黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第11話   皇太子の恋

 昨夜は遅かったので、今朝の起床は10時頃だった。朝食はスープだけにしてもらい、侯爵夫人といつものように昼食を摂る。

 

「どうだったの、昨夜のパーティは」

「華やかでとても素晴らしかったです」

「ヴェストパーレ家の令嬢と踊ったそうね」

 

 怖っ! 何、その情報の速さ。

 

「男爵令嬢ですか……。ヴェストパーレ家は悪い噂は聞かない家ですが、やはりあなたには伯爵以上の令嬢が……」

「義母上、カストロプ公とはどのようなお方ですか?」

「カストロプ公?」

 

 ヴェストパーレ嬢の話を止めないと、恐ろしいことになりそうで、俺は強引に話題を転換した。

 

「昨日お会いしました。上品で話題も楽しく、人望もあるお方のようでした。しかし過去に疑獄事件に関わっていたと聞き及んでもいたのです。印象と違っていたので、どのような方なのか、義母上にお聞きしたいのです」

「あなたの印象は正しいですよ。公爵は上品で魅力的な方です。名門カストロプ家の名を汚さぬ方でもありました。しかし今は少しお変わりになられたようですね」

「えっ、そうなのですか?」

 

 詳しく聞くと、侯爵夫人は意外なことを教えてくれた。

 

 カストロプ公爵家は、大帝から直接公爵に叙爵された名門ではあるが、公爵家にしては支配する領域が小さく、他の公爵家に比べると、それほど豊かでもないらしい。オーディンからわずか3日の距離にあるというのに意外だが、ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムとは違い、航路の重要拠点からはやや外れている。そういえばお隣は地味なマリーンドルフだし、その又お隣は貧乏伯爵家のマールバッハか。確かにあまり交易上の旨味のある航路では無いな。

 

 それでも歴代の当主は公爵家としての対面を無理せずとも守っていたのだが、現当主オイゲンは、広がるばかりのブラウンシュヴァイクらの躍進に焦ったためか、高い地位を、つまり具体的に言えば、尚書の任命を受けることを望んでいるらしい。

 

 その頃、オーディンの官僚用住宅を大規模に新築することになったのだが、その請負先を巡って数人の高位貴族に金が渡っていたらしいことが発覚した。その中の一人がカストロプ公ではないかということらしい。しかし関わった建設会社の役員が二人ほど自殺して、事件は幕引きだった。今も昔も変わらんのね、そういうの。

 

 現在尚書の位を得るのに必要なのは、経験や能力よりも金がモノをいうそうだ。しかしカストロプにはそのような活動に遣うほどの金銭は無い。

 

 つまり尚書の位を得るために遣う活動費が欲しかった訳か。アマーリエ姉上がブラウンシュヴァイクに降嫁することも、彼の焦りに拍車をかけたのかもしれない。ブラウンシュヴァイクは外戚となるのだから、益々カストロプとの差は開くだろう。

 

 彼が望み通り財務尚書の地位を得れば、その地位をフルに使い、不当な蓄財を行うだろう。貴族の顰蹙を買い、平民の憎悪が皇室にまで波及する。そして国庫は蝕まれ、行き着く先はカストロプ動乱だ。

 

 阻止するべきだろう。未だ大きな権力を持っていない家だという。それならば上手くやれば……。

 新閣僚の任命は、大体年初めに行われる。まだ時間はあるはずだ。

 

 

 午後になると、また兄がシュヴァーベンの館に訪れてくれた。俺はちょうど流していた立体テレビドラマをそのままにして、兄を迎えた。

 

「兄上、ようこそ」

「どうだった。始めての宮廷外でのパーティは」

「華やかでした。とても豪華で」

「ははは、ブラウンシュヴァイク家は陛下の娘婿となられるのだ。権勢の盛りというものだからな」

 

 兄は屈託なく笑っているが、本心だろうか。このままでは、アマーリエ姉上とその子供は、皇位継承争いの強力なライバルとなってしまうのに。

 

 皇太子がおらず、後継者が皇女しかいないのなら今回の選択はアリだ。しかし兄は結婚しておらず、有力な婚家の後ろ盾は無い状態だ。生母であられる皇后陛下の実家は、あまり勢力も無い子爵家で、ご当主もオーディン医科大学の理事長を務める穏やかな文人肌の方で、政治的な口出しをする一族ではない。本来なら皇女はもっと政治的な野心がなく、軍事力も経済力ももっと少ない相手に嫁がせるべきだった。勿論、皇女に見合う身分や地位は必要だが、少なくとも帝国で一、二を争う野心的な大貴族に嫁がせるのは、不味かったと思う。

 

「兄上はいつご結婚されるのですか?」

「っっ! 私はまだ成人にも達していないのだぞ」

「それでは早くご婚約されるべきです。ブラウンシュヴァイク家に対抗できる有力な令嬢と」

「……6歳とは思えぬ、夢のないことを。結婚は愛し合う男女がするべきだとは思わぬのか?」

 

『お前たちは皇帝の子供として生まれたのだから、国家の命ずるままに、結婚するのですよ』

 

 いきなり立体テレビドラマが過酷な現実を指摘した。

 

「……だ、そうですよ、兄上」

『ミミ姉さまも母上さまも、愛する殿方と結婚なさったではありませんか! わたくしだとて!』

 

「ほらみろ、リヒャルト。ドラマでもそう言っている」

 

『ミミはミミです。お前は取り決め通りパルマに嫁ぐのです。皇族に恋愛結婚など許されません』

 

「やっぱりダメだそうですよ。兄上」 

「何だ、このドラマは」

 

 兄は立体テレビをブチンと切ってしまった。

 

「お前の年齢で観るものではないぞ。もっと夢のあるものを観なさい」

 

 おやおや、またお兄ちゃんぶってるな。子供は子供らしく、というところか。それに恋愛結婚に肯定的だ。誰か好きな女性でもできたのかな。

 

「兄上、パーティには可愛い子が沢山いました」

「気に入った娘でもできたのか?」

「いえ、私より兄上がどう考えても先でしょう。お好きな方はいらっしゃるのですか?」

「それは……」

 

 兄はうっすら赤くなったかと思うと、パタパタと手で顔をあおぎだした。うーん、わかりやすい……。そして俺の部屋をぐるりと見回すと、誰もいないことを確かめ、そっと声を潜めて囁いてきた。

 

「お前もここで何度も会っているだろう。私のメイドのウルズラ・フォン・クラッセンを」

「ああ、あの変わった髪色の女性ですね」

「美しい髪と言え」

 

 兄のメイドのウルズラ嬢は、兄がこの館を訪れるときに連れてくるメイドや侍従の中に、最近は必ず入っている女性だ。水際立った美女では無いが、端正で理知的な顔立ちで、スラリとした立姿が凛とした美しさで、気立ても良さそうな女性だ。しかし何より変わっているのはその髪の色で、黒髪なのだが、その中に金髪が混じっているのかキラキラしているのだ。しかもその髪が長い。メイドなので普段はしっかり纏めてきっちり編み上げているが、一度解いた姿を見たことがある。腰よりも20センチは長く、滑らかな輝くような髪で、確かにあれは美しかった。兄と同年代くらいに見えたし、並べてみればお似合いだろうな。

 

「うん? 何で自分は髪を纏めていないウルズラ嬢を見ているんだ? あっ、そういえばあれは兄上がこの館にお泊まりになり、朝食をご一緒しようと、寝室にお邪魔したとき……!」

「うわわわわ」

 

 気づいたとたん俺は兄をジト目で見てしまった。兄はますます赤くなってしきりに手をパタパタさせている。なるほど、もう既成事実はあるんですね。皇族がメイドに手を付けるのは鉄板ですもんね。あの時、兄もウルズラ嬢もしっかり服を着ていたので、そういう発想はしなかったからなあ。しかし兄上はアウグスト一世と同じシュミの方なのかも。

 

「言っておくが遊びじゃない。いずれは妃に迎えたいと思っている」

「彼女の生家は爵位をお持ちなのですか?」

「いや、……3代前からの帝国騎士で本家筋は子爵家だ。裕福な家らしいが」

「寒門ですね。それでは皇太子妃にはできないでしょう」

「だからお前に相談しているんだ。何か良い手はないかな」

 

 6歳の弟に相談ですか……。うーん、いい手ねえ。

 

「順当な手段としては、どこかの権門に養女に出す意外ないですね。少なくとも伯爵以上の位でなければ、皇太子妃としてふさわしくないと周りが騒ぐでしょう」

「それは私も考えたが、そんなことを提案するだけでも、反対に合うだろう」

「別にフロイラインを妃にするためと発表しなければよいのです。養女先の家には話しを通して、いずれは妃に迎えることを言い含めて、それまでは他言を絶対に禁じ、悪い噂を毛ほどもさせないことです。養女先も結婚までに、皇太子妃にふさわしい教育をしてくれるはずです」

「そうだな、どの家が良いと思う?」

 

 俺は貴族に詳しい訳じゃないんだが。そういうのこそ、側近の出番じゃないのかなあ。

 

「カストロプ家は絶対にダメです。現在評判が悪いですから。ノイエ=シュタウフェン公爵家……ダメですね、年頃の女性がいたはず。当然兄上の妃候補と考えているでしょう。リヒテンラーデ侯爵家……あそこも悪くありませんが、尚書候補と密接に繋がるのは不味いのかな。そうだ、ミュッケンベルガー伯爵家ならいいかな」

 

「ミュッケンベルガー? 名門だが辺境の伯爵家だぞ」

「はい、しかし武門の名門の名にふさわしく、当主の弟君が軍で確かな地歩を築いていることをご存知ですか? 彼の能力なら元帥にもなれるでしょう。声望と実力ある帝国元帥が妃殿下になられる方の義理の叔父ならば、強力な後ろ盾になります。それに現在の彼は大勢いる将官の一人でしかなく、本家が養女を迎えたとてあまり注目を浴びずに済みましょう。リヒテンラーデ家よりは目立たないですから、悪くないと思いますが」

「なるほど」

「まあ私などよりも、貴族に詳しい信頼できる侍従にご相談なさったほうが良いと思いますよ。帝国騎士の娘を養女になどしたくないと言い出す家もあるでしょうから慎重になさるべきですし」

 

 さりげに責任を回避しておく。宮廷の権力闘争の中心人物になった気分だ。原作どおりに、兄上の息子は姉上の娘と争うことになってしまうのかなあ。いや、兄上が亡くなったからこそ、外戚の専横が始まったんだから、まだまだ大丈夫だ。バカ皇子、エルウィン・ヨーゼフだって、赤ん坊のころからキチンと調教、いや、躾をしておけば、まともに育つ可能性もあるし。

 

 エルウィン・ヨーゼフは帝国暦482年生まれ。今から15年も後だ。もう少し早めに後継者を作ってくれれば、帝位継承もゴタゴタしないのだが。

 

 兄を介してミュッケンベルガーと繋がりを持てれば俺にとっては僥倖だが、エルウィン・ヨーゼフにとっては、ウルズラ嬢はやはり『弱い立場の母』だろう。いやその前に、彼女はエルウィン・ヨーゼフの母親なのだろうか。

 

 兄は多情な男ではないが、父の息子でもある。彼女が悲しい立場に追い込まれなければよいのだが。


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