意図せず世界を手中に収めよう 作:マーズ
「山に登りましょう!」
いきなりそう発言した女性に、院長は驚きの表情を見せる。
普段優しい笑顔を見せてくれる彼女にとっては、非常に珍しい反応である。
そんな反応も可愛いと思ってしまう女性。
しかし客観的に見ると、驚くのは当たり前だと女性は考える。
久しぶりに帰省したと思ったら、いきなり山登りをしようなどとわけのわからないことを言うのだから。
「いえ、私の苗字にかけているわけではないですよ!?」
キョトンと首を傾げて聞いてくる院長に、女性は素早く突っ込む。
確かに彼女の名前は山田 真耶という名前だが、それが理由で山登りをしようと提案したわけではない。
突っ込みを受けた彼は、おかしそうにクスクスと笑う。
からかわれたことを知った真耶は、子供のようにぷくーっと頬を膨らませる。
少し紅潮もしている。
成人した女性がそんなことをしても似合わないことが多いが、制服を着て高校生と言っても何ら違和感のない彼女がすると不自然ではない。
むしろ可愛らしいほどだ。
ただ、高校生にしては……というよりも一般の女性よりもかなり大きく実った乳房が小さく違和を感じさせるだろう。
「そのー、お恥ずかしいことに、最近太ってきちゃったみたいで……ダイエットがしたいんです」
ダイエットということで山登りである。
普通に走ってもいいのだが、彼女が走ると必ずと言っていいほど視線を集めてしまう。
男からは性欲からくる厭らしい視線。
女からは嫉妬と羨望からくる視線である。
それらの視線はすべて揺れ動く胸部に向けられていたりする。
勿論真耶もそれに気づいているし、一時期はそれがとても嫌だったが、本当に……本当にごくまれに院長の視線が胸にいくことを知り、むしろ見せつけるようになっていたりする。
ただ、今でも彼以外に視線を向けられると虫唾が走る。
そもそも、太ったといっても重量が増しているのは胸部のような気もするが、実際に体重は増えているので彼女がダイエットを決意するのも理解できる。
「はい、是非院長にも一緒に来てほしいんです」
そうお願いすると、彼は少しも逡巡することなく頷く。
自分の請願をこうまでもあっさりと受け入れてくれて、真耶は胸を高鳴らせる。
そっと手を置くとどこまでも沈んでいきそうなほど、豊満で柔らかな乳房だ。
キュンキュンと胸が締め付けられ、キュッと目を瞑る。
まるで初恋をした中学生のような反応だが、あながち間違っていない。
真耶は絶賛初恋継続中である。
「…………」
「ク、クロちゃんも行きますか?」
全身からピンク色の瘴気とハートを飛ばしまくっていた真耶に、ジトーッとした視線を向けるのは、院長の最側近で護衛役でもあるクロであった。
褐色の美少女に睨まれ、ビクッと身体を震わせる真耶。
「……真耶に譲る」
「ほ、本当ですかっ!?」
想定していなかった返答に、真耶は驚きながらも喜ぶ。
まさか院長にべったりのクロが、自分から離れると宣言するとは。
棚から牡丹餅の気分である真耶は、まさに幸せの絶頂にいた。
「……真耶だし、だいじょーぶ」
勿論クロも考えなしに院長の連れ出しに許可したわけではない。
いくつか理由がある。
まず単純に、クロが真耶のことを気に入っているということがある。
これがもしシロと真耶、さらに孤児院を出るまではよく世話をしてくれ今はどこぞの貴族のメイドをしている彼女以外の人物であるならば、クロは必ず院長に引っ付いていただろう。
しかし真耶にはある女性が出て行った後、色々世話をしてもらっていた。
とくに下着に関して二人はカップ数が同じなため、真耶からアドバイスを受けていた。
院長を悩殺するための過激な下着を要求したのだが、真耶は目を回して役に立たなかった。
また、もう一つの理由として危険が少ないことである。
この孤児院がある国は現在も内戦が続いているが、この周りではほとんど戦闘が起きない。
とくに顕著となったのが、この前の侵入者をクロが殺害し、それを指示した男をシロが虐殺してからである。
その後からはほとんど孤児院の周りで戦闘は起きていない。
さらにもし襲撃があったとしても、真耶はかなりの実力者である。
あの世界最強のブリュンヒルデでも襲ってこなければ、そうそう負けはしないだろう。
そう考えての結論であった。
「えへへー、ダメですよぅ院長。ここはお外ですし~」
「……いんちょー、頭気持ちいー」
これからの山登りのことを考えて妄想世界にトリップする真耶に、院長に頭を撫でられて普段の無表情を崩して顔をとろけさせるクロ。
この状態はシロが戻ってくるまで続いたのであった。
◆
「はひぃ……はひぃ……」
真耶と院長は夕方から山に登り始めた。
山は孤児院から近いところにある。
孤児院の勢力圏内なので、武装組織もここにはほとんど入ってこない。
もし何かあったときは、真耶が時間稼ぎをしてその間に救援を呼び込むのだ。
「ふぅ……ふぅ……っ」
ダイエットと称して院長を連れ出した真耶は、彼よりも早く息を荒げていた。
理由としては、無駄に張り切ってしまった登山服である。
標高もそれほど高くなく、二時間ほどで登頂できてしまう小さな山なのだが、真耶は冬の富士山に登るような服を着込んでいた。
二人きりということで服にも気合を入れてきたのだが、これは明らかなミスであった。
脱いでしまいたいのだが、非常食やらを詰め込んでいるためカバンに入れることもできない。
ここでも間違った気合の入れ方をしてしまっていた。
「ええ、だ、大丈夫ですとも。あ、汗をかくとダイエットにもいいですしね……っ」
心配そうに話しかけてくる院長に、ニッコリと笑って返す真耶。
しかしその笑顔には大量の汗が付着していた。
眼鏡は曇ってしまっているほどだ。
院長に迷惑をかけるわけにはいかない。
「きゃぁっ」
一生懸命に脚を動かして前へと進む真耶だったが、ここで彼女のスキルであるドジっ娘が発動。
躓いて転びそうになる。
キュッと目を閉じる真耶だったが、彼女は地面に倒れる前に受け止められる。
「い、院長……」
見上げる彼の顔は、ニッコリと微笑んで無事かどうか尋ねてくる。
いつもニコニコとしていて穏やかな印象を与える彼の腕は、意外にも力強い。
ぽーっと呆けた様子で彼の顔を見上げる真耶。
まるでお姫様抱っこされているような感じがして、妄想の世界に飛び込んでしまいそうになる。
「ん……っ」
深い妄想世界に飛び込む寸前、彼の腕が自分の胸に当たっていることに気が付く。
勿論、鷲掴みにしているなんてことではない。
ただ腕に豊満すぎる真耶の乳房が当たっているというだけである。
わざとではないことは明確であり、そもそも故意であっても院長が相手なら悦ぶだけである。
真耶の理性は踏みとどまることを声高く主張するが、獣の如き本能が圧倒的にそれを押しつぶす。
『もう、その感触を堪能しちゃえよ』と主張する本能。
真耶の身体はそれにあっさりと従ってしまった。
「……っ!っ……!え、ええ、大丈夫です。ちょ、ちょっと脚を痛めただけですから……」
腕の中で不規則に豊満な身体を震わせる真耶に、大丈夫かと心配する院長。
真耶は頬を真っ赤に紅潮させながらも、笑って答える。
腰は未だガクガクと震えるが、喝を入れて力を込める。
ちなみに真耶はまったく足を痛めていない。
そもそも【あの孤児院出身】であるのに、たかが山登りで足を挫くはずがないのである。
「ふぇっ……?い、院長!?」
クロに院長との二人だけでの登山が許可されたという幸運に続いて、ここでも真耶にとって予期せぬ幸運が舞い込む。
彼はなんと中々動けない様子の真耶を背負ったのだ。
足を挫いたのは嘘であるが、違う意味で動けないのは事実である真耶は顔を真っ赤にする。
院長と身体を密着させることに、強烈な羞恥心が襲い掛かる。
今更何を言っているんだと真耶自身の冷静な部分が主張するが、それでも心臓の高鳴りは収まりそうにない。
「も、もう少しで山頂ですから大丈夫ですよ?」
もう少しなら、なおさら負ぶると言う院長。
真耶の意見に耳を貸さず、彼女をおぶったまま歩き始める。
真耶のことを気遣ってゆったりとした歩調だ。
ゆらりゆらりとゆりかごのように揺れる自分の身体に、心地よさを覚える真耶。
「……じゃあお願いしちゃいますね」
とうとうその心地よさに打ち負かされる。
彼の頸に腕を回し、キュっと抱き着く。
その結果、優れたスタイルを持つ女性が多い孤児院の中でも断トツの大きさを誇る乳房が、背中に当たって押し潰れる。
普段の真耶からは想像もできないようなアプローチだ。
これがないと思ってクロも二人きりの登山を許可したのだが、予想外の事態である。
もしクロがいたら、真耶を引きずりおろして院長の背中に飛び乗るであろう。
「(あふ~……凄く気持ちいいなぁ……)」
真耶は院長の背中で、顔をだらしなく緩めているのであった。
◆
「ふふふ……私を負ぶってくれてありがとうございました」
二人が登っていた山の頂上。
そこには真耶と院長の二人以外誰もいなかった。
院長は眠っていた。
ごく短距離とはいえ、人を一人負ぶって山を登るのは確かに重労働である。
真耶は彼の頭を太ももの上に乗せ、優しく頭を撫でる。
くすぐったそうにする彼に、慈愛溢れる笑顔を見せる真耶。
「私があなたを本当に誘った理由。ダイエットなんかじゃなくて、この夜景をあなたと見たかったからなんですよ?」
真耶が見下ろすところには、人工の光が数多く輝いていた。
点々と存在するそれらの光は、まばゆいほど煌めいていた。
そこらの先進国にも劣らないほどの光量である。
しかしここは、十数年ほど前までは火と血と死の三つしか存在しない荒れ果てた土地であった。
「この綺麗な夜景を一緒に見るのも目的でした。ロマンチックですよね?でも私はあなた自身の功績を、見てほしかったんです」
二人で一緒に夜景を見るのも、幸せな瞬間だと思っていた真耶。
院長が寝てしまう前、ほんの少しの間二人で夜景を見たとき、確かに幸せを実感した。
しかし真耶にはそれ以上の目的があった。
それはこの煌びやかな光景を築いたのは、彼自身だということを認識してほしかったのだ。
「少し前まで笑顔のなかった土地。皆泣いていて、皆怒っていて、皆悲しんでいた場所。それが今ではこんなに笑って、生きていることを楽しんでいる」
真耶は他の孤児院のメンバーほど排他的ではない。
院長と孤児院に迷惑がかからなければ、他人だって助けたいし幸せになってほしい。
「それもすべて院長のおかげなんですよ?」
健やかな寝息を立てる彼の頭を撫でる真耶。
彼を見る彼女の瞳は潤み、熱にうなされているようだ。
「でも世界にはまだまだ悲しんだり、苦しんだりしている人たちがいます。今の世界がそのことを強いるのであれば、新しい世界を創ればいいと思っちゃうんです」
真耶の瞳は院長のみを映していた。
そしてそこはどんよりと濁っている。
まるでどのような光も吸収してしまうかのようだ。
真耶にとって、光とは院長である。
それ以外の光は彼女になんら影響を与えない。
「そして新しい世界の支配者となるのは、あなたです」
真耶は想像する。
笑顔と幸せが溢れた新世界を。
そしてそこを統治する院長の姿を。
胸がドキドキと高鳴り、下腹部がうずく。
「んはぁ……そのためだったら、院長のためだったら、私、頑張っちゃいますっ」
真耶はそのあと彼と一緒に孤児院に戻った。
流石に手を出すとクロに殺されかねなかったので、そこは自重している。
しかし自分の匂いはしっかりと院長に擦り付けていたのであった。
人間離れした嗅覚を持つクロとシロが、その匂いで非常に不機嫌になったのは余談である。
なお、次の日には彼女たち二人の匂いが院長には擦り付けられていた。
真耶ちゃん、そこらのカルト宗教家なみに危ない思考に。