バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。 作:入江末吉
ファイナルライブ外れて結局行って精力回復したかと思いきやいろんな企画参加したり新たな趣味を見出したりといろいろ忙しい相原末吉です。
ぽたぽた、ではなくぼたぼた。
頬から滴る雫は雨粒なのだろうか、雨水にしてはひどく生温い。
ああそうか、きっと俺は泣いているんだ。 そんなつもりも、泣いていい権利だって、ない筈なのに。
俺はどこに雫を落としている。
アスファルト、違う。
オレンジ色に照らされた、玄関だ。他人の家の、玄関に不躾に滴を零している。
なんでだっけ、俺は穂乃果ちゃんに、何しようとしたんだっけ……謝ろうと、したんだっけ。話をしに行っただけな気もする。
結局出来なかったが。
自虐心から嘲いが漏れそうだ。もはや自分で自分を嘲うことすら滑稽、まるで画面の中のドラマかなにかで悲恋を辿った主人公を見て何事も無いようにチャンネルを変えるみたいに、ひどく浮いた姿だ。
と、自分の姿を想像して変な笑いが出そうになったときだ。頭から何かを被せられた。それは暖かく、俺の身体中の水分を吸い取っていった。
そして、
「大丈夫ですか……?」
こんな俺に優しさをくれた。痛いだけなのに、苦しいだけなのに、それでもやっぱり人の優しさが嬉しくて。
みっともなく俺は背中に触れる暖かさに甘えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
妹が、亜里沙が彼を拾ってきた。拾ってきたって言い方は、少し失礼かもしれないけど。亜里沙の話を聞く限りでは拾ったという表現が正しい。
帰ってくる途中、大雨の中で倒れている彼を見つけたそうだった。幸い家が近くだったから、肩を貸すくらいで連れてくることが出来たそうだ。彼の精神状態からして、今穂乃果以外の女性に触れるのはひどいダメージになるだろう。
それでも、私は私で彼と話をしなければならないと思った。だから、穂乃果や雪穂ちゃんにも内緒で彼をこうして家に上げている。
彼に対し言いたいことが無いわけではない。しかし、すべてにおいて今回の出来事は夢、幻、そう思っても不思議ではなかった。
私たちはずっと一緒にいたからこそ、誰かが男の人に恋焦がれ、お互い好き合うという姿が想像できていなかった。
だからこそ、
私にとって園田海未という少女は、おばあさまから聞いていた古風な女の子の像にぴったり合うような、清純な女の子だった。
礼儀正しく、悪いことは悪いとはっきり言えて、男女の恋愛に疎く、それでいて奥手な少女。
奥手だったからか、彼女は彼を遠くから見ているだけで踏みとどまってしまった。その間に、親友だったはずの穂乃果は恋敵になってしまった。
たった一人の男の子を取り合って……ううん、取り合うなんてものじゃなかった。
穂乃果が彼を何も知らずに持っていってしまった。そう、何も知らずに。
あまりに豪快で、あまりに鮮やかで、こんな事態になってなお笑ってしまいそうなほどに、彼女は高坂穂乃果だったのだ。
「彼に触れてみたら、少しはわかるのかな」
玄関の方から、彼のすすり泣く声が聞こえる。懺悔しているのか、それとも自分の無力を呪っているのか。
どちらでもいい、彼を立ち直らせない限り、私たちはきっと元には戻れない。
あの、綺麗なままの、思い出のμ'sのままではいられなくなる。
私は亜里沙が持ってきた少し泥だらけのタオルを洗濯機の中へ入れ、新しいタオルで彼の身体を拭いた。その間、亜里沙はずっと彼の手を握っていた。
亜里沙と彼の出会いは去年の夏だ、電車の中で出会ったという。紳士的なところに惹かれたのか、それとも兄のように思っているのか亜里沙はよく彼の話をするし彼が穂乃果の家に住み込みで働くようになってから、よく穂むらへ遊びに行くようになった気がする。
私の大切な人のことたちのことを思えば、私が彼に手を差し伸べる理由になる。
「遠慮しないで、私はあなたを責めたりはしないから……だから、全部話してほしいの、今更じゃない」
彼を刺激しないように、私は語りかけた。後ろから包み込むみたいに、タオル越しに彼を抱き締める。
やましいことじゃない、彼の氷解した心を溶かすために必要な熱だから。
さめざめと、外の雨とは違って静かに嗚咽を漏らした。
すべてを聞いたあと、なおさら私は驚いた。
海未はそういう、男女の機微とか肉体関係だとかその辺りの言葉と一番遠い存在だと思っていた。だからこそ、やっぱり信じられなかった。
だけど彼の傷つきようからして、事実なのだろう。
「最初は、海未ちゃんは穂乃果ちゃんと付き合うための最後の試練だと思ってたんです。だけど、違ったんです。海未ちゃんは俺と穂乃果ちゃんが届かないところで繋がるのが怖かったんだと思います……全部、俺の想像ですけどね」
「合ってるんじゃないかしら。海未は追い詰められたら何をするか分からない子よ、そこだけは彼女の弱点だもの」
海未は流され易い子だと、常々思っていた。そもそもスクールアイドルを始めたのも、穂乃果がきっかけ。彼女の親も穂乃果が誘ったなら、と別段止めるようなことはしなかった。
だからこそ、もはや奪い取る以外に彼を手に入れることが出来ないと知ってしまったことで歯止めが利かなくなってしまったのだと思う。
彼は、たとえ浮気だとしても護ろうとした。μ'sを、穂乃果と海未の幼馴染としての友情を、頑ななまでに。それこそ、自分を壊してまで。
「何度もやめようって思いました。だけど海未ちゃんが救われるまでは、ってどうしても思っちゃって……そのうち気付いたんです、海未ちゃんとの行為にだんだん慣れていく自分に、なんだかんだ言って彼女と身体を重ねてしまう薄弱な自分に」
すごいストレートに言う彼。私は少々面食らってしまった。私も実はそういう話に耐性が無い。私はそっと亜里沙の耳を塞ぐだけで精一杯だった。
「あ、すみません……ちょっと品が無いですよね……」
「き、気にしなくていいのよ……大丈夫だから」
ちっとも大丈夫じゃないけれど。未だにバージンだから、ものすごく刺激が強い話なんだけども……そうじゃない。
「あなたは、十分頑張ったわよ。こうなるのは、ちょっとあの子達には悪いけど仕方のないことだったんじゃないかしら。どちらも傷つけずに、二人の友情を護るのは無理だったとしか……」
「それでも諦めたくなかったんですよ。小学生の頃から一緒だったんです……」
そうだろう、私はこの地に子供の頃から一緒にいる友達というのがいない。得た友達はそれこそ、すべて高校三年の夏からだ。
「あの、亜里沙……どういう風に励ましたらいいのか、わからないんだけど……」
と、そのときだ。ずっと私が耳を塞いでいた亜里沙が私の腕をすり抜けて彼の前に立った。彼は何を言われても受け止めるというように、まるで介錯を待つ大罪人のようだった。
しかしその彼に浴びせられた言葉は、鋭利な刃物ではなく、とても柔らかなものだった。
「私、お兄さんがお姉ちゃんの彼氏だったらなぁ、って思ってた時期があるんです。そうしたら、いつかお姉ちゃんと結婚して、お義兄ちゃんになってくれるかもって」
…………何を言っているんだろう、この妹は。しかもどうやら本心らしく私が焦っている理由が分からないらしかった。彼も彼で、ちょっと呆けてしまっている。
「だけど、どんなに想像してもお兄さんが私のお義兄ちゃんになってる姿は想像できなかったんだ。お兄さんは、雪穂のお義兄さんでいるときが一番しっくりきたの。だから、お兄さんは穂乃果さんと添い遂げるべきだ、って思ったんです」
彼はハッとしたように顔をあげた。少し前の呆けた顔が嘘みたいに、真剣な顔をして亜里沙の言葉を受け止めた。
「私は海未さんも好きです。尊敬してますし、あんな風に綺麗になりたいと思ってます。だけど、穂乃果さんと雪穂の隣にいるお兄さんが、一番かっこいいです!」
私の妹は、時々世間知らずなことを言う。それこそ、おでん缶を飲み物だと思っていたり、カレーも飲み物だと信じて疑わなかったり。
本当に悪く言えば世間知らず。だけど、良く言うなら純粋だ。私も忘れた純粋さをこの子は持ち続けている。
そうだ、私もこの子に救われたことがある。凍った心に楔を打ち込んでくれたことがある。それを、仲間が押し込んで、心を覆う氷を壊してくれた。
――――お姉ちゃんの本当にやりたいことは?
「そうよね、あなたはあなたがやりたいように動けばいい。いい? 穂乃果と海未はこのままだときっと自分を責めるわね。少なくとも相手を傷つけるような子じゃないもの。だから、壊れてしまったものを直すのはあなたしかいない。あなたにしか直せないし、それがあなたのやらなくちゃいけないことだと思う。取り繕うのとは別よ、もう壊れてしまったんだから。だけど、何度だって直せるはずよ」
私は彼を許そうと思う。彼の努力を認めようと思う。これからの彼を、見守っていこうと思う。
「わかり、ました……俺、まだどこかで壊したくないって思ってたんですけど、気付いてなかったんですね」
「誰だってそうよ、当事者はみんな気付かないの」
彼に向かって笑いかける。亜里沙も、心配そうに下げていた眉をまた元に戻して、ニコニコとした顔で彼を見つめていた。
ここから、もう一度。
「にしても、妬けるわね。穂乃果も海未もお熱にしちゃうなんて、私もそういう女になってみたいわ」
「絵里さんなら、男はすぐに引っかかると思いますけどね」
「馬鹿ね、あなたくらい素敵な人じゃないと釣り合わないわ」
だって、私たちはμ'sですもの。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はぁ~……よし」
すべてが終わった後、家に帰った。ずぶ濡れだったけど、着替える前に俺は最低限充電したスマートフォンを手に取った。久しぶりに熱を宿した相棒は気持ちいつもより早く起動した。
震える指先で、俺はそっと「高坂雪穂」と書かれた連絡先にダイアルする。
イヤホンで、どんな罵詈雑言でも受ける。聞き逃さないように、両耳を塞ぐ。そうだ、今の俺に何を言われても避けるわけにはいかない。
マイクの部分を口に近づける。画面を見なくても、鏡を見なくても分かる。ものすごく震えている。
出来ることなら、出ないでほしい。そう思う心がある。むしろその心の方が強い。また明日頑張ればいい、明日から頑張ろうって思ってしまう。
けどダメだ、這い上がるなら今日だ。そうだ、だって俺は、穂乃果ちゃんに会いに行った。あの行動は煽りから来たものだとしても、俺自身の心が俺を動かしたのだから。
『……もしもし、お兄さん』
「お、あ、うん……俺だよ」
きゅっと目を瞑る。普通なら、ここで切られてもおかしくない。心臓がバクバクなっている。イヤホンのせいか、耳に通ってる神経まで鼓動している。
「あの、出来れば切らないでほしいんだけど……」
『切らないよ、用があったから電話してきたんでしょ』
そうだ、話をするために俺はこいつを手に取ったんだ。
「俺、ようやくわかったんだ。だから、穂乃果ちゃんと仲直りがしたい。同時に、海未ちゃんと決着つけたいんだ」
『……もう遅い、って思わないの?』
「思ってるよ、だけど手遅れだからこそもう一回始めたいって思ってるんだ。都合が良すぎるって言われても構わない、俺はもう一度穂むらに住み込んで働きたいんだ」
バイト戦士じゃない、今度は本職にしたい。密かにそう思っているから。
「だから、一先ず俺を許してほしい。好き勝手に動いて、また掻き乱すかもしれないけど……」
『ダメ、許さないよ。お兄さんは、絶対一人じゃまた立てなくなる。だから、私も協力する。勝手は許さないけど、私の目が届くところで頑張るなら、私はお兄さんを責めない』
その一言は、俺が待ってた言葉とは違った。けど、俺は救われている。そう感じる権利なんか今はない筈なのに、とても救われている。とても安らかな気分だった。
「……雪穂ちゃんは、甘いよね」
『お兄さん限定だから、お姉ちゃんに代わる?』
「いや、今日はいい。けど、後日絶対に会いに行くから、だから……」
そこまで言って、熱を持ったスマートフォンは再び眠りについた。本当に最低限の会話しか出来なかった。
「だから、穂乃果ちゃんにもう一度好きだって伝えに行こう」
俺はすっかり自然乾燥の済んでしまった服を脱いで、久しぶりにジャージを身に纏った。心なしか、少しだけ大きくなった気がする。ここ数日で一気に痩せてしまったからかな。
『お兄さんは、ホント女の子に恵まれてるよね』
「かもな」
ぬいぐるみさんの声も、恨めしさが消えていたような気がする。
『ボクはお兄さんの妄想の産物さ、お兄さん以外には見えない。だけど、逆に言えばボクがいつでもついてるってこと忘れないでね』
「憑いてる、の間違いじゃない?」
『そうかもね、ウフフ……頑張ってね、お兄さん。ボクを、穂乃果ちゃんのところまで連れていってね』
そこまで言ってから、ぬいぐるみさんは姿を消した。不気味だと思っていたあの顔も、どこか可愛げがあるマスコットのような顔つきに見えた。
「ありがとう」
俺は、本当に恵まれている。周りに、こんなにいい人たちがいるからこそ、立ち上がれるんだと思う。
何度折れたって、みんながいる限りはまた立てる。
だから、今日はおやすみなさい。
また明日、朝日に臨むために。
久しぶりに書いたのでキレが無いですが、大目に見ていただければ嬉しいです。
長らくお待たせして申し訳ないです。