バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。   作:入江末吉

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あけおめ、今年もバイトダイアリーというか相原末吉をよろしく!


失楽、そして

 お姉ちゃんが眠りについて、しばらく経った。夜も遅いということで、私は絵里さんと亜里沙を家まで送り届けた。帰りは一人だったけど、身の危険なんか感じないほど私は焦っていた。

 ランニングコースは非常に脚に馴染んでいた。だから、どれだけ薄着で寒くてもスピードを落とすことはなかった。

 

 家に帰ってくると、お母さんとお父さんが既に閉店した店の中へ出てきていた。二人の間をすり抜けて、居間を通り過ぎ階段を駆け上がる。お姉ちゃんが起きてしまうかもしれなかったけど、気にしてなんかいられない。

 

「お兄さっ……!」

 

 私の声は途中で途切れた。なぜか、それはお姉ちゃんの部屋が広くなっていたから。実際には、そんなことあるわけがない。ただ、最近まであったものが何もかも無くなっていたのだ。

 二つのスーツケースに一つのボストンバッグ。その前に畳まれていた、男物の洗濯物。そして、お姉ちゃんのベッドに並んで敷かれていた布団。

 

 何もかもがそこから無くなっていて、彼も姿を消していた。だから私はお姉ちゃんの部屋が広いと錯覚したんだ。

 階段を上がってくる足音がして、そこにはお母さんとお父さんが立っていた。二人とも困惑した表情を浮かべていた。

 

「急に、出て行くって……穂乃果は? もしかして喧嘩でもしたのかしら……」

 

 お母さんはお父さんと顔を見合わせる。お父さんも理由が分からなくて、眉を下げていた。私は、拳を握り締めた。

 けど、矛先が決まらなくて、手を解いた。

 

「誰が悪いとか、あんまり言いたくないんだ……お母さんたちは、心配しなくても大丈夫だよ」

「……そう、わかった。けどもし、助けが必要なら私たちはいくらでも力になるから。親ですもの、それに彼ももう息子みたいなものだし。ね、お父さん」

 

 こくり、とお父さんは頷いた。比較的、厳格な方の父がここまで表情を柔らかくする人間はそうそういない。もう、お兄さんは我が家とは切っても切れないところにいたんだ。

 だけど無理やり捻って、切れてしまった。だから傷口は深く抉れている。

 

「お姉ちゃんは、しばらくそっとしておいてあげて。きっと一番辛いはずだもん」

 

 私は、どれくらい悲しんでいるのだろう。もしかすると、怒りの割合の方が高いかもしれない。でも、お兄さんにその矛先を向けた瞬間、火が消えてしまう。

 どうしてなのか、私自身にも分からない。

 

「好きだから? だから、私はお兄さんに手加減してるの……?」

 

 誰もいない部屋に私の声だけが跳ね返る。とにかく、今はお姉ちゃんだ。私の部屋で寝せているから、同じベッドで寝ることになると思う。一緒に寝るのはたぶん中学生の時以来だと思う。

 そーっと部屋の扉を開けた。明かりの消えた部屋。だけども私の部屋は同じ高さにある街灯が夜中は常に光っているから、カーテンを閉めると月明かりと同じような光が部屋を照らす。たまに眩しくて、寝れない夜があるくらいだ。

 

 ベッドに近づくと、布団の上に影が見えた。少しぎょっとして立ち止まると、お姉ちゃんだった。当然と言えば当然だけど、闇の中からすっと影だけ出てきたら誰だって驚くと思う。

 

「起こしちゃった?」

 

 お姉ちゃんは反応してなかった。ひょっとして寝惚けているのかな、そう思って近づいてみて言葉を失った。お姉ちゃんは寝惚けても、ましてや眠ってもいなかった。

 虚ろな表情で、うわ言を呟くように口をパクパクさせている。口からは、はっはっと呼気が漏れていた。半開きの口の中に、涙が流れ込んでいる姿は痛々しくて、実姉でなければ目を背けていたかもしれない。

 

「お姉ちゃん、風邪引いちゃうよ。一緒に寝よ、ずっと傍にいてあげるから」

 

 お姉ちゃんの身体をそっと倒して、私は着替えることもせずに布団に潜り込んだ。二人ともパジャマ姿じゃなく、私服で寝ている。返って、それがよかったのかもしれない。お姉ちゃんの身体は徐々に熱を取り戻してきた。

 不意に、お姉ちゃんの手が私の背中に回ってきた。私もお姉ちゃんの背に手を回して、ゆっくりと撫でていく。しかしお姉ちゃんは次の瞬間、私の首筋に唇を押し当ててきた。

 素っ頓狂な声を上げそうになった。お姉ちゃんの真意が分からずにドギマギしていると、お姉ちゃんの行為は次第にエスカレートしていった。

 

 そこでようやく気がついた。お姉ちゃんは私をお兄さんだと勘違いしている。夢を、とびきり性質の悪い悪夢を見ているんだって。

 けど、私はお姉ちゃんを強く抱き締めた。どこを舐められても、噛み付かれても、声を上げるもんかと歯を食いしばった。

 

「おやすみ、お姉ちゃん。目が、覚めるといいね」

 

 最後に呟いたその一言が憐れみに満ちていて、自分で嫌になった。お姉ちゃんがこんな目にあったというのに、どこかで明るい顔をしている自分がいる。

 不謹慎極まりない私の分身の口に無理矢理ガムテープを貼り、縄や手錠でガッチガチに拘束して抑え込む。

 

「バカなんだから……みんな、本当にバカ……」

 

 それから、私はお姉ちゃんをあやしている間に自然と眠りに落ちていった。だけど、目が覚めた私を襲った出来事はお兄さんの告白の次に衝撃をもたらした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 埃だらけなところ以外は、変に小奇麗な部屋の隅。彼はそこで蹲っていた。スマートフォンの通知ランプは紅く明滅しており、すぐ充電が切れることを示していた。

 携帯を充電する気力すら起きなかった。薄暗い部屋で、スマートフォンの画面をただただ撫でていた。ホームの画面に設定された穂乃果とのツーショット写真。そこに映っている男の顔を見る。

 

 バカ面と評せるほど間抜けな顔をしている。鼻の下を伸ばして、隣にいる彼女の肩をおっかなびっくり抱き寄せている。

 あの時のドキドキは今でも思い出せる。しかし、その彼を見る彼自身の目は虚ろで空っぽだった。意思というものが感じられない。瞳は画面の光が無ければ常闇のような、艶の無い黒に見える。

 

 彼は電池が切れる前に、フォルダを開いた。かれこれ、半年溜めてきた写真のデータが入っている。開けると、なんでこのタイミングで写真を撮ったんだろうという写真がいくつも出てくる。

 しかし彼はその写真の類をスクロールするほどに、呼吸が荒くなる。日にちを遡れば遡るほど、幸せな時間が画面から溢れてくる。

 

 過去の自分の笑顔がまるで今の自分を嘲笑っているかのような、ぐにゃりとした笑顔に見えた。俺は今こんなに幸せだぞと、閉じ込めた時間の自分が言っているような気がしていた。

 逆に言い返してやりたかった。その笑みを、ぐちゃぐちゃにする出来事が起きると。自分の姿を見せてやりたいとさえ思った。

 

 彼は点滅する赤ランプを見て、電池の残量を確認した。そして、その写真をフォルダごとチェックを入れた。

 

 そして、オプションキーに指を掛け削除のボタンを、押した。

 濁った瞳から一筋の涙が流れ、ベッドの布団に染みを作った。スマートフォンを放り投げて、彼はゆっくりと布団に倒れこんだ。

 

 もう二日もこうしている。辛うじて、部屋に持ってこられる飯によって空腹だけは感じずにいるものの、穂乃果に出会う前の生活を思い出していた。

 激務に身を曝す前の怠惰な自分に戻ってしまった。嘲笑の笑みは姿鏡に映る自分へと返る。

 

 そのときだ、彼のスマートフォンが震えた。ベッドからのそりと起き上がりスマートフォンを手に取った。着信だ、誰かが今彼に電話をかけている。

 相手は、高坂穂乃果。

 

 彼は通話ボタンを押した。彼女の優しい声が聞けるなどとは思っていない。どれだけ自分を呪う一言であっても聞かなければならないという歪んだ信念によるものだ。

 スマートフォンを、ゆっくりと耳に押し当てた。向こうの音が聞こえてくるが、彼女は喋らなかった。呼気のようなものが漏れている。はぁ、はぁという吐息の音が向こうのマイクに拾われている。

 

 しかし、通話をオンにしてから数分間。彼女は一言も喋らなかった。そのまま通話は切れてしまった。通話したことによってついに電池残量が3%を切ってしまった。

 

 今度はメッセージが飛んできた。送り主は、またしても高坂穂乃果。文面で彼女の謗りを受けるのは、冷たいと思ったと同時受けるべき罰のようにも思っていた。

 だが送られてきた文字の羅列を見て、意味を理解した瞬間彼の心臓は嫌な鼓動を打ち続けた。

 

 

 

『いきなり電話して、ごめんね。迷惑だったかな、本当ごめんなさい。それに一言も喋らなくて、ごめんなさい。喋らなくて、っていうのは違うかな』

 

『あのね、穂乃果。声が出なくなっちゃったんだ。喋りたくても、喋れないんだ。なのに電話しちゃうなんて、穂乃果ってバカだよね~。本当、バカだよね』

 

『本当はあなたの声が聞きたかったけど、ダメだよね。こんな彼女らしくない、彼女みたいにあなたを包んであげられない女の子じゃ、喋りかけてもらえないよね』

 

『ごめんなさい、本当にごめんなさい』

 

 

 

 穂乃果はまだメッセージを送ろうとしたのかもしれない。しかし、彼のスマートフォンはそこで力尽きた。断末魔のようなバイブレーションで彼の手から滑り落ちて、床を跳ねた。

 

「あ、ああ……っああ、ああああああ……」

 

 先ほどとは比較にならないほど涙が伝う。壁に叩きつけた拳が裂けて血が滲み出す。握り締めた拳を下ろすと、そこへ涙が落ちた。

 

「俺のせいだ……俺のせいだ……俺のせいだ、ごめん穂乃果ちゃん……ごめん、本当にごめん……っあ、くっ……ふ、ぁ……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 お姉ちゃんは声を失った。ショックで部屋に閉じこもってしまった。私は冬休みですることがない。受験は夏に済ませたから、この冬は家族や友達のために使うことにした。

 ひとまず、お姉ちゃんとお兄さんの職場に行った。サービスカウンターへ赴くと、私を客と勘違いした係員の人たちが揃って挨拶してくる。

 

「あの、高坂穂乃果の妹です」

「あら、いらっしゃいませ。今日は買い物?」

 

 レジ部の主任さんを訪ねるとしばらくしてから彼女は現れた。私は会釈をして、一連の話をした。

 と言っても、お姉ちゃんが喋れなくなってしまったことと、そのことでしばらくの休職を頂きたい、という話だ。

 

「なるほどね……わかりました。良くなるかはわからないけど、彼女によろしく言っておいて。それと、あの馬鹿旦那に一言――――」

「すみません、お兄さんはもう家にはいないんです……もっとも、お兄さんああ見えて実際真面目だし、お姉ちゃんに申し訳ないと思って出て行ったんだと思います」

「ずいぶん買ってるのね、彼のこと」

 

「大好きですから、お兄さんのこと」

 

 万が一、お姉ちゃんが再起不能になってしまったなら、私が彼を捕まえる。それくらいのつもりでいるから。私は、お兄さんを許せる。

 下手したら、海未ちゃんのポジションにいたのは私かもしれないから。私はお兄さんを責めることは出来ないし、お姉ちゃんを間抜けだとも思わない。

 

 どちらも大切だけど、負けられない。もう一度私にチャンスが巡ってきた。そう考えてしまう。

 

 主任さんに会釈をしてその場を離れた。その際、チラッとレジのスペースを見た。もう年末商戦も中盤に差し掛かったとはいえ、お客さんの山で溢れかえっていた。お兄さんの話していた室畑さんや白石くんも既にレジに入ってお客さんの相手をしている。夜間の人間も昼に働きだすこの時期、一番お兄さんやお姉ちゃんの力が必要なときなんじゃないかな。

 

 身内だから、とても申し訳ない気持ちになった。やっぱり、馬鹿なことは考えないでお姉ちゃんだけでも立ち直ってもらうしか……でも、ショック性の失声症。確実に治るかわからないし、治ってもきっと凄い年月が掛かってしまうかもしれない病にお姉ちゃんは苦しめられてる。歌うのは得意じゃなかったけど、スクールアイドルとして生きて、歌や声の力を知ってるおねえちゃんから声が奪われた。普通の人以上に辛いと思う。

 

 こうやって、どっちか割り切れないから私はいつも蚊帳の外なのかもしれないなぁ。

 

 複雑な心境が自嘲の笑みに現れる。その笑みを消して、蓋をするようにイヤホンを耳につけた。新曲だ、まだ歌詞が出来てないからインストだけの……私と亜里沙の、初めてのラブソング。

 亜里沙は雪穂にしか出来ない歌詞だ、なんて言ってくれたしお姉ちゃんもお兄さんも何も知らずに応援してくれた。でもこの曲の歌詞に、私の閉じ込めた思いを乗せるのはどうしても抵抗があった。

 だからか、やっぱり歌詞付けは進まない。お兄さんに、お姉ちゃんって彼女が出来たとしても気持ちの整理はつかなかった。まだどこかで、私を見てくれる。いずれ家族として愛してくれる、そんな甘えがあった。

 

 だったら、今度こそ私は決着をつける。この気持ちを、閉じ込めるのではなく意識の底に。深い海の底に沈める。

 決めたら、やることは一つだ。私は家へ向かわず、スマートフォンを取り出して亜里沙に連絡を取り始めた。

 

 

 

「あ、もしもし。亜里沙? うん、私。ちょっと話があるんだ、亜里沙の家に行ってもいいかな」




そろそろ糖分不足だろ、と思って風呂敷を纏める準備をしてる(大嘘)
まぁ、こんなことやらかした分だけの大舞台を用意するつもりはある。

いずれ、なんでこんなことをしたのかっていう補足みたいなのをあとがきでやりたいのでこれからもよろしくお願いいたしまする。


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