東方物部録   作:COM7M

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サブタイネタバレは基本。




物部守屋

石上神宮(いそのかみじんぐう)、我が家と同じ奈良県北部にある神社だ。

毎月定期的にこの石上神宮に参拝に通っていたが、それもついに終わりがやって来た。無論我が物部を名乗る限りこれからも定期的にこの神社に通うだろうが、少なくとも毎月定期的に通うかは分からない。と言うのも、今日がまさに我が十になるまでの間我を守って下さった御神体である布都御魂剣の返上の日だからだ。我が家は毎月決められた日にここに来て布都御魂剣を一時的に返上し、刀身に宿る力を高める儀式をしていたのだが、それも今日が最後というわけだ。

 

辺りには仰々しい格好をした男や女が並んでおり、知らなければ呪術に聞こえるだろう謎の言葉を皆一様にブツブツと呟きながら、楽器を鳴らしている。

てっきりいつも通り我等一家だけでやるものかと思っていたが今回は随分と大規模なものになり、分家の者達の多くが集まっていた。遠くの地からはるばるここまでやって来られる者もおったので非常に申し訳なかったが、母上曰く、偶には分家が一斉に集まるのもいいので気にするなとのこと。確かにこの時代から日本人は己が足で遠い地まで歩くことに慣れている様だが、気にするなと言うのは無理がある。

 

さて、感謝と申し訳なさから分家の者一人一人に頭を下げたい心境にある我だが、今何故か巫女装束を身に着け、周りに無数の男女を束ねながら参道を歩いていた。そう、今回の儀式の主役は我。我の為に分社を建ててまで布都御魂剣を移動させたのだから我の手で返すのが礼儀との事なので、こうやって分家の者たちの視線の中を歩いていた。正直に言うなら、確かにこの剣の力には魅了されたが、加護を感じたことはただの一度も無い。それは我の信仰が足りんかったからか、あるいはこの剣の加護は目に見えるものではないのか。何にせよ、我がそれを言ってしまえば分家の者達にもこの布都御魂剣にも失礼である為、心の中の引き出しに仕舞い込むことにした。神子様の前ではこの引き出しが開いてしまうかもしれんが。

 

毎月この神社に来る度に思っていたが、堅苦しい儀式は嫌いだ。前世も後ろに式が付く集会は嫌いだったが、この時代の儀式に比べると楽なものであった。姿勢や表情歩き方から声の抑揚、他にも沢山あるが言い切れないほどに決まり事が多すぎる。儀式の練習のおかげで最近体も鈍っており、かれこれ一週間以上は剣も弓も手にしていない。かと言って本家の娘であり主役の我が失敗するのは許されんので、下手に手を抜いて練習するわけにもいかん。結果一週間以上の間ほぼ一日中ぶっ続けで今日の練習をしていたが、それも今日で終わりだ。

一度拝殿…本殿の手前にある参拝用の施設で止まると、練習通りの小難しい言葉を長々と告げ、何百回も繰り返した動きをする。この容姿に助けられたのか、それとも練習の成果が表れたのか、周りからヒソヒソと聞こえる観客の声からするに中々良い出来らしい。まあ我は美少女だから当然巫女装束も似合うだろうし、様になって同然じゃ。

拝殿での儀式が終わると、ようやく本殿への移動になる。布都御魂剣を無事に神社に返上できたのはそれから一時間後の事だった。

 

長い儀式が終わり、堅苦しい巫女装束からいつもの服へと着替えると、うーんと思いっきり背伸びをする。幻想郷で暴れ回っている博麗霊夢や東風谷早苗の影響かそのように感じられんが、巫女装束はかなり丁寧に扱わんといかん面倒くさい代物だった。脱ぎ捨てるな、脱衣後にすぐに畳むな、跨ぐなと、とてもではないが博麗霊夢が守りそうにない三原則が重視されていた。可愛らしい衣装だからコスプレ感覚に着るのは好きじゃが、一々決まり事を守らないといけないのなら今後着ようとは思わぬ。

いつも世話をしてくれておる召使の女が、お疲れ様ですと我の肩をトントンと叩く。ここ一週間と今日の儀式の疲れが肩に溜まっていたのか、肩が叩かれる度に気の抜けた声が口から出る。

 

「ふぁ~あ、疲れたぞい。儀式にもじゃが、予想以上に人が多くて疲れてしもうた」

 

「何しろ天下の物部氏ですから、多いのは当然ですよ」

 

「うむ、そうじゃな」

 

天下の物部氏。将来安泰の日本最大の勢力、その頂点の娘が我というのを今日来た分家の者の数を見て改めて気づかされた。

今我は着替えの為に境内のとある一室にいるが、外はガヤガヤとしていて祭りのように騒がしい。聞こえてくる話題は我や金や政治の事と、いかにも豪族らしい話題である。

もう暫くの間この個室でのんびりとマッサージを受けておきたいが、主役の我がずっとここで休んでいる訳にもいかぬ。一息吐いたところで召使に髪が跳ねていないか確認してもらい、いつもの美少女だと太鼓判を押してもらったので部屋を出る。

境内では一定人数が一つのグループを作って立ちながら話し合っており、それはさながら西洋のパーティーと言うべきか。儀式はとことん礼儀正しくしなければならないのに、今のように境内で騒ぐのはよいらしい。物部氏の娘として生まれて早十年、未だこの時代の者達の宗教感覚は分からん。まあ現代の神社も祭祀の時はきっちりと、祭りの時は賑やかになる。時と場合を弁えれば神様も心広く受け入れてくれるのであろう。

 

「おお、布都よ、こっちに来い」

 

右からも左からもワイワイと話し声が聞こえてくる中、雑音に邪魔されない真っ直ぐに通る父上の声が聞こえた。父上の姿はすぐに確認でき、了解したと小さく手を振って合図して人込みを掻き分け…と言うより人込みが避けてくれたので、すぐに父上の元までたどり着くことができた。

父上の隣には母上、そして見覚えのある中年の男性と我より6つ以上離れている青年がおった。中年の男性には見覚えがあり、確か父上の弟の麻佐良(まさら)殿だったはず。隣の青年は麻佐良殿の息子だろうか。麻佐良殿はニコニコとわざとらしい愛想笑いをしておったが、青年の方は礼儀知らずなのか、それとも堂々とした男子と言うべきか表情が硬い。果たしてどちらかと観察していると、我が近づいてきた時に軽く頭を下げた。少なくとも礼儀知らずではないようなので、少しホッとした。

 

「布都よ、儂の弟の麻佐良だ。初めて会ったのはまだ赤ん坊の頃だから覚えておらんかもしれんが」

 

これでも我は赤ん坊の頃から自我がありますから覚えておりますぞ。

どうでよい所に反応して内心でドヤ顔を作っていると、麻佐良殿がペコリとお辞儀する。今までも分家の者達には会ったことがあるが、例え親戚の関係であろうとも本家の我の方が偉いようだ。流石に名に様を付けたりはしないが、現代に比べると明らかな上下関係が見られる。

 

「久しぶりです、物部麻佐良と申します。そしてこちらが息子の物部守屋です」

 

「……え?」

 

全く予想していなかった名が耳に入り胸が衝き、疑問符をつけた一言しか声にならなかった。

今、この堂々とした青年が物部守屋だと申したのか?そんな馬鹿な事はある訳かろう。ある訳がない。さほど歴史に詳しくない我でも物部守屋が本家の男子で、物部氏が滅ぶ戦争を起こした戦犯なのは知っておる。本家である我が家には男子はいない、子は我一人だ。

何故父上も母上も何も言わないのです。この者が守屋な筈は――

 

「お初にお目にかかります、物部守屋です」

 

随分と端的に、アッサリと言ってくれるものだ。父上も母上も、麻佐良殿もこの青年の名前に対して何も言って来ない。

なるほど…どんなに我が否定しようとも、こいつは物部氏を率いて蘇我氏と戦い負けた廃仏思想の男、物部守屋なのであろう。いや、それはあくまで史実での話。この者が実際に我の知る物部守屋とは限らんし、さほど警戒する必要も無いのか?いや、この青年の纏う雰囲気はそこ等の豪族のとは訳が違う。この堂々とした立ち振る舞いに、まるで背中に獣が憑いている威圧感は将来大きな戦を起こすと言われれば納得してしまう。

 

「あっ、えっと。初めまして、物部布都でございまする」

 

「守屋。布都を怖がらせてどうする」

 

「むっ?怖がらせたのなら面目ない。昔からこのような顔でして」

 

麻佐良殿に言われ、青年は下した両手で拳を作り小さく頭を下げた。それまで気にしなかったが、よくよく見ると守屋殿の顔は熊と間違われてもおかしくない強面だった。肌の艶からまだ若々しさが見えるが、髭を生やせば一気に老けて見えるだろう。

 

「こちらこそ失礼じゃった。ただ守屋殿の顔ではなく、雰囲気に押されて少々驚いておったのだ」

 

「雰囲気ですか?」

 

麻佐良殿も父上も母上もキョトンとした表情で守屋殿を眺める。三人からすれば彼はただの強面の青年なのだろう。だが守屋殿は心当たりがあるのか、小さく笑みを浮かべる。微笑むとますます怖い。神子様の微笑みはあそこまで美しいものなのだが…やはり顔の良し悪しは大事なのだな。いや、気品があり可憐で美人で、でもどこか中世的な顔立ちの容姿端麗の神子様を基準にしては、誰であろうとも見劣りしてしまう。神子様を引き出すのはよくないか。

守屋殿の威厳の為に付け加えて置くが、守屋殿の微笑みは怖いが不愉快な感じはせん。

 

「布都嬢は武術の心得があるとのこと。拙者もよく狩りに出ており多少なりとも武術の心得があるので、何か我等にしか感じられないものがあるのかもしれません」

 

「なるほど!狩りか~!よいな~、羨ましいな~、我もやりたいな~」

 

狩りと聞いた途端、我の興味は物部守屋にではなく狩りへと変わった。我ながら現金な奴だと思う。

未だに狩りを許してくれん父上と母上をチラチラと露骨に見ながら、わざとらしく声を伸ばした。すると父上は口を開けて笑い、母上は深く溜息を吐く。

 

「あからさまに強請るんじゃありません。はしたないですよ」

 

「よいではないか、布都ももう十だ。守屋よ、お前さえよければ布都に狩りを教えてやってくれんか?」

 

母上は慌てて反論するも、麻佐良殿もそれはよいと笑みを浮かべて父上と一緒に笑う。守屋殿も迷惑ではないのか、拙者でよいのならと前向きに返してくれた。既に母上の周りには味方が居らず、極めつけはキラキラと目を光らせて見つめてくる我。もはや八方ふさがりの母上は白旗を揚げ、無茶をしないのを条件に狩りを許してくれた。

 

「おお!なら早速弓と剣を用意しましょうぞ」

 

もはや今回の儀式の主役など知ったことではない。狩りをやれるのならそっちの方が大事に決まっておる。

 

「それなら拙者が。おや、布都嬢は何処へ?」

 

「もう既に取りに行ったぞ」

 

 

 

 

万が一賊が襲ってきた時にと持ってきた剣を腰に差し、弓を左手に持ち、矢筒を腰に掛ければ準備万端。我と同じ装備に加え、もう一本短刀と捕らえた獲物を運ぶ網を持って守屋殿は現れた。周りにいた何人かの分家の者達が一緒に付いていくと言ったが、集団で回ると獲物に気付かれると守屋殿が一蹴りし、二人で狩りをすることになった。もし大物を捕らえたとしたら二人では持ち運びできないだろうから、ある程度の人数を仕えさせてもよいのではと守屋殿に提案したが、獲物に逃げられてしまったら元も子もないとのこと。どうやら少数人数で狩りをするのが好きらしい。

我等が向かったのは神社のある場所から更に少し上った、斜面が急な木々が生い茂る場所だった。とてもではないが真っ直ぐに歩くことができず一歩一歩足元を気にしなければならない。いくら動物が四足歩行でも、こんな急斜面を移動できるのだろうか。守屋殿を疑っている訳ではないのだが、思わずそんな疑問が口から出てしまった。

 

「誠、このような場に獲物がおるのか?」

 

「…これを」

 

守屋殿は今歩いている道から少し逸れた場所で屈みこむと、地面をポンと一回叩いた。どれどれと守屋殿が叩いた場所を覗き込むがこれと言ったものが落ちている訳でもなく、獣の足跡もない。守屋殿には何が見えているのかと問おうとした時、ふと気が付いた。名前を掛けたダジャレではないぞ。心の中で寒い突っ込みを入れながら少し視界を広くしてじっくりと見ていると、守屋殿が屈んでいる場所が草木の生茂る他の場所に比べ、まるで草木が避けるようにして一本の小さい道が作られている事に気付いた。

 

「そうか、獣道。話には聞いていたがこんなにも分かりにくいものとは」

 

「すぐに気づいた布都嬢は中々のもんだ…失礼。ものです」

 

「気にせずともよい。年下の我がこんな口調なのじゃ。守屋殿も父上や麻差良殿が居らん時くらいは素でよいぞ」

 

「かたじけない。どうも堅苦しい口調は苦手なもんでな」

 

その口調の方が堅苦しく聞こえるがの~。年不相応の親父臭い話し方だな。本人が楽ならそっちでよいが、歴史を動かした人物なだけあってまた濃いキャラじゃのう。それに対し我の様に普通の性格の者は歴史を動かすには合わんのかもしれん。

 

「この獣道を追って行けばよいのか?」

 

「ああ。だが相手も生き物、どんな状況でも絶対は無い事は覚えておくのだ」

 

「あい分かった」

 

それから進路を変え、我等は獣道を辿る。獣道とは上手く言ったもので、まさに獣の為の道。文明を築いた賢い人間様が歩くには足場がかなり不安定である。守屋殿は何度か我の安全確認の為か後ろを振り返っておったが、素人の子供にしては安定して歩けているのか次第に振り返る事がなくなった。

ガサガサと草を掻き分ける音が木霊する林の中で、男らしい低い声が響いた。

 

「布都嬢は蘇我氏をどう思っている?」

 

「…唐突な質問じゃな」

 

今の質問で頭ではなく、肌で実感できた。やはりこいつは紛うこと無き我の知識にある物部守屋だ。背中越しからでも守屋殿の纏う雰囲気が、どこか野蛮なものに変化したのが分かったのだ。

どう言ったものか。

 

「そうだな…敵に回したくない一族と言ったところか」

 

「何故だ?あいつらは仏教を広めまわっている連中だぞ」

 

「だが未だ神道が強いのは事実。我等物部氏が力を持っている限り、大王とて下手に仏教を布教することはできん。ならばこのままの状態を維持する事が吉と見る」

 

これは本心だった。実際に下手に事を荒立たなければ、蘇我氏に比べ武器の生産性が遥かに高い物部氏は更に力を付ける事ができる。おそらく所有している土地も物部氏の方が大きいであろう。じっくりと焦らずに力を蓄え続け、向こうが攻めて来たら大きな反撃の手を加える。守りの姿勢、これこそが最も単純で安定した策と言えよう。策と言うには私情が強いかもしれんが、客観的に見ても守りの姿勢は悪くないのだ。蘇我氏のトップ、馬子殿の妻は物部鎌足姫大刀自(かまたりひめのおおとじ)で元は物部氏の者だ。彼女と彼女を受け入れてくれた馬子殿のおかげで、現に今の物部氏と蘇我氏の関係は悪くない。

だがずっと守りの姿勢を崩さないのが困難である事は分かっている。そもそも国のトップが二つの宗教に別れている時点で大なり小なり争い事が起こる。今は比較的落ち着いているものの、それは火薬庫のように繊細で危険なもので、ほんの僅かな火花が立とうものならたちまち爆発してしまう。我は何とか火薬庫から火薬を取り除く、あるいは湿気させて火薬を駄目にしたいのだが、果たして我の口でこの男を爆発させずに済むだろうか。そもそもこの男は本当に火薬なのか、もし火薬だとしたらどれくらいの規模のものなのか分からない。だから待つ、守屋殿の返事を。

 

「物部氏の天才児もその程度か」

 

返ってきたのは呆れとも怒りとも取れるもの。少なくとも好意的なものではない。

 

「…おぬし、今すぐ蘇我氏と戦となっても戦える奴じゃな。やはり蘇我氏が仏教を広めているからか?」

 

「そうだ、それ以外に何があるのだ。この日の本を収めていた神道、素晴らしき教えを邪魔立てする異教徒が蘇我氏だ」

 

この手の輩は今までにも何度か会って来た。その誰にも言える事だが、例え神子様の話術をしても彼らの意志を変える事はほぼ不可能と言ってもよい。自らの信じる宗教が正しいと思う絶対的思想が彼等にはある。

 

「だがどうする。おぬしの家では集まる人員も限られておる。我が両親が戦をすると言わん限り、物部は一致団結せん。されば蘇我に勝てぬだろう。付け加えるが、我から両親に戦をしてくれと説得はせんぞ。おぬしとは同じ神道を信仰しているが、異教徒だからと蘇我と戦うつもりはない」

 

「そうか…残念だ。もし拙者がもっと権力を持っているのなら戦ったのだが…。布都嬢が穏健派なのは、やはり豊聡耳様が関係するのか?」

 

「は?何故ここで神子様の名が上がる。確かに神子様は蘇我の者だが」

 

「知らないのか?布都嬢と皇子の仲は豪族問わず庶民にも有名だぞ。拙者はお会いしたことが無いが大層な美男子なのだろう。布都嬢と皇子が並ぶ姿はまさに美そのものだと、世事に疎い拙者の耳にも届いておる」

 

途端に頬が熱くなるのが分かる。分かり切っていた事だがやはり神子様との関係は噂になっておったか。しかも庶民の間にまで。

ええい、何故あの方は居らぬ時も我をからかう様に、我を色恋の世界に引きずり込もうとするのだ。

 

「あのなぁ、信じるか信じないかはそなた次第だが、我と神子様はそのような関係では無い。いずれ神子様とどうなるかは分からんが。ただ神子様が美男子なのは噂通りだ。あのお方の美しさと凛々しさには誰も敵わん」

 

「女心とはよく分からん。女は美男子が好きではないのか?」

 

「何を言っとる、当たり前ではないか。男も美女の方が好きであろう?ただいくら見た目がよくも中身や地位が大事と言う訳だ。付け加えるが神子様は中身もとても良い方だ。穏やかで優しくて聡明であられる」

 

「ますます分からん。大王の息子、美男子で聡明で中身もよい。これ以上何を求めている?」

 

求めているのぅ…。そりゃあ強いて言うなれば前世の我にあったものを求めているのか。誠、本当の男子であればあれ程よい結婚相手は居らんのだが…まあ神子様の性別がどっちであろうとも神子様の魅力は変わらないが。

さて、冗談はこれくらいにして真面目に答えるとすれば、神子様との結婚を渋る一番の理由は神子様の権力でも足りんことだろうか。もし物部と蘇我の仲が険悪になった時に、我の結婚は政治的影響を与える事ができる。これこそ未だ子供の我でも使える大きな武器。その武器を最大限に使える相手こそ、蘇我氏の中で最も権力を持っている蘇我馬子だ。神子様と結婚しても、表面上はともかく、心の底から蘇我と物部は仲良くなりましょうとはならぬだろう。大王とて物部か蘇我の息のかかった者だ。

 

「乙女には色々あるのだ。ただ過激派(おぬし達)が何もしなければ神子様と結婚するかもしれんな」

 

「…同じ物部氏だが我々の道は違うようだ。我等の関係性は父達のを引き継いだらしい」

 

物部尾興の弟の麻佐良。本家と非常に近い関係でありながら、何故我が麻佐良殿の息子の守屋殿と今日が初対面なのか、そして今まで彼の話の効かなかったのか。答えは単純、我が父尾興は我と同じようになるべくなら戦を避けたいと思っている穏健派。対して麻佐良殿はさっきまでの雰囲気からは想像もできぬが、かなり強い廃仏派の思想を持って居る過激派らしい。この事はつい先日父上に聞かされた話故、細かい事はよく知らぬのだが、父上と麻佐良殿は思想の違いからかなり仲が悪い様だ。

流石に他の分家の者達が大勢いる今日は上辺だけでも仲良くしていたみたいだが、一度政治の話になったらたちまち討論になってしまうと母上は呆れていた。

我と守屋殿の関係も父上と麻佐良殿と同じだった。同じ神道を信仰しながらも、穏健派と過激派の正反対の位置に属している。

 

「左様じゃな…。しかし我は個人的にはおぬしの事は好いておるぞ、そこは父上と違う」

 

「拙者は…そうだな。拙者も布都嬢の事は気に入った、感心したと言うべきか。僅か十でありながらここまでの思想を持っているとは…。むっ?いたぞ布都嬢、獲物だ」

 

「おっ?」

 

守屋殿は端的に話を折ると、腰を低く下ろして茂みに体を隠す。我もそれに続いて膝を軽く曲げて茂みに身を隠しておそるおそると覗き込むと、川に顔を突っ込んでいる茶色い毛並みの四足歩行の生物の後ろ姿が見えた。

互いに思想の話は一時中断。今は目先の獲物に集中する。

 

「猪か…。結構大きいではないか。もっと小さいものと思っておったが」

 

遠目からで正確な大きさは分からぬが、150㎝はあるのではないだろうか。二足歩行で立ったとしたら我より高いのは間違いない。

 

「あいつはかなりの大物だ。危ないから下がっておれ」

 

「なにおぅ。我とて武術の心得はある。素人がおぬしの前に出ろうとは思わぬが、見ているだけはまっぴらごめんだ。我の矢で射止めてやる」

 

守屋殿は一瞬戸惑ったように我の方を見たが、既に矢をつがえている我の姿に押されたのか分かったと小さく頷いた。守屋殿は中腰になりながら音をたてないように歩いて猪に近づく。だがどんなに静かに移動しようとも相手は人間よりも遥かに優れた耳を持っている獣。こちらの気配に気が付いたのか水を飲むのを止め、牙をカチカチと鳴らしながら我等がいる方へと向く。

守屋殿は我へコクンと頷くと、勢いよく飛び出してつがえた矢を猪目掛けて放った。震える弦の力によって発射された矢は猪の胴体へと突き刺さり、生々しい獣の悲鳴が響く。守屋殿は新たにもう一本の矢を取り出そうとするが、猪とて生きる為には戦わなければならなぬ。守屋殿が矢を取り出すより先に、攻撃してきた男へと突進する。

突進は想像よりも遥かに速く、また野生の殺意が込められており思わず気圧されてしまう。

 

「布都嬢!」

 

守屋殿の掛け声でハッと我に返り、すぐさま茂みから体を出して弦を引く。まだ守屋殿と突進する猪の間には一回深呼吸ができる程の距離があったので、慌てずに心を落ち着かせる。猪の覇気で乱されていた精神を素早く落ち着かせると、目一杯引いた弦を開放する。弦の震える音と共に人の目では到底追う事の出来ない速度で飛ぶ矢は猪の顔へ深々と刺さった。

予想もできない方角からの射撃に猪は先程よりも大きな悲鳴を上げ、足を踏み外して地面に転げ落ちる。

 

「ッ…」

 

今まで狩りを豪族の趣味の一つくらいにしか考えていなかったが、己の放つ武器により生命が悲鳴を上げた瞬間、これがいかに残酷な行為なのか理解した。猪は農民の努力の結晶である畑を荒し、山仕事する人間を襲う害獣だ。だから我は今人に害を与える存在を倒したと言えば、皆褒めてくれるだろう。だがどんなに綺麗に装うとも、生命を殺す為に作られた武器を使って生命を攻撃したのは事実だ。

 

「布都嬢。まだ生きてるが…どうする?」

 

守屋殿はこう言っているのだ。お前の手で殺すか、それとも自分が殺してやろうかと。

守屋殿の冷たい顔を見てゾクッと背筋が震え、小さく一歩後ずさる。これが彼に対する答えとなってしまい、守屋殿は二本の矢が突き刺さり苦しそうに呼吸を乱し、弱弱しい声で鳴く猪へと近づく。

 

「ッ…ま、待て!」

 

「どうした?」

 

「わっ、我がやる。こやつに、致命傷を与えたのは我だ。だから我が責任を持ってこやつを送る。なるべく苦しまずに逝かせるところを教えてくれ」

 

「ああ、分かった」

 

守屋殿は静かに頷き、苦しんでいる猪の一部を指す。我は震える右手を左手で抑えながら、柄へと触れる。カチカチと金属がぶつかり合う音を鳴らしながら剣を引き抜くと、剣を逆さにして剣先を猪の方へ向ける。

 

「すまん。安らかに眠ってくれ」

 

ズシャッと肉を切り裂く音と共に、生々しい肉の感触が剣を伝って手に染み込んでくる。吐き気とまではいかないが、一気に全身を疲労感が襲い込み、ヘナヘナと力なく地面に座り込む。目の前には未だ突き刺さっている剣があり、剣が生み出した傷からダラダラと血が溢れ出している光景があった。

 

「命を奪った動物に対し、感謝を忘れない事がもっとも大切だと狩りの師匠は言っていた。布都嬢は既にその気持ちを持っている。もし今後も狩りを続けるのならその気持ちを忘れるな」

 

「ああ、胆に銘じておく…」

 

励ましてくれているのだろう。弱弱しく返事した我は、しばらくの間黄泉の国へ旅立った猪の姿を見つめていた。

 

それから我は一度神社へと下山して人を呼びに行った。大きな猪を狩ったと報告したのだ。父上や母上はよくやったと褒めてくれ、周りの者たちも拍手してくれた。無論我一人の手柄では無い事は一番初めてに伝えたので、麻佐良殿も喜ばしい表情である。

数人の召使を連れ、剥ぎ取り作業をやってくれている守屋殿の元まで戻る。守屋殿は、我は来なくてもいいと言ってくれていたが、猪の最後の姿を見るのが我の役目だと思い戻ってきたのだ。

既に半分の剥ぎ取りは終わっていたのか、守屋殿は血塗られた赤い物で囲まれている。それを見、連れて来た召使の何人かが気持ち悪そうに口を押えた。その心境は我も一緒だが、最後まで付き合うのが殺した猪に対する礼だ。

 

「手伝うぞ、守屋殿」

 

「助かる布都嬢」

 

隣に座った我に、守屋殿はぶっきら棒にだが丁寧に剥ぎ取りについて教えてくれた。教えられた通りの作業をする中、我はチラリと黙々と作業をする守屋殿の背中を見つめる。

こやつはいったいこれから何をするのか。どう我に、物部に、蘇我に影響を与えるのか。分からない、分からないのが怖い。だが先が分からないのが普通なのだ。元より歴史通りに事を進めようとする気はない、原作通りに物部氏を滅ぼす気もない。先が見えないから何だというのだ。どんな未来が待っていようとも我は物部を守り、最も敬愛する神子様の下で剣を振り、弓を穿つだけだ。

 

「守屋殿、感謝する。おかげで改めて色々と気づかされた」

 

「?それも複雑な乙女にしか分からん事なのか?」

 

もし神子様だったら穏やかな笑みを浮かべ手を握りながら、気づかぬ間でも布都に何かをしてあげられたのならよかったと、心ときめく言葉を口にしてくれるだろうが、守屋殿は猪の亡骸から目を背けることなく不愛想な口調で返してきた。

元より神子様の様な模範解答を期待してなかったし、守屋殿の顔で手を握られても恐怖しか覚えんだろうが、もう少しマシな返事は無かったのだろうか。

 

「…おぬし、少しは女心について学んだ方がよいぞ」

 

「ど、努力致す」

 




実際に布都が儀式を行えるのか、本家と分家の上下関係の違いとか分からないので、もうこういうことにしておいてください(白目)
歴史学者じゃないので当時の細かい宗教概念や思想は分かりません。もし実際に布都が儀式をできなくとも改善する気はないです。


実は最初守屋は典型的な不良タイプの嫌な奴にして、公然の場で布都が倒す話にしていました。ですがびっくりするほど面白くなくて、硬派キャラに変更したら指が進みました。
不良成敗系は気持ちよくて好きなのですが、私では満足に書けないようです。


ところで布都ちゃん。その脱ぎ掛けの巫女服を是非私に……。


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