息せき切って、目指すのはあの場所。
怖い。だが行くしかない。
最悪の想像が頭をよぎる。
・・・・・頼むぜ。
・・・・・文芸部の部室のドアを恐る恐る開ける。
・・・いてくれたか・・・。
パイプ椅子に座って本を読んでいた男子生徒が立ち上がる。眼鏡をかけているようだ。
教えてくれ。お前は俺を知っているか?
「鏡の向こう側の君ならば―――」
「―――知っているけれど」
違う、そうじゃない。俺が聞きたいのは――
「メール」
風もないのに男子生徒の薄紫の髪が揺れる。
「メールを思い出して」
なんのことか分からないんだ!
「・・・鏡の国の彼女によろしく」
お前は一体、何を言っているんだ――
世界が暗転し、本能的にがばっと起き上がった。
「!?」
見慣れた俺の部屋だ。間違いない。
「夢か・・・」
意味不明な夢を見ていた・・・のかどうなのかさえ分からない。
携帯を開いてぼんやり時刻を確認する・・・。
「・・・・・まずい遅刻だっ!」
一気に目が覚め、俺は制服を慌てて引っ掴んだ。いつも起こしてくれるキョン子がいない。昨日の仕返しに違いない!やられた・・・!あの野郎!
朝飯も食べている暇もないぐらい、時間はやばかった。俺は食卓に置いてあった弁当の入った巾着をひっつかむと、家を飛び出した。
間に合ったのが奇跡だ。
「間に合ったのが奇跡だ」
声に出してもう一度。国木田が寄ってくる。
「ぎりぎりだねー、キョン。妹さんに起こしてもらえなかったの?」
きっとキョン子の仕業だ。しかしなんだって言うんだ、奴がいないぞ。
「奴ってだれ?」
「え、そりゃ・・・」
俺の後ろの席の、我らが団長様じゃねえか、と。
途中まで言いかけて俺は絶句した。なんとハルヒまでも学校に来ていなかったからだった。風邪か?んな馬鹿な。またなにか企んでるんじゃないだろうな。
始業のベルが鳴った。国木田は自分の席に帰り、俺は毎度おなじみの席に座る。誰かさんがいないからなのか、妙に背中がすーすーするぜ。それにしてもキョン子はどこに行きやがった?早く席に着け、恨み節をえんえんと聞かせてやるから。
しかし。
「!?」
俺の隣のキョン子の席に、別の女子生徒が座った。
「・・・・な、なあ、お前、席間違えてないか?」
その女子生徒は不思議そうに俺を見つめ、首を横に振った。
「なんで自分の席を間違えるわけ?」
「一体いつの間に席替えしたんだ?」
「?席替えなんてしてないけど。春にしたきりじゃない」
女子生徒は少し呆れたように俺に言った。
「・・・・は?」
じゃあキョン子はどこに行った?
教室を見渡す。生徒はすでに全員が着席しており、教師の到着を待つばかりとなっていた。
「・・・・!」
真っ先に俺の頭に浮かんだのは、「キョン子は自分の世界に帰ったのか?」ということだった。
あいつの存在そのものが消失している。
やはり帰ったのだろうか?いや、それしか考えられない。
だけどなぜ、急に・・・?
教師が来て数学の授業が始まる。
しかしまあ、良かったんじゃないか?とにかく帰ることができて。
授業を聞き流しながら、俺はそう結論付けた。あいつが帰ることができたんだから、あいつの世界の凍結も解除されたに違いない。これにて一件落着、だ。な?な?
唐突ではあったがな。後で長門にでもくわしく聞いてみるか。
昼休みになった。ハルヒはどうやらマジで欠席のようだ。
「お休みみたいだから、ここ、座ってもいいよね」
国木田が弁当を持ってハルヒの席に腰掛けた。俺も飯としよう。さて今日のおかずは昨日の残りの揚げ物だったはずだ・・・と。
そういえば。
「国木田、お前風邪治ったみたいだな」
昨日のどの調子が悪いとかなんとか言ってたよな。
国木田はきょとんとする。
「え?のど?ううん、僕は風邪ひいてないよ?」
は?お前昨日は調子よくなかっただろ?
国木田は怪訝な顔をした。
「そんなこと言った覚えはないけどなぁ・・・第一風邪もひいてないしね」
?
俺の頭上に盛大な?マークが出現した。ように思った。
「よーう・・・」
陰鬱な声がしたと思ったら、谷口であった。顔色も悪くマスクをつけて、こいつの方が風邪っぽい。
「やあ谷口。まだ風邪、治らないの?」
ん?
谷口は俺の隣の席(昨日までキョン子の席だった)に座ると、机をがたがた引きずってこちらに持ってきた。
「治んねーよ・・・・・熱も上がる一方だ・・・でも親父は四十度超えるまでごほごほ・・・休むなってよ・・」
「それは大変だねー。同情するよ、谷口」
「ちょっと待て。谷口、お前昨日はすっげー元気だったよな?」
俺に彼女自慢を散々したじゃねーか。
「はあ?なに言ってやがる。ここ一週間ぐらい、俺は風邪ひきっぱなしだ・・・・・・それに彼女なんて・・・できて・・げほごほ・・・ねーよ」
なんだと?
国木田がますます怪訝な顔をして俺を見た。
「キョン、さっきから一体どうしたんだい?さっきから僕が風邪ひいただの谷口は元気だのさ。夢でも見てたの?」
・・・・これはどういうことだ。話がかみ合わない。なんだか雲行きが怪しいぞ。もやもやする。今度は一体何が起きてるっていうんだ?
その時―――廊下側にいた女子の小さな歓声が聞こえた。一人の女子生徒がドアを開けて入ってくる。昼休みからの重役出勤してきたそいつは、コートを脱ぎながら友人たちの質問に笑顔で答えている。
「うん、もう大丈夫。午前中に病院で点滴打ってもらったら、すぐによくなったわ。家にいても暇だから、午後の授業だけでも受けようと思って」
そいつは――長い黒髪を揺らしながら、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
俺は唖然としてそいつの足取りを注視した。
「あ、どかないと」
国木田がそいつの姿を確認していそいそと弁当を片付け始めた。
「あ、いいの。お昼食べてきたし。机に鞄掛けるだけだから。どうぞ使って?」
そいつは国木田に向かって物腰柔らかく微笑んだ。
「そう?じゃあ、お言葉に甘えて」
国木田は座りなおした。
そしてそいつは鞄を机に掛けると、俺の視線に気づいたのか、俺の方を向いた。首をかしげる。
「どうしたの?―――キョンくん?」
――――そんな、バカな。
そいつは俺もよく知っている―――――