しいんだ? 安心してくれ、僕が丹精込めて作った花達だ。どれを選んでも損はさせないと、胸を張って言えるくらいだからね」
少女は少し悩んで、メモ帳に目を落とし、サラサラと言葉を綴っていく。
「ぁ、悪いんだけど店長。書いてる間にこっちの買い物を済ませても?」
「ああ、そういえば。構わないよ、どうせすぐに終わるんだろう? 僕が何か言う前にさっさと決めちゃうんだから、紹介し甲斐が無いよね、シオンってさ」
「あはは……今日は松葉牡丹でお願い」
苦笑いしながら告げると、やっぱりと拗ねたように顔を背ける。それでも花屋としての矜持か、彼女は素直に松葉牡丹の花を持ってきてくれた。
「今日も同じ用事?」
「そうだな。だからいつも通りに頼む」
「うん、となると桃とか紫よりは黄色がいいかな。それにしても、松葉牡丹を選ぶとはね。シオンはこの子の花言葉を知っているのかい?」
どこかからかうように、店長が言う。だが生憎と松葉牡丹の花言葉は知らない。印象深い物は覚えているが、ちょっと見た程度の花の言葉は覚えていなかった。
「ふふ、この子の花言葉はね、色々あるんだけど無邪気と可憐が有名かな。感覚でこれを選んだんなら、シオンの中ではその人がそういう印象で見てたって事になるのかもね」
「いやいや、花を選んだだけでそうなるとは決まってないだろう」
「……君がそう言うなら、そういう事にしておこう」
何故かニヤニヤした顔を止めない店長に脱力する。なんで花を買いに来ただけなのに、妙な疲れが出てくるんだろうか。
――気遣われてるのは、わかるんだけど。
その方向性がどこか明後日に吹っ飛んでいる気がしてならない。いい人なのはわかるのだが、こういう点が取っつき難いところだ。
気にしたら負けだろうと気を入れ直している間に少女は書き終えた言葉を店長に見せる。メモ帳を受け取った店長は数度頷くと、踵を返して何かを取りに行った。
戻ってきた彼女が持っていたのは、椿だった。それに対し疑問を覚えてしまったせいか、つい口を挟んでしまう。
「あれ、椿の開化時期を考えると、今は無いはずじゃ」
「品種を選んで気温をある程度自分で何とかできるようになれば、案外できるもんだよ。まぁ季節外れの花だから、外に出すとすぐ枯れちゃうんだけどね。だから普段は置いてあっても売らずにいるんだけど……」
店長は少女に視線を向ける。椿の開化時期を知らなかったのか、どこか申し訳なさそうに、けれど絶対に欲しいという目を、彼女はしていた。
「ま、理由が理由だしね。小さなお嬢さんへの大サービスって奴さ」
「……?」
よくはわからなかったが、おれが干渉していい話でもないだろう。この店を出ればさっさと別れる間柄なのだし。
とりあえずおれと少女は店長から提示された金額をそれぞれ支払い、花を受け取る。見事に飾られた花は店長の想いが込められているのが見て取れた。
思わず見惚れていると、店長が嬉しさを誤魔化すように頬を掻く。
「二人共、他に入り用は?」
「ああ、それならこれ受け取って」
「ん、この金は? お礼参りとかなら返金させてもらうけど」
「そうじゃないから安心だな。メモ帳とペンの代金だよ、払ってないだろ? あの女の子、声が出せないんならまだ必要だろうし、どうせなら買わせて貰いたいな」
そう言いながら笑うと、店長が小さく、
「これが……気遣いのできる男か……!」
「へ?」
「ああいや何でもないよ? ただ僕の知ってる男共とは比べ物にならないと思っただけで」
やっぱり意味がわからない。
頭を斜めにしていると、店長は自分の中にある葛藤を処理できたのか、何とか笑みを浮かべながら言った。
「メモ帳とペン一つくらいなら特に問題ないよ。余りならまだあるし、持っていきな」
「ありがとう、店長」
「いやいや、いつも贔屓にしてもらってるんだし、この程度ならお安い御用さ」
気にするなと満面の笑みを浮かべる店長。それならよかったと言い、もう用事は無くなったので店の外へ出ようと足を向ける。そして歩き出そうとしたとき、クン、と服の裾を引っ張られる感覚がした。
「……? おれに何か用でも?」
「…………………………」
おれを止めたのは、少女だった。何か言いたげな顔をしていて、でも動こうとしない。しばらく待っても意味がなかった。仕方ないので体の向きを少女の方へ戻し、体を前に倒して目線を合わせてみる。
「ちゃんと待つから、言いたい事があるなら伝えてくれ。な?」
例えどもっていようと、意味が伝わりにくくても。
誰かに何かを伝えようとする意思があるのなら、ちゃんと待つ。
そう思いながら笑いかけると、少女は緊張で強張った顔を緩めていき、裾を掴んだ手を落とすとメモ帳に何かを書き出す。
やがておずおずと見せられたのは、五文字の単語。
『ありがとう』
おれとしては、お節介でやった程度の認識だった。感謝されるつもりはなく、普段世話になっている人が困っているから助けるくらいのつもりで。
だけど、あまり意思表示をするのが得意そうでないのが、こうしてわざわざ引き留めてまでお礼の言葉を伝えてくれたのは。
「……どういたしまして」
やっぱり、嬉しかった。
喜びに浸っていると、店長がいきなりおれの頭を掴んでくる。そしてグイッと引っ張って脇の下を潜らせ鵜腕を回し首を絞めてきた。
「ちょ、店長いきなり何すんだ!?」
「いやいやいや、ちょこーっと私もお節介をしようかなと思ってさ。シオン、この子って見るからに危ない感じがするよね?」
「するけど、それがどうした」
思わず怒鳴りつけると、店長が声を潜めて言ってくる。なのでこちらも同じ対応をしたが、わざわざ首を絞める必要はあるのかと、声を大にして言いたい。
後胸が当たってるんだけど。着痩せする事実を今初めて知ったよ、だから今すぐ放してくれ嫌な予感がしてたまらない。誰か――褐色肌の女の子に追い回される姿が脳裏を過ぎって止まってくれないんだけど。
が、そんな事わかってくれるはずもなく、
「だからさ、シオンが彼女のエスコート兼ボディガードになってほしいんだ」
「はぁ!?」
「シッ、声が大きい。どうせ今日は休みなんだ、いいだろう? 何なら後で私がちゃんとお礼はするからさ」
何故初対面の子にここまで、という思いが湧いてくる。シオンは当然、店長もあの女の子とは今日初めて会うはずなんだけど。親切すぎれば単なる余計なお世話なんだぞ!?
という思いは届かず――おれは今、ストリートを通ってホームを目指していた。
「……で、結局こうなるのな」
傍らに、先程の少女を連れて。
……本当は、断るつもりだった。
こう言っては何だが、金には困ってない。むしろ結構余り気味だ。何となく確認してみたら、パーティ共用資産よりおれ個人の資金の方が多くて頬を引き攣らせたくらいなんだし。
だから店長の言うお礼は、別に貰わなくても問題はない。ほぼメリットが無いのに引き受けるなんて意味がないからと、そう言おうとして。
でも結局、彼女の真剣な瞳に根負けした。
あの眼は――まるで。
まぁ、過ぎた事を言っても仕方がない。頭を振って余計な思考を殺ぎ落とし、キョロキョロと辺りを見渡しおのぼりさん全開少女の手を引いて誘導。前から歩いてきた人とぶつからないようにしておく。
「余計なお世話かもしれないが、店長から頼まれたから今日一日付き合う事になった。嫌ならハッキリ言ってくれていい――」
『だいじょうぶ。うれしい』
言葉の途中でヒョイとあげられたメモ帳には、そんな言葉が綴られていた。何故か妙に信頼されている気がするのは、果たしておれの勘違いか。
「なら、おれの言う事をいくつか聞いてくれ」
コクン、と少女が頷いたのを見てから言う。
「まずおれから離れないこと。流石に目で見えないところに行かれたら普通に逸れるからな。できれば手を握ってくれれば」
言葉の途中で手を握られた。
「……それから行く場所はメインストリートを中心にした、人の多い場所だけだ。厄介なトラブルに巻き込まれるかもしれないが、人が多ければあまり大きな騒ぎにはできないからな」
『わかった』
あらかじめ書き込んでおいたのか、了承の意を示してくる。
これ変な条件出してもあっさり頷きそうな……とか思ったけれど、そんな自分の思考をねじ伏せておく。
「で、最後に」
「……?」
「お前の名前、なんて言うんだ? 自己紹介してないだろ、お互いに」
「……!」
そういえば、と少女が大きく目を見張る。全然気にしてなかったな、と内心溜め息をしながらも名を言う。
「おれはシオン。巷じゃ【
『わたしは、アオイ・アルビドゥス。気にしてないから、だいじょぶ』
冗談めかしたシオンの自己紹介に、茶化すことなくアオイが答える。ジッとおれを見つめる瞳はただただ真っ直ぐで、どうしようもなく気圧される。
それにしてもアオイ、ね。葵……花の名前が元なのだろうか。そう思っている間も彼女はただおれを見つめていて、ちょっと引いてしまう。どうしてこんな澄んだ目をしているのだろうかと思いながらも、おれはアオイの目的地を聞いてみた。
「そういえば、アオイの行きたいところってどこなんだ?」
『おはか』
「そうか、おはか……お墓? じゃあ、さっき買ってた椿はもしかして……」
『お母さんの好きなお花。だから、これにしたの』
お母さん、か。
おれには母の顔を覚えていないから何も言えないけど、でもやっぱり、アオイの顔を見れば、その人がとても大切だったのだとわかる。
『シオンは? わたしといっしょにお花を買ってたけど』
「え、ああ、おれもその……義姉さんのお墓参りに、な」
目的は同じ。それに奇妙なシンパシーを感じなくもないが、どちらかというとこの重苦しい雰囲気をどうにかしてほしい。
「コホッ。あー、今ちょうど昼時だし、何か食べるか? 金なら有り余ってるから奢るけど」
『うれしいけど、でも、いい。いらない』
花屋に行く前に何か食べてきたのだろうか。どちらにしろ、いらないと言う相手に無理矢理渡しても迷惑だろうから、素直に引いておこう。
「寄るところとかは?」
『お花屋さんと、おはかに行くことしか考えてなかった』
「なら無駄に連れ回す理由は無いか」
とりあえず彼女の言う母の墓があるところに行けばいいだろう。
だがその前に、一箇所だけ言っておきたいところがある。
「悪いんだけど……先にこっちの予定から済ませてもいいか?」
義姉さんへの墓参りに、それをしたかった。
幸いコクリと頷いてくれたので、ホームへと踵を返す。門番にアオイの事を聞かれたが、頼まれてボディガード中と言うと素直に通してくれた。そのまま幾人かと通り過ぎ――たまにかなり嫌そうな顔を向けられたが無視――て、そこについた。
ポツンと、たった一つだけある墓。アオイと繋いでいた手を放して、その前に行って座る。たまに掃除をしているから綺麗なその墓の前に、松葉牡丹を添える。
目を閉じて掌を合わせる。
最近、こうしていても何かを思う事は無くなった。初めの内は何を言いたいのかもわからないまま涙してばかりだったのに。
割り切れた、訳じゃない。無様な姿を、義姉さんの前で見せ続けるのがあまりにもみっともないと気づいただけだ。だからただ静謐な祈りを捧げ続ける。
おれにとってはいつものこと。
けれど、アオイにとってはそうじゃなかったらしい。彼女はおれの肩に触ってきて、その感触に片目だけ開けて視線を向けると、戸惑うような顔を見せた。
『どうして、そんなことしてるの?』
「そんなこと。まぁ、確かにこんなこと、なんだろうな」
『みんな知ってる。そこにあるのは人だった物だけで、わたしたちの大切な人はいないって。なのにどうして、シオンはいのれるの?』
そう、誰もがその事を知っている。
何故なら、神がいるからだ。そしてその神達が、かねて人が持っていた疑問の一つである『人は死んだらどこへ行くのか』に答えを出した。
その結果として、死後人の魂がどうなるのかがわかってしまった。
同時に、今まで人が行ってきたお墓参りや鎮魂などの祭りは、ただただ無意味な行為、死んだ者には関係のない行いなのだとわかってしまったのだ。
「そもそもさ、死んだ人がここにいようといまいと、意味なんて無いんだよ。だって、おれ達は相手の言葉を聞く手段が無いんだから」
「…………………………」
「だから結局のところ、祈りを捧げるのも、お墓参りに行くのも、ただの自己満足。それ以上にも以下にもなれない」
『だったら、することに意味はあるの?』
「自己満足だって言ったろ? 自分を慰めるためにすることだ。意味なんて、自分で見つけ出すしかない」
おれは割り切れなかった。
だからここに来てするのは、確認だ。義姉さんに貰ったものを、過ごした日々を、そして――死んでしまったあの日のことを。
『守りたいものを守れる英雄になりたい』――その想いはまだ『ここ』にあるのかを、確認するための行い。
「アオイはどうしてお母さんのお墓参りに行こうと思ったんだ? それを思い出せば、わかるんじゃないかな。自分がどうして、そんなことをしようと思ったのか」
『わたし、は』
その言葉の先は、グチャグチャになっていて読めなかった。何かが書いてあったのだけは、わかったけれど。
しばらく黙っていたアオイは、手に持つ椿の花束から一本を引き抜くと、おれが添えた松葉牡丹の隅にそっと置いた。そして花束はおれに渡し、空いた両手の掌を合わせ、目を閉じた。
一体彼女がおれの言葉の何に思うところがあったのかはわからない。
ただ、一つだけ思うことはあった。
義姉さんに想いを向けてくれてありがとう、と。
できれば善い感情であるのを願いながら、おれはそう思った。
自分の感情を整理するためにも話したい事はあったけれど、アオイの前で話すような内容でもないので諦め、彼女の母の墓へ行こうと立ち上がる。その気配を察したのか、アオイも立ち上がり、小さく礼をすると近寄ってきた。
『もう、いいの?』
「いいんだ。あんまり長く居すぎても、義姉さんが怒るだろうからな。『いつまでメソメソしてるの情けない、それでも男の子なの!』ってさ」
声と口調を真似すると、彼女に『それっぽい』と返された。
いやあの、アオイは義姉さんと会ったことは無い、よな? なのにそれっぽいって、え、もしかしておれの話し方……。
なんだか精神衛生上問題が出てくる気がしたので、考えるのをやめた。
アオイと手を繋ぎ直し、通った道を戻っていく。行きだけで道順を覚えたのか、おれより少し前を行く彼女に迷いはない。記憶力がいいようだ。
表に出さず感心していると、
「あれ、シオン? ……その手を繋いでるのは……」
「ティオネ?」
どこか戸惑ったような、アマゾネス姉妹の姉の姿が見えた。その目の先は繋がれた手に向かっているように見える。
『ヤバイ所を目撃した!』と言いたげなその目に言いようのない居心地の悪さを感じていると、止まったおれを不思議に思ったのか、アオイが振り向いてきた。それによってティオネもアオイの顔を見れるようになり、
「アオイ? でもなんでここに……」
「知り合いなのか?」
「え? ええ、まぁ、そう、なるわね」
どこか煮え切らない態度のままティオネはアオイを見る。だがアオイがフルフルと首を横に振ると、ティオネはどこか納得したように、だが複雑な色を加えた表情を浮かべた。
「――そっか。なら私から言う事は何も無さそうね」
「……?」
「悪いけど、ちょっと用事ができたからこれで失礼するわ。またね、シオン」
「あ、ああ。また、明日」
結局何がしたかったのかもわからないまま、ティオネはどこかに去ってしまう。
「…………………………」
ただ、ギュッとおれの手を握ってきたアオイの行動だけが、気にかかっていた。
「……行こうか」
太陽がかなり傾き、後一時間と少しすれば夕暮れになる頃。
やっとおれとアオイは、彼女の母の遺体が鎮められているという墓地にたどり着いた。余計なちょっかいが無ければもう少し速かったんだけどな。
「ゴホッ、ゴホッ」
墓地に足を踏み入れようとしたとき、アオイが咳き込んだ。その体は小さく震え、心なしか繋いだ手も冷たく感じられる。
「ほれ」
仕方ないので、かなり大きなタオルを取り出し肩にかける。正直不格好だけど、ストールの代わりくらいにはなってくれるだろう。嫌なら寒さを我慢してくれ。
この季節、夜に近づけば肌寒くなるのだから、せめてまともな外套を持って来ればよかったかなと少し後悔。
『ありがとう』
内心ちょっと自己嫌悪してると、アオイはそれを慰めるように薄い笑みを浮かべ、繋いでない方の手でタオルを引っ張り体を覆う。
「悪いんだけど、ここから先はアオイが案内してくれ。墓地のどこにお墓があるのか、おれは知らないんだ」
そうお願いすると、アオイが小さく手を引っ張ってきながら先を行く。何だかんだ墓地に来るのは初めてなので、失礼にならない程度に周囲のお墓を見る。
お墓が作れる家庭は裕福なのだろう。だからきっと、ここにあるお墓以外の場所――それこそそこらの地面の下に遺体があるかもしれない。それを思うと、少し悲しかった。
どうして悲しいのかわからないままついていくと、離れた場所にポツンと、一つのお墓が存在していた。他の物よりもずっと小さいそれに刻まれた名前は、
――アルタイア・アルビドゥス。
それが、アオイの母の名なのだろう。おれが名を見ている間にアオイは持っていた椿の花を添えていた。
失敗したな。彼女もお墓参りをすると言っていたのだから、松葉牡丹を一輪でも持ってくるべきだった。何だかんだ、義姉さんのお墓参りは思うところがあったらしい。全然吹っ切れていない証拠だ。
ガリガリと頭を掻いていると、目の前にぬっとメモ帳が突きつけられた。
『わたしがお母さんのおはかに来たのは、わすれたくないからだと思う』
「忘れたくない?」
『うん。わたしのお母さんはちゃんといた。わたしにくれた言葉とか、愛だとか、そういった大切なおもいをくれた人は、確かにいたんだって』
それにと、彼女は続ける。
『もしわたしがお母さんなら、できればわすれてほしくないから、ちゃんとおぼえてたいの』
「……そう、だな。忘れてほしい人なんて、きっといない。誰か一人でもいい、自分をずっと覚えてくれる人がいたら――たったそれだけでも、幸せだと思える」
誰からも覚えられず、生きていた事さえ知られずに死ぬのは、辛いだろう。そうじゃない人だっているだろうけど、でもシオンは、もし自分が死ぬなら覚えていてほしいと思うのだ。
確かに生きていたんだと、そう言ってくれる人がいれば。
だけどどうしてか、アオイは悲しい顔を浮かべていた。
なんでと思っていたら、
『きせきとか、ぐうぜんとか、前はしんじてた。でもお母さんがしんでからは、きっとそういうのはないんだって思うようになったの』
「……え?」
『お母さんはしかたないって笑ってた。そのときのかおを、わたしは』
……忘れたい、と。
母を忘れたくないけれど、忘れたいというアオイ。
それは多分、もっと幼い頃に願ったんだろう。
『お母さんをつれていかないで』――と。
でも叶わなかった。死んでしまった。だから彼女は奇跡や偶然なんて無いと思い、今も悲しそうに笑うのだろう。
……おれだって、忘れたい。
義姉さんが死んだあの時あの瞬間の表情を、忘れてしまいたい。
「奇跡や偶然なんていうのは、人間が勝手につけた概念でしかない」
「……?」
でも今は、彼女に言うべき言葉は別にある。
「例えば強敵と出会ったとして。現状じゃどう足掻いても勝てない奴が、強敵に勝った。人はそれを『奇跡』とか『偶然』とか言うだろう。でも違う、真実は『本人が気付かなかっただけで、元から勝てる余地があった』――それだけだ。人には見えない真実、それを言葉にしたのが奇跡とか偶然なんだと思う」
『よく、わかんない』
「ま、そうだろうね」
からかうように笑みを浮かべると、アオイは不貞腐れたように頬を膨らませる。それにクスクス笑っちゃうと、ついにそっぽを向いてしまった。
そんな姿を穏やかな気持ちで見ながら、おれは両手を合わせ、小さな膨らみを作る。その動作を不思議に思ったのか、横目で見てきたのを確認して、手を開いた。
手の中に水を溜めるような形。
けれどその中にあったのは水ではなく、小さな小さな、人形のような、生き物。
「はじめまして、風の精霊だよ!」
「…………………………?」
ポカン、と。
確かに動き、人形ではなく生命なのだと訴えるその姿に、アオイの体が固まる。そんな彼女に、おれは言った。
「今日
さて、
「――
どこかイタズラっぽい笑みを浮かべてそう問うと、彼女は目の前の現実を受け入れだしたのか、おずおずと、
『運命、かな』
照れ臭そうに、笑った。
流石に風の精霊は物珍しかったのか、アオイはまじまじと彼女を見つめる。見られている精霊も居心地が悪そうに顔をあちこちに動かしていたが、やがて諦めたのか、ガックリと肩を落とした。そんな所作におれとアオイ、二人で笑っていると、
『そういえば、せーれーさんの名前は?』
「え?」
ピシッ、と今度はおれの固まる。
なまえ、ナマエ、名前――。
いや待って、まだ、決まってない。
フィンとの提案があってからこっち、とにかくそれの対処にばかり頭が行ってどうしてもこの子の名前を考える暇がなかった。
けれどそんな事情を知らないアオイと、そして何故か精霊までもが期待した目でおれを見ている気がする。
「えっと、あー……」
「『あー?』」
違うそうじゃない!
あ、ア、アリア? これだとアイズの母親の名前そのまんま! これに何かを加えて――いやでも何を加えれば――。
グルグルとあっちこっちに行く思考。纏まらないままどうすれば、と内心頭を抱えていると、ふいに身近な少女の名前が思い浮かんだ。
ごめん。勝手に名前借りる、ティオナ。
「アリアナ。それが風の精霊の名前」
「へ?」
『アリアナ……』
焦った。
久しぶりに本気で焦った。でも何とかなったから良かった、そう思うようにしよう。そうしないとやってられないし。
「アリアナ……アリアナ、かぁ。うん、そう、私はアリアナって言うんだよ!」
そんなおれの心など露知らず、名付けられた彼女は嬉しそうに自分の名前を誇示した。
……悪かったな、と思う。名付けると約束したのに、なんだかんだ先延ばしにしてしまい、今になってしまった。
だけど、楽しそうにアオイと話すアリアナには、無粋な謝罪なんていらないだろう。かけるとしても、帰ってからかな。
できればもう少しだけ、せっかく出会えた彼女達の話しを待っていたかったけれど、そうしてはいられない事情ができた。
「そろそろ帰るぞ。流石に日が沈む前に帰らないとマズいだろ」
多分、後数十分くらい。おれはともかくアオイは帰らないと体調を崩す。アリアナに手を向けて戻ってもらい、そのままアオイの手を取る。
そうして帰ろうと背を向けたら、その手をクン、と引かれた。花屋の時のようだ、と思いながら振り返ると、アオイはおれの手を両手で抱きしめていた。
どうして手を引かれたのか、それはわからない。
ただ、『待つよ』と示すために、彼女の傍へ少しだけ近寄った。
『また、会ってくれる?』
何となく空に浮かんでいる雲を見ている間に綴られたのは、そんな言葉。思わずキョトンとしていると、どこか焦ったようにアオイは続ける。
『シオンのぼうけんを、ものがたりを、わたしに話してくれる? だって、シオンは【英雄】なんでしょ? ダンジョンに、行く、んだよね』
だから、
『わたしに、そこであったことを話すために――会いに、きてくれる?』
揺れる瞳。
一大決心したのだとわかる懇願に、おれは小さく笑ってしまった。縮こまる彼女の、サラサラとした髪に触れて、撫でる。
「もちろん。会いに行くよ、絶対に。約束だ」
できるだけ優しい声と笑顔で言うと、彼女は涙を流して、でも笑顔で、
「ありが、とう!」
今日初めて、声を出してくれた。
彼女は喋らない。
なのに、思わず声を出すほど喜んでくれて――それが何より、嬉しかった。
本格的に時間がヤバくなってきたので、彼女の負担にならないよう、急ぎ足で帰る。それでも文句一つなくついてきてくれたアオイのお陰で、完全に日が暮れる前に、彼女が暮らすという孤児院にまでたどり着いた。
ホッと一息ついておれも帰ろうとすると、アオイは大きく手を振って、その手の中にあるメモ帳を見せながら、
『またね! シオン!』
叫ぶ動作をして、笑った。
「……ああ! また!」
ただ別れるのは芸がない。
そう思ったおれは、
『アリアナ、頼む』
『しょーがないなぁ。……特別だよ?』
久しぶりに、彼女に頼んだ。
『来て、風』
それは精霊の奇跡。
『さあ、舞い上がれ!』
アリアナの力で集まった風を、背中へと纏めて、できるだけ『翼』の形状へ近づけていく。だがそれだけで空を飛べるほど、星の重力は甘くない。
だから、更に力を増やし、足元から掬い上げるように体を浮かす。
背中の翼でバランス維持。フラつこうとする体を無理矢理整えていると、空へ浮かび――、
「必ず、アオイに会いに行く!」
不格好な姿でないか。
彼女に夢を見せられるような状態でいるか。
それを不安に思いながら彼女を見ると、アオイは呆然とした顔を浮かべていたのを、興奮したものに変えて、ただひたすら手を振り返してきた。
その姿にホッと安堵し、アオイから背を向け、屋根を超えて、おれは彼女の前から姿を消す。
そしてすぐに、地面に降りた。
『……落ちるかと思った』
『そりゃあんな無茶なやり方したらそうなるよ。むしろ数十秒だけとはいえ、よく飛べたね?』
『男の意地って奴だ。それに……悲しんでる顔より、笑ってる顔の方がいいだろ?』
本心からそう思いつつ言うと、アリアナは呆れの溜め息をしつつ、
『相変わらずのお人好し。……だから、力を貸したくなるんだけどね』
優しく包み込むような声音で、そう言った。
それに浮ついた気持ちになるも、誤魔化すように頬を掻く。次いで頭を振り、ホームへ帰ろうと足を向け、
『……ありがとね、シオン。シオンがくれたアリアナって名前、好きだよ』
そんな照れ臭い言葉が、羞恥と共に心中から響いてくる。
『……どういたしまして』
だからおれも、恥ずかしく思いながら、言葉を返した。
帰ってからしばらくして、ティオネがおれを訪ねてきた。
「珍しいな、こんな時間に来るなんて」
「まぁ、気になることもあったし。その……アオイは、笑顔だった?」
「普通に楽しそうだったけど? また会ってほしいって言われたから、近い内に……ああ、明日休みくれないか。二日連続で悪いけど」
「どうして?」
「いや、アオイの母親にお花を添えるのを忘れてさ。何となく心残りなんだ。それだけやったら戻ってくるから……ダメか?」
正直、ふざけるなと言われてもおかしくない。フィンとの戦いまでもう後半月、残された時間は少ないのに、それを潰すと言っているのだから。
だが予想に反してティオネは、わかったと言ってくれた。
「三人には私から言っておくわ。どうせすぐ戻ってくるんでしょ? だったら、いいわよ」
「あ、ありがと、ティオネ!」
「感謝される程の事でもないわ。むしろ私が感謝したいくらいなんだし」
「ティオネが、か? そりゃまたどうして」
「アオイに笑顔をくれたこと。あの子、お母さんが死んでからずっと暗い顔してたから。私も他の子との付き合いがあったから、毎回見に行けるわけじゃないし」
そういえば、ティオネはダンジョンに潜る前はガキ大将的な存在だった。だから、今でも一緒に遊んだりするんだろう。アオイと出会ったのも、その時なのだろうか。
「ありがとね、シオン。それじゃ、また明日」
「ああ、また明日」
何はともあれ、ティオナを味方にできたのは大きい。このパーティ、ティオネは結構の発言権を有しているから、彼女が味方につけば大体何とかなる。
とはいえあまり時間をかけられないから、今日はもう寝よう。
「……本当にありがとう。でもごめんなさい、シオン。伝えられる、勇気がなくて」
そう言って涙するティオネに、おれは最後まで気付かなかった。
そして次の日、まさかの団員に捕まって仕事を押し付けられたせいで、昨日と同じくらいの時間帯になってしまった。かなり急いだので荒れ気味の呼吸を整え、芸が無いとは思いつつ選んだ松葉牡丹が散ってないかと確認。
大丈夫だったので、昨日通った道を行ってお墓のところへ。けれど不思議な事に、昨日はいなかったそこに、老婆がいた。
「あの……?」
「あら、こんな時間にくるなんて。危ないからもうお帰りなさい」
思わず声をかけてみると、優しいながらも顕然とした言葉を出される。それに逆らい難い何かを感じたが、おれが持つ花を見ると、ちょっとだけ表情を和らげた。
「もしかして、
――あの子?
確かにアルタイアという女性は、この人から見ればそう呼べる年齢差なのだろう。だが、この人から感じたニュアンスは、もっと小さな子に向けるもののような……。
何か、途方もないくらいの嫌な予感に、お墓を見る。
「ッ!?」
息が、止まった。思わず持っていた花を落としてしまう。
だけど、それを気にする暇もなく、おれはそこに刻まれた文字を、何度も何度も読んで、確認して、でも信じられずにまた読み直して。
――アオイ・アルビドゥス。
なのに、その文字は一向に消えてくれなかった。
「なん、で……確かに、昨日は……笑ってたのに」
「まさか、あなた。あの子が――アオイが死んだのを、知らなかったの?」
コクリと頷く。
横から息を呑んだ音が聞こえたけれど、それはおれの心に響かなかった。
思えば、昨日は不自然なところが多かった。頑なに話さない彼女。それはもしかすれば、話さないのではなく話せなかったのではないか。
他のところに寄ろうとしなかったのは、自分の体がもう限界だとわかっていたから、無理ができないと知っていたからではないか。
おれが魂など無い義姉さんのお墓に祈っていた理由を聞いたのも、自分の母の死をどう思っているのかを言ったのも、自分が死ぬからなのではないか。
そして、
『また、会ってくれる?』
彼女がおれにそう言った、その理由は。
――わたしのことを、わすれないでください。
死を目前にした少女の、小さな願いなんじゃないか。
真実はわからない。おれは落としてしまった松葉牡丹を拾い、乱れてしまった花束を直す。その動作を見ていた老婆は、
「……お別れを、するのかい?」
どこか沈痛さを堪えるように、聞いてきた。
でも、違う。
「いいえ」
彼女が願ったのは、全然別のことだ。
『シオンのぼうけんを、ものがたりを、わたしに話してくれる? だって、シオンは【英雄】なんでしょ? ダンジョンに、行く、んだよね。わたしに、そこであったことを話すために――会いに、きてくれる?』
それに対して、おれはどう言ったか。
『もちろん。会いに行くよ、絶対に。約束だ』
あの時の言葉に嘘はない。だから彼女も、信じてくれた。話せない体で、たった五文字の言葉を言う、普通なら簡単な、でも彼女にとっては何より大変な行為を……してくれた。
だから、おれはこれからも約束を果たそうと思う。
「また会いに来ます。一日にも満たない、たった数時間だけの出会いだったけど」
ずっと忘れない。
アルタイアという、会ったこともない、でもきっと『親であり続けた』女性の名を。
アオイという――大切な『友達』の名前を。
おれはきっと、忘れない。
この物語はシオンの成長を描いているので、こんなお話も描きたかった。
本当は数ヶ月に貰った感想が元ネタ。原型留めてませんけど、感謝です。
『キスツス・アルビドゥス』
『ゴジアオイ』
花の名前です。今回のヒロインの名前の意味、わかった方、いらしたでしょうか。
次回は普通に本編入りますが、文字数がかなり行ったので、次回投稿はちょっと遅れるかもしれません。テストありますし。テストありますし。
とりあえず予告。
初っ端からぶっ飛んだ内容にする予定。
『聖女の再来?』
タイトルで展開わかったらどうしようとか思いつつ、次回もお楽しみに。