リヴィラの街は、一見しただけでその全てを把握できるようなところではない。表面だけを見るのであれば、この街はガメついだけの場所でしかないからだ。
しかし、そこに潜む物は、並大抵の物ではない。
オラリオと同じ――とは行かないまでも、それに準ずるだけの力が集まっている。この階層まで来れる冒険者というのは、それだけの暴力を持っているのだ。そして、冒険者というのは粗野な人物が多く、厄介なトラブルを起こす事が多い。
つまりはこれも、その厄介なトラブルの一つにすぎない、という事だ。
洞窟に作られた小さな酒場。水晶の太陽による光が届かないそこは、松明に灯された小さな篝火だけが、彼らの視界の寄る辺だ。場所によっては手元さえまともに判別できず、持ってこられた食事さえ地面に落とす時さえあるほど。
一応、清掃はしているのだろう。酒場自体の臭いはそれほどでもなかったが、冒険者達の放つ雰囲気が、人を近寄らせようとしなかった。
酒を飲み、飲まれて暴れようとさえする冒険者もいたが、彼らは酒場のマスターによってあっさりと放り出される。その代金として、有り金、あるいは持っている魔石とドロップアイテムを全てかっぱらって。
誰も文句など言わない。自業自得と割り切り、各々は自らが注文した物を食べ、飲んでいた。
その内の1人に、外から入ってきた全身をローブで隠した男が近づいた。恐らく後から合流する予定だった、パーティメンバーだろう。
そして男が近づき、椅子を持って隣に座ると、小さく何事かを囁き、
「――おれなら、ここにいるけど?」
「な……っ!?」
真後ろから飛んできた声に、全身を硬直させつつ振り返った。
そこにいたのは、にっこりと笑う白銀の少年。およそ筋肉などついていないくらいに細い体躯でありながら、その戦闘能力は大人に勝るとも劣らない。
無意識に滲み出る怒りが殺気と思われたのか、男は身構え、戦闘態勢に移行する。
「どうして、ここが……」
「いやだってさ、視線向けてきてるのが丸わかりだったし。一回外に出れば誰かに報告でもするかなと思ってみたらドンピシャってわけ」
どうにも素人臭いし、むしろ誘ってるのかと思ってた、とまで言えば、隠されて見えない男の顔が引きつった気がした。
そんなに不思議だろうか、と思う。
一時期、フィンに五感を鋭くするための一環で目隠し状態で戦わされた経験からか、少しこういう事が得意になっただけなのだが。
違和感に気付いたらしい周囲の冒険者の目が突き刺さってくるのを感じながら、シオンは目の前の2人に問いかける。
「それで、おれに何か用? 少なくとも、穏便にはすまないだろうと考えてるんだが」
目を合わせている2人の内、リーダーだろう男は肩を竦めた。小さくすまない、と言いながらローブの男を下がらせると、シオンに目を向ける。
「……どうやってバレないで入ってこれたんだ?」
「ん、時間稼ぎ? それとも考え纏めたいのかな。ま、別にいいけど」
別段苦労はしなかった。
ローブの男が入ったと同時に、目立つ髪を隠すために途中で拾った黒い布で頭を覆い、そのまま入口から入って横にズレ、暗がりを通ってここに来ただけだ。
元々ここは酔っ払いが多い。入口に向けられた目の数の少なさもあって、バレずにすんだ。
全てを答えたあと、シオンは再度言う。
「そろそろ答えてくれないかな。何の用事があって、おれを見ていた。仲間には視線を向けていなかったみたいだが」
場合によっては――そんな意志を込めると、彼は降参を示すように両手をあげた。
「悪い悪い。あんたの言う通り、俺達はあんたのお仲間には興味がない。あくまでも目標はあんた――【英雄】様だけだよ」
「へぇ。言っちゃ悪いがあんたの顔なんて見たこと無いんだけどな。どっかで恨みを買うような出来事、あったっけ?」
「俺にはねぇな。ただ、この顔にはどっかで見覚え、あるんじゃないか?」
突然男は髪を掻き回し、その内いくつかを持ってツンツンした状態にする。いきなりの奇行に眉を寄せていたシオンだったが、出来上がった顔を見て、驚愕した。
「おい、お前まさか」
「一目でわかるなんて思ってなかったな。意外と記憶に残ってたのかね?」
男の顔は、凡庸だ。正直覚える意味など無いし、会話したとてすぐに忘れるだろう。
ただ、シオンはすぐにその男の顔に見覚えがあると気付いた。そして同時に、この男がどうしてシオンを狙ったのかを、漠然と理解した。
つい歯噛みしてしまう。出来れば話し合いで解決したかったが、事こうなれば、そんな甘っちょろい対応は期待できない。
その男は――、
「ずっと前、あんたに言葉だけでやられた奴の兄貴だよ」
そう。
かつてリリと、エイナを庇い、その結果散々に挑発した男と、よく似ていた。
驚きに目を見開くシオンを見て、どこか満足そうに笑っている男が、名乗ってきた。
「シギル・ウォーだ。バカな弟が世話になったな」
「……自己紹介、どうも。シオンだ」
一周回って冷静になったシオンが答えると、シギルはまたも笑い出す。それについていけずに困惑していると、シギルが酒を差し出してきた。
「飲むか?」
「いらん」
「そりゃ残念、うめぇのに」
差し出された酒をそのまま自分で飲み干すと、シギルは立ち上がり――それに釣られるように、多くの冒険者が立ち上がった。
「マスター、代金だ。んでもってシオン。悪いが付き合ってもらうぜ、そのためだけに、こんだけ連れてきたんだからよ」
この酒場は、小さい。
それでも二十三十は余裕で入れるくらいの大きさはあるし、その内大半が、この男の味方となると、シオンの不利は否めなかった。
「……場所は?」
「おあつらえ向きに、近場に大草原があるだろ。そこでいいだろ」
それでもシオンは、逃げるつもりなどない。
そもそも一度逃げたところで、意味がないからだ。これから18層に来るたびに逃げて追われてを繰り返すなど時間の無駄だし、もうダンジョンに来ない、なんてアホな選択肢は選べない。
だから、一度ここで全てを決める。
その先に何があるのかは、まだわからないが。
酒場から出て、リヴィラの街を移動する。流石に数十人が一気に固まって移動すると邪魔にしかならないからと、数人を五個で分けて移動させた。
シオンはその中ほど。逃げられないように、という判断らしい。
「別に逃げるつもりなんて無いんだけどな」
「用心って奴だ。保険ってのはかけておくもんだろ?」
鷹のような鋭い目がシオンに向けられる。先ほどまでの振る舞いはそこになく、ダンジョンで生きる冒険者としての姿があった。
「本当、なんで弟はあんななのに兄は立派なんだか」
「そう褒められたもんじゃねぇよ。それに、あいつがああなったのは俺のせいでもある」
「お前の? それはあれか、兄と比較されたからか」
「ま、その通りだ。だがまぁ、それ以外にもあいつが好きだった女を俺が――っと、これは野暮だったな。とにかく、色々あって俺はあいつの頼みに弱くてな」
「…………………………」
「あんたにゃ恨みはねぇが、約束したんだ。安心しろ、殺しはしない。俺もあいつも【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売るつもりはないからよ」
何も言わなかった。
他人のゴタゴタに興味なんて無かったし、話を聞いて、少しだけ安心した。
――少なくとも、皆は巻き込まないで済む。
そんな思いを胸に沈め、別のことを聞いた。
「そういえば、なんでこんな人数が集まったんだ? 弟の頼みとはいえ、あんた個人にそこまでの人望があったのか?」
「あーいや、な。これを言ったら悪いのかもしれないが」
どこか罰の悪そうに、シギルが言った。
「単に、嫉妬だとよ」
「…………………………なんだ、そりゃ」
「その年でそこまで強くなるあんたを妬ましい、あの【ロキ・ファミリア】に、美女美少女達のいる【ファミリア】で過ごせるのが羨ましい、他にも色々とあってだな」
「正直言っていいか」
シオンは一泊溜めて、
「心底くっだらないんだけど!!」
……その叫びで睨まれたのは、理不尽だと思いたい。
ジト目になって下からシギルを睨みつけると、心の底からの笑い声が返された。うっぜぇ、と吐き捨てると、頭を叩かれた。
「確かにくだらない理由だ。だがそれでも、あんたを倒す、そのためだけに集まったのは事実なんだよ。これからも頑張るんなら、こういった悪感情に晒される機会は多くなる。今のうちに慣れておくのを勧めるぜ?」
「……の」
撫でる、というより叩きつけるかのように手を置くシギルは、気付かない。
「知ってるよ、そんなの」
かつて浴びた『闇』を思い出して、シオンは小さく、唸った。
下らない話をしていると、もう草原が広がっていた。しかし彼らはそこから更に別方向へ移動していき、大体の冒険者が通る道から外れた場所へ移動する。
「モンスターが来たら、どうするんだ?」
「こっちで対応するさ。何人かはそのために連れてきたんだからよ」
「あっそ」
シオンは軽く手足を捻る。その体についている防具はほとんどない。一応、篭手と、それに付けられたプロテクラー、それから膝当てくらいはあるが、それだけだ。
急所を守るような物は一切無い。
なのにシオンの体に緊張感は見て取れず、背中にある剣の位置を調節する余裕さえあった。
そんな少年の所作に違和感を感じ取ったシギルだが、しばし考え、首を振り、考えても意味のない事だと、余計な思考を打ち切った。
「一応、殺し合いじゃない。だからできるだけ配慮はするが、死んだら、まぁ、すまんな」
「別にいいよ。こっちだって殺すかもしれないんだし、お互い様だ」
――やっぱ、おかしいよな。
シオンが、『人間同士』の戦いに何とも思っていない事に、シギルは不安を感じた。モンスター戦と対人戦では何もかもが違う。
なのに、シオンはそれをどうとも思っていないかのように、
「あ、そうそう言い忘れてたけど」
「何だ?」
薄く、彼は笑って。
「おれが得意なのはモンスター戦
驚くシギルを見ながら、彼らへ向けて疾走した。
「お帰り! こっちは洗濯終わったよ。あれ、ティオネだけ? シオンは?」
「忘れ物したから、ちょっと遅れるだって。だから私だけ先に帰ってきちゃった」
そうなんだ、とちょっと不思議そうにしている妹を見ながら、ティオネは2人の距離感を見て何となく察した。
――シオンの目論見通り、仲良くなってる、のかな。
微妙な距離感だ。本当に、判別に困るくらい。
ティオネの思いつく理由としては、一つだけ。ただそれが当たっているとしたら、彼女は口出しするつもりはなかった。
「ねぇねぇ、何か買えた? 今夜何作るの!?」
「そこまで豪勢にはできないわよ。一応、鉄板とかは交換できたけど、鍋はないから普通に焼くくらいしかできなさそう」
調味料なんて便利な物は無いので、素材の味付けは無理。素材そのものの味を楽しむのが限度になるだろう。
そんなティオネのニュアンスを感じ取ったのか、ティオナはちょっと残念そうだった。
「ティオネ」
「何かしら」
「えっと、ジャガ丸くんは……作れる?」
「ジャガイモが蒸かせないから無理。そもそも塩さえないんだから、できたところでただの蒸かした芋になるわよ」
「うう……」
ガックリ項垂れるアイズ。よっぽど好きなのだろうが、無い物は無いのだから仕方ない。
なのに、妙に罪悪感を刺激されるのはどうしてだろう。ティオネが居心地悪そうに身を揺すっていたら、ティオナが、
「まぁまぁ、帰ったら一緒に食べに行こうよ! 美味しいところ見つけにさ!」
「……いいの? 楽しみ」
肩を組んで笑い合う2人は、本当に楽しそうだ。意外と相性がいいのかもしれない。ティオネは内心、素直にシオンの作戦を称賛した。
持ってきた物を個別に分けて、バックパックに収納する。余った魔石なんかも一ヶ所に纏めておいた。
アイズとティオナは畳んだ服を、その人ごとに纏め、ティオネの手が離れた時を見計らって戻していく。夜使う事になるだろう、大きな布だけはそのまま残していたが。
そうしていると、一足遅れてベートが戻ってきた。
「なんだ、俺が一番遅かったか?」
「ううん、まだシオンが来てないよ。だからベートは二番目」
「そうかよ、なら持ってきたこれはまだ分けられなさそうだ」
小さな鞄に手を回し、ゆっくり地面に置く。
そこから香る匂いに誘われて、3人の少女が近寄っていく。それから思い切ってティオナが明けると、一気に匂いが増した。
「うわぁ、美味しそう……!」
大小様々、彩り鮮やかな果物が顔を覗かせる。まさに選り取り見取りなその光景に、ティオナは思わず手に取って食べていた。
「す、すっごい甘い! それに美味しい! こんなの食べたこと無いよ!?」
「って、何食ってんだこのバカゾネス! 毒入ってたらどうするつもりだ!」
「そんなの気合いと根性で何とかすればいいんだよ!」
「テメェの脳ミソ腐ってんじゃねぇのか……!」
そんなやり取りに、思わず手を伸ばしていたアイズが手を引っ込める。ティオネも毒と聞いては手が出せないのか、仕方なくティオナの様子を観察し、それから彼女と同じ物を手に取った。
「ほら、アイズ。多分だけど、これなら平気よ。よかったわね、率先して毒見してくれて」
「い、いいのかな……?」
「よくないからね!?」
「自業自得だ!!」
普段諌め役のシオンがいないからか、騒ぎが留まる気配が無い。
息も絶え絶えに胸を上下させるベートは、そこでやっと未だにシオンが戻る気配が無いことに気付いたのか、言った。
「おい、流石に遅すぎねぇか? いくらなんでももう戻ってきたっておかしくないだろ」
「そうね。ちょっとトラブルに巻き込まれたとしても、これは」
「うーん、シオンが何も言わずにいるのは考えられないんだけどな。ティオネ、伝言とか預かってない?」
ティオナに問われ、ティオネはうーん、と悩み、それから思い出した。
シオンが言っていた、不可解な言葉を。
「『忘れてた事があってね。それが終わったらそっち戻るから、気にしないでくれ』って。でも結局その『忘れてた事』を話してはくれなかっ――」
「今すぐ準備しろ! リヴィラの街に行くぞっ」
「ベ、ベート?」
ティオネの言葉を遮り、唐突に叫んだベートは既に行動を始めている。追従するようにアイズとティオナも武器を背負い、ティオネは混乱しながらバックパックを背負った。
それを確認すると、彼は振り向きもせずに駆け出す。
「待ちなさいよベート、説明しなさい!」
「説明はする! だが足は動かせっ、時間が無いんだよ!」
意味がわからない。
そう叫びたかったが、ベートの焦りは本物で、足を止める様子が全く無い。苛立ちに頭を掻きむしりながら、それでもティオネは彼について行った。
ティオナとアイズは一度目を合わせるも、置いてかれるのも嫌だと走り出す。
この場で最速はベートだ。全力で走れば全員を置いていく事になると理解していた彼は、微調整して速度を抑える。
最高速度とは行かずとも、それに近い速度で走っているため、アイズは口を開く余裕さえない。だから代わりに、ティオナが聞いた。
「ねぇ、シオンが何やってるのかベートはわかるの?」
「全くわかんねぇな!」
「ハァ!? わかってるから走ってるんじゃないの!?」
あまりにもあんまりな返答に、ティオネがベートの正気を疑うような目を向ける。
「うっせぇ、俺がアイツの事を何でもかんでも知ってると思ったら大間違いだ。だがまぁ、最低限わかる事はあるんだ」
「何よそれ」
「アイツは基本的に曖昧な言葉を多用しないんだよ。それが危険なんだ」
「……?」
ティオネの頭の上に疑問符が浮かぶ。
それを無視してベートは続けた。
「本当にわからない時は別だが――シオンは、すぐに戻れるときは『すぐに戻る』って言うし、逆なら『遅くなるから気にしないでくれ』とでも言うだろうさ。そのどっちでも無いって事は、つまり」
「……どっちとも取れない?」
「逆だ。どっちにも転がるから曖昧になったんだよ」
あっさり決着が付けば、すぐ戻れるだろう。それなら心配はいらないし、そもそももう戻ってきてたっておかしくない。
つまり後者。
戻れないくらいの厄介事に巻き込まれている真っ最中、ということ。
「ったく、嘘を吐けない性分だから、誰かに誤魔化すときは曖昧な表現ばかりしかしない。ロキみてぇな野郎だ」
「……ああ、そのせい」
ティオネは、シオンの嘘を見抜けなかった。
当たり前だ、本人は嘘など言っていないのだから。ただ本当のことを隠しただけで。だからベートは危険などと言うのだろう。
――シオンはその気になれば、4人全員を騙してのけるのだから。
話を聞いていたティオナは、それを理解して恐怖した。
「死なないでよ、シオン……っ!」
ただそれだけを願って、4人は森を抜け、草原をひた走る。
その途中、ティオネは気になったことをベートに聞いた。
「そういえばベート。どうしてシオンの考えがわかるの?」
「だから、わからねぇっつってんだろ……。強いて言うなら、諌め役だからだ」
ベートはずっと、シオンの意見を否定してきた。
それでいいのか。もっといい案は無いのか。それを行えばこんなリスクがあるのに。だからこんな風にはできないのか。
そうやって、時にシオンとは正反対の事をぶつけてきたから、何となくシオンの考えを把握できるようになってきた、それだけの話。
「アイツがバカな事をしたら止める。それが俺の役目だ」
「ふーん? ま、そういう事なら信じるわよ」
ティオナは、シオンを縛る鎖だ。
だからベートは。
シオンを正気に戻す、拳を振るおう。
「それぐらいしなきゃ――アイツは絶対、間違える」
そう断言した瞬間、ベートの横を金の風が吹いた。
「こ、こっち!」
汗を流し、息も荒げながら、アイズは3人を先導するように全力で走り出す。その足取りに迷いはなく、何かを確信しているようだった。
理由は、わからない。
わからないが、シオンとアイズには奇妙な繋がりがある。
ならば――今は、信じてみるしかない。
シオンが一気に懐へ潜り込むと、相手は嫌そうな顔で距離を取ろうとする。そんな相手の股座に足を突っ込んで動けなくすると、容赦なく短剣を腹に突き刺し捻った。
声にならない悲鳴をあげながら倒れる相手を目にせず、背後から振るわれた剣を、頭上に掲げた短剣を斜めにして逸らし、受け流す。
腕にかかる負担を無視して飛び上がり、肘を相手の顔にブチ込む。相手の歯か、あるいは顎が砕けたような感触がしたけれど、どうでもいい。
宙に浮かんだシオンを、好奇と見たのか槍が突きこまれ、その合間を狙って矢を放つ。だがそれがシオンに届く頃には、もうそこからシオンは消えている。
後ろ足で顎をぶち抜いた相手を足場にして、そこから離脱したのだ。そして狙ったのは、当然目の前にいる槍を振り抜き、隙を晒す青年。
笑みを浮かべると、どうしてか彼は体を強ばらせた。
理由はわからないが、まぁいいかと割り切って腕を切り落とす。その事に激昂した、青年の仲間だろう人物が数人駆け寄ってきたが、その内の1人にぴったり張り付くと、同士打ちを避けてか攻めあぐね出す。
――本当、やりやすい。
杜撰な連携。それでもある程度形になっているのは、モンスター相手に磨いたが故。だからそこをしっちゃかめっちゃかに掻き回せば、それだけでどうしようもできなくなる。
人間の強みである連携ができなくなるだけで、こんなにも無力になるのだ。
とはいえ個人でシオンより強い者――つまりLv.3の者もいる。
だが、それでもシオンを倒しきれない。技術的に劣っているのだ。
だから――
「はい、終わり」
受け止めていた短剣から一気に力を抜いて手放すと、勢いに乗って倒れ始める。だが本当に倒れる前に体に剣を突き刺せば、一瞬体をはね上げて倒れてしまった。
チラと周囲を見渡して、人の間に隠れて狙っていた狩人に、先程倒れた冒険者から奪った剣を投げると、慌てて逃げ出す。
攻撃が途切れて、シオンの周囲に空白ができる。
その様子を、シギルは苦々しく見つめていた。
「どうなってやがる? なんであんなに強いんだ――!?」
その疑問に答えてくれる当人は、敵だ。
だから、その答えなぞ、帰ってくるはずがない。それでも言わずにいられなかったのは、それだけシオンが異質だったからだ。
けれど、忘れてはならない。
――フィン達と比べるべくもない、か。
シオンはダンジョンに潜ってから、そして潜ってからもずっと、フィン達3人の英雄を前にして自らを鍛え続けた人間であると。
シオンは、ある程度戦闘スタイルを確立してからずっと、フィンと武器を交わし続けた。
モンスターなんて所詮力の塊だ。ある程度力量が上回れば、後は何とでもなる。中層になってから多少知性を見せるようになっても、それは変わらない。
だが、フィンは。あの【勇者】は、とんでもない知性と戦闘経験を有している。そんな相手と、勝てないまでも『死なない』程度にやり合うためには、必然的にシオンが対人戦に慣れていく事しか手段が無かった。
躊躇も甘さも全部余計なモノであると全身に叩き込まれて、育ったのだ。
今更人間を切り裂く事に、躊躇いなんて持ち合わせていない。
悪意だって――『あの時』に知った。
シオンが止まる理由なんて、一つとして無いのだ。
――三十分、か。
冷や汗か、純粋な汗か。荒い息を吐き出す彼等を前に、シオンは息を乱すどころか、汗一つ流していない顔を向ける。
「……化物か」
誰かがそう言うのが聞こえた。とはいえそれも仕方ない。シオンは既に三十分もの間、飛んで跳ねて腕を振るっている。疲労が見えてもおかしくないのに、その予兆が一切無い。
飛び出してきた2人の冒険者が、前後からシオンに迫る。息を合わせ、タイミング良く剣を振るいシオンの逃げる隙間を無くしてきた。
それにナイフをその場に放り投げて口で受け止め、フリーになった手で相手の武器の先端を掴むと、一気に横へ投げる。逸らされた剣がもう一本にぶち当たり、止まる。強制的に鍔迫り合いになった2人の動きが固まり、その反対に顔が歪んだ。
それから2人がどうなったか、なんて、言うまでも無いだろう。
倒れる2人から距離を取り、回復薬をかけさせるために離脱させてあげた。恐らく彼等は回復薬を飲んだあと、またシオンに向かってくるだろう。
シオンが敵に大怪我を負わせ、それを回復薬なんかで癒し、また戻り、戦う。
彼此三十分、そんな事の繰り返しだ。流石に飽きてくるが、相手には隠し玉が残っている可能性があった。油断はできない。
どうするか、とシオンは考える。
実のところ、シオンが疲れている様子が見えないのは、『タネも仕掛けもある』からだ。只人でしかないのだから当然だが。
相手にわからないよう、奥歯を少し動かす。
――あと、みっつ。
奥歯に仕込んだ、小さな小さな三個の丸薬。それがシオンの仕掛けたタネ。
ユリに頼んで作ってもらった、
本来瓶に入っているそれを、即座に服用できないかと相談した結果生まれた物であり、その検証としてこうして仕込んでいるのだが、まさかこんな形で使うことになるとは思わなかった。
「――ん?」
魔力の流れを感知してそちらを向くと、1人の魔道士が魔法を詠唱している。それを守るように数人が武器を構えていた。
通常の手段では勝てないからか。シオンとしても邪魔をするつもりはサラサラない。無理に止めに行けば、怪我をするのは自分の方だ。
かといって、食らってやる理由もない。
丸薬状態と言ったところで、所詮球体の内部に万能薬を注入してあるだけの代物だ。本来の効果には遠く及ばず、精々が小さな傷と多少の疲労回復効果しか持たないそれに、大怪我を治す事などできないのだから。
――まぁ、ハッタリには使えるから便利だけど。
三十分に一つ、つまり後九十分。戦闘開始からの三十分と、今さっき飲み込んで回復した体力で三十分。単純計算百五十分――つまり二時間半はぶっ続けの全力戦闘ができるのだから、かなりの物だろう。
なんて考えながら、あっさり魔法を回避する。真横で轟音を立て、煙を吹き出すので手をかざして膝立ちでいると、遠くから「やったか!?」なんて声が聞こえて苦笑い。
「――残念、当たってないよ」
煙の中から出て行くと、驚愕の顔が見えた。
――別に不思議な事じゃないんだけど。
多少空間ができたところで、それで遠慮なく撃てる理由にはならない。子供故に小柄なシオンを狙い撃つのは生半可な制御ではできないし、この狭い空間で攻撃範囲を固定するなど不可能だ。どう足掻いたって周囲に被害が出るかもしれない以上、手加減は必須。
そこに漬け込めば、回避なんて簡単にできる。
シオンは短剣を構えた。
前を見据え、周囲に警戒をし、後二時間以上続くだろう戦闘に耐えるため、集中しなおす。そうしてやるか、と小さく息を吐いて。
「――?」
誰かが近づいてくる――それを理解した。
反射的にそちらを振り向く。それに釣られてか、数人もそっちを見た。
「え、な……どうしてここに……!?」
シオンもよく知る、4人の姿。
先頭に見えた金色に、シオンの顔が苦渋に歪んだ。
――アイズ……そうか、風か!
シオンは、アイズの位置が大雑把にわかる。
その反対で、アイズはシオンの位置がわかる。
説明はできない、単なる事実。だがその事実は、シオンを焦らせた。
――マズい……マズいマズいマズいぞ!?
シオンと敵対していた彼等は、心中では恐れを抱き始めていた。そこに、彼等を追い詰めるような行動をすれば、爆発するかもしれないのに。
何よりマズいのは。
「シオンから――離れてッッ!!」
大剣を背負ったティオネが、普段とは違う、ありえない加速で接近してくる。そしてその進路に立って武器を構えていた男に、
「邪魔しないでよ!?」
その大剣を、振り下ろした。
そして、真っ赤な花が、咲き誇る。致命傷――そう判断するに十分な血液が巻き散らかされ、目の前にいたティオナに降りかかった。
「え――?」
そして、彼女は正気に戻る。
――ティオナは……人を、斬った事が、無い!!
そんな人間が取る行動は。そこまで考える前に、シオンは走った。手を伸ばして。
狼狽し、硬直するティオナ。
「うああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!??」
そんな彼女に、仲間が殺され錯乱した女の剣が吸い込まれて。
止める暇なんて無かった。見ている事しかできなかった。
アイズも、ベートも、ティオネも――シオンでさえ。
「あ、あれ……? これ、私、の……血――?」
呆然と、自らの胸を押さえるティオナが、血を噴き出しながら、倒れるのを――。
「ティオナアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッッッ!!?」
と、いうわけで構築してきたフラグ回収。ついでに新しくフラグ建築。
最後については何も言いません。というか言えません。次回を待って!
では解説。
冒険者との戦闘理由
流石に嫉妬とかだけでは弱いかなぁって事で、エイナとリリの時に作った憎悪によるしっぺ返しをフラグにして回収。
ちなみに兄とかは完全蛇足。ご都合主義が嫌なら同【ファミリア】所属と思えば。
ベートさんの理解度
シオンと接しすぎて一部ティオナ以上にシオンの思考を予想できるようになった件。でもまぁベートがいないとシオンってもう死んじゃってるから仕方ないよね。
シオンの対人戦闘の得意さ
ぶっちゃけフィン+リヴェリア+ガレスを相手にしてれば、むしろ得意にならないと死んじゃうレベル。
ちなみに本編には特に関係ないから書かなかったけど、本当のところ闇派閥対策でシオンに対人戦闘技術を叩き込んだのがフィンの真意。
原作8年以上前のこの時点だと、実は闇派閥が壊滅してないから、冒険者通しの殺し合いが洒落にならないレベルで存在している――という事です。
丸薬について
実は18層潜る前にユリエラとの会話を入れたのはこれを作成させるため。わざわざ回復薬取り出すなんて無駄な動作してられるか! という思考の元依頼した。
尚結果は、微妙だったという。まぁ本編見ればわかるよね!
ティオナが倒れる
前回シオンが作った『人を斬る』云々のフラグが原因。なんて茶化すけど、本当はここらで一旦――ゲフンゲフン。
次回は倒れたティオナ直後のお話。
タイトルはシンプルに『決壊』にしましょうか。お楽しみに!