黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第17話   余波

「ブラウンシュヴァイク公爵には失望しました。彼は良き貴族の代表として、今まで我がカストロプと協調関係を保ってきたのに、婚姻による保身に走り、我らを蔑ろにしたのです。我が領とブラウンシュヴァイク領は、これまでずっと流通においては相互に協力し合ってきたのですが」

 

 つまり、本当に裏で汚れた手を組んでいたわけか。しかしその手をブラウンシュヴァイクは一方的に振り解いた。マックは自分が両公爵家の犯罪を俺に告げていることに気付いているんだろうか。

 

 打落水狗という言葉を思い出した。魯迅だったか? 水に落ちた犬は打て。すなわち、溺れかかった者に絶対に手を貸して助けてはならない。二度と歯向かわせないように、更に徹底的に叩きのめせ、というような意味だ。

 ブラウンシュヴァイク家にしてみれば、カストロプの尚書就任を邪魔したからには、彼の報復を覚悟しただろう。だから更に追い打ちをかけ、報復など出来ない状態にまで追い込んでいるのだ。ブルッフも兄上の庇護があるとはいえ、公爵家は恐ろしい。清廉な男とはいえ、ブラウンシュヴァイク家と組んで、勢力衰退を謀るくらいは寧ろ積極的にやるだろう。それに不当なことを行っている訳ではない。特別税率であった今までがおかしかったのだ。

 

 そこまでブラウンシュヴァイクがやるとは思っていなかったな。尚書就任の推薦を白紙に戻して、それで終わりと思っていたが、むしろ両公爵家にとっては、そこからが始まりだったのだ。

 

「通関物資の減少だけではありません。我が領はヴァルハラ星系にも近く物資の集積地でもあるのです。我が領の基幹産業の一つは倉庫業です。それを削ぐような真似をして……」

 

 俺に愚痴ってどうする。でもどうやら、俺が噂の発信地であることはバレていないようだ。ああ、良かった。

 

「ブラウンシュヴァイク領からヴァルハラへは、フレイア星系を通ったほうが確かに早いのです。しかしいささか遠回りでも、カストロプを通関すれば、税を低く抑えられました。そのメリットが無くなった今、フレイアがヴァルハラ星系の物資集積地になってしまうかもしれません。我が領の倉庫業界は大打撃です。公爵の方針転換が発表されて以来、彼らは連日連夜、事態打開の対策会議を開いています」

 

 ごめんなさい、カストロプの倉庫業界の方々! そんなつもりでは! でも今までフレイア方面の倉庫業界は基本税率の元で営業していた訳だから、彼らにしてみれば、これで公平な競争が出来るという訳だよね。

 

「この上、皇族であられる殿下の不興を買うような真似をしてしまい、我が家は益々孤立したようです。あの日の私が愚かな行為をした場所に、殿下のご尊顔を知る者は何人もおりましたでしょう。しかし私たちがそれを知らされたのは、二日も経った昨夜だったのですから。その為、知人が私たちにそのことを教えてくれるよりも早く、また悪しき噂が先行してしまったようです」

「悪しき噂?」

 

 マックの言う噂って俺も関係するんだよね? 気になる。ところで重ねて言うが、今の俺は皇族じゃ無いです。何か周り中誤解していないか?

 

「殿下を従僕のごとき扱いをして、しかも殴りかかったと。全くの事実なのだが……。しかし心外なことに、殿下と知っていて、私が喧嘩を吹っかけたことになっているのです」

「どうか兄を許してやってください。兄は確かに短気で理不尽なことをすることもありますが、それでも私には良い兄なのです。実は本日、父には知らせずにここに参りました。殿下と私たちの悶着を知ったら、父の心労は益々増えると思いますし。どうかお願いです。兄をお許しください」

 

 君にとって良いお兄さんでも、俺にとっては意味は無いよ。しかし俺のわずかな干渉がここまで影響を与えるとはね。自分のやったことだが恐ろしい。

 カストロプ領は、結婚式の日の騒動で更に打撃を受けるのだろう。マックの謝罪は謝罪になっていないが、あの騒動の罰には十分だな。

 

「解りました。謝罪をお受けします。どうぞこれ以上、お気にさいませぬよう」

「ありがとうございます、殿下!」

「いえ、リビー。あなたのような美しい方に謝られて、許さぬ男がいるはずがありませんよ」

「妹を誘惑しないでください!」

 

 はあ!? ゆうわく? こんなの社交辞令じゃないか。しかしリビーは真っ赤になっているし、マックは妹を守るかのように腕の中に抱え込んでいる。しかし君たち、謝罪に来たんでしょ、俺を不快にさせる言動を再度してどうする。

 

「も、申し訳ありません、殿下。兄は私のこととなると、たまに常軌を逸すことがあって。誰かが私を傷つけることを、それは恐れているのです。殿下がただの礼儀で、私のことを美人と言ってくださっているのは解っています」

「いえ、本当にお美しいとは思っていますが?」

 

 これは本心だ。俺の好みからは大きく逸れてはいるが、彼女は大きなつり目がちの瞳が印象的で、キリッとした宝塚の男役風の美貌の持ち主だと思う。コアなファンが付きそうなタイプだ。

 

「いえ、そんなはずがありません。お世辞は結構です。ああ、それから、ヴェストパーレ嬢にもよろしくお伝えください。殿下のことを教えてくれたのは彼女なのです」

「ああ、フロイラインが」

「ご学友になるそうですね。彼女は才気のある少女と聞いております」

「いえ、まだ決まっておりません。それに今日親交を結んだお二人を学友に、との声が上がるかもしれませんしね。お二人とも後宮で勉強なんてお嫌でしょう? お気を付けください」

 

 その途端、マックとリビーの顔がサッと青ざめ、リビーの方は泣きそうな表情になってしまった。え? 何か不味いことを言ったか?

 

「いいえ、いいえ、私が殿下のご学友になるなどありえません。それは夢物語ですわ……」

 

 俺が謝罪を受け入れた後の、嬉しそうな様子はどこにも無かった。二人は改めて一礼すると、マックはリビーの肩を抱きかかえて、支えるように部屋を出ていった。

 

 

「カストロプのご兄妹でいらしたのですね」

 

 二人が退室した直後、続き部屋の扉が開き、侯爵夫人が顔を見せた。心配で覗いていたのかな? 後であの二人とどんな事実関係があったのか、問い詰められそうだ。

 

「義母上、もうお出かけになったとばかり」

「もう参りますよ。でもリヒャルト、あの兄妹に関わるのは、できればやめてください」

 

 俺は不審に思った。義母は俺の交際に嘴を入れるタイプだったか?

 

「あの妹君とあなたが、万が一にも噂になっては困るのです。カストロプの血を、ヴュルテンベルクに入れるようなことはできませんから」

「そのような気持ちは私にはありませんが、何故です? 落ち目とは言え、名門公爵家でしょう」

「いえ、あの二人がごく軽度とはいえ、ディスレクシアであることが問題なのです」

 

 ディスレクシア、学習障害か。そうか、リビーが言った夢物語とは、自身がディスレクシアだからか。

 しかし障害の度合いとしては、それほど重くは無いらしい。二人ともbとd、UとVの区別が付かないだけだそうだ。それ以外は知能も標準以上に高いという評判らしい。そういえばあの二人は軍事的才能に秀でていたはずだよな。

 

 侯爵夫人によると、二人がディスレクシアであることは公然の秘密とのことだ。何しろその障害の為、外聞をはばかり、貴族専用の学校に通わせる訳にもいかず、二人は幼いときから皇族並みに家庭教師を付けられているのだが、あの短気が災いして、長続きした教師は一人もいない。辞めていく教師たちには口止めとして過分な退職金も払われるが、人の口に戸は立てられない。親が大貴族であるから水面下で囁かれるだけだが、これは形骸化しているとはいえ、劣悪遺伝子排除法が未だ残っている帝国では大きなハンディだろう。

 

「ああ、だからですか。この前のブラウンシュヴァイク家でのパーティで、何故令嬢と会わなかったのかと、不思議に思っていたのです」

「そうです。あの二人に縁談を持ってくる貴族は今のところおりませんね。あれほどの名家、幼いときから婚約者が決まっていてもおかしくないのですが、今の状況では難しいようです」

 

 なるほど、元々次代に不安がある家だったんだな。だから現当主オイゲンは、今のうちに自家の勢力を強めようと無理をしたのかもしれない。

 

 しかしディスレクシアは、適切な学習の仕方をすればかなり克服できる障害のハズだぞ。しかも『ごく軽度』なんだろう? 21世紀の欧米人は10パーセントがディスレクシアと言われていたくらいなんだ。

 いや劣悪遺伝子排除法のある帝国では、そのような教育方も研究されていないのかもしれない。だとしたら二人はかなり苦しんでいるだろうな。あの短気や、互いに依存している様子、マックが必要以上にリビーを庇護するのは、そこから来ているのかもしれない。

 

 人間は貴賎を問わず、ある一定の割合で障害が発生するはずだが、俺が思うに、帝国では恐らく貴族階級の方が先天的な障害発生率は多いのではと思っている。キュンメル男爵やオーベルシュタイン、そして皇室の血を引いた二人の少女……。原作で示唆されただけでもこれだけの数だ。

 

 貴族は基本的に平民と結婚しない。4000家の貴族の中から配偶者を選ぶし、その中でも自分の家格に釣り合う者を探せば、更に選択の幅が狭くなる。必然的に近親婚を繰り返すのだ。だから先天性遺伝疾患や家族性疾患の割合は、平民よりも高くなってしまう。

 

 マックもリビーも、そして生まれてくる姪たちも、貴族と平民の間にある垣根の犠牲者達なのだ……。


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