バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。 作:入江末吉
薄暗い部屋の中で、俺はひたすらノートパソコンの画面を見つめていた。
瞬きを忘れるほど、食い入るように画面に釘付けになっていた。かれこれ数分瞬きをしようと思わなかったかもしれない。
画面の中の彼女は今よりもまだ幼げがあった。けれど、そこには今と変わらない輝きがあった。
彼女の、穂乃果ちゃんの軌跡を最初から見てきた。風邪を引いているのにも関わらず、ずっとずっと画面の中の彼女に夢中だった。
初め、彼女たちが世間へと飛び出したPVの穂乃果ちゃんはお世辞にも笑っていたとは言えなかった。
だがその次のPVはどうだ、そこから彼女の笑顔は仲間が増え、回数をこなすたびに研磨されていった。そして、俺が知っていたスクールアイドル史上に残る秋葉の通りを占拠した"スクールアイドルみんなのライブ"。
やはりμ'sは中心にいた。その中心に彼女はいた。初めのライブとは段違いの笑顔を浮かべ、まさに王者の風格ともいえる魅力を画面の外まで放っていた。
そう、しかもこの公式映像は空から撮影されている。スクールアイドルの情報サイトを片っ端から調べてまわり、このライブはμ'sが発端であることがわかった。
つまり、μ'sにはそこまでの影響力があった。そのリーダーの穂乃果ちゃんには、まさにアイドルとしての才能……華があった。
比べて、俺はどうだ。穂乃果ちゃんが世間へ飛び立っていく傍ら惰性で高校生活を使い切り、社会的な底辺に落ちそこから這い蹲るように上がっているだけ。
同じだと、俺たちは言った。けど違った、彼女には築き上げてきた彼女自身の魅力がある。俺には、何も無い。
平凡すぎる、彼女の隣にいるには俺はあまりに平凡すぎる。
紛い物が本物の輝きを損ねるように。俺が彼女の隣にいるだけで彼女を貶めることになりかねない。
俺のせいで穂乃果ちゃんがくすんでしまう。そう思っただけで、彼女の隣の席の価値を改めて理解した。それは俺にとって富士の山を越えるよりも、ずっと難しい。
その時だ、部屋のドアがノックされた。当然、うちの親はノックなんかしない。となると、必然的に家族以外の人間ということになる。
もし穂乃果ちゃんだったら、どうしよう。部屋には入れられない、そう思っていた。しかし、
「……どうぞ」
そう言葉にしていた。幸い、開いたドアから入ってきた来客は穂乃果ちゃんではなかった。
「具合は……あんまり良くなさそうだね」
雪穂ちゃんだった。彼女は俺の顔を見るなりそんなことを言った。思わず部屋の姿鏡を見てみた。
汗でぐしゃぐしゃになったシャツに髪の毛、おまけに目の下は真っ黒だった。睡眠不足と、恐らく長時間の自問自答によるストレスからだった。
「酷い顔だ……」
冗談ではなかった、雪穂ちゃんもいつものように悪乗りはしなかった。彼女も近づいてくるなり俺の額に触れて、検温をし始めた。それが昨日の穂乃果ちゃんを思い出させ、事実を連想的に思い出して吐き気を催したがなんとか堪えていた。
「ほら、病人なんだから寝てないと……」
雪穂ちゃんはそう言って俺からノートパソコンを取り上げようとした。俺も特に抵抗しようとはしなかった。だけど雪穂ちゃんは画面を見て、手を止めた。
「μ's……お姉ちゃんに聞いたの?」
嘘をつく意味がなかったから、俺は頷いた。雪穂ちゃんは俺に掛ける言葉を探しているみたいだった。だから、先に俺が口を開いた。
「いやぁ、驚いたね。穂乃果ちゃんの活躍もだけど、俺の無知と馬鹿さ加減は。笑っちゃうでしょ?」
なんせ生ける伝説相手に必死になって一喜一憂。相手はそんな次元の人間じゃないのにさ。
「そんなことないよ、元はと言えば言わなかった私が悪いんだから」
それこそない。俺の扱いが雑とは言え、穂乃果ちゃんのことを俺に言わなかったのは雪穂ちゃんが俺に気を使ってくれたからだろう、だからこそそのまま浮かれ続けた自分の姿は滑稽でしかない。
俺はノートパソコンを閉じながら、ぼそぼそと呟いた。
「俺は、穂乃果ちゃんの隣には立てないよ」
気温が下がったような気がした。雪穂ちゃんはしばらく無言だったが、やがて俺に尋ねた。
「それ、諦めたってこと?」
「そうじゃないよ、でも仕方ないよ」
――画面の中の、今なお輝き続ける笑顔を曇らせるわけにはいかないよ。
「ねぇ、やめよう? お兄さんらしくないよ」
雪穂ちゃんはそう言う。確かに俺らしくないかもしれない。どんな客が来ようと、絶対に屈しないバイト戦士の俺らしくはない。
ただ、恋愛にバイト戦士の称号は要らない。だから俺らしさなんか、端からこの案件には存在しなかったんだ。
俺らしさが、俺には分からなくなっていた。
「諦め切れるの? お姉ちゃんのこと」
いつもなら考えられないくらい、諭すような優しい声音。だけど俺が平行線から抜け出すには至らなかった。
諦めがつくのと、諦めざるを得ないのは同じ"諦める"でもまるで違う。後者は、納得などさせてもらえない暴虐な世界の理不尽の犠牲だ。
いいや、美しい世界と華のある彼女が俺へもたらす最高に残酷な事実だ。
「俺じゃあ、穂乃果ちゃんには見合わないんだよ。穂乃果ちゃんは、スクールアイドルの歴史に名を遺す人間だ。いつまでも色褪せない穂乃果ちゃんとその仲間、μ'sの伝説が今なお残っているんだから。そしてそんな彼女の輝きに当てられて見えなくなるほどちっぽけで透明なやつだって世の中には当然存在する。それが俺だよ。それだけならまだ良い方さ、俺は穂乃果ちゃんの汚点になりたくないんだ。それこそ死んでも嫌だね。だから、俺は穂乃果ちゃんに相応しく――――」
泥を吐くように、俺がそう吐き散らしたときだった。
「そんなことないよ!! だって、だってお兄さん頑張ってるじゃん!!!」
一喝、思わず顔を上げて雪穂ちゃんの方を向いた。
「私は、お姉ちゃんの隣はお兄さんじゃなきゃ嫌だ。
だってお兄さんほど、お姉ちゃんのために必死になれる人を知らないもん。お父さんやお母さん、お婆ちゃんや私に向かってお姉ちゃんへの気持ちをぶつけられる人他にいないよ!!
私が見てきたどの男の人よりお兄さんは頑張っているんだよ!!」
言葉が出なかった。あんなのを、頑張ってきたと言ってくれる雪穂ちゃんの顔をただただ見つめていた。涙を流す雪穂ちゃんが俺に衝撃をもたらした。
どうして泣いているんだろう、熱に浮かされたようにそんなことを思い浮かべる頭。
俺のせい?
違う、雪穂ちゃんはきっと俺のために泣いてくれているんだ。俺が泣かないから、俺が嘘をついているから。
「許さないから、お姉ちゃんを諦めたら絶対許さないから……私の大好きなお兄さんは、お姉ちゃんを諦めたりなんか絶対しない。気付いてないだけだよ、お姉ちゃんが笑顔に出来るのはお兄さんだけじゃない。だけどお姉ちゃんを笑顔に出来るのは、今はお兄さんしかいないんだよ。」
「お兄さんは、風邪で滅入ってるだけなんだよ……きっとすぐ元に戻れるから。お兄さんとお姉ちゃんに差なんかないんだよ……だから、諦めないで」
雪穂ちゃんは俺のぐしゃぐしゃの頭を抱き締めた。熱で死ぬほど熱いのに、夏の日差しが部屋をサウナにしているのに、昨日俺に刺さった氷柱をようやく雪穂ちゃんが溶かしてくれた気がした。
彼女の真摯な姿勢が、俺を救ってくれた。気持ちがころころと変わっていったのに、戻るのすらこんなにも素早い。
「俺、穂乃果ちゃんの隣に行ってもいいのかな……」
「いいんだよ」
「俺……俺、穂乃果ちゃんのこと好きでもいいのかな……」
「いいんだってば」
「おれ、ほのかちゃんとけっこんしたいっておもってても、いいのかなぁ……」
「いいって!! 思うだけならタダだよ!!」
雪穂ちゃんがそう言った瞬間、おかしくて笑ってしまった。
笑ってしまったのに、涙が止まらなかった。
「それどうなのよ、思うだけならタダってこういうところじゃ使わないでしょ……ははっ……!」
「泣きながら笑わないでよ、こっちまで笑っちゃうじゃん……ふふ、あはは……!」
2人して、笑って泣いていた。俺に関しては、咳き込んで、むせて、それでも笑い続けた。それでいて、やっぱり泣いていた。
人は嬉しい時だって、涙を流せるんだって思い出した気がする。
そんな1日だった。
あれから数日、見事に穂乃果ちゃんが風邪を引いた。どう考えても俺のせいだね、
というわけで!!!
「お見舞いに来たよ」
一応、俺もお礼がしたかったから。数日ぶりに見た穂乃果ちゃんは、かなり弱々しくなっていた。やっぱり風邪を引くと気が滅入るんだなぁ、俺にも覚えがあるっつーか今思い出すと恥ずかしいっていうか。
あれから、俺の中で考え方に変化が生まれた。
「あぁ……ありがと~……」
「寝たままでいいから、病人が気を使わないで」
起き上がろうとする穂乃果ちゃんの額に冷却シートを貼り付けて、水の入ったコップを手渡した。穂乃果ちゃんはマスクを外してそれをゆっくり、こくこくと飲んでいった。
だけど、元気が無い穂乃果ちゃんは言っちゃ悪いけど結構新鮮でずっと見つめていたかった。見つめていたかった、っていうか観察していたかった。
そうしたら、目があった。そして穂乃果ちゃんが目を見開くと、水を一気に噴出した。どうやら咽てしまったらしい。
「げほっ、げほっ!」
口から垂れている水をタオルで拭ってあげる。穂乃果ちゃんが咳き込むたびに水が飛び出してくる。思わず涙目になる穂乃果ちゃん、超絶可愛い。
ただそれでもやっぱり辛そうだったので、俺は背中をゆっくりと擦ってあげることにした。擦り続けること数分、穂乃果ちゃんはようやく落ち着いてきた。
「あー……」
「横になってて、なにか欲しいものある?」
すげぇ、俺めっちゃ彼氏っぽい。残念ながら進展はゼロだけどな!!
首をふるふると横に振る穂乃果ちゃんが、なんだか子供みたいで本当に可愛かった。こいつさっきから可愛いしか言ってねーな。
「……寝付くまででいいから傍にいてほしい……かな」
「うん、わかった」
―――喜んでぇぇぇえええええええええええ!!!!
暑いだろうけど穂乃果ちゃんにタオルケットを掛けてあげる。すると、自然と穂乃果ちゃんの手が涼しさを求めて外へぴょこっと飛び出してきた。
鬱陶しいかな、と思いつつもその魔力には逆らえず俺は穂乃果ちゃんの手を握った。穂乃果ちゃんの手を握るのはかれこれ、例の夏祭り以来だ。
しょうがないだろ、だって俺ヘタレだし? 仕事関連では歴戦の勇士でも、恋愛関連はキングオブ童貞極めてるから。むしろ童帝だから。そして誇れることじゃねーから、泣きたい。
じんわりと、穂乃果ちゃんの手が汗ばんできた。違う、もしかしたら俺が手汗を掻いたのかもしれない。
しばらくすると、穂乃果ちゃんは安らかな顔で寝息を立てていた。寝苦しそうだったから、マスクを外してあげようかと思ったそのとき。穂乃果ちゃんの手がどうしても離れなかったから、片側の手だけで起こさないようにマスクを外してあげた。気分はまるで爆弾処理班だった、笑顔の爆弾は喜んで起爆するけどな。
「へーやるじゃん?」
「うおわっビックリした!」
そのとき、いつからか俺たちを覗いていたらしい雪穂ちゃんがニヤニヤしながら声をかけてきた。
「あーあー、入ってきたら風邪移っちゃうよ?」
「お兄さんほどの病気にはならないから大丈夫」
俺ほどの病気? それってなんだろうと思って尋ねたら、
「恋の病だよ」
「上手い」
これはやられました。俺は穂乃果ちゃんと手を繋いだまま、雪穂ちゃんに向き直った。
「そういえば、雪穂ちゃんにもお礼言ってなかったね。ありがとう、あの日君がいなかったらたぶん……ううん、絶対俺は壊れてたよ」
そう言うと、雪穂ちゃんは顔を綻ばせた。
「どういたしまして」
事実、あの日雪穂ちゃんが来なかったら俺はあのテンションのまま、自然と穂乃果ちゃんと距離を取っただろう。
ただの店員とお客さんの関係で、満足していたかもしれない。だけど、案外俺は欲張りだった。
1度狙った席は、絶対に譲れない。そんな思いを抱いていた、それを見失ってただけだった。
それを雪穂ちゃんが見つけて、繋げてくれた。だから、俺はこうしてまだ穂むらで働いているし穂乃果ちゃんの傍で笑っていられる。
「君は本当に良い子だね」
「そりゃあ、お姉ちゃんの妹やってればね」
いつかちゃんとしたお礼を2人にしたい、雪穂ちゃんには俺に目印をくれたお礼を。穂乃果ちゃんには、俺に目標をくれたお礼を。
似ているようで、少し違う。俺を穂乃果ちゃんへと繋げてくれた雪穂ちゃんがいてくれて、本当によかった。俺の初恋の子の妹は非常に優秀で優しい子だ。
そう思いながら今日も1日過ぎていく。
雪穂ちゃんは天使、いいね?
バイトダイアリーの第2ヒロインと言っても差し支えないんじゃなかろうか。
これルート化狙えるんじゃなかろうか←
とにかく俺の夏風邪忌念はこれで終わりです。
明日からまた日常に戻ると思います。
今回もありがとうございました!