それから3日が経過しようとしていた。
シベリア鉄道の車窓から見られる景色は、草原ではなく、牧草地などの農場に変わっている。
既に1週間近くに渡ってユーラシア大陸を横断しており、建物もシベリア風から欧州風の色とりどりのものとなってきていた。
そんな風景を横に、大神たちはと言うと、
「隊長……よく眠っていらっしゃいますね」
大神は一番早く起きていたのだが心労が重なり寝不足であくびをしていたところを見つかり、強制的に寝かせられていた。
鳳翔の膝枕で。
膝枕には川内も名乗りを上げていたのだが、大神はほんの数日前に川内に酔って抱き付いて寝て、あわや責任を取りそうになった経験があるので流石に鳳翔を選んだ。
そんなこともあり、川内は若干不機嫌そうだ。
しかし、イルクーツクからの3日間だけでも、
寝惚けた川内が大神を抱きまくらにしたり、
着替え中の鳳翔たちを大神が見てしまったり、
ならば逆にと鳳翔たちが大神の着替えを余すことなくバッチリ見たり、
シャワーに向かう鳳翔を大神が体が勝手に動いて追って行ったところ見つかって同じシャワー室で一緒に洗いっこすることとなったり、
鳳翔だけずるいと川内ともシャワー室で洗いっこすることとなったり、とイベントは盛りだくさんだったのだ。
帰国後の魔女裁判の罪状が増えただけとも言う。
そして、昨日に至ってはこの部屋で寝るのは最後だからと一つのベッドで3人で川の字となって抱き合って寝ていた。
留守番となり大神と接する機会が全くなくなった艦娘たちと比べれば、これでもかと言うくらいに大神を堪能していたのだから膝枕の一つくらいで不機嫌になるのは、いささか欲張りすぎだろう。
そう気を取り直した川内は、鳳翔の膝枕で眠る大神の無防備な寝顔を楽しそうに見ていた。
考えてみれば、大神が士官学校を卒業してから未だ一年もたっていないのだ。
常に凛々しさを身に纏っていた為あまり気付くことはなかったが、今の大神の寝顔には少年のあどけなさが未だ残っている。
「こうやって、大神さんの寝顔を見れるのも最後なのかなぁ……」
「そうですね。モスクワからはパリへの直通便で一晩ですし、今度こそ男女別室ですから」
「はぁ、ざーんねん。その分、大神さんを堪能しよーっと」
そう言って、再び大神の寝顔を見つめる川内。
鳳翔も時折大神の髪を梳いたり、頬に指を当てたりしている。
と、列車がモスクワ郊外に入ったようだ。
荷物は起きてすぐにまとめてあるが、シーツやマットレスの片づけを行わないといけない。
そろそろ大神を起こす時間だ。
「隊長、起きて下さい」
「ん……あと、5分……」
鳳翔が軽く肩をゆするが、珍しいことに大神は起きるのを渋っている。
よほど心労がたまっているようだ。
「隊長、もうすぐモスクワに到着しますよ」
「ああ、分かった――よっ、と」
再度鳳翔に肩をゆすられてようやく起きる大神。
それから手早くベッドのマットレスを丸めて天井に入れていたりしていると、車掌がシーツを回収にやって来た。
この一週間見慣れた顔だが、これでお別れとなる。
大神はシーツを渡しながら最後の会話をしている。
と、大神の顔が赤くなっている、車掌にからかわれているようだ。
そうこうしている内に列車はいよいよモスクワ市外に入ったようだ。
やがて、執着駅であるヤロスラブリ駅に到着するシベリア鉄道。
停車した列車からホームに居り、改札に向かうと、地下鉄の路線図を配っていたので、一つ手に入れる。
とは言っても、大神の両腕は鳳翔と川内が占有しているので、実際に入手したのは鳳翔である。
正に両手に花状態の大神に過ぎ行く人の好奇の目が、時折向けられる。
「ここがモスクワかー、うーん、あんまり実感できないね、大神さん」
「そうだね。クレムリンや赤の広場、レーニン廟とか歴史博物館とかに寄っていったら実感できるかもしれないけど、今は乗継まであんまり時間はないからね」
「私はワシ-リ寺院やクレムリンに行ってみたかったので、ちょっと残念です」
「帰りはもっとゆっくり出来るだろうから、そのときはパリやモスクワの名所見学でもして行こうか?」
「本当ですか?」
大神の言葉を聞いた鳳翔がぱあっと明るくなる。
「ああ、地中海を奪還したら、一日や二日くらい見学出来る時間はもらえる筈さ」
「そうですねっ」
嬉しそうに大神の右手を両手で抱き締める鳳翔。
そんなことを喋りながら、大神たちは最寄の地下鉄の駅へ向かう。
ここから、パリ行きの列車に乗り継ぐのだが、パリ方面の列車が出るベラルスキー駅は歩いて行くにはかなり遠いので地下鉄を用いるのだ。
地下鉄を乗っている間も両手に花の大神に視線が向けられるが、川内たちは離れようとしない。
やがて大神も諦めたらしく、地下鉄を降りてベラルスキー駅へと二人を侍らせたまま向かう。
ベラルスキー駅に大神たちが到着すると、ホームの一角には既に乗る予定の列車が停車していた。
シベリア鉄道とは異なり、モスクワ発パリ行きの列車はドイツ製のかなり新型の車両。
見るからに近代的なつくりだ。
それに一等室までしかなかったシベリア鉄道と異なり、この車両には特等寝台車がある。
大神が特等寝台室、艦娘が一等寝台室に乗ることとなるのだ。
乗る車両自体が異なるので、先ず艦娘たちを一等室の方に乗るまで付き添ってから、特等寝台車へと案内してもらう。
特等寝台車、エスベーは各寝台室にシャワー室が完備された非常に贅沢なつくりである。
更にバーカウンターつきのラウンジも車内にある。
至れり尽くせりとは正にこのことだ。
一晩だけとは言え、これはゆっくり出来るかもしれない。
とベッドに横たわる大神だったが、一週間の心労が溜まっていたせいかすぐにすやすやと寝てしまうのだった。
「ん……」
次に大神が目が覚めたのは扉を叩く音であった。
時間を確認するとあれから数時間がたっていた、車掌だろうか。
扉を開けると、鳳翔と川内、そして車掌の姿があった。
鳳翔の髪は下ろされていた。
「どうしたんだい、二人とも?」
「あの、隊長……こちらには個室にシャワーが付いているんですよね?」
「ああ、そうだけど、そっちの車両にも共用のシャワー室が確かあったはずだよね?」
「それが……あまり使われていなかったせいで故障していたらしく、お湯が出なかったんです」
「ということは、まさか……」
次に鳳翔から飛び出すであろう言葉は簡単に想像できる。
「ごめんなさい、隊長。このままだと身体を冷やしてしまうので、そちらのシャワー室を使わせていただけないでしょうか? あと、車掌さんにその説明もしていただけたら――」
そこまで鳳翔が言い終わったところで、鳳翔が車掌の方を向く。
話した結論としては、列車の不備であり、知り合いなら今回は問題なしとのことであった。
そうして、鳳翔が大神の個室でのシャワー室を使い始めたのだが、非常に大きな問題があった。
そのシャワー室はガラスカーテンであり、大神からは鳳翔の裸が丸見えなのだ。
覗くまでも、体が勝手に動くまでもなく、鳳翔の裸体を見たい放題な大神だが、それはそれで非常にいやらしいものを感じてしまう。
「どうしたものかな……」
呟く大神の両手を手で包みこんで上目遣いに見上げる鳳翔。
「でしたら、あの……隊長?」
結局、また鳳翔とも川内ともシャワー室で一緒に洗いっこすることとなった大神だった。
流石にまた同じ寝台で寝ることだけは断り、一週間ぶりに一人部屋での睡眠を貪ったが。
そして、一晩が過ぎパリに到着する大神たち。
これから地下鉄を乗り継いで凱旋門支部に向かう筈だったのだが、地下鉄のパリ駅に向かおうとしたところ焦った様子のジャン・レオに呼び止められる。
「隊長さん、すまないが緊急事態だ! こっちに付いてきてくれ!!」
「ジャン・レオ班長、分かりました! 川内くん、鳳翔くんも!」
記憶と変わらぬジャン・レオの姿に懐かしさを覚える大神だったが、どうやら何らかの事態が発生したらしい。
川内、鳳翔とともにレオのあとを追いかける。
「何があったのですか?」
「ドイツの艦娘が北海での演習中に消息を絶った! 一時間前の最後の通信によると深海棲艦と接触したらしい!!」
「何ですって!?」
「おまけに周辺国の艦娘は大半が地中海奪還作戦に向けて既に南に移動している、このままだと彼女たちは助からない!!」
「リボルバーカノンはダメなのですか?」
「リボルバーカノンも地中海奪還作戦に向けて改修中だ、使えない! だから!」
そう言って、地下鉄の廃線のホームに到着する大神たち。
直後、大神の目の前に弾丸列車エクレールが到着する。
「エクレール! と言うことは!!」
開いたハッチから、白い甲冑に似た擬似艤装型量子甲冑が現れる。
光武・海より身体を保護する箇所の増えたそれは、
「ああ、隊長さんよ! ぶっつけ本番で悪いが、この光武・海Fで彼女たちの救援に向かってくれ!!」