英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

55 / 55
ある愛の女神の黄昏④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫君なだけあってリヴェリアは故郷で色々なものを学んだという。その内一つが杖術だ。きちんと指導を受け長い時間をかけて鍛錬を重ねた技術は、本職の前衛を前にしても目を見張るものがある。そこにレベル差があるのならば猶更だ。ほぼ前衛で占められるイシュタルの眷属のアマゾネスたちは、最もレベルが高い団長のフリュネでもレベル5である。

 

 レベルが1高ければ後衛職でも前衛を殴り殺せるのがレベル差というものだ。そこに技術が加わればどうなるのか考えるまでもない。

 

 アマゾネスと戦端を開いて以降、リヴェリアは一度も魔法を使っていない。迫りくるアマゾネスたちを杖のみで打ち倒し、今や彼女らは死屍累々である。倒れ伏すアマゾネスたちをつまらなそうに一瞥するとリヴェリアは杖を打ち鳴らし声を張り上げた。

 

「邪魔だてせぬなら通り抜けるまで。うちの兎は勝手に探させてもらうぞ」

「待ちな、まだ勝負は終わっちゃいないよ!」

 

 リヴェリアの言葉に、大型のヒキガエルのような風貌のアマゾネスが立ち上がる。オラリオにおいて現状最強のアマゾネスの一人であるイシュタル・ファミリア団長フリュネは、未だに起き上がらない仲間たちに向けて怒鳴り声をあげた。

 

「いつまで寝てんだい、さっさと起きな売女ども! ここは歓楽街! アマゾネスの縄張りだろうが! 男漁って生きてるアマゾネスが、ハイエルフに縄張りから男搔っ攫われるなんてあって良いとでも思ってんのかい!?」

 

 その発破がどれだけ効いたのか。ハイエルフであるリヴェリアには理解の及ばぬことであったが、それまで倒れて動かなかった者まで含めて、フリュネの言葉を聞いた全てのアマゾネスが立ち上がり武器を構えた。

 

「さあさ貧相なハイエルフのお姫さんよ、勝負はまだ終わっちゃいないよ! ここから男連れていくなら、あたしたち皆殺しにしていきな!」

 

 フリュネの啖呵にアマゾネスたちは雄たけびをあげる。オラリオ中に響けと言わんばかりの大声にリヴェリアに付き従うエルフたちは顔をしかめるが、リヴェリアは平素であれば顔を見ることもないアマゾネスたちの振る舞いに感じ入る所があった。

 

 そこにはいくらなんでも殺しはすまいという打算も確かにあったのだろうが、彼女らは彼女らなりに己とその環境に誇りを持っているのだということが見て取れた。腰を僅かに落とし、アマゾネスたちに向けて杖を構える。

 

「ならば私もいくらか敬意を持って相手をしよう。『九魔姫』の杖の冴え、試す覚悟の固まった者からかかってこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アマゾネスたちが突っ込んでは返り討ちにされ、しばらくしてから起き上がりまた突っ込んでは返り討ちにされる。そんな大乱闘ループが始まったエリアを、背の高い建物の屋根から眺めながら、フィンは深々とため息を吐いた。

 

 フィンは昔、ファミリアを発足したばかりの頃、リヴェリアの親友でもあるアイナがリヴェリアのことを『野蛮』と評していたことを思い出す。理性的に振舞おうとするのは、本質的な短気や短慮を隠すためのものであるというアイナの弁は、こういう状況を目の当たりにすると流石に親友と思える着眼点だと唸らざるを得ない。

 

 副団長として指揮も取れる。魔術も達者で知識も豊富で団員の受けも良い。団員に限らず大抵の冒険者はリヴェリアのそういう所ばかりを見て彼女のことをそういう存在だと思い込む所があるが、ハイエルフの王族であるにも関わらずお供一人を連れて冒険者になろうと決意し、実際に実行し成功させたというエピソードの方が、リヴェリア・リヨス・アールヴという存在をよく表現しているようにフィンは思うのだ。

 

 そんなリヴェリアの一面も、こういう時であれば頼もしいものである。アイナ・チュール以外には負けたことがないという杖術を披露する機会を得て大興奮の彼女は、歓楽街に何をしに来たのかさえ忘れつつある。リヴェリアを取り巻くエルフたちもリヴェリアの雄姿に歓声を送っている始末だ。

 

 つまり『神意』は達成されているということである。リヴェリアのチームの本来の役割は歓楽街の戦力の大部分を引き受け、そこに釘付けにすること。ロキからすればリヴェリア達が『女主の神娼殿』に到達し、ベルの戦いに水を差す方が困るのである。

 

 襲撃の報を受けてすっ飛んできたアマゾネスたちは、事実上、今動員できる最大の戦力だろう。歓楽街を根城にしているファミリアは他にもいるはずだが、ロキ・ファミリアの襲撃という事態に動く気配を見せていない。今出てこないのであれば大勢が決するまでは出てこないだろう。これもロキと、フィンの読みの通りである。

 

 ロキ・ファミリア単体でも達成できただろうが、今夜の件にはフレイヤ・ファミリアとヘルメス・ファミリアの協力も得ている。主要路の封鎖は既に終了した。地下はヘルメスが請け負っており、万が一そこを突破されても地下通路の出口には既にフレイヤ・ファミリアの冒険者たちが抑えていた。アリの子一匹逃がすつもりはないという布陣に、フィンの顔にも思わず苦笑が浮かぶ。

 

 ほとんどのことはフィンの読み通りに進んでいる。女神イシュタルは今夜、天に召されることだろう。後は我らがベル・クラネル。彼は今宵飛躍できるかどうかであるが、

 

「そこは君の腕次第。良い夜を、ベル・クラネル。今日は死力を尽くすには良い月だ」

 

 天には赤みがかった満月が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベル・クラネル。今オラリオで最も注目されている冒険者だ。年単位の時間をかけてようやく上げるレベルを冒険者になってまだ一年もしない内に二つも上げた傑物である。

 

 だが女神イシュタルとその眷属たちにとっては、オラリオのパワーバランスを崩したという事実の方が印象に残る。

 

 ロキとフレイヤが共同歩調を取ることになったのだ。ギルドから声明まで発表されており、共同でダンジョン攻略に挑むことも計画されているという。同郷出身という妙な連帯感こそあったが決してなれ合うということをしなかった二柱が、ベルからのお願いという実に直接的な方法で結束を強めたことにより、最強の二つのファミリアがぶっちぎりで最強の一つのチームになってしまった。

 

 イシュタルの計画では全てが上手くいった暁にはフレイヤ・ファミリアを出し抜けるというものだったが、それはフレイヤ・ファミリア単独での話である。同等の戦力を有していると目されるファミリアが更に一つ追加となれば、単純にイシュタル・ファミリアの方もその分戦力を上積みしなければならない。

 

 潜在的に、ロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリアに消えてほしいと思っている神はそれこそごまんといるだろうが、そのために危ない橋を渡っても良いと思っている神はそれこそ皆無と言って良い。このまま計画を続行したとしても、破滅することが目に見えている。いくら主神のイシュタルはフレイヤ憎しと心に炎を燃やしていても、勝てる見込みの薄い勝負に全財産を突っ込むほどの向こう見ずではないと眷属としては思いたい所だ。

 

 喧嘩っぱやいアマゾネスたちの間でも、流石に計画は見送りだろうという空気の蔓延していた所に、今回のロキ・ファミリアのカチコミは起きた。フレイヤ・ファミリアでさえなく、ロキ・ファミリアが襲い掛かってきたのだ。アマゾネスたちにとっては寝耳に水だろう。事前に知っていたアイシャでさえ、実際に歓楽街の端で爆音が響いた時には肝が冷えたものだ。

 

 これでイシュタルは破滅する。アイシャの注文通りの展開がここまでは続いていた。後は眼前の『白兎』をどう料理するかにかかっているのだが……彼の攻撃を受け流しながら、アイシャはベルの観察を続けていた。

 

 白髪赤目の人間。性別男。レベル3までのランクアップ最速記録を持つ新進気鋭の冒険者であり時の人。レベル4以降の到達記録も塗り替える見込みの現在最も注目される冒険者であり――強い雄を求める傾向にあるアマゾネスにとっても垂涎の存在だ。

 

 ベルが最速記録を塗り替えたことからも解るように、強い冒険者というのは基本的に少年少女ではない。冒険者の平均年齢が若いのはレベル1だけで、レベル2以上からはそれがぐんと上がる。冒険者の中でも『強い』と一目置かれる存在は決して若くはないというのが普通なのだが、ベルはその常識を大きく覆した存在である。

 

 そしてアマゾネスも惹かれる雄の判断基準が全て強さにある訳では決してない。そのウェイトが強さに大きく傾いているのも事実であるが、娼婦をしているアマゾネスにさえやれ猪人みたいなデカい男が良いとか小人みたいな小さい雄じゃないと濡れないだの、容姿の好悪は少なからず存在する。

 

 だが同様に普遍的な願望だってあるのだ。少年から大人へと羽ばたこうとする年齢の人間の少年を思うさまに蹂躙し己の色に染め上げるというのは、強者に成すすべもなく蹂躙され思うさまに犯されて子を孕むのと同様にアマゾネスの雌心をくすぐるのだ。

 

 その両方が素晴らしいバランスで同居しているのがベル・クラネルという存在である。ヘルメスにこの計画を持ちかけられた時は、何故彼が自分に声をかけたのか考えもせずこの機会が訪れることを天に感謝した。己の主神にさえ心からの感謝を捧げたこともない罰当たりなアマゾネスがだ。

 

 そんなベルの強さはまず本物だ。力量が才能に追いついていないのはひしひしと感じるが、それを補うための鍛錬を欠かしていないことが見て取れる。売りの速さを活かすために常に動き続ける体力も見上げたものだ。付かず離れず戦い機を見ては攻撃を繰り返しているというのにまだ息切れもしていない。

 

 また、戦いながらも思考を切っていない。格上に勝つのは難しいと理解しながらも、それを手持ちのカードでどうやって打倒するのか。基本、一対一でレベルが上の者に勝つのは不可能であると考える冒険者にしては珍しい、勝負度胸の据わった小僧だ。普通の冒険者ならばよほど差し迫った状況でもない限り逃げを打つ。

 

 それをしないだけでも普段のアイシャならば十分に合格点を出して美味しくいただいている所であるが、今はまさにアイシャにとっての差し迫った状況だ。兎を美味しくいただくことよりも優先しなければならないことがあった。

 

 ベルの左右の斬撃を防ぎながら、一度僅かに隙を作る。狙い通りにベルは即座にそれに気づき飛びついた。フェイントを混ぜ、ガードの開いた脇腹に左の小太刀を一閃。レベルが同じであればこれで致命傷だったろう。ましてベルが使っている武器は全てがヘファイストス・ブランドであり、左の小太刀についてはまさに神ヘファイストスが鍛ったと入れる一品だ。武器の性能としては申し分ないのだが――

 

 振りぬいたと思った小太刀が止まってしまったことでベルの動きが一瞬止まった。『果てしなき蒼』はアイシャの腹筋に受け止められ肉を僅かに裂いた所で止まっていた。回避行動に移る暇もあればこそ、

 

「非力なんだよお前は!」

 

 強烈な前蹴りを食らってベルは吹っ飛んだ。追撃を警戒したベルは強引に受け身を取りつつ即座に起き上がり、低い姿勢で二刀を構える。口の端から血が流れていた。あばらの一本でも折れたのだろう。胸に激痛が走っているが、激しい痛みの中でもパフォーマンスを低下させずに動くことはベルの得意技になりつつある。

 

 全身の骨を砕かれまくった甲斐もあったというものだ。心中でここにはいないリューに感謝しつつ、追撃はないと判断したベルは懐からいつもの芋茎を取り出し口に放り込む。

 

「早いだけで浅い突きたぁ『白兎』、あんた女舐めてんのかい!?」

「実力不足は今痛感している所です」

 

 レベルが上の冒険者に挑もうというのだ。実力で自分に勝るというのは理解していたつもりだったが、その差が1レベルならという思いも少なからずあった。僕も経験を積んだ。良い勝負くらいはできるかも……という考えが甘かったというのをあばらの痛みと共に身に刻む。

 

 レベル差は絶対なのだ。それを覆そうというのだから、実力に何か足す要素がなければ話にならない。その要素がベルにはある。

 

 そしてその要素は困ったことに『戦争遊戯』を経た今、オラリオの住民全てに知れ渡ることとなってしまった。

 

 魔剣『不滅ノ炎(フォイア・ルディア)』。現状世界で唯一確認されている再使用可能な魔剣である。その威力は折り紙付きであり、レベル1の差を覆してベルに勝利を齎した。知られているベルの手持ちのカードの中では最も強力なものであり、それ故に最も対策されやすいものである。

 

 常に所在を把握し、自分に向けて撃たせなければ良いだけの話なのだから、実力で勝る冒険者であれば対策は比較的容易である。今現在『不滅ノ炎』はベルの腰に差されており、未だ抜かれていない。ベルも何度か抜こうとはしているのだが、その度にアイシャの攻勢が強まるのである。

 

 仮に抜けたとしても、発動するまでの間に潰される可能性も否定できない。レベルで劣るベルが魔剣を発動させるためには、レベルで勝る相手にそのお膳立てをしなければならないのだ。冒険者が皆ランクアップに必死になる理由がよく解る。

 

 魔剣が発動できないのであれば勝利の見込みは薄い。自分の有利を理解しているアイシャはベルから視線を春姫に向けた。

 

「男の背中を見守るのだけが女の役目だとでも思ってんのかいダメ狐。一つ発破でもかけてやったらどうだい? お前が力の一つも貸しゃあ、『白兎』にも勝ち目が出てくるってもんだろうさ」

 

 そんな都合の良い方法が? と戦闘中故アイシャから視線を逸らさずにベルは意識を春姫に向けた。彼女の表情は見えないが、背後から春姫の息を飲む音が聞こえた。

 

「確かに私はダメ狐ですがそれでも女です。ベル様は背中で仰ってます。これは自分の戦いだから女は手を出すなと」

 

 それは聞き間違いじゃないかな……とは言えなかった。ソロで戦うことに魅力を感じているのは事実だが、皆で協力して強敵を打ち破るというのも悪いものではないとベルは思っている。

 

 急に手を出されたら思う所もあろうが、今この状況から何か魔法でも使って助けてくれるというのであれば、それで春姫を責めたりは絶対にしない。

 

 それをどうにか春姫に伝えてあげたいが、アイシャから視線が切れないし何より空気が読めていない気がする。そんなベルの心情を知らず、春姫は言葉を続けた。

 

「私にできることは、ただ無事なお帰りを祈ることだけです」

「祈っているだけでこいつが目の前で死んだらお前はどうするんだい?」

「ここから身を投げます」

 

 春姫の正気を疑ったベルはついに我慢できずにアイシャから視線を逸らした。べルの視線を受けた春姫は自分の言葉に嘘偽りはないと動じもしない。覚悟の決まった者特有の雰囲気に、ベルの方は気おされてしまう。

 

 ここで負ければ今日会ったばかりの女の子がここから飛び降りてしまう。冒険者と言えども無事では済むまいし、身を投げるといっているのだから例えそこで無事だったとしても別の手段を取る可能性がある。

 

 今日であったというのは春姫の側から見ても同じである。戦うのはベル本人なのだ。一蓮托生する意味はないというのがベルの考えであるが、春姫は自分の言葉に違和感を覚えてはいない様子である。

 

「娼婦が行きずりの男に命を賭けるって? まさか一目で『白兎』に惚れたとでも?」

「私は娼婦。ベル様にお買い上げいただいたこの身は、今はベル様のもの。命がけで戦うお二人を前に、どうやら()()()()()()()アイシャ様を差し置いてベル様の勝利をお祈りする以上、私も命を賭けねばつり合いが取れません」

 

 春姫から視線をアイシャに戻したベルは小さく息を吐いた。言うだけならば誰でもできる。勢いで言ったということもあろうだろうが、女性が故あらば死ぬなどと言った以上、ベル・クラネルはそれを防がねばならない。

 

 元より戦い始めた以上負けるつもりはない。強者を相手でも勝つつもりで戦っていたベルであるが、春姫の言葉で負けられない戦いが絶対に負けることのできない戦いとなった。

 

「あたし以外でおっ勃てたってのは気に食わないが、ヤる男の顔になったじゃないか。これで舐めた腰使いだったら承知しないよ『白兎』」

「全力全開での戦いを、お約束します!」

 

 アイシャを相手に啖呵を切ったベルは二刀を構えたまま腰を落とした。来る。決め手が来ると確信したアイシャが身構えると同時、

 

 

『我が 双脚は 時空を 超える』

 

 

 呪文が耳に聞こえた。『怪物祭』のエキシビジョンマッチで、シャクティ・ヴァルマに見せた技、と思い出したのは戦いが終わった後のこと。加速すると本能で判断したアイシャは己の感性に従って大剣を左側に突き立てる。瞬間、大剣に火花が散った。

 

 駆け抜けた。背後にいるはずの『白兎』目掛けて大剣を振りぬく――その過程で右の脇腹に鋭い痛みが走った。駆け抜けた『白兎』がもう戻ってきたのだ。想定よりも明らかに動きが早いが捕捉できないほどではない。

 

 レベルを考えたら何か魔法を使っているにしても常軌を逸した速度であるが、レベルが二つも違えばそれくらいの速度で走る冒険者は多くいる。今のベルの速度は精々、デカいヒキガエルを思わせる我らが団長殿たるフリュネと同等か、それより僅かに速い程度だ。

 

 売りが速さだけならば猶更問題はない。先ほど非力さを指摘したばかりであるが、右わき腹の傷は死角から斬ったにしては傷が浅い。速度がある分切れ味は鋭いが、腹筋で受け止めた時と比べて傷が僅かに深い程度だ。速度が増した反動か、力はむしろ下がっているように思える。

 

 あるいは単純に、速度を御するだけの力量がまだベルにはないのか。いずれにしても、つけ入る隙は大いにある。

 

 回転を維持したまま、大剣を振りぬく。後退したベルは左の小太刀を鞘に納め、弓の弦を引き絞るようにして、右の小太刀を引いていた。真っ赤な刀身が自分を見ている。そうアイシャが錯覚するのとほぼ同時、ベルは踏み込んだ。

 

(――速い!!)

 

 自分の想定よりも大分速いと瞬時に判断したアイシャは、大剣による防御を即座に諦めた。大剣から手を離し、小太刀の軌道に重ねるようにして左腕を突き出す。次の瞬間、真っ赤な刀身がアイシャの手の平を貫いていた。久方ぶりの激痛に戦意が更に高揚していくのを感じる。戦いの痛みだ。戦いはこうでなくては。

 

 一方、避けずに迎え撃つと思っていなかったベルは動きがアイシャの手のひらを貫いた己の小太刀を直視し、動きが遅れた。その間にアイシャは無事な方の拳を握りしめる。攻撃が来る。たかが一息の間、遅れて動き出そうとしたベルの足は、その場を動かなかった。

 

 ベルが動き出すタイミングに合わせて、ベルの足を踏みつけるようにして踏み込んだアイシャは愉快そうに口の端を挙げる。

 

「ケンカの仕方がなっちゃいないね!」

 

 とっさには動けぬベルの顎に拳を一閃。並の冒険者であれば顎を砕き意識を刈り取る痛恨の一撃だったが顎を跳ね上げられながらもベルの視線はしっかりとアイシャを見ていた。追撃が必要だ。それもそれだけで戦意を喪失するような強い一撃が必要だ。

 

 顎をかちあげられたことで、ベルの身体はフリーになる。そのまま加速――となるはずだったが、加速しようと踏ん張ったベルの身体はがくん、と力が抜ける。意識を保っただけで足には来ていたのだ。それだけ隙があれば十分である。

 

 アイシャは自分の手のひらを貫通した赤い小太刀を引き抜くと、ベルの肩に手を置き、一息で腹を突き刺した。

 

「ベル様!」

 

 春姫の声が庭園に響く。普通ならば勝利を確信するまさに痛恨の一撃であるが、アイシャは己が生み出した光景に強烈な違和感を覚えた。

 

 アイシャ・ベルカはレベル4の冒険者である。イシュタル・ファミリアの副団長として()()()仕事にも携わってきた。並みの冒険者よりはよほど対人戦闘の経験があると自負しているのだが、その経験がこの手ごたえは『軽い』と言っている。武器が業物であることを考慮しても、レベル3の冒険者に対してこの手ごたえはありえない。

 

 眼前の『白兎』は何か理解の及ばないことをしている。その結論に辿り着いたアイシャの耳にベルの文字通り血を吐くような声が届く。

 

 

『我が 意思は 天蓋を 超える』

 

 

 口の端から血を流したベルがにやりと笑う。弱々しい力で肩を掴まれるのと同時、アイシャは後退しようとする――が、先ほどの意趣返しとばかりに合わせて踏み込まれたベルの足がつま先を踏みつけた。

 

 後退は失敗する。その時点で、アイシャは勝負がついたことを確信した。いたずら小僧のように笑うベルに、アイシャも笑みを返す。

 

「ファイア――ボルトっ!!」

 

 爆炎に包まれ、アイシャは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、とベルが思った時には遅かった。覚えたばかりの己の魔法が炸裂し、アイシャが矢のように吹っ飛ぶのと同時に、ベルもまた同じくらいの速度で反対側に吹っ飛んだ。ヒュアキントスを相手に魔剣を使った時とは事情が異なる。両方立ったままの状態で相手が吹っ飛ぶ程の魔法が至近距離でぶっ放したのであれば、術者もまた同じ速度で吹っ飛ぶのが道理である。

 

 アイシャの背後には壁がある。ぶつかればそりゃあ止まるだろう。しかしベルの背後には何もない。『黄昏の館』の女子塔程ではないが、この庭園もそれなりの高さの場所にある。腐ってもレベル3の冒険者。この高さから落ちても死ぬということは……ないと思いたい所だ。

 

 勝負に勝ったのに高所から自由落下とは締まらないものである。後でからかわれること覚悟を固めると、軽い衝撃と共にベルの身体は柔らかなものに包まれた。

 

「春姫さん!」

 

 ベルの声に、春姫は応える余裕がない。吹っ飛んだベルを見てとっさに動いたのだろう。落下するベルを遮るように身体を差し込んだ。そこまでは良かったのだが、レベル4の冒険者をなすすべもなく吹っ飛ばすような爆発で吹っ飛ぶ人体を受け止められるほど、サンジョウノ・春姫というのは冒険者らしい冒険者ではなかった。

 

 多少速度は軽減されたものの、一人で落ちる予定が二人に増え事態はむしろ悪化した。死んでも守ると言いたげに自分を抱きしめてくる春姫のことは好きになりかけていたものの、ピンチであることは変わらない。

 

 地面に落ちるまでの間にせめて春姫だけは何とかしなければならないが、落ちるまでに自分の身体を下にするくらいしか思いつかない。そんな時、ベルにとって天の助けたる声が聞こえた。

 

「てめえの身くらいてめえで守れ間抜け」

「アレンさんっ!」

 

 落下するベルたちよりも速い速度で壁を駆け下りてきたアレンは、ベルと春姫を抱えると更に壁を蹴る。今落ちてきたばかりのコースを、今度は跳んでいる。中々体験できないことに密かに感動するベルを他所に、二人を元の庭園に放り投げたアレンは、質問されるよりも先に地を蹴り夕闇の中に消えた。

 

 アレンくらいの冒険者になれば、このくらいの高さは何てことないのだろう。もう見えない背中にそこはかとないときめきを覚えていたベルは、彼がまるで戦闘を最初から最後まで近くで見ていたとしか思えないようなタイミングで飛び出してきたことに、疑問を覚えることすらなかった。僕もいつかあんなかっこいい冒険者になるんだと決意を新たにしたベルは、ベルに全力で抱き着いたまま目を閉じている春姫に声をかける。

 

「春姫さん、春姫さん、もう大丈夫ですよ」

「……ベル様! お怪我は!? 大丈夫なのでございますか!?」

「僕にとっては一刺しされたくらいはまだまだ軽傷です。それより、装備箱からエリクサーを取ってきてもらえませんか? アイシャさんを助けないと」

「解りました!」

 

 機敏に動けるつもりで走り出した春姫は、その場で盛大に転んでしまった。ごろごろと、まさに転がるように駆ける春姫に苦笑を浮かべつつ、ベルはアイシャの容態を確かめるために歩き出した。遠目には、少なくとも呼吸をしているのが見て取れる。全身焦げているが、エリクサーが三本もあれば何とかなるだろう。

 

 遠くに爆音が聞こえた。歓楽街での戦闘はまだ続いているらしい。そう言えば僕は何故襲われたんだろうと歩きながら考える。こっそり娼館にやってきたという少年として後ろ暗い覚えがあるのは事実だが、それで会ったこともないアマゾネスのお姉さんに命を狙われる程とは思えない。当然アイシャが言っていたように誘拐もされていない。

 

 外の戦闘がどういう事情で始まったのかも全く知らないし想像もつかない。オラリオに来てから大変なことに巻き込まれることの多いが、ここまで蚊帳の外に置かれるのは初めてのことである。

 

 だが、まぁ、何とかなるのだろう。何しろ死闘を生き残ったのだ。無事に『本拠地』まで帰ったら改めて事情を知れば良い。まずは自分でこんがり焼いたアイシャを助ける所から始めなければ。走っていた時と同じように、転がるようにして戻ってきた春姫に、ベルは朗らかな笑みを向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。