黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第12話   策謀の始まり

 兄の行動は素早かった。皇后陛下だけにご相談したらしい。母君であられる皇后陛下の説得には相当苦労したらしいが、彼女も息子可愛さゆえか、結局は折れることとなった。

 

 そしてある日、皇后のご友人でもあられたミュッケンベルガー伯爵夫人が新無憂宮に皇后陛下を訪ねてこられた時、何故か皇太子と二人きりで歓談した。その後、皇太子宮のメイドの一人が親戚に不幸があったとかで仕事を辞し、実家に戻った。そしてある日、ミュッケンベルガー伯爵夫妻がとある帝国騎士の家のお茶会に招かれた折、その家の娘の美しさと気立ての良さを気に入り、是非養女にと願ったらしい。そしてその娘はミュッケンベルガー伯爵令嬢となった、という何かケレン味たっぷりな設定だった。

 

 これだけの工作をしたのに、わずか一週間で終わったのだ。恋の情熱ってすごいね。

 

 姉上の結婚準備で宮廷中が騒がしく浮ついているから、ミュッケンベルガー伯爵家の養女のことなど話題にもならなかった。うん、偶然だけど、良い時期に潜り込めたんだな。

 

 今ウルズラ嬢は、ミュッケンベルガーの屋敷で帝国大学への入学試験準備中だ。彼女は過去に二年も飛び級したほど成績優秀で、貴族女学院卒業後は大学に進学希望だったのに両親に許されず、嫁入り前の箔付けのために宮中メイドをしていたらしい。帝国では貴族女性の大学出は結構珍しいから、皇太子妃になる人が大学出というのは、良い宣伝になるかもしれない。ただし、合格してもほとんど邸内での通信教育になるだろうけど。

 屋敷内では伯爵夫人自らが宮廷の細々としたことを教えこんでいるらしい。結婚するまで二人の気が変わらなければ良いのだが。兄が他の女性に気を移したりしたら、伯爵家に顔向けできなくなるからなあ。

 

 兄は大体、俺の所に午後四時くらいからいらっしゃる。俺の毎日の学習が終わるのが三時くらいなので、どうやらそれに合わせて来てくれているようだ。今日もお茶をしながらウルズラ嬢のノロケ話をしてくる。正直そんな話、聞きたくないんだが、兄は彼女との恋愛話をする人が誰もいなかったらしく、俺は良いはけ口らしい。

 

 すると館の執事が俺への来客を告げた。侯爵夫人も不在だったし、予告なしの来客なんて珍しいと思ったら、何とそれはブラウンシュヴァイク公爵だった。

 

「皇太子殿下、リヒャルトさま。ご歓談中、突然お伺いして、真に申し訳ありません」

「構いません、公爵。紅茶で宜しいですか?」

 

 飲み物を勧めるが、公は口を付けようとはしない。何の用かと思っていたら、とんでもないことを兄の前で話しだした。

 

「リヒャルトさま、ヴェストパーレ嬢を、殿下のご学友として召し上げていただけませんか?」

「は!?」

「大変お気に召されたご様子、男爵も是非、殿下のお側で勉学に励ませたいとお考えのようで。長ずれば侍女として侯爵夫人にお仕えするのも宜しかろうと」

 

 おいおい、そんな建前、信じると思っているのか。長ずれば俺のお手付きにしたいんだろ。とうとうその手の話が俺の所にまで来たのか! こりゃヴェストパーレ嬢はもっとスゴイ目に合っているんだろうな。

 今、館の女主人である侯爵夫人は不在だ。どう考えても、兄にこの話を聞かせるために、狙ってこの時間にやってきたに違いない。

 

「ほう、リヒャルトが令嬢とワルツを踊ったとは聞いていたが、そこまで気に入っていたのか」

 

 兄がニヤニヤしながら言う。俺の弱みを見つけたのが嬉しいんですか!? 嬉しいんですね!

 

「はい、ワルツもですが、殿下はパーティの間ずっと令嬢と話し込んでおられて……。よほどお気に召したのでしょう。少々変わり者の令嬢と評判でしたが、なかなか賢い娘でもあるそうです。殿下のご学友には相応しいではありませんか」

「何歳くらいの娘なのだ? 公爵」

「八歳でいらっしゃいます」

「ふむ、年回りもよいな。当然愛らしい少女なのだな?」

「十年後には評判の美女となりますよ、皇太子殿下」

 

 やめてええええ! 本人抜きで話を進めないでえええええ!

 

「どうだ、リヒャルト。悪くない話ではないか」

「いえ、兄上。それはやはり断らせていただきます」

「えっ、何ゆえです。リヒャルト殿下」

 

 公爵は俺がこうもはっきり断るとは思っていなかったらしく、驚いたように目を見張る。俺はせいぜい神妙そうに渋面を作り、気まずそうに公爵から顔を逸らした。

 

「令嬢は素晴らしい方だと思いました。しかし、その……ヴェストパーレ家は公爵の縁戚でいらっしゃいますよね」

「はい、その通りです。由緒ある男爵家で、評判も良く……」

「しかし公爵ご自身が、この頃かなり評判が悪くなっているので、その縁戚と関わりを持つのは私としては避けたいと……」

「何と! 私にどのような悪い噂が立っているのですか!?」

 

 俺はちょっとした作り話を語ってみせた。

 

 曰く、このシュヴァーベンの館には多くの貴顕淑女が来られる。当然順番を待つ控え室がいくつかあり、貴族たちはそこで待っている間、宮中の噂話などをして、退屈を紛らわせている。そこで聞いた話なのだが、カストロプ公爵はやはりあの疑獄事件に深く関わっておられた。しかし追求の手を躱すために、皇女が降嫁されるほどの名門、ブラウンシュヴァイク家を動かし、法網をくぐり抜けた。首尾良くカストロプ公が尚書となった暁には、その地位を大いに利用して、自分とブラウンシュヴァイク公爵の懐を潤わせる密約を交わした、両公爵が裏で汚れた手を組んだ、そんな噂が宮中にあるらしい。勿論苦心して、子供の言葉で話したよ。

 

「私はその噂は初めてきいたが、誠なのか、公爵!」

「と、とんでもありません、皇太子殿下! 私はあの事件には誓って関わってはおりませんし、何の便宜も図っておりません! 皇女さまをお迎えするこの大事な時に、そのような愚かな真似、するはずがございません!」

「しかしこの前のパーティには、カストロプ公爵がいらっしゃっていましたよ、兄上。お二人は仲良しってことですよね?」

 

 公爵はゴクリと唾を飲み込むと、必死で首を振った。兄がいる時間を狙ったらしいが、裏目に出たね。

 

「カストロプ公がいらっしゃると、他の客が喜ぶのです。彼は話題が豊富で大層人気のある方ですから。それでお呼びしたというだけで……」

「でも兄上、公爵はクリスティーネ姉上に対して、自分が経済に明るいことを大いにアッピールしておられましたよ。公爵もお聞きになったでしょう? あの時は私も感心して公爵の話を聞いておりましたが、後になって彼の悪い噂を聞いたとき、あれは姉上に対する、えーと……」

「猟官運動か! 何と、姉上に対してまでそのような活動をしていたのか! 皇族を巻き込むつもりなのか!?」

 

 兄は怒り心頭の様子だ。家族思いの方だからなあ。公爵は益々慌て出した。自分の館で主催したパーティで、皇女に対して猟官運動がなされたと決めつけられては、たまったものではないだろう。

 

「決して、決してそのようなことは。確かに公爵からは、財務尚書への推薦を頼まれてはおりましたが……」

「尚書ってとっても大事なお役目なんですよね。就任前から悪いことをするような方を、ブラウンシュヴァイク公が推薦なさるなんて……!」

 

 俺は子供らしく、『大人ってキタナイ……!』って感じにショックを受けた風を装った。こういう手が使えるのって、10歳くらいが限度だろうな、きっと。

 

「リヒャルト殿下、誤解でございます。そのような者、私が推薦するはずがございません。財務省には経済に明るく、有能な官吏が何人もおります。私はその中の一人を推薦しようと思っておりました。身分が低いのでどうかと思っていましたが、彼は有能な上、清廉でもあります。彼の能力と人柄を皇太子殿下も見極めていただけませんか。殿下と私の推薦があれば、多少身分が低くとも、就任が可能かと」

「帝国の財政は必ずしも豊かではない。特に財務尚書は身分などより能力で選ぶべきだろう。公爵、是非その男を紹介してくれ」

「はっ、では明日にでも」

 

 おお、早い展開だ。公爵と兄が手を組めば、カストロプ公の財務尚書就任は間違いなく飛ぶだろう。

 後押しは侯爵夫人の侍女達を通じて、ブラウンシュヴァイク公爵がカストロプ公爵の推薦を断ったことを、宮廷内に流してやろう。原因は能力不足と就任後の不正の怖れアリ、とでもして。侍女や召使い間の情報は伝播力が強い。侍女達を通じて、高位貴族の夫人達に伝わり、サロンで格好の話題となるだろう。

 

 財務官僚といえば、ゲルラッハとリヒターしか知らないが、恐らく彼らはまだ頭角を表すには早すぎる。このような話の後で公爵が推薦する男ならば、恐らく本当に有能で清廉である可能性が高い。カストロプが就任するより悪い結果にはならないだろう。

 

 カストロプ公は未だ大した悪事を働いた訳ではないが、結果が分かっている以上、予防するのは当然だ。悪いが帝国の財政を食い荒らす白蟻には、早々に退場して頂くとしよう。そのほうが彼としても、結果的に自家の消滅を避けられる。

 

 彼は一生知らぬことだろうが、彼とその息子にとって、財務尚書となることは、滅亡への道の始まりだ。

 

「ところでリヒャルトさま、ヴェストパーレ嬢のご学友の件は?」

「……ブラウンシュヴァイク公爵の悪い噂が消えてから、改めて検討させてください」

 

 ……当初の目的を忘れてくれなかったか。こちらの件に関しても、策を練る必要があるのかも。


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