バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。   作:入江末吉

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あれから 前編

 あのお泊り会から一ヶ月くらいが過ぎた。穂乃果は久しぶりに海未ちゃんやことりちゃんと遅くまでお話出来て、懐かしくてとても嬉しかった。彼がいて、小学生の頃の話がとても弾んだ。

 けど、あの日から彼の様子が少しずつ変わり始めていった。最初は特になんてことはなかったのに、最近ではもう目に見えて彼はおかしい。

 

 自分でも分かってるし、直さなきゃなって思ってた穂乃果の生活リズム。それにすら、彼はついてこれなくなっていた。

 

 まず、朝昼晩に彼が食べるご飯の量が極端に減った。最初は雪穂もお母さんも、穂乃果も急に遠慮しだしたなんて笑っていたけど……

 

 次に、彼は朝に弱くなった。もうすぐお昼になる、という時間に目を覚ますことが多くなった。夜、寝るのも遅くなったような気がする。

 そして彼は、寝るときいつもそっぽを向いている。そして、ようやく寝付いたかなと思えばうなされ始める。まるでずっと悪い夢を見ているように。

 

 とどめに仕事中のミスが日に日に増えて行って、大きくなっている。一昨日も、四桁以上の金額の誤差を出して始末書を書いていた。

 昨日はそれを考慮して、穂乃果がキャッシャーに回ったんだけど今度は籠に商品を入れる速度が極端に落ちていたり、卵のパックを持ったままぼーっとして声をかけるとそのパックを落としてしまった。

 

 どう考えても、おかしい。何かある、そう考えるのが普通だと思う。

 穂乃果は彼の抱えてる何かを突き止めて、溶かしてあげなくちゃいけないんだとも思う。恋人だし、このまま放っておいたら壊れちゃう気がするの。

 

 でも、流石に穂乃果だけじゃ分からない。ここで頼りになるし、何か知っていそうな人間に協力してもらうのが良いかもしれない。

 職場に電話して、彼を休みにしてもらうと私は海未ちゃんとことりちゃんに電話をかけた。

 

 最初は海未ちゃんにしよう。ずっと穂乃果の面倒を見てくれていた海未ちゃんだもん、彼のこともきっちり立ち直してくれるに違いない。

 

「もしもし、海未ちゃん?」

『……は、はい……私、です』

 

 なんだか海未ちゃんにしては言葉が途切れ途切れで歯切れも良くない。もしかしてお取り込み中だったのかも。

 

「ごめんね、時間が無いならあるときに掛け直してくれると嬉しいな」

『いえ、時間はあるのですが……ほ、穂乃果から電話が掛かってくるのが久しぶりな気がして……』

 

 む、確かに。前はことりちゃん経由でお泊り会の計画を立ててたから、海未ちゃんに穂乃果から連絡を取るのはずいぶん前、海未ちゃんの家に彼と遊びに行ったときだったかな。

 

「あの、お願いがあるんだけど……今日一日、彼の面倒を見てほしいの」

『な、なぜです?……もしかして、具合でも悪いのですか?』

「う~ん、具合が悪いのかはわからないんだけど……ここ最近様子がおかしいから」

 

 そう言うと、海未ちゃんは押し黙ってしばらくすると「……分かりました」と頷いてくれた。穂乃果は今日仕事だから、海未ちゃんが来れる時間には家にいられないけど帰ってくれば海未ちゃんが彼をシャキッとさせてくれるはず!

 

 結局彼は昼間まで起きてこなかった。起きたかと思えば、水を飲んでもう一度部屋に戻ってしまった。一度、話をしておかなくちゃね。

 

「あのね、今日お仕事お休みだって」

「え、どうして……?」

 

 えっと、どうしようかな。穂乃果の独断だって思われたら怒られちゃうかな…………えっとえっと。

 

「あの、室畑くんが休み代わってほしい日があるんだって! 勝手に返事しちゃって、ごめんね?」

「いや、いいよ……ごめんね、こんなことまで」

 

 彼は力なく笑いかけると階段を上っていった。その背中は少しだけ寂しそうで、けどその殻の中に何かを隠し持っている気がして。

 穂乃果は胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、歯がゆさを感じた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 今日は仕事が休みになってしまった。室畑くんのことだ、きっと休みの日はとても大切な用事に違いない。元スクールアイドルの恋人と現役スクールアイドルの義妹を持っているから分かる。

 室畑くんはアイドルのおっかけしてるし、その軍資金にバイトをしている苦学生だ。たまにご両親からの仕送りまで軍資金に突っ込んで死に掛けているのはどうかと思う。

 

「とにかく、今日は休みだ。どこかに行こうかな」

 

 あ、そっか……穂乃果ちゃんは仕事なんだ。となると、今日はずっと一人か。どこかへ行くにしても、隣には誰もいないのか。

 

「なら、ちょうどいいか……」

 

 それからしばらくして穂乃果ちゃんが仕事へ向かった。俺も少し防寒に気を使って上着にマフラーをかけて靴に足を突っ込んだ。すると居間からお母さんが出てきた。

 

「あら、今からお出かけ?」

「ちょっと、考えたいことがあって……すみません」

「謝ること無いのよ、何かあったらおばさんでも相談に乗るからね」

 

 ありがとうございました、って小さくお礼を言って引き戸を開けた。どこがいいかな、自分を省みることが出来る場所は。

 

「いろいろ、回ってくるか」

 

 決まれば、足は自然とあの公園へと向かっていった。並木道に設えられたベンチ、あそこで穂乃果ちゃんに気持ちを伝えたんだっけか。すごいどさくさ紛れだったような気もするけど。

 それでも俺たちは繋がった。子供の頃の憧れに届いたんだって、あの頃は手放しで喜んでいたけど……

 

 俺の脳裏にはあの時の穂乃果ちゃんの言葉が駆け巡っていた。

 

「もしかして、海未ちゃんが好きなの……か」

 

 あの時、勘違いした穂乃果ちゃんが俺にそう言って。穂乃果ちゃんはもしそうなら応援するし手助けもするって言ってた。俺が穂乃果ちゃんに好きだってそのとき伝えてなければ、俺は後悔を持ったまま海未ちゃんと付き合うことになっていただろうか。

 

 でも付き合わなかった、俺が先に穂乃果ちゃんと繋がってしまったから。だから、今こうして頭を悩ませている。

 

「俺、どうしたらよかったのかな」

 

 答える人間はいない。俺の周りには既に人が誰もいない。もちろん、答えてほしくて呟いたわけじゃない。ただまだどこか他人事のように考えている頭に理解させようとしているだけだ。

 俺は、恋人に隠れて他の女の人を抱いた。しかも恋人の幼馴染で、俺の旧友。ある意味で俺の幼馴染とも言えるかもしれない。

 

「…………はぁ」

 

 どうして、拒めなかったんだ。すぐ傍には穂乃果ちゃんだって寝ていた、ことりっちだっていたのに……

 でもあの時、海未ちゃんを拒んでしまったら彼女は壊れてしまったんじゃないか、そんな気がした。言い訳に思えるかもしれない、けど俺はああしないと海未ちゃんは……

 

「守ったんじゃない……俺は、守ったんじゃない」

 

 そうだ、一方を守って結局壊してしまったじゃないか。穂乃果ちゃんへの一途な気持ちを、自分で殺してしまったじゃないか。

 抱いた海未ちゃんの身体はどうしようもなく綺麗で、魅力的で、その身に一夜ですら溺れてしまった。最後に彼女の身体を貪りに行ったのは俺自身だ。

 

「どうすりゃよかった、俺はどっちを取ればよかったんだよ」

 

 この悩みを抱えた先人たちに問いたい。どこかにそんな人はいないのか、もう一度スレを立ててみるか?

 いいや、この悩みは自分で抱え込むべきなんだ。誰かの手を借りようなんて甘い考えは捨てろ。

 

「次は、どこに行こうかな」

 

 この公園と職場以外に穂乃果ちゃんとの思い出を遡るには、もう学校くらいしか俺には残されていなかった。

 

 俺たちが通っていた小学校は、俺の自宅からなら歩きで五分も掛からない場所にある。公園から、馴染みの道をポケットに手を突っ込みながら歩いていた。

 もう街灯が灯ってもそこに虫が集まらない。生き物に厳しい季節になったんだな、と吐く息の色が教えてくれる。

 

「この道、こんなに短かったんだな」

 

 卒業してから、何気に一度も歩かなかったこの通学路。この道を歩き続けた六年間は長くて、広い道だなぁなんて思っていたのに大きくなると今までの世界が小さくなったみたいだ。

 そんな哀愁が通学路に満ち溢れていた。その道を抜けると、植えられた木々に囲まれたグラウンドが見えてきた。端の方には体育倉庫があって、その隣には陸上部が使うハードルとかの用具が置いてある倉庫があって。

 

 冬になると小学生は早帰りになる。だから職員室以外の明かりはもう消えてしまっている。だからグラウンドの横にある芝生に寝転んだとしても、誰も気付かない。

 もっと厚着してくればよかった、寝転んだ先の芝生が少し凍り始めていた。さすがに早すぎやしないかとも思ったけど、もう師走だ。

 

「このグラウンドも、こんな小さかったんだ」

 

 せいぜい俺のお腹ぐらいの身長の子たちが駆け回るステージだし、そこまで大きくある必要はないとしても。

 

『ことりちゃんこっち~!』

『待って~、穂乃果ちゃぁ~ん!』

 

 幻聴にも似た感覚、頭の中に残っているあの頃の穂乃果ちゃんの声だ。お転婆で、周りのこと一切合財考えないで直感的に突っ走る暴風小僧みたいな女の子で。

 

 ことりっちはそんな穂乃果ちゃんに翻弄されつつも楽しそうに追いかけてて。

 

 そんな中海未ちゃんは顔を真っ赤にして、

 

 

 

 

 

「――――何やってるんですか!!!」

 

 

 

 

 

 やばい見つかったか、なんて思ったのも束の間、聞き覚えのある声だと気付いた瞬間身体が飛び上がった。

 上体を起こすと視界が九十度変わる。そこには上着とマフラーという誰かに似た格好の女の子が立っていて、肩を喘がせていた。

 

「はぁ……穂乃果から、っ面倒見てほしいって頼まれたから、家に行ったら……深刻そうな顔して外に出たって……! 心配したんですよ……っ!」

 

「……海未、ちゃん……どうして、ここが」

 

「知りません!! 思い当たるところ全部走ってきたんです……!!」

 

 怒ら、れている、らしい……唖然として、俺は海未ちゃんから目を離せなかった。本当に走ってきたらしく、呼吸が落ち着かないまま膝に手をついて肩を激しく上下させている。

 前髪もぺったりと額に張り付いてて、彼女はそれを左右に分けて顔を露にする。薄暗くて、よく見えないけど、目尻に涙が溜まっていた。

 

「わ、私のせいで……変な気を起こしたんじゃないかって……」

「いや、そんなつもりはまったく……気を使わせちゃったな」

 

 本当です、と彼女は俺に強く吐き散らした。そしてずかずかと俺に歩み寄ってくると、ドンと強く俺を突き飛ばした。俺より少しだけ小さい海未ちゃんのど突きは俺に尻餅をつかせた。

 

「良かったです、何も無くて……本当に良かったです……」

「あ、あ……うん……」

 

 突然続きに俺の頭はついていかず、ただ目が点になっていた。しかしようやく頭が働いたかと思えば出てきた言葉は冷え切っていた。

 

「じゃあ、俺もう帰るよ」

「え……待ってください、話があるんです……」

「俺にはないよ」

 

 海未ちゃんを突き飛ばし返して、フェンスに手を掛けた。これを飛び越えて、さっさと帰ろう。

 そうか、穂乃果ちゃんが今日俺を休みにしたのはこういう理由があったんだ。穂乃果ちゃんにまで、気を使わせていたんだな。

 

「最低だ、俺」

「待ってって、言ってるじゃないですか……」

 

 くっと、俺のコートの裾を掴む海未ちゃん。指先で摘んでいるだけなのに、どうしてここまで俺を縛り付けることが出来るんだろう。

 金縛りのように、腕が動かない。

 

 振り返ると、海未ちゃんの手袋に包まれた手が俺の頬を包み込んだ。まずい、そう思ったときには遅く海未ちゃんは背伸びをして俺に頭突きするように唇を重ねた。

 

「やめ、ろって! なんでそう、いつも……いつも……」

「あなたが好きだからですよ…………我慢出来ないんです、あの日から……布団に入ればあなたのことしか考えられないんです……」

 

 海未ちゃんの手を振り解く。唇にはまだ彼女の感触が残っている。穂乃果ちゃんとは違う、少し薄い唇の感触。そして彼女に撫でられる感触。彼女はここまで扇情的なキスを素で行う。だから俺も抗えなくなる。

 

「あなたに触れられるだけで暖かくなるんです。あなたの熱が欲しいんです……」

「自分で、言ったじゃないか。俺は海未ちゃんのものにはなれないって」

 

 そう言うと海未ちゃんは押し黙った。でも手をキュッと握り締めて、唇まで噛み締めて俺の言葉を待っているようにも見えた。

 

「……あ、あなたは、もう共犯者です……だから、だか……だから」

 

 共犯者、その言葉はずしりと俺に圧し掛かっていて。俺が海未ちゃんを裁くことは出来ないということだ。裁くなら、俺は穂乃果ちゃんに裁かれる。

 

 

 

 それだけじゃない。俺がこのことをバラせば、恐らく二人の友情に亀裂が入る。これ以上無いくらいのバッドエンドに直行してしまう。

 

 

 

 ダメだ、それだけは……ダメだ。

 

「だから、って……こんな、隠れて……俺には、出来ない……」

「あなたは、しなくていいんです。あなたの"モノ"である私が、勝手にやるんです……そう、思えばいいじゃないですか」

「良くないよ!! そんなの屁理屈じゃないか!!」

「屁理屈でもあなたに愛してほしいんです!!」

 

 それは無理だ、その言葉も彼女の唇に遮られた。俺の身体は拒みもしなかった。噛み締めた唇から、暖かい鉄の味がし始めた。

 

「血が、出てますね……」

 

 待っていてください、というと彼女は口角に溜まって、垂れ始めた血液を舌でなぞり始めた。彼女の舌と唾液の感触、そして響く音が俺の脳を麻痺させる。そう、あの時のように。

 彼女の唾液が唇の傷口にピリッという刺激を与えて、今度こそ目が覚めた。

 

「本当に、ごめん。君の気持ちに気付けなくて……」

 

 何をしているんだろう、俺は突き飛ばすつもりの彼女の身体を強く抱き締めてしまった。でも、彼女が知らない女性なら俺だって容赦しなかった。

 でも、でも海未ちゃんは友達だから……どうしても最後の最後でブレーキがかかってしまった。

 

「暖、かい……あなたの中は、こんなにも暖かい……今だけ、少しだけでいいですから……このままで」

 

 さらなる深みに嵌ってしまった。もう抜け出すことは出来ないかもしれない。

 

 この淫靡な沼の中で、俺は出口を求めてもがき続けるのだろう。

 

 

 

 

 それが、俺に与えられる相応の、いやそれ以上の罰だ。

 

 

 

 

 




みんながおっかなびっくり読んでる様が目に浮かぶようでした←

あ、これ前編です。
ちょっとゴッドイーターやモンハンに浮気しまくってたので、しばらくは執筆に戻ってこようかと思います。

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