ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。   作:囲村すき

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5作目です。星を見つめる大学生の話。


四畳半の赤緯-60°

「なあ」

 

『なんだよ』

 

「なんだかなぁ、と思うんだよ、このごろ」

 

『は?』

 

「なんだかなぁ、なんだかなぁ、手持無沙汰だ。俺はいったい何したらいいんだろう」

 

『要するに暇なんだろ。だから俺に電話なんかしてくる』

 

 地元が同じで、現在も共に同じ大学に通う、この高島(たかしま)という男はそっけなく言う。

 

「暇を持て余している、と言った方が正確かもしんない」

 

『そうか。切るぞ』

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。もっとこう、なんかできることがあるんじゃないのかな、って思うんだ」

 

『大学三年生にまでなって何を言ってんだ、お前は』

 

「なんて言うか、高校生の俺にはなしえなかったことが、今なら、って」

 

『そうやって、お前、多分それ一生言い続けるんだろうな』

 

「なんてひどいことを」

 

『冴えない現実だな』

 

 辛辣な言葉を電波を経由して投げかけてくる高島は、それでもなんだかんだ話を続けてくれる。口ほどに悪い奴ではない。

 

『だからもう切っていいか。もうすぐ彼女が来るんだ』

 

 前言撤回である。やっぱり口ほどに悪い奴。

 

「…あーっ、そうなんだ…」

 

 ジー、ザス、と俺はすっかり落ち込んでしまった。

 

「…」

 

近江(おうみ)は彼女作ったりしないのかよ』

 

「いや、べつに…」

 

『つか、それこそ、「高校生の俺になしえなかったこと」、なんじゃん?』

 

「ぐ」

 

 高島がウィークポイントを鋭利な何かで的確に突いてきた。大ダメージを受けて瀕死だ。

 

『ぐ、じゃねえよ』

 

 高島は電話の向こうできっとあきれ顔だ。

 

『良いなって思う子いないのかよ?よく分からんけどお前の学部って可愛い子多いんじゃなかった?』

 

「いや、まぁ、うん…」

 

『…あ、そういや前に連れが言ってたなァ、教育学部になんかめっちゃ可愛い子いるって。名前なんだっけ…ゆ、ゆが付いた気が…』

 

「た、高島、ちょっと今アレだから電話切っていい?」

 

一呼吸置き、高島は

 

『お前がかけてきたんだろうが』

 

 ぶつっ、と電話が切れる音。

 

 携帯を座卓テーブルに放り出し、俺は溜息をついた。つける気になれなかったテレビを点け、ちょうどやっていた番組の内容を頭に入れようと努力する。自然科学番組で、なにやら天体に関して特集をやっているようだった。ものの数分で興味を失い、机に突っ伏す。

 

「……のああああー…」

 

 に、しても彼女羨ましいなぁ高島の野郎。

 

 テレビの電源を消した。もういいや、ふて寝してやろう。

 

 布団を引っ張り出して、この狭い四畳半ぽっちの部屋に敷くと、電気を消して布団に滑り込んだ。

 

 高島は背が高いし、茶髪が似合ってカッコいいし、車の駐車が上手くて、でも上手いのは多分それだけじゃなくて、あと、それに、八畳半のオシャレな部屋に住んでいる。

 

 俺は中肉中背、地味な顔立ちで大した取り柄もなく、車の駐車が下手で、でも下手なことは他にもたくさんあって、あと、それに、四畳半のクソ狭い部屋に埋没している。

 

 多分、高島は分かっていただろう。

 

 手持無沙汰なんて誤魔化したりして、本当は分かっている。

 

 全くふて寝なんて我ながら情けない。

 

 目をつむるとあの子の顔が浮かんでくるのも、殊更に情けなかった。

 

 目を開けると真っ黒な暗闇が目の前に広がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四畳半の赤緯-60°

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、いいな。

 

 彼女と会って最初に思ったのがそれだった。

 

 もちろんめっちゃ可愛いな、とか、スタイルめっちゃいいな、とか、その他にも感想はいくらでも出てきたけれど、最初に出てきたのは確かにそれだった。

 

 ようするにただ彼女が人目を引くほどの美人であったということだけなのかもしれないけれど、俺は何故か「なんか、いいな」と思って、そして、入学して三年目になっても未だにその理由が見つけられずにいる。

 

 でも彼女はきっと、夜空の恒星だ。手は、絶対に届かない。

 

 

 

 

「よぉ」

 

 時間帯がずれているため割とすいている大学の学食で、一人寂しくきつねうどんをすすっていると、不意に声をかけられた。顔をあげる前に声の主は俺の隣に座る。

 

 寝不足の目をごしごしこすって、誰が座ったのか確認する。高島だった。俺の二つ隣に座っていた女の子と知り合いだったらしく、軽く声をかけている。さすが高島、顔が広い。

 

「やけに遅い昼飯だな」

 

 どうしたんだよ、珍しいな。と聞く前に、高島は俺をぴしっと指差した。

 

「昨日変なこと言ってたからさ」

 

「はん。昨日は楽しかったかよ」

 

 ふて腐れたように言ってしまった後で、こりゃ余計に自分がみじめだと気付く。

 

「ん、ああ。なんか今日プラネタリウムに行くことになった」

 

 やけにタイムリーだ。息を呑む。

 

「もしかして、昨日のNHKの番組見た?」

 

「あはっ、お前も見てた?」

 

 結局あの後、俺は寝つけずに再びテレビを点け、NHKの自然科学の番組を最後まで見入ってしまっていた。

 

 あれを見たら確かにプラネタリウムに行きたいと思ってしまうだろう。実際、俺もすごくそう思ってしまった。

 

 もっとも、俺は斜め上の解決策を思いついてしまったのだけれど―――

 

「あの番組見てさー、彼女が沖縄行きたいって言いだしてさ」

 

「沖縄?」

 

「南十字座が見たいんだと」

 

「ああ」

 

 確か番組の中で紹介していた。――――南十字座。南極付近で見られる、全天88星座の中で最も小さい星座です。美しい十字の形からそう呼ばれるようになりました。日本では沖縄の石垣島や波照間島で、大体12月から6月の間にのみ観測ができます―――とかなんとか。

 

「なるほど、それで沖縄か。連れてってあげればいいじゃん」

 

「バカ言え。何とか説得してプラネタリウムで許してもらったんだぞ」

 

 しかめっ面をする高島。なんだちくしょう、のろけか。

 

「肩パンっ」

 

「イッテぇな」

 

「でも意外と面白かったよね、あの番組。あれ見たせいで寝不足だよ」

 

「あ?そんな遅い時間の番組じゃなかっただろうが」

 

「あ、あー…うん、まあ、そうなんだけど」

 

 それだ、と高島はまた俺を指さす。

 

「それだよ、近江。お前のその、もそもそした微妙な返事。俺はもういい加減慣れたけどさ、まずそれを直せよ。彼女を作るのはそれからだな」

 

「う、うるさいなぁ」

 

 またもや痛いところをつかれて赤くなっているであろう顔を隠すべく、俺は丼の乗ったトレーを持ち立ち上がった。

 

「変革には痛みが必要なのだよ」

 

 何かの真似なのか、高島は偉そうに言った。肩パンするぞ、もっかい。

 

 分かってるんだって、それも。

 

 

 

 

 

 今学期中に取得しておきたい単位を頭で数えながらゼミ室に急いだ。今日の午前中を自主休講してしまった俺は、三年生になっても相変わらずダメダメだ。いや、むしろひどくなったと言っていいかもしれない。大学と言う場所はダメ人間をより一層ダメ人間にする気がする。

 

 人生の夏休みとはよく言ったものだ。全く、そろそろ就活とかも考え始めなきゃというのに、俺は。

 

 ゼミ室のドアを開けると、中にいた一人の女性が顔をあげた。心臓が宙返りする。ゼミの時間にはまだ早い、まだ誰もいないと思ったのに。しかも、しかも―――。

 

「あ、近江君。早いね」

 

「う、うん、そ、その、おはよう…」

 

「おはよう、って。もうお昼すぎてるじゃん」

 

 彼女―――由比ヶ浜さんはそう言って微笑んだ。涼しげな白のブラウスをばっちり着こなしている。やっぱり今日も、あれだその、うん。とにかく心臓が宙返りをやめない。急に張り切りだして大丈夫か、心臓。

 

 コの字型に並べてある机のどこにつこうか散々迷った挙句、由比ヶ浜さんの正面を一つずらした席に座る。失礼じゃないかどうか真剣に検討を重ねに重ねた結果だったが、俺がその席に座ると由比ヶ浜さんはちらりと俺の顔を見、何か言いたげな顔をした。

 

 やべえ、俺、汗かいてるな。

 

 俺の大学生活史上最大のツキは、おそらく由比ヶ浜さんと同じゼミに入れたことだろう。忘れもしない前年度の2月、ゼミが決まった時は本当に信じられなくて俺は高島に殴りにかかって、かわされて逆にしこたま殴り返された。痛かった。夢じゃなかった。

 

 夢じゃなかったけれど、まるで夢のような――――幸運だった。

 

 夢だけど!夢じゃなかった!

 

 由比ヶ浜さんは参考書とノートを広げてなにやら勉強をしている。

 

 彼女のキャラは正直、かなり掴みにくかった。服装や見た目はカースト上位のギャルなのに、こうしてまじめそうに勉強していたりする。大勢の友達に囲まれて楽しそうにおしゃべりに花を咲かせているかと思えば、食堂で一人でご飯を食べていたりする。

 

 つか見過ぎか、俺。我ながら気持ちが悪い男だ。

 

 でも、チャンスだ――――ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 

 二人きりなんておそらく初めての事だ。せっかくなんだから活かさないでどうする。勇気を出して話しかけるなら今だ。行け。いや、待て。何を話せばいい?さりげない話題を―――ええと、やべっ、何も思いつかない、脇汗脇汗。

 

 一人でまごまごしていると、俺の視線が気になったのか、由比ヶ浜さんは再び顔をあげて俺を見た。

 

 目が合う。由比ヶ浜さんははにかむように笑った。

 

 心臓ができないくせにバク転を始める。やめろ、怪我するから、危ないから。捻挫するから。

 

「最近暑くなってきたよねー」

 

「ほ、ほんとにね!あー、あっつ」

 

 ぱたぱたTシャツの前を煽ぐようにして見せると、由比ヶ浜さんはうなずいて、再び手元のテキストに目を落とした。

 

 ナントカ会話をつなげたい。そう思って、俺は

 

「え、えっと…そ、それ、教員免許の勉強、とか?」

 

「うん、そうなんだー」

 

 由比ヶ浜さんがそう言って参考書を見せてくれる。会話が成立した!感動のあまりちょっと泣きそうだ!いや嘘だ!さすがに泣きはしない!

 

「近江君も確か受けるんだよね?」

 

「あ、うん」

 

 由比ヶ浜さんが俺の事を知っていた!非常事態だ。ななななんで知ってるんだろう?

 

「そっか。あたしバカだからさー。今からコツコツやんなきゃなーって」

 

 あはは、と由比ヶ浜さんは明るく笑う。ちなみに俺の心臓はさっきからハードル走をしている。

 

 バカなんてそんなご謙遜をホントのバカは早めにコツコツ勉強なんてできないんだホントのバカは俺みたいなやつの事を言うんだよ、というようなことを俺は懸命に言った。由比ヶ浜さんは笑ってくれた。

 

「いやいや、あたしホントーにバカなんだって。近江君はあたしの真のバカさ加減を知らないんだよ!」

 

 確かに―――由比ヶ浜さんは天然気味なところがあって、たまに他の人には考え付かないような発想で喋ることがあった。だけど―――それはマイナスなんかじゃなく、むしろ由比ヶ浜さんの魅力の一つとなっていることを、おそらく彼女は知らない。

 

 沈黙。しばらくの間、由比ヶ浜さんは一生懸命テキストとにらめっこをして、対する俺はそんな彼女の様子をぼーっと眺めていた。

 

 他のゼミ仲間は何故か今日は集まりが悪かった。まだ時間ではないとはいえ、一人も来ないのは少し不思議だ。神様。

 

「あ、あのさ、聞いてみたかったことが、あるんだけど」

 

 言ってから、しまった、と思った。言うつもりなんてなかったのに。顔が熱い。

 

「ん?なに?」

 

 由比ヶ浜さんはきょとんと首をかしげる。覚悟を決めろ。ここまで来たんだから、もうあとは勢いのままだ。俺はごくりと生唾を飲み込むと、言った。

 

 

 

 

 

 

「この間のゼミでさ、由比ヶ浜さんは、なんであんなこと…言ったの?」

 

 

 

 

 

 

 

「この間のゼミ」を正確に言うなら、三週間前に行われたゼミの事だった。

 

 俺と由比ヶ浜さんが所属するこの研究室では、どこでもそうなように、定期的にディスカッション形式のゼミが開かれていた。そして三週間前のゼミの議題が、「教室内での孤立」というものだった。

 

 各人それぞれ事前に用意してきたネタで議論する。俺は平凡ではあったけれど、自分の高校生活を振り返り、それを議題と絡めて発表した。

 

 ゼミ生は様々なネタを持ってきていたが、やはり皆一様にして同じなのが「孤立は良くない」と言う考え方だった―――由比ヶ浜さんを除いて。

 

 

 

 

 ゼミの時間が近づいているのに、教授はもちろんゼミ仲間でさえも、やっぱり一人も来ない。珍しいこともあるものだ、と俺は考え、そのあとで、やはりこれは神様が俺にくれたチャンス、と思う。いや、やっぱり調子に乗ったかもしれない。きっと由比ヶ浜さんからしたら勉強の邪魔をされて迷惑だったに違いない―――

 

 俺は押し黙る由比ヶ浜さんに全霊を込めて謝罪するべく立ち上がる。が、由比ヶ浜さんは顔をあげ、俺に笑いかけた。

 

「こないだって、あれだよね?教室内での孤立のやつだよね」

 

 俺がうなずくと、由比ヶ浜さんはうんうんと思い出すように目を閉じて腕を組んでいた。

 

 由比ヶ浜さんはあの日、「一人でいることを、否定するべきではありません」とはっきり言った。

 

 俺はかなり意外に感じ、そしてそう感じたのは多分他のゼミ生も同様だった。唯一、教授だけは驚いたような顔をして少し笑っていた。

 

「なんて言うか、由比ヶ浜さんって、コミュ力高くて友達も多いし、そう言うこと言うの、意外だなぁって…で、それで、なんか、ひっかかってて」

 

「意外?そう?…うーん、そっか」

 

 由比ヶ浜さんは何故か、少しさびしそうな顔をして笑った。そんな顔をする由比ヶ浜さんを見たのは初めてで、俺はまた謎の奇妙な感覚に陥る。

 

「一人でいる人はさ、一人でいる人なりに、理由があるんだよ」

 

「…」

 

 まっすぐに俺を見つめる。まっすぐ過ぎて、俺には少し痛い。

 

 由比ヶ浜さんの言葉から明確な意志と根拠を感じ、俺はやっぱりキャラ、つかめねーなぁ、と思った。そしてそれから、これはある意味必然かもしれないけれど、なんか、いいな、と思った。

 

「良いか悪いかは別にして―――というか、その人の学校生活の過ごし方に、誰も干渉はできないはずなんだよ、そもそも」

 

 由比ヶ浜さんはじっと見つめられていることに気づき、照れたようにはにかんだ。

 

「まあ、あたしも多分、ずっと間違えてたんだけどね」

 

 だから、あたしは、結局何もできなかった。

 

 それから由比ヶ浜さんはうつむいて、聞き取れるぎりぎりの声で呟く。

 

 俺は由比ヶ浜さんから視線を外し、彼女の今までの学校生活に思いを馳せる。

 

 彼女の意志の根っこのところに、誰かがいる。

 

 あるいは、彼女の意志の、向かう先か。そんな気がした。

 

 きっと彼女には、守りたかったものが、大切にしたかったものが、あった。

 

 由比ヶ浜さんは俺をちらりと見ると、少し後悔の混じった気づまりな顔をして、スマホを取り出す。

 

 表情が変わった。

 

「うわあ」

 

「な、なに?」

 

「なんかおかしいと思ったんだけどさ」

 

「うん」

 

「今日、ゼミ休みだって」

 

「…えー…」

 

 スマホを片手にあはは、と笑う由比ヶ浜さん。それにつられて俺も思わず笑みを浮かべる。

 

「なんでー?全然知らなかったんですけど…」

 

「由比ヶ浜さんもうっかりすること、あるんだね」

 

「いや、しょっちゅうだよー…って近江君、人のこと言えなくない!?」

 

 ぷくっと頬を膨らませる由比ヶ浜さん。

 

 きっと神は本当にいた。もう死んでもいい。心臓、お疲れ。

 

 

 

 

 

 ゼミの教室を二人で出ると、ながっぴろい廊下を連れ立って歩く。まさか俺の人生にこんなシチュエーションが舞い降りるとは今日まで一ミリたりとも想像していなかった。無表情を装うけど、多分俺、汗、やばい。

 

 俺はさっきの由比ヶ浜さんの言葉と、表情と、仕草を思い出していた。

 

 結局何もできなかった。彼女はそう言った。痛みに耐えるような顔をして。

 

 助けたかった人が、いたのだろうか。

 

 その人は、彼女の、どこにいるのだろうか。

 

 由比ヶ浜さんの知らなかった一面を垣間見た俺は、自分の想像以上に動揺していた。

 

 遠くから見ているだけでは、分からなかった。

 

 由比ヶ浜さんにも、痛みがある。そんな当たり前のことですらも。

 

 

 

 棟の外に出ると、日がそろそろ落ち始めようとしていた。でも、多分、これからはもっと、日は長くなっていく。なにしろ夏はまだ、始まったばかりだ。

 

「じゃあ、あたし、図書館行くね。近江君はどうするの?」

 

「ええと、うん。家に帰ろうかな」

 

「そっか。じゃあね、近江君」

 

「うん、それじゃ、また」

 

 曖昧に手を振ると、彼女はくすっと笑う。

 

「何気にさ、こんなに喋ったの初めてだったね」

 

「そ、そうだね」

 

 気の利いた返事が思いつかなくて、ああ、俺ってやっぱり、って思う。

 

 胸のあたりで小さく手を振って、それから由比ヶ浜さんはしっかりとした足取りで歩き出す。

 

 

 

 

 

「あのさっ!」

 

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜さんが振り返り、一拍遅れて、俺は俺が声を上げたことに気づく。

 

 顔が熱い。きっとまた、かああっと赤くなっているに違いなかった。

 

 でも、どうしても、言っておきたいことがあった。

 

「あ、あのさ、俺、ずっと友達がいなくて、作り方とか、何を喋ったらいいかとか分かんなくて、で、ず、ずっとひとりぼっちだったんだ!」

 

 もうだいぶ薄れている。消えかけている。けれどそのかすかな痛みは、いつでも、いつだって、呼び起こされる。

 

「でも高校の時に、そんな俺に話しかけてくれた奴がいて、そいつはなんつーか俺とは正反対で、よ、要するにすごく良い奴で、俺なんか救ってみせちゃってさ」

 

 それだよ、近江。偉そうにそう言って、へらへらとするあいつの笑みが頭に浮かび、もうなんか、叶わないよな、と思う。

 

「も、もう、なんていうか、こんなこと面と向かっては絶対言えないんだけど、俺はあいつにすごく感謝してて、で、俺は、あいつにいつの間にか憧れてて、正直に言うと嫉妬交じりではあるけど、でも、つまりあいつみたいになりたいって思ったから、それで…」

 

 だから、俺は、つまり、

 

「だから、由比ヶ浜さん、何もできなかったなんて、そんなこと、絶対にないんだって!」

 

 

 

 

 

…我に返る。うわ、なんだこれ。なに語っちゃってんの、俺。何の事情も知らないくせに、なんなの、俺。嘘だろ。こんなこと言うつもりなんてなかったのに、なんで。もうだめだ。

 

 急激に恥ずかしさを覚え、おずおずと由比ヶ浜さんの様子を伺う。

 

 由比ヶ浜さんは、笑っていた。でもそれと同時に、少し泣き出しそうにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訳の分からない謎のエネルギーが俺の身体を支配して、うおおおおおおおおおと何年ぶりかの全力疾走でアパートを目指す。

 

 ぜいぜいと荒い息のまま、鍵を開け、ぼろっちい四畳半に飛び込んだ。

 

 ごちゃごちゃと片付けられていない四角い座卓テーブルの一番上に置かれているのは、ちゃちな手作りのプラネタリウムの投影機。紙でできた正二十面体に、懐中電灯を突っ込んだ子供騙し。 

 

 昨晩の天体の番組を見た俺の思いつきで、文字通り夜を徹して作られたそれは、我ながらとっても滑稽だ。

 

 けれど何故か、俺はこれを、由比ヶ浜さんに見せたいと思った。

 

 手作り投影機を手に取って、それからふと南十字座の話を思い出す。あの星はどこだろう。型紙はネットでダウンロードしたものをそのまま使ったから、多分、星の位置は大体あっているはずだ。

 

 南十字星。サザンクロス。大航海時代に、船乗りが方角を知るための指標にしたと言われている、大事な星。

 

 俺にとっての、そして。

 

 由比ヶ浜さんにとってのそれは。

 

 

 

 

 

 

 届かない、と言うことは、届くまで手を伸ばせる、と言うことかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 近付けない。そう思っていた。でも彼女は、恒星なんかじゃなかった。

 

 

 彼女も、ここから星を眺めている。

 

 

 同じ場所で、違う南十字星を、見つめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初のオリキャラが主人公となった話でした。イメージした曲は「プラネタリウム」と「サザンクロス」です。
「プラネタリウム」は前々から書きたいなと思っていたのですが、「サザンクロス」の歌詞をよくよく読んだときの衝撃といったら。「やべーこれ滅茶苦茶由比ヶ浜さんや」と。

 にしても本当に、どうやって終わるんでしょうか、原作は。



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